夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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5 急転

6

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 駅前の交番には警察官が詰めていて、晶はドアを開けるなり、中に山形を文字通り投げ捨てた。どさりと重い音がした。

「酔っ払って連れに抱きついて来た、預けるよ」

 若い警察官は慣れた光景なのか、吐き捨てた晶と晴也に苦笑を向けて、床に伸びた山形のそばにかがみこむ。

「あっ、抱きつかれた? 被害届出しますか?」

 警察官は晴也を見上げて言った。晴也は首を横に振る。晶はよろしく、と軽く言い、晴也をうながして駅に向かう。
 晴也は今更、身体の震えが止まらなくなった。鞄を抱いて立ち止まる。何もかもが恐ろしく思えた。脇道の冷たい闇、抱きついて来た山形、本気で怒る晶。
 晴也が立ちすくんだのを見た晶は足を止めて、何か言おうとした。しかし口を引き結んで晴也の腕を引き、タクシー乗り場に向かう。列の先頭にいた小型タクシーが後部ドアを開け、晴也はそこから車の中に押し込まれた。晶の大きな鞄がシートに置かれて、彼自身も乗り込んで来る。彼は高円寺に行くよう運転手に告げ、車は滑らかに動き始めた。
 晴也はタクシーの暖房に身体の緊張を緩めたがやはり震えが止まらず、自分の乗るタクシーが何処に向かっているのかを確認する考えが出てこなかった。
 程なくしてタクシーはマンションの前に止まる。促されるまま寒い外に出て、小綺麗なエントランスに入り、エレベーターで6階に向かった。晶の部屋に連れて来られたらしかった。

「……温かいものを飲んでから家まで送るよ、入って」

 家の鍵を開けながら、それまで無言だった晶はようやく晴也に声をかけた。玄関に明かりが入って、飾り気の無い廊下とその先の部屋が見えた。
 晴也は躊躇ためらいながら靴を脱ぎ、クリーム色の玄関マットに足を置く。他人の家に上がるなんて、何年振りだろう?
 奥のリビングに明かりと暖房が入り、晴也はソファに座らされる。テレビの横に積まれた新聞以外は、無駄なものを置いていない部屋である。ふと、鼻腔をくすぐる匂いに記憶を刺激された。昼間後ろから晶に抱きつかれた時に、自分を包んだ匂いだった。
 晶はキッチンで湯を沸かし、小さな食器棚からマグカップをふたつ出した。おかしな気分だった。あまり良く知らない人の、初めておとなう家で、茶を出されるのを待っている自分。しかも夜中の1時に。
 晴也は甘い香りのする紅茶が入ったマグカップを手渡された。

「アップルティだ、口に合えばいいけど」

 晶は言いながら、マグカップ片手に、キッチンのカウンターの椅子に腰を下ろす。怯える自分と距離を取ってくれていると晴也は理解する。……昼間はあんな図々しい態度を取ったくせに。
 紅茶の香りにほっとする。ゆっくりと口をつけて、からからになっていた喉を潤す。そして晶のほうに首を向けた。

「……助けてくれてありがとう」

 晴也はまず言うべきことを口にした。

「助けを求められたんだから当たり前だ」
「……え?」

 晶の言葉に晴也は首を傾げた。

「LINEで電話して来ただろ、出たら何か変な物音や話し声がするから……俺はルーチェから出ようとしてたところで、新宿駅まででハルさんが見つからなければ警察に連絡するつもりだった」

 晴也は驚いて、コートのポケットからスマートフォンを取り出す。あの時、画面を見ている途中で山形に腕を掴まれた。何処をどう触ったのかわからないが、確かにLINEで、晶に15分間電話をかけていた。晶は晴也の様子を見て、問うた。

「……たまたまだった?」
「……知らない間にかけてた、みたい」

 晴也の返事に、晶は天井を仰いで溜め息をついた。

「……無事で良かった……」

 晴也は申し訳なくて肩を縮めた。全ての行動が不用意だったのだ。山形を甘く見たこと、ママに気遣って貰ったのにタクシーを使わなかったこと、近道をしたくて暗い道に入ったこと。

「ごめんなさい」

 晴也はマグカップの中の赤い色を見つめながら、呟いた。鼻の奥がつんとした。

「ハルさんは何も悪くない」

 晶はきっぱりと言う。自分が情けなかった。叱ってくれたほうがましだった。

「あいつのことはちゃんとママに話せよ、店に出禁にしてもらえ、俺は被害届を出すべきだと思うけど……そこはハルさんに任せる、証言が必要ならいつでも言って」

 晶はてきぱきと話していたが、言葉を切った。そして声に慈しみの色を混ぜた。

「ああ……うっかりしてた、怪我はない?」

 晴也の目からぽろりと涙がこぼれた。頭の中がぐちゃぐちゃだった。恐怖、混乱、後悔、安堵――こんないろんなものに一気に襲われたのは、初めてだった。そして、他人から本気で心配する言葉をかけられるのも。
 マグカップと外した眼鏡をテーブルに置き、手の甲で目をぬぐっていると、ティッシュの箱を差し出された。晴也は差し出して来た男の顔を見ず、紙を3枚取って目に当てた。ひっく、と喉が鳴った。頭の上から声が降ってくる。

「俺もかっとして怖い思いをさせた、ごめん」

 何でおまえが謝るんだよ。晴也はますます悲しくなった。止まらない。必死で声を殺そうとしたが、嗚咽は口からとめどなく洩れ出した。
 右隣に晶が座った気配がした。頭にそっと手が置かれる。温かい手は髪を優しく撫でた。
 晴也は泣き続ける。悔しくても悲しくても、いつも我慢して……風呂に入りながら最後に独りで泣いたのは、もう何年前のことだろう? 人前でもこんなに涙が出るものなんだと、晴也は少し驚いた。
 隣に座る男は油断ならなかったが、今確かに、晴也に一番近い場所にいた。物理的な距離だけでなく、心理的な距離も。夜に別の顔を持ち、人のしがらみに縛られたくないと思いながらそれを何処かで求めていて、自己矛盾に喘ぐ……同類。
 疲れた。晴也は思う。ここは居心地が良いけれど、少し休んでもいいのだろうか――。
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