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9月 10-②

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「社長、手島の言葉にムカッと来たとおっしゃいましたけれど、……何て言ったんだ」

 暁斗は確認のために手島に話を振る。手島は言いにくそうに、辻野のほうを見ずに口を開いた。

「同性を好きになるのは決して病気でも特殊なことでもない、そういう言い方をするとこれから社長のほうが非難されますよ……と」

 若い手島と70代半ばの辻野とでは、同性愛に対する感じ方が違う。

「まあ生意気だったかな」

 暁斗に言われて、手島はすみません、と小さくなった。辻野がためらいがちに口を開く。

「手島さんの言うことはわかるよ、しかし何というのか……ついこの間までそれは変だと言われていたことが正しいってなって、取り上げ方を間違えたら叱られるってのに……ついていけないんだよ、最近そういうの多くて、わかるかなぁ」

 暁斗は頷いた。同性愛に関しては暁斗は当事者なので、それは違うと言えるが、他は分からないこともある。十分理解していないのに、納得のいく説明も無いままそれは違うと頭ごなしに言われると、確かに不愉快だと思う。
 確かに、世間の価値観の変化を学ばなくてはいけないのだろう。しかし誰もが、世間で今何が起こっているのかを全て学ぶための時間がある訳ではない。

「わかりますよ、私も日頃自分の何気ない発言で他人を傷つけているかもしれないのが怖いです、皆があまりに正論を振りかざして、意味もわからないまま発言を封じられる人が出るのは困りますね」

 辻野は少しほっとしたような顔になる。盆を片付けた夫人が戻ってきた。せっかくなのでお茶に口をつける。いい香りだった。

「何の紅茶ですか? 甘い香りがしますね」

 暁斗に訊かれて、夫人は嬉しそうにバニラですよ、と答える。言われてなるほど、と思う。そんな暁斗を見て夫人が笑った。

「昔いらっしゃった時に大福を出したのよ、今思えばあんなもの出してって思うんだけど、桂山さん美味しそうに食べてくれたの」

 ああ、と暁斗は思い出して笑った。

「意地汚く食べて、後で岸部長におまえ何しに来たんだって言われました」

 辻野がぷっと笑った。

「出されて食べない訳にはいかないしなぁ」
「それ以前にたぶん昼前で腹減らしてました、でも未だにあれ以上美味しい大福に巡り合ったことないですよ、近所のお店っておっしゃってましたね、確か」

 あら、と夫人は声を立てて、さもいいことを思いついたと言わんばかりに、言った。

「店主が歳で今は週3日しか営業していないの、今日お店やってると思うからおみやげに持って帰ってちょうだい」

 えっ、と暁斗は言った。これは想定外の展開だった。止める間も無く夫人は財布を握って飛び出していってしまう。

「手ぶらでお帰しすることになる、饅頭くらい納めさせてください」

 辻野の言葉に暁斗は恐縮する。夫人がいなくなったからか、辻野は積極的に話し出した。

「桂山さんに訊きたい、不愉快だったら答えなくていい、桂山さんはほんとは男が好きだって気づかず結婚したってことなんだよね」
「はい、妻のことは好きだったんです」
「どうして違うと分かったの?」
「夜の生活が苦痛だったんです、自分でも何故だか分からないし、妻にはがっかりされるし……彼女と暮らすのにそれ以外は不満はありませんでした、だから悩みました」

 手島まで暁斗のあけすけな話しぶりに驚き、興味津々な顔になっている。まあ仕方ないだろう。

「一人になってからもしかしたら、という思いはずっとあったんですが、自分が男が好きなのかどうか確かめたいと思ったんです……ゲイ専用のデリヘルがあると知って電話してしまいました」

 辻野はデリヘルも事実なのか、と呆れたように言った。暁斗は苦笑する。

「すみません、他に方法は無かったのかって話で……でもそれで確信を得たんです、しかも来てくれた男の子に夢中になりました、女性相手に感じたことのない気持ちでした」
「……それがあの28歳の……」

