あきとかな ~恋とはどんなものかしら~

穂祥 舞

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9月 10-①

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 東京に着く直前に、晴夏と蓉子から、示し合わせたかのように立て続けにLINEが来た。晴夏のメッセージは彼女の気持ちの乱れを反映していて、読んでいる暁斗のほうが申し訳なく感じた。

「ゲイ専風俗使うあきにいとかマジ受け入れられないから、ちょっと時間おくれ。かなとさんは目の保養だけどあきにいをたぶらかしてる可能性が私的には捨てられない←これめちゃムカつくと思うけど、本音。」

 暁斗は苦笑しながらゆっくりと会社のビルに入る。ムカつくが、この間みたいに撤回しろとまで言う気は無い。
 朝の挨拶を交わしながらエレベーターに乗り込んで、蓉子とのトークルームを開く。晴夏から委細を聞いたと断ってから、彼女らしいねぎらいの言葉が続き、まさかデリヘルを使うほど切羽詰まっていたなんて、とあり、そのやや的外れな同情に2度目の苦笑を浮かべた。

「桂山課長、面白い動画でも?」

 隣に立つ経理部の社員が尋ねてきた。

「いや、元嫁さんのLINEがちょっと面白くて」
「別れた奥さんと繋がってるんですか?」
「うん、最近復活したんだ……復縁は無いけど」

 ああ、と経理部の社員は微笑した。彼に困惑している様子は無い。あの会見が「桂山課長のカミングアウト会見」と社内で呼ばれ始めていることを暁斗はまだ知らなかったが、全社員に配信されたために、皆がそれなりに暁斗の性的指向を受け入れているようだった。もちろんそれがスムーズに運んでいるのは、山中穂積の長年の苦労があった上でのことだった。
 蓉子は自分の会社が、とある学会と連名で出版社に抗議したことを書いていた。昔、単発企画で「西澤遥一監修・文学の舞台になった地を巡るフランス・スペイン・イタリア15日間」というツアーがあり、人気だったのでリバイバルの準備をしているのだという。監修なので、当時西澤は同伴はしなかったけれど、事前の講演を気軽に受けてくれた。今回は西澤が会長を務めていた文学系学会に所属する有名教授が、その任に当たってくれることになった。その教授があの記事に激怒しており、旅行会社としてもツアーの客足に影響が出ては困るので、抗議の話に乗ったらしい。
 どこの会社も団体も、頼もしい。なのにこの会社ときたら……。暁斗が自分のデスクに鞄を置き、朝のお茶担当の藤江にコーヒーをオーダーしていると、岸がやって来た。

「部長もコーヒーいかがですか?」

 藤江の誘いに岸はいただこう、と気楽に応じる。そして何でもないように切り出した。例の得意先の件である。

「暁斗、11時に来てくれと先方が言ってくれた」
「電話してくださったんですか?」
「うん、社長に懐かしがられたよ、感触としては悪くなかったけれどなぁ」

 いつもながら手回しが早い。岸は持ち主が直行の外回りに行って空いているデスクの椅子を引く。すぐにコーヒーがやって来た。

「俺が暁斗と2課の子を連れて行くってことにしておこう、先方には二人が行くと言った」
「はい」

 ほぼ悪巧みだった。社内で派閥を組んだり、やり易い人とばかり仕事でつるんだりするべきではないと暁斗は思っているが、やはり自分の動きやすいように段取りされると、そちらを有り難く感じてしまう。

「無理はするな、世代交代で社長が決定権を移行し始めている煽りかも知れない」

 岸はコーヒーを美味しそうに口にして、言った。暁斗は大昔の記憶を昨夜辿ってみて、入社2年目の始めにその会社に岸と一度だけ行ったことを、やっと思い出したのだった。

「お嬢さんしかいらっしゃらなかったように記憶しますが」
「娘3人だったな、長女が婿を取ってるらしい、その婿が後を継ぐと考えるのが一般的かな」

 岸はマグカップを空けると、ごちそうさまと言いながら、2課の部屋に向かった。傍で聞いていた花谷が話しかけてきた。

「もし課長が取り返せたら三木田さんマジヤバいですよね」
「うーん、正直難しいとは思うけど、もしそうなると微妙なんだよなぁ」
「とりあえず取り返せたら焼肉でいいです」
「期待しないように」

