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ふたたび12月 3

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 営業1課と2課の合同忘年会は、新商品の本格的な販売の準備のせいで年末の業務が立て込んだために、仕事終いの恒例の定時終業の後に、ようやく開催された。居酒屋の個別のテーブルの混雑を思うと座敷は静かで、参加者たちは貸し切りだと言いながら順番に靴を脱ぐ。1課と2課のメンバーが一つのテーブルに混じるように座らせ、不仲説を払拭ふっしょくすべく自分が三木田の横に座り、暁斗は影宴会部長に徹した。
 三木田は乾杯の音頭を取る前に、家庭の事情で仙台支社に異動を願い出ているので、このメンバーでは最後の忘年会になるだろうと話した。2課の面々は皆知っていたようだが、1課の面々は暁斗以外初耳だったので、ざわめきが起こった。1課にも三木田に世話になった者はたくさんいるので、乾杯が済むと彼の元には始終誰かがビールを注ぎに来ていた。
 最初の数点の料理がテーブルに落ち着くと、三木田は暁斗に、屈託なく「家庭の事情」を教えてくれた。高校生の娘が、不登校になったのだった。成績が落ちた訳でもなく、いじめられている訳でもない。しかし小さい頃から繊細なところがある三木田の娘は、両親の問いに、毎日が息苦しいと答えた。

「家内も私も仙台だからね、娘は長期休暇になるといつもどちらかの実家に行きたがって……こっちは人が多くてごみごみして、勉強も部活もぎすぎすと追い立てられるようで嫌だと」
「しっかりなさってますね、両親にきちんと思いを言葉にして説明するなんて」

 暁斗は感心しながら言ったのだが、三木田は目を見開き、しっかりしてる? と応じた。そして自嘲したような笑いを洩らした。

「桂山くんはそう受け止めるのか、なるほど」
「違いますか? 高校生なのに自分のことをしっかり分析なさってる」
「私は娘のそういう……神経質で自分や家族に対して変に客観的なところがところが理解できなくてね……大らかで適当なところのある上の子とは全く反対で」

 上の息子は大学受験を控えており、仙台にある国立大学を第一志望にしていた。彼が合格することを前提に、来春一家で仙台に引っ越そうと結論が出たという。

「娘の敏感なところを……桂山くんのように考えてやれたら、娘を追い詰めずに済んだのかな」
「三木田さんが追い詰めた訳じゃないでしょう?」
「いや、甘えるなと叱ったこともある」

 1課の社員たちが三木田にビールを注ぎに来る度に、暁斗は話を止めてやる。

「東京に出てきたのは私のわがままだったから、妻も実は喜んでいて」
「三木田さんと奥様の、あちらの親御さんはお元気なんですか?」
「私の親は元気だ、妻の父が一昨年倒れて以来ちょっと不調で……妻にしたら父親を近い場所で見られるほうが安心だと」

 三木田は彼の言葉によると、入社して3年目に野望を抱いて東京本社に異動を希望した。仙台支社での営業成績は、先輩たちに負けなかった。東京でも営業成績を順調に伸ばしたが、課長候補に挙がった時、大きな仕事でつまずいた。

「桂山くんが3年目か4年目くらいの時かな? 私がもう一押ししようと思ったら、先様にきみはしつこいなと言われて、実質担当を変えられた」

 三木田は販売単価を上げるのが得意である。次々と提案を繰り出して、最初客が興味を示していなかったものへの購買に繋げていく。暁斗はどちらかと言うと、そういう戦法は得意でないので、いつも三木田に感心するのだが、嫌がられるほど押していたようには思えなかっただけに、その話に驚いた。

「それ以来押すのが怖くなった」
「……そうだったんですか、知りませんでした」

 しかし本来押し営業が自分のスタイルであるため、引っ込み思案の若い社員を見ると苛立たしくなるという。

「……もしかすると東京の空気があまり合わなくてぎすぎすしたのは……三木田さんもだったんじゃないですか……?」

 失礼だったかと一瞬暁斗は思ったが、三木田は表情を和らげて、そうかもなぁ、と言った。そして暁斗の顔を見る。

「きみが突き上げて来たのも辛かったな、今思えば」

 いつの間にか花谷が、三木田の前に座っている。暁斗は彼にもビールを注いでやった。刺身の船盛りがやってきて場が盛り上がり、若い社員たちが話し込む先輩や上司たちのために刺身醤油を小皿に準備する。暁斗は新しい割り箸を出して、わさびを小皿に順番に乗せながら、三木田の話に耳を傾けた。