 はい、と暁斗ははっきりと答えた。辻野ははぁ、と応じたきり言葉を失った様子だった。

「夏に妹に変態と言われてしまいました、たぶん今社長も同じように思ってらっしゃるかと……そう感じられることを非難しません、ただ……私がパートナーを思う気持ちは、社長が奥様を思われるお気持ちとそう変わりはないし、そんな気持ちになるものなんだと教えてくれたパートナーに感謝しています、それは少しわかって欲しいなと考えています」

 暁斗は話しながら思う。本当にそれだけなのだ。隣に寄り添っているのが男だからというだけで、奇異なものとして扱わないで欲しい。

「桂山さんは別れた奥さんとの間に子どもは欲しくなかったのか、あなたがその男性を愛していることは良くわかった、ただ一緒に生きて行くとか家族になるとかいうのは……相手を愛するだけでは成り立ちにくいと思うんだよ」

 辻野は真剣な表情になっていた。この人は「違い」に対する想像力は欠けるかもしれないが、分からないことを解決したいという気持ちがある人だ。取り引きの関係を失くしたとしても、このように話せる人だとわかっただけで暁斗は十分だと感じた。

「そうですね、弟の子どもたち……甥は可愛いです、でも妻との間に子どもがいたとしても……問題は解決しなかったでしょうね」

 暁斗の言葉に辻野は少し沈黙し、これまで見せなかった哀しげな表情をちらりと見せた。暁斗はそれに引っかかったが、彼が口を開くのでその言葉に集中する。

「同性と結ばれても子どもは望めない、桂山さんはわしらが仲がいいと思ってくれているようだが、娘たちがいなければここまでやって来れなかった……それは確かだ、かすがいになるものを持たないつがいは弱いんじゃないかと思うんだが」

 一理あるなと暁斗は思う。蓉子との5年間も、セックスレスを置いておいても、ずっと2人で顔を突き合わせる一種の息苦しさのようなものは、全く無かったとは言えなかった。

「そうですね……日本ではまだまだ難しいでしょうが、代理母を経て子を持つとか、同性カップルが養子を持てる国もありますし……でも」

 暁斗には蓉子との結婚を意識し始めた頃からの思いがある。それを話そうと思った。

「家族の基本って夫婦というか、まず一つの番ですよね、そこがしっかりしていないと、子どもが巣立ってから熟年離婚なんかになる訳でしょう? 異性カップルでも同性カップルでも条件は一緒なんじゃないでしょうか」

 辻野は腕組みをして、うーん、と唸った。

「……まさか社長、奥様と今から別の道を歩むことなんて考えてらっしゃらないでしょう?」

 暁斗の言葉に、辻野は小さく笑った。あちらがそう考えてたらわからんが、と言う。その時、夫人がビニールの袋を持って戻ってきた。

「午前に販売する分の残りを買い占めてきちゃった」

 パックの中には大福餅が12個並んでいた。足りないかも知れないけど、会社に帰って分けてちょうだい、と彼女は言った。暁斗は手島と2人して頭を下げる。

「こちらが手ぶらでほんと恐縮です……あ、今朝新しいラインナップの仮カタログが出来たんです、紹介だけさせてください」

 暁斗は手島に、出来立てほやほやの女子大コラボ商品のカタログを2人に手渡させる。ざっくりとした説明も彼に任せた。夫人はあらきれい、と感嘆の声をあげた。

「明るい色はやはり女性の目を引くと思いますが、ベーシックなお色も作製予定です、機能性にも注目して頂ければと」
「座ってて楽な椅子はいいわねぇ、私個人でうちで使おうかしら」

 夫人は背もたれが背筋に添い、座る時間が長くても疲れないのが売りの椅子に目を止めた。女性のほうが腰に負担を感じる傾向があるようで、山中によると、大学生たちも楽な椅子のアイデアを一番に出してきたという。

