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お入学準備!
3月15日⑫
しおりを挟む 杏菜のやや不安混じりの問いに、奏人がスマートフォンを出した。地図アプリを開いているらしい。
画面を指さしながら、奏人はゆっくり説明する。
「ここ、JR蒲田が杏菜ちゃんの家に一番近い電車の駅って聞いてるんだけど……僕たちの家に近い駅は隣の大森……ここだから、電車に乗ればすぐだよ」
杏菜は目を見開いて、お、と言った。いつも車ではるばるやってくる2人が比較的ご近所になるのは、想定外だったようだ。
「電車で1つだけ?」
「そうだよ、僕たちも岡さんから聞いてびっくりした」
杏菜の目が、奏人のスマートフォンの画面に釘づけになっている。
「え、じゃあ今までよりも会える?」
「うん、お母さんがいいよって言ってくれて、僕や暁斗さんが家にいる時は会えるよ」
さりげなく優美の許可を得るよう促しておくあたりが、奏人の気遣いだった。彼は、ヒステリックに杏菜の大切な色鉛筆を捨ててしまったことがある優美を、暁斗ほど信用していない。だから本当は、家で嫌なことがあったらいつでも来たらいいと、杏菜に伝えたいところなのだろう。
「まず杏菜ちゃんは、電車の乗り方を覚えるといいね」
「乗りたい、乗りたい」
杏菜は目をきらきらさせて、暁斗と奏人に言った。
その様子を見て、暁斗はしみじみとする。週末里親という制度を使うには至らなかったけれど、月に1回だけしか面会できなかったけれど、2年間でこの子と何らかの絆をつくることができた。
杏菜は施設を出て、来月から新しい生活を始める。もし、これでもう二度と会えないことになったら、どれだけ悲しいだろう。しかし彼女はこうして、これからも自分たちと顔を合わせることを望んでくれている。
小学校に通い始めたら、これまでと全く違うやり方に慣れなくてはならず、賢い杏菜でも戸惑うに違いなかった。雑多な人間関係に、疲れさせられることもあるかもしれない。これまでは岡や大河から、杏菜の様子がいつもと違うと連絡をもらったら、週末が来るまでやきもきしなくてはならなかった。しかしこれからは、彼女に何かあれば、距離のことだけ言えば、すぐに駆けつけることができる。
暁斗はケーキを食べ終わってフォークを置いた杏菜に、言い含める。
「杏菜ちゃん、暁斗おじちゃんと奏人おにいちゃんのスマホの電話番号を教えるから、これから何かあったらまず電話してきたらいいよ」
電話、と杏菜はぽつりと呟いた。使ったことがないのだと思い当たる。よく考えると当たり前で、暁斗の実家には今も固定電話があるが、初めて友達の家に電話をかけたのは、たぶん小学校高学年になってからだった。もちろん杏菜は、自分用の携帯電話など所持していない。
「お母さんに借りるか、えーっと……公衆電話って見たことある?」
「こうしゅう?」
杏菜に会話が通じていないことに、奏人もやや危機感を抱いたようだった。
「この建物の中に無いかな、せめてどんなものか見たいとこだよね」
「後で探そう」
母親がいる杏菜に対して、自分たちがこんな風に動くのは、差し出がましいかもしれない。でも、小学生になるということは、今まで何もかも大人任せだった幼稚園児時代から一歩進んで、自分でできることをどんどん増やしていくことだとも思う。その手助けをするのは、これまで杏菜の成長を見守ってきた自分たちの責務でもある。身内でないからこそできることも、きっとあるはずだ。
暁斗はコーヒーを飲み干して、財布を開いた。伝票を見て、千円札を4枚出す。
「杏菜ちゃん、店を出る時にお金を払うんだけど、お願いしていいかな」
暁斗から差し出された札を、杏菜は驚いたように見た。
「杏菜が払うの?」
「やったことないよね? あそこにいるお姉さんに、渡せばいいだけだ……ちょっとだけお釣りが出るから、それは杏菜ちゃんのお小遣いにしていいよ」
などともったいぶって言うほどの金額ではないのだが、一応伝えておく。杏菜は軽い緊張を顔に浮かべた。そして、受け取った伝票と4枚の千円札を真剣に見比べる。
まだ算数を学んでいない杏菜なので、これはいわばお買い物ごっこだ。それでも一生続けることになる、お金を渡して領収書とお釣りを受け取るという作業は、もう経験しても良かった。