 花谷が後輩である手島から得た情報は重要だと感じた。昨夜奏人にこの件について少し話すと、同族嫌悪の可能性を彼は口にした。社長自身が同性愛者でなくとも、ごく近い人がそうであったりして、何か嫌な思いをしたのかも知れない。ならば暁斗たちがただ謝るだけでは良いアプローチにならない。

「……課長割とタフですよね」

 花谷はパソコンの画面の上から暁斗を覗きこんできた。

「何か落ち込んでるなと思ったら知らない間に浮上してるし……僕ならこの状況で他所よその仕事の尻拭いなんか出来ないですよ」

 暁斗は苦笑する。自分の単純さと、彼のドライさの両方に。

「他所の仕事じゃないだろ、1課の仕事も2課の仕事もトータル会社の業務」
「それはそうなんですけど」

 彼は自分のパソコンに視線を戻したようだった。浮上しているのは奏人のおかげだ。
 昨夜23時にタクシーを呼び、暁斗がいろいろ言い募り、彼の手にタクシー代をねじこんだ。一緒にいるところを極力誰にも見られない方がいいと言って、奏人は玄関で暁斗を止めた。抱きしめようとしたら、帰れなくなるから駄目、と困ったように拒むのが愛おし過ぎて、また涙が出そうになった。軽い口づけだけ交わし見送ると、ぼんやりしている間に1度いかされ、ずっと抱いていてくれたことも幻だったように感じたが、疲れを押して、暁斗の萎えた気力を呼び起こすべく足を運んでくれた奏人の思いは、確かに暁斗に届いていた。



 手島は、小さくなりながら暁斗と岸の前にやって来た。見送る三木田は不機嫌そうである。そもそも昨日の件を、岸に上げた暁斗が気に食わないし、岸自らが2課の持ち場に足を運ぶことも気にさわる。それが暁斗にも伝わってくる。

「シャキッとしろ、陰気な顔で行くと不快感を与えるぞ」

 岸に言われて、手島は小さくはい、と答えた。1課の面々が、行ってらっしゃいと3人を送り出す。東京駅まで来ると、岸は別の場所に向かうべく、頑張れよと言いながら、山手線の反対回りのホームへ向かった。

「えっ、桂山課長と僕だけで行くんですか」
「私だけじゃご不満ですか?」

 手島が驚くのも無理はなかったが、暁斗は冗談で返した。

「まさか、でもいいんですか?」
「岸部長が三木田課長に謝ってくれるよ」

 目指す会社は中野駅の近くだった。移動時間が割とあるので、暁斗は手島と他愛無い話をしながら、彼の緊張をほぐしてやると同時に、営業マンとして有利な面と不利な面を見極めていく。

「桂山課長は、その……あんな風にカミングアウトしちゃってほんとに良かったんですか」

 新宿で乗り換えて一息つくと、手島は遠慮がちに訊いてきた。

「本当はもう少し後にしたかったんだけど、流れ的に仕方なくて」
「相手のかたもご存知なんですか、課長が会社で……きつい思いもされてるって」
「相手のかたって誰を想定して話してる?」

 暁斗は念のため、横に座る若者に訊く。

「えっ、その……風俗店の人って恋人なんですよね」
「誰がそんなことを?」

 手島は目をぱちくりとさせた。

「営業や企画じゃそういうことになってる感じですよ、会見で否定なさらなかったじゃないですか」

 なるほど、と暁斗は呟いた。

「まあぶっちゃけそうなんだけど……」
「桂山課長が風俗に勤めてる人と仲良くなるとか、センセーショナルです」
「SEが本業だし普通の子だよ、高校生の頃には自覚があったらしいから俺より長くゲイとして生きてて……ゲイってことを隠して悩んでる客が多いらしい、そういう人のために働くのを誇りにしてる」

 手島はふうん、と感心したような声音で言った。

「もうデリヘルは退職を決めてたんだ、でなくてもたぶん今回のことで辞めないといけなくなっただろうけど」
「あ、副業禁止なんですね」
「そこをきつく叱られたんだって」

