46 / 80
9月 12-①
しおりを挟む
「あきちゃんもこういうお役目を任せて貰えるようになったのね、素敵」
母の乃里子は後ろの席で社内報を開きながら、言った。父の寿博は助手席で、それは何だ、おまえが男が好きな子だから回って来たのか、とやや遠慮がちに言う。
「その話を貰った時はまだ誰も会社の人には言ってなかったよ」
暁斗はのんびりと車を走らせながら答える。最近社用車をほとんど触らなくなったので、やや緊張気味でハンドルを握っていたが、お陰で話題に意識を振り回されなくて良かったかも知れなかった。
「たまたまだったの?」
暁斗は少し考え、いや、とかぶりを振った。
「先輩に……その山中さんって人には疑われてた」
あら、山中さん、と乃里子は懐かしそうに言う。蓉子との結婚式と披露宴で、母の印象に残った暁斗の来賓の一人だったらしい。
「山中さんもゲイなんだけど」
父と母は同時にえっ、と声を発する。
「……おまえの会社には多いのか?」
暁斗は寿博の言葉に小さく笑う。
「それを言うなら何処にでも潜伏してる人が多いんだよ」
乃里子はそうかもねぇ、とあっさり言ったが、寿博はうーん、と唸った。暁斗はハンドルを左に切って、少し細くて登っている道に入った。目指す霊園はもう目と鼻の先だ。ほんとうに偶然だったが、そこには父方と母方の双方の代々の墓がある。そんなこともあり、桂山家はこまめに墓参りに行く家である(蓉子と結婚するまで、どの家もそうだと暁斗は思っていたが)。
暁斗は5年ぶりの墓参りで、少し祖父母に報告したいことができたという気持ちだったかも知れない。古い家の長男である奏人は、週末実家に戻り墓参りに行くと伝えると、良いことですねと肯定的な返事をくれた。そんなちょっとした価値観の近さが嬉しい。きっといつか一緒に来てくれるだろうと考えると、それも十分楽しい妄想だった。
霊園の駐車場は彼岸とあってそこそこ埋まっていたが、何とか空きを見つけて車を滑り込ませる。営業の時に狭いコインパーキングに停めることを思えば、霊園の駐車場は使いやすかった。暁斗は乃里子に命じられるままバケツに水を汲み、まず父方の墓に向かう。薄曇りだったが、暑くもなく寒くもない過ごしやすい気温だった。
「そういや晴夏は休みを取らなかったのか」
墓の周りの小さな雑草をむしりながら寿博が乃里子に訊いた。
「俺の顔を見たくないからかな」
暁斗が菊の花の束を、母方の墓の分も合わせ4つに分けながら自虐的に言うと、乃里子は違うわよ、と笑う。
「今日明日と休み希望がすごく被ったんですって、ベテラン社員は休めないのよ」
「わしはシフトの仕事をしたことがないから分からんが、ベテラン社員だから休めないというのも妙な話だな」
寿博が自分に振っているようなので、暁斗は答える。暁斗は今はシフトの仕事ではないが、学生の頃は細かいシフト表に従いアルバイトに勤しんだものである。
「晴夏のとこはほら、パートタイマーも沢山いるから……家庭持ってる人は週末いろいろあるんだよ」
「みんな原則土日は出勤でしょうけど、用事がある週末もあるものね」
星斗が就職するまでパートタイマーとして働いていた乃里子の言葉には説得力がある。
墓の周りがきれいになると、花を活け、線香をつける。薄い煙が上がり、3人並んで手を合わせると、乃里子が呟くように言った。
「お義父さん、暁斗に彼氏ができましたよ、今度こそ幸せに……」
暁斗は思わず目を開けて、やめて、と母に言った。
「おじいちゃん心配するだろ」
「どうしてよ、きっと喜んでくれるわよ」
