今宵貴方と見る月は ~あきとかなnext 〜 《あきとかな後日談集》

穂祥 舞

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拝啓、北の国から

12月28日 19:50②

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 沈黙の後に指揮者の腕が動き、音楽が始まる。低い弦楽器の音が優雅に上昇して、木管楽器に音を引き継いだ。前半の分厚く圧力の高い音楽とは全く違う、安らかなメロディだった。

「『主イエス・キリストよドミネ・イェズ・クリステ栄光の王よレックス・グローリエ』」

 気品のあるメゾソプラノと、塚山の甘い高音が溶け合う。その時、片山が静かに立ち上がった。やはり楽譜は持っていない。

「『魂を解き放ちたまえリベラ・アニマス全ての死せる信者のオムニウム・フィデリウム・デフンクトールム』」

 堂々としつつも優しいバスのメロディに、メゾソプラノとテノールが呼応する。オーケストラが皆入ってきて音楽が盛り上がるが、歌声は掻き消されることなく、天井から降ってくるようだった。
 3人がやや不安げな音形で音楽を纏めた瞬間に、ソプラノが響いた。小さいが、ヴァイオリンのオブリガードの上できらきらと輝くような音だ。やがてその声は、歌詞の通りに天使のものとなる。

「『旗手である聖ミカエルがシグニフェル・サンクトゥス・ミカエル』」

 歌いながら軽く腕を広げたソプラノに誘われるように、3人のソリストが次々と参加し、弦のピッツィカートとハープに彩られながら音楽が膨らんだ。

「『その魂を聖なる光の中に導きますようレプレゼンテット・エアス・イン・ルーチェム・サンクタム』」

 暁斗は僅かに視界が曇ったのを自覚し、自分でも少し驚く。ソリストたちの声は本当に天から降ってくるようで、音の厚い伴奏は前半の激しさを忘れたかのように、どこまでも清らかだった。クラシック音楽でも胸が熱くなるのだと、暁斗は初めて知った。
 河島のレクチャーを思い出すと、歌手たちが歌っているのは定型文だ。世界中の教会で日々唱えられる、カトリックの信者なら誰でも知る、いわば使い古された詩である。
 しかし4人のソリストは、それに命を吹き込んで、こちらに神の栄光と慈悲を余すところなく伝えてくる。楽譜を持たない彼らの手が、大きくはないが歌詞に合わせて動いている。それを見ると、彼らが何を歌っているのかを察することができた。
 塚山はオペラの舞台が多いからか、表情も豊かだ。恐れや喜びを歌う時に、それに合わせた顔になる。片山は手で感情を表現していて、胸の辺りに手を当てる仕草や、上に向けこちらに差し出す掌が、音楽を動かしているようだった。
 音楽はくるくると表情を変えたが、それがはっきりしているので、素人の暁斗にもついて行くことができる。途中音楽が静まり始まったテノールのソロは、明らかに聴衆を釘付けにした。

「『いけにえと祈りをあなたにオスティアス・エト・プレチェス・ティビ主よドミネ称賛とともに捧げますラウディス・オッフェリムス』」

 まるで愛を語るような美しいメロディを、バスが引き継ぐ。片山の声にほっとするようなものを、暁斗は覚えた。どうも奏人や、先程コーヒーを飲んでいた男性たちの話を総合すると、片山の声はエモーショナルだがやや軽いという評価を受けているようだ。しかしこうして目の前でじっくり聴くと、包容力と深みのある声だと、暁斗には感じられる。
 暁斗はせいぜい年に数回、つき合いでカラオケに行く程度の歌い手でしかないが、別の者が同じ歌を歌うと雰囲気が変わり、皆違う声なんだなと実感する。文字通り、天の賜物なのだ。高校生の頃の片山の歌がどんな感じだったのか想像もつかないが、自分も多才な芸術家肌である奏人がずっと記憶に留めていたのだから、その頃から人の気持ちに何かを訴えかけてくる歌声だったに違いなかった。
 曲のテンポが上がり、一度登場したメロディが再び現れて、オーケストラとともにソリストたちの歌声が、大きな喜びを孕みながら聴く者を圧倒した。歌は穏やかなユニゾンに落ち着き、楽器がすっと鳴り止む。

「『その魂をファク・エアス死から生に移し変えたまえデ・モルテ・トランズィーレ・アド・ヴィタム』」

 ソプラノがゆったりと上昇し、3人がアカペラで見事なハーモニーを作りながら追いかけた。暁斗は祈りの場所、例えば教会か何処かにいるような錯覚に捕われる。歌声が低く静まると、曲の最初のほうにバスが歌ったメロディを弦楽器が細やかな音で奏で、クラリネットに引き継いだ。それをコントラバスが受け取り、明るい和音で静かに音楽が締め括られた。
 指揮者が腕を下ろして、4人のソリストに微かに頷くのが見えた。客席からは、今にも一斉に感嘆の溜め息が出そうだった。奏人が左で僅かに身体を緩めたのが伝わり、暁斗も静かに息をつく。人の声に、こんなに心揺さぶられるものなのか。
 ソリストたちは皆微笑し、楽譜を右手に持ってから椅子に座った。交代するように、舞台の奥の合唱が立ち上がる。
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