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立夏の頃
5月④
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「コンクール出ようか、三喜雄くん」
ひと通り発声練習が済んだ後で、藤巻は出し抜けに行った。三喜雄は何の話をされたのか分からず、は? と間の抜けた声を上げた。
「出演料も要るから冷やかしと言っちゃいけないけどね、度胸試しだ」
藤巻は声楽コンクールの概要が書かれた、二つ折りのフルカラーのパンフレットを手渡してきた。
「え、俺が歌うんですか?」
「君でなかったら誰が歌うんだ? ちょっとお父さんにも話しておいた」
三喜雄が想像していたよりも、藤巻と父は親しかった。歌曲を極めている師と、レンズメーカーの研究室で勤める父は、天文部で一緒だったらしい。多感な時期に共に星なんか見て語らったら、全く合わなさそうな人間同士も、生涯の友になってしまうのだろうか。
「三喜雄くんに足りないのは1人で本番で歌う経験だ、昨年グリーの定演でソロを貰ったんだったね? 今年もこれからソロのオーディションがあるなら必ず参加すること」
はい、と気圧されて三喜雄は答える。
「あとは発表会への飛び込み参加か、あれは同じ先生の門下が今年も11月にやるからお願いしておくよ」
三喜雄は背中に冷や汗が流れそうになるのを感じた。去年も大概、発表会と合唱コンクール、それに定期演奏会の練習できりきり舞いしたのに、今年はこれから模試も入ってくる。父は藤巻の提案にOKを出したのだろうが、三喜雄の成績は必ずしも、国立大を受験するとすれば、余裕がある訳ではない。
「あの、先生……ちょっときついかも」
三喜雄は恐る恐る言った。案の定藤巻は、口をへの字に曲げた。
「音楽系の大学を受験する高3は、みんなこれくらいこなしてるぞ」
「でも……」
「全部の舞台で新曲を歌えとまでは言ってない、あくまでも君の目標は来年2月の実技試験だから、そこで使えそうな曲を幾つかブラッシュアップしておくんだ」
簡単に言うなぁ……三喜雄は溜め息がでそうになるのを堪えながら、手の中のパンフレットを見つめる。予選の会場が札幌市内だということも、藤巻が出場を勧める理由だった。選曲の条件、制限時間……発表会やグリーの演奏会とは、明らかに雰囲気が違う。
三喜雄はパンフレットに挟まっている申し込み用紙に、ピアニストの名を記入する欄があることに気づく。藤巻が説明してくれた。
「コンクールは出場者がピアニストも用意しなきゃいけない……まあ大抵公式ピアニストがいるから、ほとんどぶっつけ本番になるけれど頼めばいいよ」
ピアニストを自分で探す、という話に、高崎の顔が頭の中にちらついた。藤巻は三喜雄の反応を見逃さない。
「誰か弾いてくれそうな人がいる? 公式ピアニストを使うのも経験だけど、三喜雄くんが任せたいピアニストがいるなら、その人でも構わない」
「あ、いや……学校の2年生で、めちゃくちゃ上手い奴がいて」
ほう、と藤巻は興味を覚えた様子だった。
「その子も音大を目指してるのか?」
「いえ、美術部の奴なんで、どちらかというと絵のほうが好きなんじゃないかと思います」
グリーの部員で、ピアノを弾いている後輩だと思ったのだろう、藤巻はうーん、と唸った。
「コンクールのピアニストは手練れでないと務まらないぞ」
藤巻曰く、三喜雄の伴奏者は、絶対に緊張する三喜雄を支えて引っぱらなくてはならない。もしピアニスト自身が舞台慣れしていなければ、共倒れになる可能性がある。
妙に堂々として物怖じしない高崎なら、コンクールでも緊張しないのではないかと三喜雄は思ってしまう。しかし彼は、今誰かについてピアノを習っている訳ではないし、これからそうするつもりも無いと、この間話した。そんな彼に本番の伴奏を頼むのは、やはり無理だと思い直す。
「お母さんが昔ヴァイオリンを弾いてて、おばさんがピアニストらしいんですよね、その2年生」
三喜雄は藤巻が面白がってくれそうな情報を提供する。
「ふうん、そのピアニストの名前は?」
「すみません、そこまで聞いてないです」
「道内にいる人なら、その彼に繋げてもらって、そのピアニストに頼んでもいいんじゃないか? 僕も知ってる人かもしれない」
自分みたいなど素人がプロのピアニストに、伴奏をしてくれと図々しく頼んでもいいものなのだろうか。はたと三喜雄は、すっかりコンクールに出場する方向に持って行かれていると気づく。
「あの先生、これ出るって決めてません、出演料結構高いし、公式ピアニストに頼んでもこんなに……」
声楽家には伴奏者が必要である。楽器に金を使わなくていいが、伴奏者への謝礼は常に発生するので、案外それが負担になる。これは個人レッスンを受け始めて知ったことだった。合わせの練習1回につき数千円、出演者が多い発表会のような場合は少し割安になるが、本番は1万円が相場だという。