寿博は肯定も否定もせずに笑った。思えば母は父の両親と、本当に仲良くやっていた。祖母が先に逝き、祖父と暮らす話が出た時も、積極的にそうした方がいいと言ったらしかった。祖父が大好きだった暁斗は、一緒に暮らせると大喜びしたが、祖父は祖母との思い出の多い家を離れたがらなかった。暁斗は星斗と祖父の家に行くのが、それはそれで楽しみの一つだったので、子供心にまあいいやと思っていた。
「親父が死んでもう25年経つのか」
寿博はしみじみと言う。空を見上げると、大きな鳥が2羽、ゆっくりと暁斗たちの頭上を旋回してから飛び去って行った。
暁斗は長男だからしっかりしないとな、と祖父はよく言った。星斗や晴夏が泣いても、いつも我慢した。暁斗は祖父に可愛がられたし、期待されていることも察していた。ただ長男らしく、結婚して子どもを持って、家を守るということはもうできない。もし祖父がそういうことを暁斗に期待していたとしたらと思うと、少し切ない。乃里子の言うように、今暁斗が本当に愛する人を見つけたことを、祖父が喜んでくれていたらいいなと思った。
遅番だったということで、21時過ぎて帰宅した晴夏は、暁斗がリビングでテレビを見ているのを見て、わっ、と言った。
「何だよ、何で驚くんだ」
「あきにい帰ったと思ってたから」
「変態の姿なんか見たくなかっただろうな」
晴夏は暁斗を横目で見て、まあね、と応じる。寿博が二人ともやめなさいと、大人気ない30代の子どもたちをたしなめた。乃里子がキッチンから晴夏に、早く食事をするよう呼びかける。
「あきちゃんとお父さんはビールでも飲む?」
「あ、取りに行く」
父がその気のようなので、暁斗は立ち上がりダイニングに向かう。晴夏はどっかり座ったまま母から味噌汁を手渡され、いただきますと声を上げた。この調子じゃなかなか嫁には行けないな、と暁斗は思いながら、缶ビールを2本冷蔵庫から出す。寿博と軽く乾杯して冷えたビールを味わっていると、晴夏まで缶ビールを用意していた。
「あら、明日も出勤なのにいいの?」
「だって人少ないのに客多くて疲れたんだもん、飲まなきゃやってらんない」
寿博が晴夏をちらっと見て、軽く溜め息をついた。
「女は結婚しないとおばさんになる前におじさん化するのかなぁ」
暁斗はちょっと笑ってしまう。晴夏なんて可愛いものだ、会社にはおじさん顔負けのおじさん行動をする女子社員がごろごろしている。総務課長の大平も酒の飲み方はおじさんだ。
「いや、結婚してもおじさん化してる人もいるかも」
「お兄ちゃん、うちなんか来ないで奏人さん家行ったらいいじゃん」
食事を終えて、ビールの缶片手にリビングにやって来た晴夏は言った。どうも言葉に棘を感じるが、スルーすることにする。
「奏人さんは週末も忙しいんだ」
「副業で?」
「少なくとも土曜は」
「お兄ちゃんそれ平気なの? あんな副業ずっとさせておくの? お金が無い訳でもないでしょうに」
説明するのが面倒くさいし、奏人の気持ちを理解してもらえるとも思わないので、暁斗はそうだなぁ、と適当に相槌を打つ。
「暁斗、その彼は自分の風俗業に対してどう思っているんだ、続けないといけないのか」
寿博に訊かれると、スルーする訳にはいかなかった。
「年内で辞めるんだよ、今贔屓にしてくれるお客さんに挨拶するために仕事増やしてて……俺もまあ楽しくはないけど元々俺が辞めて欲しいって口走ったのもあるし、彼ならそう考えるのもわかるから、気の済むようにしてくれたらいいと思ってる」
寿博はふうん、と言って少し考えた。
「行きつけてたスナックのママが店閉める前に常連客に連絡よこして頑張ってたみたいな感じかな」
「あ、そんなことあったんだ」