「もちろん椅子だけでもお分けできます、もしご自宅のリビングや書斎でとお考えでしたらコロコロの無いタイプがいいですね」

 手島は滑らかに説明する。辻野は楽しげにカタログのページを繰る夫人を、苦笑しながら見ていた。

「いやはや、商売上手だね」
「たまたまなんですよ、発表が済んだばかりなものですから……もちろんお嬢さん夫婦のお考えに横槍を入れるつもりではありませんので、そこは一応」

 暁斗は言うと、夫人が笑った。

「うちの娘がこれ見てお婿さんと喧嘩になったら困るわねぇ」
「余計な火種を蒔くことにならなければいいですが」
「あらやだ桂山さん、うちで炎が上がっても焼けずに残る自信がおありなんでしょ?」

 暁斗は笑った。面白くてしっかりした女性だ。真面目な辻野と良いコンビだと思う。
 とにかくこれ以降のことはゴリ押ししないと決めて、暁斗は手島と事務所を辞した。代替わりの前に一度岸に会いたいと辻野が言うので、そう伝え時間を作らせるよう約束する。

「……桂山さん、男が好きだという人たちの気持ちは基本分からんが、女が好きなのと一緒だというあなたの話はよく分かった、その子とどうなるのがあなたの幸せなのかも分からないけど、まあ……頑張って」

 辻野は少し迷ったようだったが、そう言って送り出してくれた。素直に嬉しかった。暁斗は深々と頭を下げた。暁斗たちが駅に向かう道の角を曲がる前に一度振り返ると、夫人が少女のように小さく手を振ってくれた。



「ご迷惑かけました、ありがとうございました」

 手島は駅までほぼ無言だったが、いた電車に落ち着くと、大福餅の入った袋を大切そうに膝に抱きながら言った。

「あれは全然怒ってるとは言えないよ、拍子抜けしたけどまあ良かった」

 これまでに暁斗はもっと厳しい修羅場を経験している。あまり好ましくないが、こちらに非がある時は、土下座も辞さなかった。

「まあでもご縁は切れてしまう可能性が高そうだ、世代交代は仕方ないよ……岸部長と三木田さんにそう報告しよう」

 はい、と言ってから手島は何か言いたげな表情をする。暁斗は話すよううながしてやる。

「桂山課長すごいですよね、一瞬で奥さんのこと味方につけて結局社長を納得させた」
「家族経営の会社は女性が結構肝だよ、お嬢さんたち外回りしてるって言ってたけど会いたかったなぁ」
「それが他人に興味を持つってことですか?」
「興味湧かない? 俺がおかしいのかも知れないけど」

 手島はいや、と言い、何か奥が深いと呟いた。暁斗は小さく笑う。

「別に奥なんか深くない、俺は結局人と話すのが好きだし相手が喜んでくれるのを見るのも楽しい、シンプルなことだ」
「……僕、取引先の人に突っ込んで行くのがたぶん少し怖いんです」

 これは手島の良いところだと暁斗は思う。昨日探らせた情報、つまり辻野がそんなに怒ったようには見えなかったという手島の話はほぼ正しかった。彼は自分のことを含め、物事を客観視できる。そして若さのせいもあるだろうが、やや人見知りするようだと暁斗は感じた。これは必ずしも欠点とは言えない。図々しく突っ込む営業を嫌う人にとっては、手島くらいの距離感を保ってくれる営業マンのほうが気が楽だからだ。

「いつも突っ込まなくていい、それは相手を見て決めることだからな」
「はい……ああ、プライベートなお話いろいろ聞いてしまいましたけどオフレコですか?」

 取引先の社長に話してオフレコもないだろう。暁斗は苦笑する。

「いや、もうオープン事案でいいよ……飯食って帰ろうか、昼から出る連中がいる時にそれ持って帰ったら争奪戦になるから」

 暁斗は大福餅を指差して言った。せっかく辻野夫人が走って買ってきてくれたのだ、絶対1個は食べたい。手島ははい、と今日一番の晴れやかな笑顔を見せた。暁斗もほっとして頬が緩んだ。昼を食べながら、年寄りの価値観を想像し尊重しながら話をする方法を、おじさんとしては伝授してやれば良さそうだった。
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