「だからお父さんにも話したと言っただろう」
ひと通り発声練習が済んだ後で、藤巻は出し抜けに行った。三喜雄は何の話をされたのか分からず、は? と間の抜けた声を上げた。
「出演料も要るから冷やかしと言っちゃいけないけどね、度胸試しだ」
藤巻は声楽コンクールの概要が書かれた、二つ折りのフルカラーのパンフレットを手渡してきた。
「え、俺が歌うんですか?」
「君でなかったら誰が歌うんだ? ちょっとお父さんにも話しておいた」
三喜雄が想像していたよりも、藤巻と父は親しかった。歌曲を極めている師と、レンズメーカーの研究室で勤める父は、天文部で一緒だったらしい。多感な時期に共に星なんか見て語らったら、全く合わなさそうな人間同士も、生涯の友になってしまうのだろうか。
「三喜雄くんに足りないのは1人で本番で歌う経験だ、昨年グリーの定演でソロを貰ったんだったね? 今年もこれからソロのオーディションがあるなら必ず参加すること」
はい、と気圧されて三喜雄は答える。
「あとは発表会への飛び込み参加か、あれは同じ先生の門下が今年も11月にやるからお願いしておくよ」
三喜雄は背中に冷や汗が流れそうになるのを感じた。去年も大概、発表会と合唱コンクール、それに定期演奏会の練習できりきり舞いしたのに、今年はこれから模試も入ってくる。父は藤巻の提案にOKを出したのだろうが、三喜雄の成績は必ずしも、国立大を受験するとすれば、余裕がある訳ではない。
「あの、先生……ちょっときついかも」
三喜雄は恐る恐る言った。案の定藤巻は、口をへの字に曲げた。
「音楽系の大学を受験する高3は、みんなこれくらいこなしてるぞ」
「でも……」
「全部の舞台で新曲を歌えとまでは言ってない、あくまでも君の目標は来年2月の実技試験だから、そこで使えそうな曲を幾つかブラッシュアップしておくんだ」
簡単に言うなぁ……三喜雄は溜め息がでそうになるのを堪えながら、手の中のパンフレットを見つめる。予選の会場が札幌市内だということも、藤巻が出場を勧める理由だった。選曲の条件、制限時間……発表会やグリーの演奏会とは、明らかに雰囲気が違う。
三喜雄はパンフレットに挟まっている申し込み用紙に、ピアニストの名を記入する欄があることに気づく。藤巻が説明してくれた。
「コンクールは出場者がピアニストも用意しなきゃいけない……まあ大抵公式ピアニストがいるから、ほとんどぶっつけ本番になるけれど頼めばいいよ」
ピアニストを自分で探す、という話に、高崎の顔が頭の中にちらついた。藤巻は三喜雄の反応を見逃さない。
「誰か弾いてくれそうな人がいる? 公式ピアニストを使うのも経験だけど、三喜雄くんが任せたいピアニストがいるなら、その人でも構わない」
「あ、いや……学校の2年生で、めちゃくちゃ上手い奴がいて」
ほう、と藤巻は興味を覚えた様子だった。
「その子も音大を目指してるのか?」
「いえ、美術部の奴なんで、どちらかというと絵のほうが好きなんじゃないかと思います」
グリーの部員で、ピアノを弾いている後輩だと思ったのだろう、藤巻はうーん、と唸った。
「コンクールのピアニストは手練れでないと務まらないぞ」
藤巻曰く、三喜雄の伴奏者は、絶対に緊張する三喜雄を支えて引っぱらなくてはならない。もしピアニスト自身が舞台慣れしていなければ、共倒れになる可能性がある。
妙に堂々として物怖じしない高崎なら、コンクールでも緊張しないのではないかと三喜雄は思ってしまう。しかし彼は、今誰かについてピアノを習っている訳ではないし、これからそうするつもりも無いと、この間話した。そんな彼に本番の伴奏を頼むのは、やはり無理だと思い直す。
「お母さんが昔ヴァイオリンを弾いてて、おばさんがピアニストらしいんですよね、その2年生」
三喜雄は藤巻が面白がってくれそうな情報を提供する。
「ふうん、そのピアニストの名前は?」
「すみません、そこまで聞いてないです」
「道内にいる人なら、その彼に繋げてもらって、そのピアニストに頼んでもいいんじゃないか? 僕も知ってる人かもしれない」
自分みたいなど素人がプロのピアニストに、伴奏をしてくれと図々しく頼んでもいいものなのだろうか。はたと三喜雄は、すっかりコンクールに出場する方向に持って行かれていると気づく。
「あの先生、これ出るって決めてません、出演料結構高いし、公式ピアニストに頼んでもこんなに……」
声楽家には伴奏者が必要である。楽器に金を使わなくていいが、伴奏者への謝礼は常に発生するので、案外それが負担になる。これは個人レッスンを受け始めて知ったことだった。合わせの練習1回につき数千円、出演者が多い発表会のような場合は少し割安になるが、本番は1万円が相場だという。
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