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9月 11

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 暁斗が彼のカミングアウトに関連して起こった取引先との小さないざこざを、見事納めて帰って来た話は、大福餅を配給された2つの営業課の選ばれしメンバーによって、速やかに社内に拡散した。どうも手島が企画1課の同期に隅から隅まで顛末てんまつを話して聞かせたらしく、翌日の昼には山中穂積の耳にその話が達していて、暁斗は昼休みに社員食堂で山中に捕まった。

「敏腕課長がまた一つ戦果を挙げられたと伺いました」

 定食の載った盆を暁斗の前に置きながら、山中は言った。今社内でホットな相談室のゲイたちが顔を揃えたせいか、何となく視線が集まっているのを暁斗は感じる。

「戦果なんて無いですよ、もうあの会社はうちのものを使わないと決めてるんですから」

 暁斗は箸を止めて言う。昨夜奏人にもその話をLINEで報告して、良かったねと言われたのだが、やや複雑な気持ちである。

「でも2課のあの子……てっしーだったっけ、家庭の個人用サイズの机や椅子があったらニーズがあるかもってうちのやつに話したらしい、それ面白いと思うんだけど」

 知らない間にまた人に変なあだ名をつける山中に呆れつつ、暁斗は考える。

「デザインと価格によっては売れるかも知れないですね、確かに……それって家具になるんですかね」
「別にうちの会社が家具作っても問題無いだろ」

 山中はハンバーグに箸を入れた。暁斗も味噌汁の椀を手に取る。

「2課の課長さんはお怒りじゃないの?」

 山中はにやにやしながら訊いてきた。全く、他人事だと思って。暁斗はひとつ溜め息をつく。大福は受け取ってくれたものの、三木田の不機嫌な顔は、昨日結局緩むことはなかった。

「岸部長からも説明してもらいましたけど、たぶん気分良くはないでしょうね」
「だって先方が特に怒ってる訳でもないのに激怒して電話して来たって言ったんだろ、あの人? 自分と一緒にすんなって話」
「何処からそんな詳細な情報を得てるんですか」
「どっからでも情報入って来るよ、おまえ行動が派手なんだもん」

 山中の言葉に思わずは? と言う。どう考えても、彼には言われたくない。

「そろそろ誰か相談室宛てにメールして来てくれないか楽しみなんだけど」
「俺がごたごたしてる限り来ないですよ、たぶん……早く出版社が謝罪文出してくれたらいいのに」

 暁斗は愚痴っぽくなりながらトマトを口に入れた。

「あれ炎上商法だったかもな、もしかして」

 山中は言った。暁斗も少しそんな気がしている。さすがに昨夜、出版社はデジタル記事をページから削除した。しかし記事は既に広く拡散してしまっており、どうすることもできない。せめて出版社に、奏人と西澤に謝罪して欲しいと暁斗は思っている。

「うちの会社が会社として何もしないのが……いわゆる人権派団体から批判され始めてる」

 山中は少し声を落として言った。山中はそのような団体が主催する勉強会などに顔を出すうち、団体の主催者や弁護士に知己を得ているらしかった。

「専務たちが自発的に考え直してくれたらいいですけど、難しいんでしょうね」

 辻野社長の、ついていけないという言葉が暁斗の頭をよぎった。せめて彼のように、分からないから答えて欲しいと言ってくれたらいいのに。暁斗は昨日の辻野との会話を、かいつまんで山中に話した。

「おお、グッジョブだよ桂山くん……そうやって理解者を増やすんだよ」

 山中は大げさな口調で言った。

「そんなに理解はしてらっしゃらないですよ、ただ俺に頑張れと言ってくれただけです」
「いやいや、十分だよ、おまえやっぱ相談室向いてるわ、まともな室員いて良かった……てか捨て身の説得なのか」

 またそれも大げさな言い方で、暁斗は小さく笑った。

「捨て身って……ほんとのことを話しただけですよ、でないと伝わらないし伝える自信も無いし」

 山中は冗談か本気か分からない口調で、おまえ偉いわ、と言った。暁斗は苦笑してからご飯を口に入れた。褒め言葉をもらうのは、悪い気分ではなかった。

「あ、山中さん」

 暁斗はふと思い出して、訊いた。

「お父様と和解するきざし無いんですか?」

 山中は一瞬きょとんとしたが、連絡取ってない、と素っ気なく答えた。

「おまえ実家の家族に話したの?」
「弟夫婦はまだですけど、立川の家族は記事の件を含めて話しました」

 山中はおお、と背筋を伸ばした。

「意外なことに妹に苦戦してます、変態呼ばわりされて」
「まあ変態なんだから仕方ないけどな」

 その言葉に過敏になっている暁斗は、ついむきになる。

「山中さんまでそんな……奏人さんなんか自分が俺を変態の道に目覚めさせたって母と妹に言うんだから」

 山中は味噌汁を吹きそうになった。汁椀を置いて爆笑する。

「あの子面白いじゃないか、てか家族にもう引き合わせたのか? 大胆だねぇ」
「あれ、話さなかったですか? お盆に母と妹がマンションに予定外に遊びに来て、奏人さんが予定より早く来てくれたから鉢合わせしたんです」

