今宵貴方と見る月は ~あきとかなnext 〜 《あきとかな後日談集》

穂祥 舞

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かくしごとは無しで

1月下旬③

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 翌日の昼から本格的に熱が上がり始めて、暁斗は薬を飲むためだけのために、ぼんやりしながら昼食を口にした。奏人が朝炊いて置いて行ってくれた白ご飯に、梅干しを1個。
 時計を見ると12時半だった。内勤ならば昼休み中の奏人にすぐ見てもらえるように、生きてごはん食べてる、と報告しておいた。普段暁斗が体調を崩すこと自体はそんなに無いので、今朝奏人が出がけに心配そうだったからだ。
 やはりすぐに、了解です、ゆっくりしててね、と返事が来た。それを見てふと、あと20年と少し後に暁斗が会社を定年退職し、さらに10年経ってまだ奏人が働いていたら(もし奏人が研究者として大学に勤務するようになったら、定年は70らしいので)、毎日こんな連絡をし合うのだろうかと思った。
 嫌だな、と一瞬感じて苦笑した暁斗だが、そんな老後が本当に来ればいいなという気持ちに、すぐになった。もはや日本で、何の心配も無い穏やかな老後を迎えることは難しいだろうが、せめて奏人と2人で仲良く暮らしていきたい。
 リビングの一番大きなソファはベッドの形にされたままで、奏人の使った布団がその上に畳まれていた。これから1週間使う体勢のようだ。寝室にすぐに戻る気になれなかった暁斗は、マスクをしたまま小さいソファに座って、ひと息ついた。
 暁斗はその場所から何気なく、奏人のデスクトップパソコンを見たが、キーボードの横に忘れられたように置かれた本に目が行った。
 立ち上がり首を伸ばすと、洋書だったので理解をすぐに諦めたが、white hucker という単語だけはすぐにわかった。暁斗は首を傾げつつソファに座り直す。
 奏人の本業はシステムエンジニアなので、取引先の会社のシステムのハッキング対策くらいはしているだろうが、わざわざ本を手に入れて勉強しているということは、そういう仕事に特別な興味を持っているのだろうか。ホワイトハッカーには、ハッキングを仕掛けてくる悪い奴からクライアントの情報を守るという、アグレッシブなイメージがある。暁斗は昨夜の奏人の白血球発言を思い出した。
 しかし奏人は、遂に博士論文を仕上げて、確か先週母校に提出したはずだ。首尾よく博士が取れたら、常勤講師あるいはもっと上への道が開けるだろう。それに、先月上旬に奏人の初画集の販売が始まり、そちらの売れ行きも、特に派手に宣伝していない割には順調だと聞いている。イラストレーターKanatoの名も、徐々に世間に知られつつあり、今まで口コミでぽつぽつ受けていた有償の描画も増えてくるかもしれない。
 だから奏人にとって、パソコンを触る仕事が本業で無くなる日は近いと、暁斗はうっすら感じていた。だから昨夜、奏人がやたらにキーボードを叩いていたのに違和感を覚え、あの本に軽く驚いてしまったのかもしれない。もちろん暁斗は、奏人がどういう選択をしようと、異議をとなえるつもりは無い。
 その場でうつらうつらしながら夕刻を迎え、一度熱を測ると、少しだけ下がっていた。暁斗はふらつく足許に注意を払いつつベランダに出て、ゆっくり洗濯を取り込んだ。もう空気が冷えてきて、太陽の光は夏とは比べものにならないものの、眩しくて思わず目を伏せる。
 のんびりしておけと部長も部下たちも言ってくれたが、こういう生活はたぶん、体調が順調に戻れば3日で退屈になりそうだ。仕事は任せておいても問題は無いのだが、最近「全てのマイノリティのための相談室」宛てに、嫌がらせのようなメールが来ていると総務から聞かされたのが気になる。相談室のメンバーの誰かに訊いてみようか。多くは無い洗濯物を畳みながら、暁斗はあてどなく思考を流し続けた。
 洗濯物を片づけ終わると、熱というよりも薬のせいで眠くてたまらないので、寝室に戻ってころりとベッドに横になった。奏人が帰ってきたらすぐに気づくことができるように、部屋の扉は少し開けておいたが、暖房の温もりが逃げて寒くなるほどではなかった。
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