ほつれた心も縫い留めて ~三十路の女王は紳士な針子にぬいぐるみごと愛でられる~

穂祥 舞

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心の中に落ちて芽吹くもの

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 結局亜希は、朝まで千種の腕に抱かれたまま熟睡してしまった。コンセントに繋がれた千種のスマートフォンの目覚ましが7時に鳴り、瞼を開いたとき、人の存在に飛び上がるほど驚いた。思わず身体を離そうとすると、千種はすぐに腕を解いて、するりとベッドから降りる。彼はアラームを止め、そのままそこでひとつ伸びをした。

「おはようございます、おかげ様で俺はよく眠れたけど住野さんは大変……だったね」

 セックスどころか、キスひとつした訳でもないのに、とんでもなく恥ずかしい。雷怖さに抱きついて寝たなんて、笑い話のネタにもならないではないか。
 亜希は身体を起こして正座し、そのまま千種に頭を下げた。

「すみません、大変ご迷惑をおかけしました」
「えっ、土下座なんてやめてよ、少しでも安心できたなら代ぬい代理としては本望です」

 千種が笑いを堪えているのがわかり、亜希は頭を上げても、彼の顔を見ることができない。

「春の天気は割と不安定だし、代ぬいが来るまで天気予報をしっかりチェックするから」
「ああ、いや……」

 夜に雨が降るたびに、ここに来るという意味なのだろうか。困惑しかない。

「とっ、とにかく、朝ご飯出すから顔でも洗ってきて」
「お先です、ありがと」

 千種は身軽に立ち上がり、洗面所に行った。それを確認してから、亜希は急いで着替えて、手ぐしで髪を纏める。小さなキッチンで、水を張った小鍋を火にかけて2個の卵を中に入れると、千種がこちらを覗いていた。

「卵見とくから顔洗えば? あとは? トーストと……」

 亜希はまともに台所に立つ男性と交際したことがないので戸惑う。榊原の家に泊まった翌朝は、近くのファストなカフェにモーニングを食べに行くのが常で、榊原はパンさえ焼かなかった。

「あ、でも……」
「触られたくないならしないけど、いいなら用意くらいさせて……押しかけたの俺だから」

 千種の涼やかな目に優しい笑みが浮かぶのを見て、亜希の胸がどくんと鳴る。彼はいつも紳士だが、こんな顔を見るのは初めてだった。

「じゃあ任せます……オレンジが野菜室にあるの、よかったらどうぞ」
「了解です」

 何なのこれ、一緒に暮らしてるカップルみたいじゃん……顔を湿らせ、洗顔フォームを泡立てながら亜希は考える。そりゃまあ、同じ布団で一晩くっついて寝れば、親しさは増すのかもしれないが。
 狭い食卓にちんまり座って、朝食を済ませた。千種はオレンジを櫛形に切って出してくれた。彼がこれから出勤で、すぐに出ていってしまうのが残念だ。一緒にもっとゆっくり食べたいのに……。

「あの、真面目な話、雷鳴ったらいつもあんな感じなの? はっきり言って心配なレベルなんだけど」

 千種から不意に訊かれて、亜希はオレンジの果肉を噛みながらこっくり頷く。

「心配かけてごめんなさい……妹が小学校に入った時にね、私は小3だったんだけど、2人の部屋をもらって二段ベッドで寝るようになったの」

 少し大人になったように思えた嬉しさが、かき消される「事件」が起きた。その年の夏休み中のある夜、突如雷雨になった。
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