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第一章
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「小海(小:愛称、~ちゃん)、宴席の手配は整いましたよ。明日は何時に出発しますか?」
「俺、行くって言ってないけど」
孫警衛(軍隊の役職)はわずかに口を開いて新鮮な空気を吸い、眉間に寄りかけた皺をほどく。この子は本当に小さい頃から頑固で、一度決めたら言うことをきかない。
「首長(軍の上官)がこれは命令なので反抗は許さないとおっしゃっていました」
顧海は立ち上がる。まっすぐに伸びた姿勢は軍人の家で生まれ育った証だ。彼は部屋の中を一周する。何気ない仕草からも血気盛んな様子が感じられた。
「それなら俺を縛って連れて行けよ」
悪びれない顧海に孫警衛は目を眇めて皺を寄せる。
「そこまでする必要がありますか? 夫人が亡くなられてからもうずいぶん経ちます。首長はまだ四十ですし、ずっと独り身で過ごすわけにもいかないでしょう」
その言葉が顧海の傷を抉った。
「俺は母さんの恨みを一生忘れない」
孫警衛はあわてて駆け寄り、小声でたしなめる。
「小海、むやみなことを言うものじゃありません。首長の耳に入ったらお仕置きされますよ。夫人のことはただの事故です。鑑定結果も出ているのに、なぜまだお父さんを疑うんですか?」
「いいよ。何も言うな。俺にはわかるんだ」
孫警衛は大股で一歩下がり、模範的な敬礼をした。
「では、明日お迎えに上がります」
その日の午後、顧海はフェンシングクラブでひとしきり汗を流した。フェイスシールドを外すと、強い力を持った指に目を塞がれる。
「よせよ」
そう言われ金璐璐は彼の手を掴んで顔から外し、目を眇め顧海の様子を確かめた。顧海は金璐璐の頬に手を当てて軽く叩き、彼女から明るい笑い声を引き出す。
金璐璐は顧海の現恋人だ。身長百七十二センチ、体重四十キロ台。貧乳という言葉すら使えない胸は洗濯板のように真っ平だ。じゃあ素晴らしい美人かというとそんなことはない。肌は浅黒く、目は一重で鼻筋は通っておらず、唇はふっくらともしていない。五十メートル先から見ると女性かどうかも判別できない。高スペックなお坊ちゃまが見染めたのはいわゆる非モテ女子だったが、二人はこれまで仲良く三年間つきあってきた。
「また日に焼けたの?」
顧海がわずかに微笑を浮かべると、すべての光が彼の顔に吸い込まれていくようだった。
「最近いつも泳いでるからな」
金璐璐は顧海と一緒に休憩所に行き、厚手のティッシュで彼の汗を拭った。顧海からはいつも煙草と汗の入り混じった独特の香りがする。目を閉じて香りの主を想像すると三十歳の成熟した大人の男性が浮かぶが、目を開くとそこには老成した少年の顔しかない。
「なんだよ、何見てるんだよ」
顧海は手を伸ばして金璐璐を懐に抱きこみ、軽くため息をつく。
「父親が結婚するんだ。式は明日だ」
「そんなに急に?」
金璐璐は顔を上げ、鋭い眼差しで顧海を見上げた。
「じゃああんたは? お父さんの結婚式に出るの?」
「俺が行くと思うか?」
「行きなさいよ! なんで行かないの? 彼女に思い知らせるべきよ。この家には息子もいるんだって。お前には何の権利もないって!」
顧海はやるせない気持ちを押し殺した。
「俺は本気であいつらの顔も見たくないんだよ。知ってるか? 母さんが事故に遭う前からあの二人は知り合いなんだぞ。父親のような立場の人間には再婚は絶対許されない。どういうことか、俺がこれ以上言わなくてもわかるだろう」
「あなたがややこしく考えすぎてるだけかもしれないじゃない」
顧海はごくごくと水を飲んだ。上下に動く喉仏を金璐璐がクスクス笑いながら摘まむと、顧海はむせかえりそうになる。
「もし俺が記者を連れて行って結婚式を大々的に報道させたら、奴らに打撃を与えられると思うか?」
金璐璐は驚いた。
「結婚式をぶち壊す気?」
「俺はずっとあのジジイに復讐しようと思ってたんだ」
「記者を呼ぶのは難しいし、取材したとしてもそんなのテレビ局で放送されないわよ」
「報道されるかどうかは問題じゃない。やつらが機材を担いで現場をかき乱せばいい。お祝い気分になんてさせるものか」
「なるほどねえ」
金璐璐は意味深長に語尾を伸ばす。
「わかったわ。記者かどうかは問題じゃなくて、騒ぎを起こして結婚式の主催者や当事者をビビらせるほうが大事ってことでしょう」