 奏人の話を他人にできることが、暁斗の気持ちを明るくする。隠さなくてはいけないという気持ちから解き放たれるのは、悪くなかった。
 駅前の商店街を外れて少し歩き、小さな店舗が立ち並ぶ通りに、目指す会社はあった。手島は明らかに緊張した様子を見せたが、暁斗とて気楽な案件ではない。暁斗は時計を確認してから、辻野商会と書かれた扉を開けて明るく挨拶する。
 事務室には70代とおぼしき男女が事務作業にいそしみながら座っていた。好々爺こうこうやと言って良さそうな社長の辻野が、恐縮そうに迎えてくれる。暁斗の記憶に、15年前の彼の姿が蘇り、この場で再会しなければきっと思い出せなかっただろうと、冷静に分析した。当然なのだが、歳を取ったなというのが一番の感想だった。
 暁斗は彼に名刺を渡して、先に手島に謝らせた。辻野はきまり悪そうな表情になった。

「いやいや、別に昨日の話がどうこうという訳じゃなかったんですよ」

 辻野は奥の古い応接ソファに2人を案内した。おそらく15年前と室内のレイアウトなどは変わっていない。暁斗は事務室を見渡す。

「あら、あなた……すごく前に岸さんといらっしゃったわね、違うかしら?」

 紅茶を淹れてくれた細身の女性は、確か辻野の妻だ。暁斗は彼女にも名刺を渡す。

「覚えていてくださいましたか、嬉しいです」
「イケメンは忘れないのよ、うふふ……課長さんなの、偉くなられたのね」

 彼女は笑顔になった。夫婦とも暁斗たちの訪問を不快に思っている様子が無いだけに、暁斗はどう話を運ぶかと逆に探る。

「初めてこちらに伺った時は今の手島と同じ年齢でしたので、多少肩書きがついていないとまずいです」
「そりゃそうだなあ……あれ、桂山さん1課か、手島さん2課なのに?」

 辻野が名刺を見ながら言った。暁斗は呼吸を整えてから言う。

「そもそも私のことが書かれた記事でお気を煩わせたことがきっかけだったと聞きましたので」

 辻野は目を見開き、夫人は盆を持ったままその場で固まった。手島が息を詰めているのがわかる。

「あれ……桂山さんなのか」

 辻野が恐る恐ると言った風に確認してくるので、暁斗は笑顔を作りはい、と応じた。夫人が気を取り直したように口を開く。

「そうなの、驚いたわ……じゃあその……おひとりなのかしら?」
「はい、5年前に離婚しています……私は自分の性的指向に気づくのが遅かったんです、別れた妻には申し訳ないことをしました」

 夫婦はほとんどあ然といった様子で暁斗を見つめていた。やがて夫人が夫に言った。

「だから言ったじゃない、あんな話手島さんに振ったりして! 上司のことなのにしらばっくれる訳にいかないし、ましてや」
「おまえは黙っていなさい、まさかご本人が来るとは思わないだろうが」
「あなたがだめなんです、いろんな人が抗議してるような下衆げすな記事なんか面白がって」

 2人の会話が夫婦喧嘩の様相を呈してきたので、逆に暁斗が慌てた。

「いやいや、すみません、私がこんなこと言っても仕方ないのは重々承知していますが、私個人のことでうちの会社のものを使っていただけなくなるのは……と考えたまでなんです」

 夫婦ははたと静まった。仲が良いのだなと、場違いにも微笑ましくなった。3秒後、また夫人が口火を切る。

「違うの桂山さん、うちは来年度からこの会社を長女とお婿さんに任せることにしたのよ、それで古くなった事務所のものを新調したいとお婿さんが言ってて……」

 そうなんですか、と想定の範囲内ではあったが、暁斗は驚いてみせる。辻野が困ったように後を引きつぐ。

「婿の同級生におたくのまあ……ライバルみたいな会社に勤めてる奴がいるそうなんだ、だからそこに任せたいと言い出して」
「あ、なるほど」
「わしらはこれからのことに口出ししないと娘夫婦に言ったんだよ、そちらに春から机や椅子の買い替えを提案してもらってたのにそんな風で、言わなきゃいかんなと思ってたら……」

 たまたま手島がやって来て、辻野が暁斗の記事を話題に出した。揶揄やゆするような口調になってしまい、手島が軽くたしなめた。少し腹が立ったのは確かで、勢いもあって会社に電話してしまった。

「申し訳ないことをした、桂山さんのせいじゃないんだよ、手島さんが若いもんだからちょっとムカッときたけど、今時は手島さんの言うことが正しいんだろうし……」

 それでも、暁斗と手島に辻野の気分を害する要素はあったということだ。
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