奏人は杏菜の顔をちらっと覗きこんでから、暁斗に微笑を向けた。入学準備は、モノを揃えることだけではない。そう実感した。
画面を指さしながら、奏人はゆっくり説明する。
「ここ、JR蒲田が杏菜ちゃんの家に一番近い電車の駅って聞いてるんだけど……僕たちの家に近い駅は隣の大森……ここだから、電車に乗ればすぐだよ」
杏菜は目を見開いて、お、と言った。いつも車ではるばるやってくる2人が比較的ご近所になるのは、想定外だったようだ。
「電車で1つだけ?」
「そうだよ、僕たちも岡さんから聞いてびっくりした」
杏菜の目が、奏人のスマートフォンの画面に釘づけになっている。
「え、じゃあ今までよりも会える?」
「うん、お母さんがいいよって言ってくれて、僕や暁斗さんが家にいる時は会えるよ」
さりげなく優美の許可を得るよう促しておくあたりが、奏人の気遣いだった。彼は、ヒステリックに杏菜の大切な色鉛筆を捨ててしまったことがある優美を、暁斗ほど信用していない。だから本当は、家で嫌なことがあったらいつでも来たらいいと、杏菜に伝えたいところなのだろう。
「まず杏菜ちゃんは、電車の乗り方を覚えるといいね」
「乗りたい、乗りたい」
杏菜は目をきらきらさせて、暁斗と奏人に言った。
その様子を見て、暁斗はしみじみとする。週末里親という制度を使うには至らなかったけれど、月に1回だけしか面会できなかったけれど、2年間でこの子と何らかの絆をつくることができた。
杏菜は施設を出て、来月から新しい生活を始める。もし、これでもう二度と会えないことになったら、どれだけ悲しいだろう。しかし彼女はこうして、これからも自分たちと顔を合わせることを望んでくれている。
小学校に通い始めたら、これまでと全く違うやり方に慣れなくてはならず、賢い杏菜でも戸惑うに違いなかった。雑多な人間関係に、疲れさせられることもあるかもしれない。これまでは岡や大河から、杏菜の様子がいつもと違うと連絡をもらったら、週末が来るまでやきもきしなくてはならなかった。しかしこれからは、彼女に何かあれば、距離のことだけ言えば、すぐに駆けつけることができる。
暁斗はケーキを食べ終わってフォークを置いた杏菜に、言い含める。
「杏菜ちゃん、暁斗おじちゃんと奏人おにいちゃんのスマホの電話番号を教えるから、これから何かあったらまず電話してきたらいいよ」
電話、と杏菜はぽつりと呟いた。使ったことがないのだと思い当たる。よく考えると当たり前で、暁斗の実家には今も固定電話があるが、初めて友達の家に電話をかけたのは、たぶん小学校高学年になってからだった。もちろん杏菜は、自分用の携帯電話など所持していない。
「お母さんに借りるか、えーっと……公衆電話って見たことある?」
「こうしゅう?」
杏菜に会話が通じていないことに、奏人もやや危機感を抱いたようだった。
「この建物の中に無いかな、せめてどんなものか見たいとこだよね」
「後で探そう」
母親がいる杏菜に対して、自分たちがこんな風に動くのは、差し出がましいかもしれない。でも、小学生になるということは、今まで何もかも大人任せだった幼稚園児時代から一歩進んで、自分でできることをどんどん増やしていくことだとも思う。その手助けをするのは、これまで杏菜の成長を見守ってきた自分たちの責務でもある。身内でないからこそできることも、きっとあるはずだ。
暁斗はコーヒーを飲み干して、財布を開いた。伝票を見て、千円札を4枚出す。
「杏菜ちゃん、店を出る時にお金を払うんだけど、お願いしていいかな」
暁斗から差し出された札を、杏菜は驚いたように見た。
「杏菜が払うの?」
「やったことないよね? あそこにいるお姉さんに、渡せばいいだけだ……ちょっとだけお釣りが出るから、それは杏菜ちゃんのお小遣いにしていいよ」
などともったいぶって言うほどの金額ではないのだが、一応伝えておく。杏菜は軽い緊張を顔に浮かべた。そして、受け取った伝票と4枚の千円札を真剣に見比べる。
まだ算数を学んでいない杏菜なので、これはいわばお買い物ごっこだ。それでも一生続けることになる、お金を渡して領収書とお釣りを受け取るという作業は、もう経験しても良かった。
奏人は杏菜の顔をちらっと覗きこんでから、暁斗に微笑を向けた。入学準備は、モノを揃えることだけではない。そう実感した。
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