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13 破壊、そして
ショウの日曜日①
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結局昨夜は泊まりに来てくれなかった。水族館で買ったクラゲのキーホルダーを、晴也の家の鍵につけながら、晶は一人で唇を尖らせていた。色違いのもうひとつのキーホルダーは、自分の部屋のスペアキーにつける。少し前に晴也が、ポストに落として帰った鍵だ。これも渡したかったのに。
しかし晴也が、自分の時間を奪ってしまうからと遠慮して、行かないと言ったということは理解していた。彼はそういう子なのだ。おかげで晶は今日、実家のバレエスタジオで、発表会の特訓をする生徒たちが集まる前に、自分の練習をする時間を確保できた。
昨日再び彼のマンションに着いた時、洗濯物を返すといってぱたぱたと部屋に戻った彼は、10分後に降りて来た。そして畳んだタオルとTシャツを車窓から手渡し、ありがとう、気をつけて、と言った。泊まるための着替えを持って車に乗ってくれるものと思っていた晶は、肩透かしを食らった。
もう一押しすれば、晴也は頷いてくれそうだった。それだけに、惜しいという気持ちが拭えなかったが……贅沢を言ってはいけない。だって晴也は、本気で二度と自分に会わないつもりでいたのだから。
「身を引く」などという言葉が辞書に無い晶には、晴也の行動が理解不能で腹立たしかった。言いたいことをはっきり言わないで、悪いように解釈して勝手に闇落ちするのも、意味がわからない。
晴也は、晶がイギリスに行くのに足手まといになりたくないと言った。会わないようにして忘れてしまおうとした。困った発想だが、考えようによっては健気なのかもしれない。……と思ってしまう辺り、あの文鳥だかペンギンだかわからない鳥類の毒に、当たっているのかも。
晶はキーホルダーをつけた鍵を片づけて、新聞をめくる。新聞を毎日読もうと言ってくれたのは、木許だ。
晶は自分が非常識な人間だとは思っておらず、むしろ舞台人としては真面目で教養のあるほうだと考えているが、日本の社会人としては、洩れたり欠けたりしている部分が多い。木許はそういう点を今も指導してくれる。そんな恩もあり、仕事にもやり甲斐を感じているので、今会社を辞めてイギリスに拠点を移すなど、選択肢に上がりさえしない。そういったことを、もっと晴也に話せば良かったと晶は思う。やはり思いは、言葉にしないと伝わらないのだ。
晴也はわかっていない。自分がどれだけ彼を必要としているのかを。この先万が一、海外で働くようなことになったならば、首に縄をつけて引きずってでも、彼を連れて行くだろう。彼がどうしたいかなど、聞かない。
晶はある部分で、晴也に甘えている自覚がある。木許に対するのとは少し違うが、彼を社会人の先輩として信頼し手本にしたいと思うし、エミリのトラウマ(と認めたくはないが)に悩まされる自分を暖かく包んでくれるのは、たぶん彼しかいない。一昨日はややまずい状態に陥ったが、嫌な夢を見ることは格段に減った。
一昨日、夜明け前の薄暗い部屋で、晴也の背中に白くて大きな翼を見たような気がする。殻から出てきてなかなか羽を開こうとしなかった晴也は、皮肉なことに晶との間を拗らせ、本気で問題に対峙することで、心と身体の中に眠るエネルギーを目覚めさせたに違いなかった。
晶はこれまで何度となく、力はあるのにそれをなかなか舞台上で発揮できない人が、ほんの小さなきっかけで、別人に化ける瞬間を見てきた。あの夜の晴也は、まさしくそんな感じだった。晴也は灰色の雛から美しく成長する白鳥、枯れ枝のような蛹から羽化する揚羽蝶だ。