「水商売の人は義理堅いからね」
「俺たちだって転勤や定年になったら得意先に挨拶しに行くもんな」
晴夏は男2人の話を黙って聞きながら、ビールをちびちび飲んでいた。寿博がもう少し飲みたいと言ったので、暁斗は1本を分けることにする。キッチンで洗い物をする乃里子に、仕事を増やして申し訳ないと思いつつ、グラスを棚から出した。
「チョコレートあるからアテにどう?」
「拭くの後で手伝うから一緒に食べようよ」
暁斗は乃里子に言い、個包装の小さなチョコレートが詰まった袋を遠慮なく持って行った。それを見て晴夏が喜ぶ。2つのグラスの半分までビールを注ぎ、寿博に手渡した。
「星斗たちにも報告すべきかな」
「記事の話はいいんじゃないか、あちらまでまあ……影響は無いだろう」
乃里子はレンジでホットミルクを作り、いい匂いをさせながらリビングにやって来て、晴夏と一緒にチョコレートに手を伸ばす。ゴールデンウィークに熱海で騒いだことをふと思い出した。あの頃とも、随分暁斗を取り巻く状況は変化したと思う。
「あきちゃん、奏人さんに時間があるなら上野につき合ってって伝えて、今日から西洋美術館で始まったやつ観たいわ」
「マジなの、お母さん……」
暁斗より先に晴夏が反応する。暁斗は苦笑しながら母に確認した。
「母さんのメアドを奏人さんに教えてもいいかな、2人で段取りしろよ」
寿博は何事かという顔をしている。乃里子はようやくそれに気づいた。
「あきちゃんの彼氏に芸術鑑賞につき合ってもらうのよ、あなたやあきちゃんはそんなの興味無いし晴夏は日曜休みじゃないから」
俺が奏人さんと会う時間を奪う気か、と言いたい気分だが、黙っておいた。
「もう何か、あのきれいな顔の得体の知れないおにいさんが我が家にどんどん侵食してくる感じ……」
晴夏は酔ってきたのか、遂に本音を吐き始めた。乃里子がマグカップをテーブルに置き、目を険しくする。
「得体の知れないって何なの、お兄ちゃんの大事なパートナーでしょ」
「……まあ確かに得体の知れない感はあるかな」
暁斗は晴夏の言葉に腹が立ちながらも、上手いこと言うなと感心してしまった。
「何だ、暁斗は得体の知れない子に騙されてるのか」
寿博は笑いながら言い、暁斗も笑ったが、晴夏と乃里子はそれぞれ彼に厳しい目を向けた。
「本当にそうだったらお父さんどうするのよ!」
「奏人さんはあまりその辺には転がってなさそうだけれど普通の子よ、会ってもない人に何て言い方」
いきなり集中砲火を受けた寿博は助けを求めるように暁斗を見た。暁斗は溜め息をひとつつく。
「奏人さんが俺を騙して何のメリットがあるんだ、絶対俺より稼いでるし、俺なんかより頭いいし何でもできるし」
「……だから得体が知れないのよ」
「奏人さんが男だからって理由なら俺はおまえの言い分を一切聞かない」
「自分たちが変態なのを美化しないでよ」
晴夏は疲れた後にビールを飲んで、やはり酔っているようだった。言うことが少しずつ支離滅裂になってきた。
「友達にいっつもお兄ちゃんの自慢をしてきた私の立場にもなってよ、高校時代の友達にお兄ちゃん元気? って聞かれたら私何て答えたらいいのよ、男の恋人ができてラブラブよって言ったらいいの?」
父ははぁ? と呆れたように言い、母はそう教えてあげなさいよ、としれっと応じた。
「てか元気にしてるよだけじゃだめな訳?」
暁斗も思わず言った。乃里子が半笑いで暁斗に言う。
「晴夏のお友達にあなたのファンの子がいるの、えっと……やっちゃんとともちゃん」
