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語り合おう
しおりを挟むきっかけは、
歯医者の待合室だった。
偶然となりの席で、
同じ曜日、
同じ時間帯の予約だった。
ただ、それだけだった。
次の予約の時に、
彼は手帳を取り出して、
来れそうな日を探す。
その時、偶然彼の指定する日が、
私の予約した日で、
私の予約した時間帯しか無理そうだと困っていたので、
声をかけたのがきっかけだった。
「ありがとうございます。助かりました。」
と、彼は穏やかそうに笑った。
「いえ、いいんです。
私、木曜日は休みの日なので、
何時でも大丈夫なので。」
その日はちょうど12時前で、
もしよければ、
お礼にご飯をと言われた。
断ったけど、
遠慮しないでと言われ、
予定もなかったので、
お言葉に甘えることにしたのだった。
「すいません、なんだかごちそうになってしまって。」
「気にしないでください。
いつも一人で食べてたので。
ここの料理、おいしいんですよ。」
と、彼おすすめのイタリアンに連れて行ってもらった。
ランチのパスタとスープのセットを頼み、
彼と軽く話した。
どちらも急な虫歯で、
同じ時期に痛み出していた。
「こんな偶然、あるんですね(笑)」
「びっくりです。」
私はアパレルショップで働いていた。
彼の薄いグレーのスーツは、
私好みだった。
じゃぁまたと言って別れたけど、
連絡先も交換していないし、
これっきりだと思った。
思っていた。
歯医者で会ったときに、
そういえば、譲ったんだったと思い出した。
「こんにちわ。」と、
彼が挨拶をしてくれた。
「こんにちわ。」
なんだか、不安な歯医者で顔見知りができたので、
少し嬉しく思った。
お互い、
どうやら、
次で治療が終わりみたいだった。
最後の治療の日にも偶然また会って、
完治祝いにお茶でもと誘われた。
彼とカフェで他愛ない話をする。
彼はいつもどっしり物静かに構えている人で、
安心感がとてもあった。
帰り際、
「すいません、連絡先、交換しませんか?」と、
はにかみながら話す彼に、
好感度が上がった。
「えぇ、もちろん!」
思わず、前のめりに答えてしまった。
それからぼちぼちラインのやり取りをした。
何度か食事に行った。
出会ったのは春だった。
夏に花火を見に行った帰り道に告白されて、
付き合うことになった。
秋に紅葉を見に行った時だった。
「実は、裁判官の仕事をしているんだ。」と、
彼がまっすぐに私を見ながら話してくれた。
「そ、うなんだ。」
会ったことがなかった、
裁判官という職種の人に。
テレビでしか見たことがなかった。
クリスマスディナーの時だった。
いつも姿勢の正しい彼が少し猫背だった。
「どうしたの?
なんか元気ないみたいだけど。」
「あぁ、ごめんね。」
彼は力なく笑う。
「疲れてるの?」
「ちょっとね。」
彼の職業柄、
コンプライアンスは厳しそうで、
どこまで踏み込んでいいのかが、
私にはわからなかった。
「実はさ。」と彼は話そうとしたけど、
口をつぐんだ。
「やっぱり、なんでもない。(笑)
今日、クリスマスだよね?
時計、買ってみたんだ。」
と、私にプレゼントをくれた。
「あ、りがとう。」
と、ぎこちなくもらってしまった。
貰った時計は、
以前に私が「わぁ~可愛い!」と何気なく言った時計だった。
私は彼にカシミヤのマフラーをプレゼントした。
「ありがとう!」
「寒くて困ってたんだ。」と彼は笑う。
私はやっぱり、
彼の薄いグレーのスーツ姿が好きだ。
おいしいディナーのコース料理に舌鼓を打ちながら、
明るく振舞ってくれている彼だけど、
無理しているのがよくわかる。
「 大変だよね、
人を裁くのってさ……。」
メインの牛のステーキを切り分けながら、
ぽろっと言ってしまった。
「 そうだね。
俺一人って訳ではないけれど、
少なくとも、被告人と周りの人達の人生に大きな影響を与える決断をするわけだから、
どうしても、精神的に参っちゃうんだよ。」
初めて、彼の弱音を聞いた。
「うん。」
「でもさ、春香と出会って、
心苦しい時も助けてもらったよ?
いつも、ありがとう。」
と、優しく笑う彼が好きだ。
自分の事で精一杯なはずなのに、
いつも周りに思いやりを持って
冷静に客観的に見れる、
彼が私は好きなのだ。
「そんなことないよ。
私は一緒にいることしかできないし。」
「十分だよ。」と、
彼は赤ワインを口にする。
「だったら、うれしい。
私も、ノルマ達成できないときとか不安になるけど、
高志さんと一緒にいると、
安心するよ。」
「なら、よかった。」
おいしいねと彼はいつもの調子で
私に笑いかける。
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