 山中は目を見開き、修羅場じゃん、とやけに楽しげに言った。暁斗はこの話をしたのは岸だったことにようやく思い当たり、しくじったと思ったが、開き直った。

「奏人さんが大学の美術部の展覧会にOBとして絵を出展していて、母と妹をその美術展に連れて行った帰りだったんです……親しい友達で乗り切りたかったんですけど無理でした」

 山中は再度爆笑した。どう考えても、暁斗にはそんな面白い話に思えなかったが。

「おまえほんとネタの宝庫だな、羨ましいわ……女子大行ってその話してやったらめちゃくちゃ喜ばれるぞ」
「そんなことしたら妹が無理解な家族扱いされるじゃないですか」
「でも完全に拒絶はされてないんだろ? ならそのうち理解してくれるよ、で経過をまた大学生に話すと……感動の嵐だよ……」

 山中が両手を広げ芝居がかって言うので、暁斗は溜め息をついた。

「カミングアウトしたからには自分の話はネタにしろ、事実は小説よりも奇なりで聞く人の心に残る、使命感を持ってやれ」

 使命という言葉に暁斗は箸を止めた。奏人も同じ言葉を使った。

「……俺正直なところ……同性愛者や他の社会的弱者の権利を主張して前線で戦う気にあまりなれないです、昨日行って来た中野の会社の社長が……最近のそういういろんな価値観の変化についていけないという言い方をしたんです、その気持ち凄くわかるし……」
「そうだろうなぁ、俺もカムアウトする前はそっとしといてくれよって思ってたな」
「でもそういう気持ちの温度差も問題なんですよね、たぶん……山中さん何でカムアウトしようと決めたんですか?」

 山中は口の中のものを飲み下してから、話したことなかったかな、と前置きした。

「ゲイバーで知り合ったある人がさ、パートナーが大きな手術をすることになって……家族じゃないって理由で全く意思決定に携わらせてもらえなかったんだ、パートナーは結局手術の甲斐なく亡くなって」

 山中の淡々とした口調に、暁斗の胸が苦しくなった。そういうことは、将来奏人と自分の間ででも起こり得るのだ。
 その人物の亡くなったパートナーは家族と疎遠で、本当なら彼がパートナーの死後の整理をするべきなのに、やはり何もさせてもらえなかった。パートナーの後を追おうとしたが一命を取り留めて、今は元気にしているという。

「でも彼の心の傷は癒えてないだろうし、それは絶対おかしいと思ったんだ」
「おかしいと思います」

 暁斗が言うと、山中はだろ? と少し笑った。その時暁斗の視界の端に岸の姿が映った。彼はこちらに気づき、コーヒーカップ片手にやって来た。

「2人して何の密談かな」
「ゲイ語りですよ」

 岸の言葉に山中は冗談で返した。岸は暁斗の横の椅子を引いた。

「大福ごちそうさま、昼前に社長に電話したら昨日桂山くんと手島くんが来たことを喜んでたから、伝えようと思ってたところ」
「喜ばれる展開だったとも思えないですけど……まあ良かったです、大福懐かしいでしょう?」

 暁斗が言うと、岸は小さく笑い、山中に説明するように言った。

「昨日桂山が行った会社の近くに小さな和菓子屋があるんだ、近所の人に愛されてる店で……桂山がその会社に俺と初めて行った時にそこの大福餅を出してくれて、仕事の話も始まってないのにこいつががつがつと」