暁斗は驚きつつも、母の言う2人の女性の顔をぼんやりと思い出していた。最後に彼女らがこの家に揃って遊びにきたのは、確か晴夏が大学の3回生の頃だ。みんな違う大学に通っているのに、仲が良いのだなと思ったのを覚えている。
「2人とも確か結婚したよな、やっちゃんは男の子が産まれたって……」
「やっちゃんは2人目ができたわよ、ともちゃんも不妊治療して女の子を産んだわ」
晴夏の返事に、へえ、良かったじゃないか、と暁斗は単純に彼女らのめでたい話題に笑顔になったが、晴夏にはそれが癇に障ったらしく、鼻の上に皺をきゅっと寄せた。
「私は変態の兄がいたら結婚もできないわよ!」
「晴夏、いい加減にしろっ!」
晴夏の暴言よりも寿博の怒声のほうに暁斗は驚いた。乃里子はあ然とし、晴夏は唇を噛む。
「おまえが結婚できないのはお前自身のそういう勝手な考えのせいだろう、暁斗に何を求めてるんだ! そうやって今まで付き合ってきた男たちにも理想を押し付けて逃げられてきたんだろうが!」
寿博もかなりの暴言を吐いた。思わず暁斗は父の腕を引き、乃里子もお父さん、とたしなめる声を上げたが、晴夏はビールの缶をテーブルに叩きつけて叫んだ。
「何でお父さんもお母さんもお兄ちゃんの肩ばっかり持つのよ!」
「馬鹿かおまえは、肩を持つとか持たないとかの話じゃないだろう! 暁斗が男しか好きになれないと最初聞いて父さんだってショックだった、でも暁斗のせいじゃないし一番悩んだのは蓉子さんと一度結婚までしていた暁斗なんだぞ、もしおまえが暁斗の立場だったらどうなんだ、考えてみろ!」
晴夏は顔を歪め、わっと泣き出した。暁斗は習慣のように――妹が泣くと慰めるのは小さい頃から彼の役目だった――彼女の腕に触れようとしたが、その前に彼女は立ち上がり、逃げるように2階の自分の部屋にばたばたと行ってしまった。
母の乃里子は後ろの席で社内報を開きながら、言った。父の寿博は助手席で、それは何だ、おまえが男が好きな子だから回って来たのか、とやや遠慮がちに言う。
「その話を貰った時はまだ誰も会社の人には言ってなかったよ」
暁斗はのんびりと車を走らせながら答える。最近社用車をほとんど触らなくなったので、やや緊張気味でハンドルを握っていたが、お陰で話題に意識を振り回されなくて良かったかも知れなかった。
「たまたまだったの?」
暁斗は少し考え、いや、とかぶりを振った。
「先輩に……その山中さんって人には疑われてた」
あら、山中さん、と乃里子は懐かしそうに言う。蓉子との結婚式と披露宴で、母の印象に残った暁斗の来賓の一人だったらしい。
「山中さんもゲイなんだけど」
父と母は同時にえっ、と声を発する。
「……おまえの会社には多いのか?」
暁斗は寿博の言葉に小さく笑う。
「それを言うなら何処にでも潜伏してる人が多いんだよ」
乃里子はそうかもねぇ、とあっさり言ったが、寿博はうーん、と唸った。暁斗はハンドルを左に切って、少し細くて登っている道に入った。目指す霊園はもう目と鼻の先だ。ほんとうに偶然だったが、そこには父方と母方の双方の代々の墓がある。そんなこともあり、桂山家はこまめに墓参りに行く家である(蓉子と結婚するまで、どの家もそうだと暁斗は思っていたが)。
暁斗は5年ぶりの墓参りで、少し祖父母に報告したいことができたという気持ちだったかも知れない。古い家の長男である奏人は、週末実家に戻り墓参りに行くと伝えると、良いことですねと肯定的な返事をくれた。そんなちょっとした価値観の近さが嬉しい。きっといつか一緒に来てくれるだろうと考えると、それも十分楽しい妄想だった。