涙を浮かべたままの瞳に怒りの炎を燃やして晴也が左手を振り上げた時、晶は彼の右手首を掴んだまま身動きできなくなった。彼が凄まじい何かを全身から発散していたからだ。次の瞬間の、食いしばった歯が音を立てそうなほどの痛みと圧力。眼鏡が吹っ飛んで行かなかったのは奇跡だ。確かに晶は故意に晴也を挑発する態度を取ったが、あんな暴力で反撃されるとは思わなかった。
しかし晴也が、自分の時間を奪ってしまうからと遠慮して、行かないと言ったということは理解していた。彼はそういう子なのだ。おかげで晶は今日、実家のバレエスタジオで、発表会の特訓をする生徒たちが集まる前に、自分の練習をする時間を確保できた。
昨日再び彼のマンションに着いた時、洗濯物を返すといってぱたぱたと部屋に戻った彼は、10分後に降りて来た。そして畳んだタオルとTシャツを車窓から手渡し、ありがとう、気をつけて、と言った。泊まるための着替えを持って車に乗ってくれるものと思っていた晶は、肩透かしを食らった。
もう一押しすれば、晴也は頷いてくれそうだった。それだけに、惜しいという気持ちが拭えなかったが……贅沢を言ってはいけない。だって晴也は、本気で二度と自分に会わないつもりでいたのだから。
「身を引く」などという言葉が辞書に無い晶には、晴也の行動が理解不能で腹立たしかった。言いたいことをはっきり言わないで、悪いように解釈して勝手に闇落ちするのも、意味がわからない。
晴也は、晶がイギリスに行くのに足手まといになりたくないと言った。会わないようにして忘れてしまおうとした。困った発想だが、考えようによっては健気なのかもしれない。……と思ってしまう辺り、あの文鳥だかペンギンだかわからない鳥類の毒に、当たっているのかも。
晶はキーホルダーをつけた鍵を片づけて、新聞をめくる。新聞を毎日読もうと言ってくれたのは、木許だ。
晶は自分が非常識な人間だとは思っておらず、むしろ舞台人としては真面目で教養のあるほうだと考えているが、日本の社会人としては、洩れたり欠けたりしている部分が多い。木許はそういう点を今も指導してくれる。そんな恩もあり、仕事にもやり甲斐を感じているので、今会社を辞めてイギリスに拠点を移すなど、選択肢に上がりさえしない。そういったことを、もっと晴也に話せば良かったと晶は思う。やはり思いは、言葉にしないと伝わらないのだ。
晴也はわかっていない。自分がどれだけ彼を必要としているのかを。この先万が一、海外で働くようなことになったならば、首に縄をつけて引きずってでも、彼を連れて行くだろう。彼がどうしたいかなど、聞かない。
晶はある部分で、晴也に甘えている自覚がある。木許に対するのとは少し違うが、彼を社会人の先輩として信頼し手本にしたいと思うし、エミリのトラウマ(と認めたくはないが)に悩まされる自分を暖かく包んでくれるのは、たぶん彼しかいない。一昨日はややまずい状態に陥ったが、嫌な夢を見ることは格段に減った。
一昨日、夜明け前の薄暗い部屋で、晴也の背中に白くて大きな翼を見たような気がする。殻から出てきてなかなか羽を開こうとしなかった晴也は、皮肉なことに晶との間を拗らせ、本気で問題に対峙することで、心と身体の中に眠るエネルギーを目覚めさせたに違いなかった。
晶はこれまで何度となく、力はあるのにそれをなかなか舞台上で発揮できない人が、ほんの小さなきっかけで、別人に化ける瞬間を見てきた。あの夜の晴也は、まさしくそんな感じだった。晴也は灰色の雛から美しく成長する白鳥、枯れ枝のような蛹から羽化する揚羽蝶だ。
涙を浮かべたままの瞳に怒りの炎を燃やして晴也が左手を振り上げた時、晶は彼の右手首を掴んだまま身動きできなくなった。彼が凄まじい何かを全身から発散していたからだ。次の瞬間の、食いしばった歯が音を立てそうなほどの痛みと圧力。眼鏡が吹っ飛んで行かなかったのは奇跡だ。確かに晶は故意に晴也を挑発する態度を取ったが、あんな暴力で反撃されるとは思わなかった。
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