「新入社員の頃から伸びるだろうなとは思ってた、あまりうちの社にいないタイプだし……何か知らない間に売ってるんだよ」

 三木田に言われた花谷が、わかる気がしますと答えて笑った。

「営業はどうしても個人のキャラクターに成績が左右されるけれど、桂山くんはほぼそれだけに頼ってた」
「それだけでしたか」

 暁斗は苦笑する。反論はできなかった。

「そうだよ、岸さんが基本を教えてやれと言うから私もいろいろ教えて……やらせてみたら飛び込みにも平気で行くからもちろん成績も上がる」

 三木田にとって暁斗は、可愛いけれど目障りな後輩だったようだ。それでも三木田は2課に異動し谷口の部下になるまで、良い先輩でいてくれたと思う。
 酒の入った三木田は明るく饒舌だった。

「要するに桂山くんが妬ましかった、何でこんなゆるい営業をする子が俺より成績がいいんだ、納得いかんって」

 暁斗は首の後ろを掻いた。あまりにあけすけな言葉に、部下たちは大受けした。緩い営業とは随分な言い方だが、確かに若い頃は楽しいだけでやっていたところがあったので、三木田と比べればそうかも知れなかった。
 2課の社員たちが上司と交歓したそうだったので、暁斗は席を譲った。女子社員たちにぐるりと囲まれる。酔った彼女らは言いたい放題である。

「三木田課長、いつもあんな風なら素敵なのにー」
「桂山課長はまたどんな魔法をお使いになられましたか?」
「アキちゃんが愛の種を蒔いた~」
「アキちゃんって呼ぶな」

 暁斗は注がれたビールを飲みながら溜め息をつく。その中で竹内は、頬を上気させながらもしっかり暁斗に話した。

「ありがとうございました、明日から……ああもう年明けですね、2課の雰囲気も変わると思います」
「そうだといいな、三木田さんもすっきりしたんじゃないかな」

 暁斗も爽やかな気分だった。久しぶりに三木田ときちんと話したからだ。彼は昔と変わらない、良い先輩だった。ここのところは歯車を食い違わせてしまったようだが、まだ修正する時間はあるし、仙台でも部下をしっかり育てるだろう。
 手島が三木田と笑顔で話している。彼は三木田に怯えていたが、彼の丁寧な商品説明は、確かに上司から仕込まれたものだった。同じように2人を見ていた長山が、暁斗のために串揚げを取り寄せながら呟く。

「2課の課長って誰がなるのかなぁ」
「もう桂山課長がまとめて面倒見たらいいんじゃないですか?」

 無責任に言い放つ平岡のグラスにビールを注ぎ、暁斗は突っ込んだ。

「無茶言うな、俺が倒れるよ」

 笑いが起こる。営業課の再編は、あり得ない話ではなかった。暁斗が相談室のミーティングの際、営業2課の話をすると、もう分ける意味も無いんだがな、と岸は言った。まさか自分1人で全員の面倒を見ろとは言われないだろうが、来年度に新しいアプローチが必要な案件が発生する可能性は高い。

「桂山くん、2軒目行こうか?」

 宴じまいの時間が近づくと、酔ってもきっちりしている三木田が離れたテーブルから暁斗に向かって手を振った。ふと暁斗は、自分が新人の頃、課長だった岸がいないときは、三木田が取引先への待ち合わせの時などに、今のように手を振って待っていてくれたことを思い出す。彼はいつも新人の面倒見が良かった。少なくとも暁斗はそう認識している。

「いい店ご存知ですか?」
「行きつけの店が改装したばかりなんだ、まだ覗いていないから行こう」

 周りからごちそうさまです、という声が一斉に上がる。暁斗は駄目だと部下たちを一喝した。

「ボーナス出てるじゃないですか~」
「君らに使う分は無い!」
「彼氏に使う分はあっても、ですかっ!」

 暁斗は思わぬ突っ込みにあ然としたが、酔った勢いで返してやった。

「クリスマスも会ってないんだぞ、彼に使ってないのに何で君らに使わなきゃいけないんだ!」

 爆笑と拍手が起きた。三木田は暁斗の開き直りに苦笑していたが、彼らしく理性的な提案をし、皆の喝采を浴びた。

「俺と桂山くんだけで全員ごちそうはできないぞ、1人1000円は持て」

 今年の業務も終わる。いろいろあったし、暁斗の立ち位置もすっかり変わってしまったが、良い一年だったと思った。暁斗がアウティングされた、あるいはカムアウトした時も、営業課の皆は暁斗に対して始終暖かかった。そのことや、自分に同性の恋人がいることを、冗談にしながら話せている状況が、言葉にできないくらい嬉しい。
 他所にヘッドハンティングされても、まだちょっとそれに応じる訳にはいかないなと、赤い顔をして騒ぐ部下たちを見ながら、暁斗は考えていた。
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