霊園の駐車場は彼岸とあってそこそこ埋まっていたが、何とか空きを見つけて車を滑り込ませる。営業の時に狭いコインパーキングに停めることを思えば、霊園の駐車場は使いやすかった。暁斗は乃里子に命じられるままバケツに水を汲み、まず父方の墓に向かう。薄曇りだったが、暑くもなく寒くもない過ごしやすい気温だった。
「そういや晴夏は休みを取らなかったのか」
墓の周りの小さな雑草をむしりながら寿博が乃里子に訊いた。
「俺の顔を見たくないからかな」
暁斗が菊の花の束を、母方の墓の分も合わせ4つに分けながら自虐的に言うと、乃里子は違うわよ、と笑う。
「今日明日と休み希望がすごく被ったんですって、ベテラン社員は休めないのよ」
「わしはシフトの仕事をしたことがないから分からんが、ベテラン社員だから休めないというのも妙な話だな」
寿博が自分に振っているようなので、暁斗は答える。暁斗は今はシフトの仕事ではないが、学生の頃は細かいシフト表に従いアルバイトに勤しんだものである。
「晴夏のとこはほら、パートタイマーも沢山いるから……家庭持ってる人は週末いろいろあるんだよ」
「みんな原則土日は出勤でしょうけど、用事がある週末もあるものね」
星斗が就職するまでパートタイマーとして働いていた乃里子の言葉には説得力がある。
墓の周りがきれいになると、花を活け、線香をつける。薄い煙が上がり、3人並んで手を合わせると、乃里子が呟くように言った。
「お義父さん、暁斗に彼氏ができましたよ、今度こそ幸せに……」
暁斗は思わず目を開けて、やめて、と母に言った。
「おじいちゃん心配するだろ」
「どうしてよ、きっと喜んでくれるわよ」
寿博は肯定も否定もせずに笑った。思えば母は父の両親と、本当に仲良くやっていた。祖母が先に逝き、祖父と暮らす話が出た時も、積極的にそうした方がいいと言ったらしかった。祖父が大好きだった暁斗は、一緒に暮らせると大喜びしたが、祖父は祖母との思い出の多い家を離れたがらなかった。暁斗は星斗と祖父の家に行くのが、それはそれで楽しみの一つだったので、子供心にまあいいやと思っていた。
「親父が死んでもう25年経つのか」
寿博はしみじみと言う。空を見上げると、大きな鳥が2羽、ゆっくりと暁斗たちの頭上を旋回してから飛び去って行った。
暁斗は長男だからしっかりしないとな、と祖父はよく言った。星斗や晴夏が泣いても、いつも我慢した。暁斗は祖父に可愛がられたし、期待されていることも察していた。ただ長男らしく、結婚して子どもを持って、家を守るということはもうできない。もし祖父がそういうことを暁斗に期待していたとしたらと思うと、少し切ない。乃里子の言うように、今暁斗が本当に愛する人を見つけたことを、祖父が喜んでくれていたらいいなと思った。
遅番だったということで、21時過ぎて帰宅した晴夏は、暁斗がリビングでテレビを見ているのを見て、わっ、と言った。
「何だよ、何で驚くんだ」
「あきにい帰ったと思ってたから」
「変態の姿なんか見たくなかっただろうな」
晴夏は暁斗を横目で見て、まあね、と応じる。寿博が二人ともやめなさいと、大人気ない30代の子どもたちをたしなめた。乃里子がキッチンから晴夏に、早く食事をするよう呼びかける。
「あきちゃんとお父さんはビールでも飲む?」
「あ、取りに行く」
父がその気のようなので、暁斗は立ち上がりダイニングに向かう。晴夏はどっかり座ったまま母から味噌汁を手渡され、いただきますと声を上げた。この調子じゃなかなか嫁には行けないな、と暁斗は思いながら、缶ビールを2本冷蔵庫から出す。寿博と軽く乾杯して冷えたビールを味わっていると、晴夏まで缶ビールを用意していた。
「あら、明日も出勤なのにいいの?」