 山中が3度目の爆笑をする。

「ヤバい、想像つきます」
「何でなんですか! それに俺速攻がっついたりしなかったですよ」

 いやぁしたよ、と岸は苦笑した。夫人がそのことをすぐに思い出したくらいだから、少し自信が無かったが。

「ああもう桂山はリアルにエサで釣られるタイプだと早々に分類した」
「そうですよ、奏人にもそこを気に入られてますからね」

 山中はまた余計なことを言った。探るような視線を岸が送ってくるので、暁斗は諦めて告白する。

「料理上手なんです、何作っても俺が喜ぶから楽しいらしくて」

 2人は同時に吹き出した。何がそんなに可笑しいのかちっとも分からない。

「もうこいつのネタ、社内報に連載して欲しい……」

 山中は悶えるようにして言った。岸は社内報と言えば、と思い出したように言った。

「相談室発足の記事に2ページも取ってくれたぞ、たぶん今日中に配布するから持って帰れよ」

 暁斗はそれを持って週末実家に帰ろうと思った。修羅場感を和らげてくれたらいいのだが。

「2ページも取るって、広報は微妙に専務たちに喧嘩売ってるんですかね?」

 山中はお茶を飲みながら言った。岸は口の端を上げて、かもな、と笑った。

「会社に対する意見や何やはやっぱり広報が一番受けることになる、例の記事に対して何故会社としての抗議行動が無いんだという声が増えて来てるらしい」

 そう話す岸も、昨日暁斗や手島と別れて行った先の会社で、会社の態度を突っ込まれたという。

「性的少数者のための相談室をつくっておいて、スルーは無いよなぁと言われてな、返す言葉が無かったよ」

 こういう話を聞くと、やはり暁斗は恐縮せざるを得ない。おまえのせいじゃないと言われるのは分かっていたから、何も言わなかったが、胸をチリッと刺されるようだった。



 そこそこ楽しい昼休みを過ごして、暁斗は1課の部屋でその後も静かな時間を過ごした。上半期の締めが近づくと、年末や3月ほどではないものの、やはり営業も忙しくなる。他の社員たちはほとんどが外出しており、本来なら暁斗も何処かに出ている筈だった。暁斗はよく晴れた窓の外に目をやって、奏人も会社にいるのだろうかと思いを馳せる。

「あら、桂山課長が一人でお留守番なんて珍しい光景」

 広報課の田久保がやって来て、言った。彼女が社内報を載せた台車を押してきたのを見て、暁斗は立ち上がり受け取りに行く。

「あっ、すみません……桂山さんジェントルマンだから好き」
「女性一人でこんなに持ってきてくれてるのに当たり前だろ? 俺軟禁されてて暇だから取りに行くのに」

 暁斗の言葉に彼女は小さく笑った。

「課長を呼びつける訳にはいかないですよ」
「それはある意味差別じゃないのかな、それと女の人に重いものをたんまり持たせるのが男女平等ではないと思うなぁ」

 うーん、と田久保は首を捻った。

「難しく考え過ぎ?」
「あ、そうかな」
「お暇だから哲学的思索をなさってる?」

 奏人の影響か。暁斗は笑った。

「ゲイの人ってジェントルマン多いんですよね、実は若い頃に好きになった男性に桂山さんみたいなタイプの人がいて……」

 彼女は確か結婚して子どももいる筈だが、若い頃などという言葉を使う年齢ではなく、それがちょっと可笑しい。

「ゲイでがっかりしたんだ」
「玉砕したんですよ、趣味の集まりで知り合った人で、清水きよみずの舞台から飛び降りる思いでお茶に誘ったらOKしてくれて」

 彼女は期待半分で喫茶店に赴き、好きだと告白したが、彼は困ったように、女の人とは交際できないと返事をした。

「私も若かったからほんとマジかって感じでしたよ、でも内緒にしておいて欲しいって言われて、秘密を共有することで満足してたんですけど……」

 暁斗は同情すればいいのか笑っていいのか分からなかったが、田久保とはこれまで挨拶を交わすくらいしかしたことが無かったので、ひどく新鮮だった。

「でもその人、あなたのこと信用してたのは確かだよね……俺もこれからそんな罪深いシチュエーションを経験するんだろうか」

 暁斗が笑いながら言うと、彼女は目を見開き、わざと眉間に皺を寄せて応じた。

「桂山さん結構にぶちんですね、あの会見以来マジで泣いてる子何人かいますよ」
「え、そうなの……?」
「別に謝罪会見はしなくていいと思いますけど」

 田久保は笑った。その時宇野が外回りから戻って来たので、彼女は会釈して、まだ沢山の冊子が残る台車とともに、エレベーターホールに去って行った。暁斗は秋の爽やかな風を感じたような気分になる。
 宇野に手伝わせて、2課と3課の分を分け、一人2部ずつデスクの上に配布していった。2課と3課の部屋は無人で、暁斗はカウンターに社内報を置き、給湯室に向かう。帰ってくる部下たちに、何か作ってやるつもりだった。それが落ち着いたら、社内報を読んで、辻野と夫人に、自分の話を聞いてくれたことと、大福餅を持たせてくれたことに対し、お礼のメールを書こうと思った。
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