「さすがわかってるな」
顧海の黒い瞳は異様な光を湛えた。
「俺、行くって言ってないけど」
孫警衛(軍隊の役職)はわずかに口を開いて新鮮な空気を吸い、眉間に寄りかけた皺をほどく。この子は本当に小さい頃から頑固で、一度決めたら言うことをきかない。
「首長(軍の上官)がこれは命令なので反抗は許さないとおっしゃっていました」
顧海は立ち上がる。まっすぐに伸びた姿勢は軍人の家で生まれ育った証だ。彼は部屋の中を一周する。何気ない仕草からも血気盛んな様子が感じられた。
「それなら俺を縛って連れて行けよ」
悪びれない顧海に孫警衛は目を眇めて皺を寄せる。
「そこまでする必要がありますか? 夫人が亡くなられてからもうずいぶん経ちます。首長はまだ四十ですし、ずっと独り身で過ごすわけにもいかないでしょう」
その言葉が顧海の傷を抉った。
「俺は母さんの恨みを一生忘れない」
孫警衛はあわてて駆け寄り、小声でたしなめる。
「小海、むやみなことを言うものじゃありません。首長の耳に入ったらお仕置きされますよ。夫人のことはただの事故です。鑑定結果も出ているのに、なぜまだお父さんを疑うんですか?」
「いいよ。何も言うな。俺にはわかるんだ」
孫警衛は大股で一歩下がり、模範的な敬礼をした。
「では、明日お迎えに上がります」
その日の午後、顧海はフェンシングクラブでひとしきり汗を流した。フェイスシールドを外すと、強い力を持った指に目を塞がれる。
「よせよ」
そう言われ金璐璐は彼の手を掴んで顔から外し、目を眇め顧海の様子を確かめた。顧海は金璐璐の頬に手を当てて軽く叩き、彼女から明るい笑い声を引き出す。
金璐璐は顧海の現恋人だ。身長百七十二センチ、体重四十キロ台。貧乳という言葉すら使えない胸は洗濯板のように真っ平だ。じゃあ素晴らしい美人かというとそんなことはない。肌は浅黒く、目は一重で鼻筋は通っておらず、唇はふっくらともしていない。五十メートル先から見ると女性かどうかも判別できない。高スペックなお坊ちゃまが見染めたのはいわゆる非モテ女子だったが、二人はこれまで仲良く三年間つきあってきた。
「また日に焼けたの?」
顧海がわずかに微笑を浮かべると、すべての光が彼の顔に吸い込まれていくようだった。
「最近いつも泳いでるからな」
金璐璐は顧海と一緒に休憩所に行き、厚手のティッシュで彼の汗を拭った。顧海からはいつも煙草と汗の入り混じった独特の香りがする。目を閉じて香りの主を想像すると三十歳の成熟した大人の男性が浮かぶが、目を開くとそこには老成した少年の顔しかない。
「なんだよ、何見てるんだよ」
顧海は手を伸ばして金璐璐を懐に抱きこみ、軽くため息をつく。
「父親が結婚するんだ。式は明日だ」
「そんなに急に?」
金璐璐は顔を上げ、鋭い眼差しで顧海を見上げた。
「じゃああんたは? お父さんの結婚式に出るの?」
「俺が行くと思うか?」
「行きなさいよ! なんで行かないの? 彼女に思い知らせるべきよ。この家には息子もいるんだって。お前には何の権利もないって!」
顧海はやるせない気持ちを押し殺した。
「俺は本気であいつらの顔も見たくないんだよ。知ってるか? 母さんが事故に遭う前からあの二人は知り合いなんだぞ。父親のような立場の人間には再婚は絶対許されない。どういうことか、俺がこれ以上言わなくてもわかるだろう」
「あなたがややこしく考えすぎてるだけかもしれないじゃない」
顧海はごくごくと水を飲んだ。上下に動く喉仏を金璐璐がクスクス笑いながら摘まむと、顧海はむせかえりそうになる。
「もし俺が記者を連れて行って結婚式を大々的に報道させたら、奴らに打撃を与えられると思うか?」
金璐璐は驚いた。
「結婚式をぶち壊す気?」
「俺はずっとあのジジイに復讐しようと思ってたんだ」
「記者を呼ぶのは難しいし、取材したとしてもそんなのテレビ局で放送されないわよ」
「報道されるかどうかは問題じゃない。やつらが機材を担いで現場をかき乱せばいい。お祝い気分になんてさせるものか」
「なるほどねえ」
金璐璐は意味深長に語尾を伸ばす。
「わかったわ。記者かどうかは問題じゃなくて、騒ぎを起こして結婚式の主催者や当事者をビビらせるほうが大事ってことでしょう」
「さすがわかってるな」
顧海の黒い瞳は異様な光を湛えた。
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