「だって人少ないのに客多くて疲れたんだもん、飲まなきゃやってらんない」
寿博が晴夏をちらっと見て、軽く溜め息をついた。
「女は結婚しないとおばさんになる前におじさん化するのかなぁ」
暁斗はちょっと笑ってしまう。晴夏なんて可愛いものだ、会社にはおじさん顔負けのおじさん行動をする女子社員がごろごろしている。総務課長の大平も酒の飲み方はおじさんだ。
「いや、結婚してもおじさん化してる人もいるかも」
「お兄ちゃん、うちなんか来ないで奏人さん家行ったらいいじゃん」
食事を終えて、ビールの缶片手にリビングにやって来た晴夏は言った。どうも言葉に棘を感じるが、スルーすることにする。
「奏人さんは週末も忙しいんだ」
「副業で?」
「少なくとも土曜は」
「お兄ちゃんそれ平気なの? あんな副業ずっとさせておくの? お金が無い訳でもないでしょうに」
説明するのが面倒くさいし、奏人の気持ちを理解してもらえるとも思わないので、暁斗はそうだなぁ、と適当に相槌を打つ。
「暁斗、その彼は自分の風俗業に対してどう思っているんだ、続けないといけないのか」
寿博に訊かれると、スルーする訳にはいかなかった。
「年内で辞めるんだよ、今贔屓にしてくれるお客さんに挨拶するために仕事増やしてて……俺もまあ楽しくはないけど元々俺が辞めて欲しいって口走ったのもあるし、彼ならそう考えるのもわかるから、気の済むようにしてくれたらいいと思ってる」
寿博はふうん、と言って少し考えた。
「行きつけてたスナックのママが店閉める前に常連客に連絡よこして頑張ってたみたいな感じかな」
「あ、そんなことあったんだ」
「水商売の人は義理堅いからね」
「俺たちだって転勤や定年になったら得意先に挨拶しに行くもんな」
晴夏は男2人の話を黙って聞きながら、ビールをちびちび飲んでいた。寿博がもう少し飲みたいと言ったので、暁斗は1本を分けることにする。キッチンで洗い物をする乃里子に、仕事を増やして申し訳ないと思いつつ、グラスを棚から出した。
「チョコレートあるからアテにどう?」
「拭くの後で手伝うから一緒に食べようよ」
暁斗は乃里子に言い、個包装の小さなチョコレートが詰まった袋を遠慮なく持って行った。それを見て晴夏が喜ぶ。2つのグラスの半分までビールを注ぎ、寿博に手渡した。
「星斗たちにも報告すべきかな」
「記事の話はいいんじゃないか、あちらまでまあ……影響は無いだろう」
乃里子はレンジでホットミルクを作り、いい匂いをさせながらリビングにやって来て、晴夏と一緒にチョコレートに手を伸ばす。ゴールデンウィークに熱海で騒いだことをふと思い出した。あの頃とも、随分暁斗を取り巻く状況は変化したと思う。
「あきちゃん、奏人さんに時間があるなら上野につき合ってって伝えて、今日から西洋美術館で始まったやつ観たいわ」
「マジなの、お母さん……」
暁斗より先に晴夏が反応する。暁斗は苦笑しながら母に確認した。
「母さんのメアドを奏人さんに教えてもいいかな、2人で段取りしろよ」
寿博は何事かという顔をしている。乃里子はようやくそれに気づいた。
「あきちゃんの彼氏に芸術鑑賞につき合ってもらうのよ、あなたやあきちゃんはそんなの興味無いし晴夏は日曜休みじゃないから」
俺が奏人さんと会う時間を奪う気か、と言いたい気分だが、黙っておいた。
「もう何か、あのきれいな顔の得体の知れないおにいさんが我が家にどんどん侵食してくる感じ……」
晴夏は酔ってきたのか、遂に本音を吐き始めた。乃里子がマグカップをテーブルに置き、目を険しくする。
「得体の知れないって何なの、お兄ちゃんの大事なパートナーでしょ」
「……まあ確かに得体の知れない感はあるかな」
暁斗は晴夏の言葉に腹が立ちながらも、上手いこと言うなと感心してしまった。
「何だ、暁斗は得体の知れない子に騙されてるのか」
寿博は笑いながら言い、暁斗も笑ったが、晴夏と乃里子はそれぞれ彼に厳しい目を向けた。
「本当にそうだったらお父さんどうするのよ!」
「奏人さんはあまりその辺には転がってなさそうだけれど普通の子よ、会ってもない人に何て言い方」
いきなり集中砲火を受けた寿博は助けを求めるように暁斗を見た。暁斗は溜め息をひとつつく。
「奏人さんが俺を騙して何のメリットがあるんだ、絶対俺より稼いでるし、俺なんかより頭いいし何でもできるし」
「……だから得体が知れないのよ」
「奏人さんが男だからって理由なら俺はおまえの言い分を一切聞かない」
「自分たちが変態なのを美化しないでよ」
晴夏は疲れた後にビールを飲んで、やはり酔っているようだった。言うことが少しずつ支離滅裂になってきた。
「友達にいっつもお兄ちゃんの自慢をしてきた私の立場にもなってよ、高校時代の友達にお兄ちゃん元気? って聞かれたら私何て答えたらいいのよ、男の恋人ができてラブラブよって言ったらいいの?」
父ははぁ? と呆れたように言い、母はそう教えてあげなさいよ、としれっと応じた。
「てか元気にしてるよだけじゃだめな訳?」
暁斗も思わず言った。乃里子が半笑いで暁斗に言う。
「晴夏のお友達にあなたのファンの子がいるの、えっと……やっちゃんとともちゃん」
暁斗は驚きつつも、母の言う2人の女性の顔をぼんやりと思い出していた。最後に彼女らがこの家に揃って遊びにきたのは、確か晴夏が大学の3回生の頃だ。みんな違う大学に通っているのに、仲が良いのだなと思ったのを覚えている。
「2人とも確か結婚したよな、やっちゃんは男の子が産まれたって……」
「やっちゃんは2人目ができたわよ、ともちゃんも不妊治療して女の子を産んだわ」
晴夏の返事に、へえ、良かったじゃないか、と暁斗は単純に彼女らのめでたい話題に笑顔になったが、晴夏にはそれが癇に障ったらしく、鼻の上に皺をきゅっと寄せた。
「私は変態の兄がいたら結婚もできないわよ!」
「晴夏、いい加減にしろっ!」
晴夏の暴言よりも寿博の怒声のほうに暁斗は驚いた。乃里子はあ然とし、晴夏は唇を噛む。
「おまえが結婚できないのはお前自身のそういう勝手な考えのせいだろう、暁斗に何を求めてるんだ! そうやって今まで付き合ってきた男たちにも理想を押し付けて逃げられてきたんだろうが!」
寿博もかなりの暴言を吐いた。思わず暁斗は父の腕を引き、乃里子もお父さん、とたしなめる声を上げたが、晴夏はビールの缶をテーブルに叩きつけて叫んだ。
「何でお父さんもお母さんもお兄ちゃんの肩ばっかり持つのよ!」
「馬鹿かおまえは、肩を持つとか持たないとかの話じゃないだろう! 暁斗が男しか好きになれないと最初聞いて父さんだってショックだった、でも暁斗のせいじゃないし一番悩んだのは蓉子さんと一度結婚までしていた暁斗なんだぞ、もしおまえが暁斗の立場だったらどうなんだ、考えてみろ!」
晴夏は顔を歪め、わっと泣き出した。暁斗は習慣のように――妹が泣くと慰めるのは小さい頃から彼の役目だった――彼女の腕に触れようとしたが、その前に彼女は立ち上がり、逃げるように2階の自分の部屋にばたばたと行ってしまった。
0
あなたにおすすめの小説
宵にまぎれて兎は回る
宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…
課長、甘やかさないでください!
鬼塚ベジータ
BL
地方支社に異動してきたのは、元日本代表のプロバレー選手・染谷拓海。だが彼は人を寄せつけず、無愛想で攻撃的な態度をとって孤立していた。
そんな染谷を受け入れたのは、穏やかで面倒見のいい課長・真木千歳だった。
15歳差の不器用なふたりが、職場という日常のなかで少しずつ育んでいく、臆病で真っ直ぐな大人の恋の物語。
(BL)君のことを忘れたいから遠回りしてきた
麻木香豆
BL
美容師の來
人気モデルの也夜
この二人は晴れの日を迎える前に也夜の事故で叶わなかった。
そこから堕落していく來。
也夜の家族からも別れて欲しいとも言われ最愛の人を忘れるためにも他の人に抱かれ仕事に集中していく日々。
やがて也夜を忘れていく中、來の独立を手助けしたい人がいると……。
そこから來は順風満帆かと思いきや、也夜が目を覚ましてしまった……。
流れる星は海に還る
藤間留彦
BL
若頭兄×現組長の実子の弟の血の繋がらない兄弟BL。
組長の命で弟・流星をカタギとして育てた兄・一海。組長が倒れ、跡目争いが勃発。実子の存在が知れ、流星がその渦中に巻き込まれることになり──。
<登場人物>
辻倉一海(つじくらかずみ) 37歳。身長188cm。
若い頃は垂れ目で優しい印象を持たれがちだったため、長年サングラスを掛けている。 組内では硬派で厳しいが、弟の流星には甘々のブラコン。
中村流星(なかむらりゅうせい) 23歳。身長177cm。
ストリートロックファッション、両耳ピアス。育ててくれた兄には甘えん坊だが、兄以外の前では──。
表紙イラストは座頭狂様に描いて頂きました✨ ありがとうございます☺️
ポケットのなかの空
三尾
BL
【ある朝、突然、目が見えなくなっていたらどうするだろう?】
大手電機メーカーに勤めるエンジニアの響野(ひびの)は、ある日、原因不明の失明状態で目を覚ました。
取るものも取りあえず向かった病院で、彼は中学時代に同級生だった水元(みずもと)と再会する。
十一年前、響野や友人たちに何も告げることなく転校していった水元は、複雑な家庭の事情を抱えていた。
目の不自由な響野を見かねてサポートを申し出てくれた水元とすごすうちに、友情だけではない感情を抱く響野だが、勇気を出して想いを伝えても「その感情は一時的なもの」と否定されてしまい……?
重い過去を持つ一途な攻め × 不幸に抗(あらが)う男前な受けのお話。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
・性描写のある回には「※」マークが付きます。
・水元視点の番外編もあり。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
※番外編はこちら
『光の部屋、花の下で。』https://www.alphapolis.co.jp/novel/728386436/614893182
ほおつきよ
兎守 優
BL
過去のトラウマから音に敏感な真昼は、歩道橋の下、ごうごうと鳴り響く風に耳を傾ける夕空と出会う。やがては視力と聴力を失って無音の闇に包まれる夕空、事件に巻き込まれ片目を失ったカメラマン・夜一、警察官になりたかった・朝日、四者四様の運命が絡み合う、痛みと喪失を抉り合い、そして、埋め合う物語。
【完結】それより俺は、もっとあなたとキスがしたい
佑々木(うさぎ)
BL
一ノ瀬(27)は、ビール会社である「YAMAGAMI」に勤めていた。
同僚との飲み会に出かけた夜、帰り道にバス停のベンチで寝ている美浜部長(32)を見つけてしまう。
いつも厳しく、高慢で鼻持ちならない美浜と距離を取っているため、一度は見捨てて帰ろうとしたのだが。さすがに寒空の下、見なかったことにして立ち去ることはできなかった。美浜を起こし、コーヒーでも飲ませて終わりにしようとした一ノ瀬に、美浜は思いも寄らないことを言い出して──。
サラリーマン同士のラブコメディです。
◎BLの性的描写がありますので、苦手な方はご注意ください
* 性的描写
*** 性行為の描写
大人だからこその焦れったい恋愛模様、是非ご覧ください。
年下敬語攻め、一人称「私」受けが好きな方にも、楽しんでいただけると幸いです。
表紙素材は abdulgalaxia様 よりお借りしています。
FBI連邦捜査官: The guard FBI連邦捜査官シリーズ Ⅲ
蒼月さわ
BL
脅迫状が届いたニューヨーク市長を護衛するためFBIから派遣された3人の捜査官たちの活躍を書いた表題作他、表向きは犬猿の仲、けれど裏では極秘に付きあっているクールで美形な金髪碧眼のエリート系×ジョーク好きな男前のセクシィ天然イタリア系の二人を中心とした本編「FBI連邦捜査官シリーズ」の番外編や登場人物たちの短いエピソードなど。
以前にアルファさんで連載していたアメリカを舞台に事件を捜査する連邦捜査官たちの物語です。
表紙イラストは長月京子様です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる