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新人の世話、お任せください。
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小田亮太の所属する横浜市交響楽団、通称横響にこの春入団した新人は、3名。オーケストラの団員募集は、空きが出たらその都度おこなわれる場合が多いので、一般企業のようにぴちぴちの新入社員を歓迎する空気感は無い(新人が音大新卒であるとは限らない)。それでも新しい風が吹きこんでくる感じは、既存の団員を何処かわくわくさせる。
3名のうちの1人は、ドイツ留学から帰って半年のオーボイストだ。前任者がヨーロッパに武者修行に出かけたので、言わば入れ替わりだった。
その新人・松岡は、素晴らしい音色の持ち主だが、オーボエ吹きらしい変人オーラをまとっていて、曲者揃いの横響木管楽器群をもざわつかせた。クラリネットの亮太に近い場所に座って、いつも神経質そうにリードを触っている。まあこれはオーボイストあるあるで、同じリード楽器を扱う亮太も共感できるのだが、やたらと楽譜に顔を近づけ、音もなく唇を動かしてから楽器を構えるので、周辺のプレイヤーがやや引いている。
「亮太、おまえが行け」
コンサートマスターから指名を受けた亮太は、松岡の挙動不審にひと言申す役目を押しつけられた。他のオーボエ奏者まで、小田っちしかあいつに勝てんなどと、無責任なことを言う。
「好きにさせときゃいいじゃん、何で俺が……」
その日亮太はぶつぶつ言いながら、少し早めに着いた練習場の休憩室に向かった。すると件のオーボイストが、テーブルで手弁当らしきものを広げて、昼食中だった。
亮太は話題作りのチャンスと見て、迷わず松岡に近づいた。彼は亮太の足音に驚いたように振り返ったが、眼鏡をかけていたので、亮太のほうが驚いた。
「おはよう、松岡くんは近眼なのか?」
眼鏡の松岡は、普段眉間に皺を寄せてリードを削る彼からは想像できない愛嬌があった。いわゆる瓶底眼鏡で、松岡の目がくりくりして見え、可愛らしい。
松岡はぱっと眼鏡を外した。おはようございます、とぼそっと言い、箸を動かす。
亮太はそっと松岡の弁当箱を覗きこみ、野菜が足りない、と思う。
「自分で作るんだ、偉いな」
言いながら亮太は楽器ケースを置き、手弁当を開けた。亮太の実家はベーカリーショップで両親が忙しく、年の離れた妹と弟の面倒を長らく亮太が見てきたので、弁当作りもお手のものだ。
色鮮やかな亮太の弁当に、松岡が目を見張った。
「お、小田さん、それ……誰が作るんですか?」
「俺だよ」
「そ、それ作り方教えてください」
松岡が指差したのは、インゲンとニンジンを豚肉で巻き、甘辛たれを絡めたものだった。あまりの好反応に亮太は驚いたが、簡単なのでさくっと教えてやった。
「合奏の時も眼鏡したほうがいいぞ、もしかして楽譜あんまり見えてないんだよな?」
亮太は松岡の挙動不審の理由にぴんと来て、突っ込むことにする。聞くと、吹いた後の休みの小節数を、口の中で確認しているらしい。
呆れてしまい、少し亮太の口調が尖った。
「おいおい、そのうち楽譜見間違えてしくじるぞ」
すると松岡は、予想外の反論をしてきた。
「め、眼鏡かけて周りに可愛いとか言われるの、嫌なんです」
「え? じゃあコンタクトにしろよ」
「こっ、コンタクトは目が痛くなって駄目で」
馬鹿かこいつ。亮太は開いた口が塞がらなかったが、ふと学生時代からの友人である、バリトン歌手のことを思い浮かべる。
その男も可愛らしいところがあり、亮太は彼が大好きなのだが、可愛いと言うとやや不機嫌になった。松岡はもしかすると留学中も、ただでさえ日本人は若く見えるところを、実年齢よりかなり下に見られて嫌な思いをしたのかもしれない。
それとおそらく、松岡はやや吃音の気がある。あれだけ吹けるのだから堂々としていればいいと思うが、やはり本人には引け目があるのだろう。
基本的に亮太は世話焼きである。父性だか母性だかわからないものが、この新人に対して動き出す。
「わかった、今日練習が終わってから眼鏡屋に行くぞ」
松岡は、ええっ! と声を裏返した。反論は許さない。亮太はたたみ掛ける。
「なるべく可愛く見えない眼鏡を探そう、今のおまえにはリードを作るより大事だ」
「え? いや、リード作るほうが大事ですけど」
「合奏で出るとこ間違えたら袋叩きにされるぞ……オケはソロとは違うんだ、ごまかせないことも多いんだから」
袋叩きは無いだろうが、あまり度々やらかすとクビ直結である。冗談ではないのだ。
嫌われたかな、と思いながら、亮太が松岡の顔を見ると、彼は亮太に今まで見せたことの無い、憧憬のようなものの混じった視線を送ってきていた。
「小田さんがそうおっしゃるなら、め、眼鏡屋行きます、手持ち少ないんですけど足りなかったら借りていいですか?」
「は? クレジットカード使えるだろ?」
亮太が返すと、あ、はい、そうですね、と松岡はおたおたと言った。それを見て、亮太は思った。
何だこいつ、可愛いじゃん。これから世話焼いてやろう。
*初出 2024.6.15 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「父性」「リード」
お題の「リード」はleadだと思うのですが、敢えてreed(葦、木管楽器がマウスピースにつける薄片)で取りました。多くの木管楽器は、リードを震わせることで音を出します。
『彼はオタサーの姫』の小田亮太が吹くクラリネットは1枚、松岡くんが吹くオーボエは2枚のリードを使います。ダブルリードの楽器の人たちは、フルート吹きの私には想像もつかないレベルで、リードの状態に日々神経を使っているのです。
自分が老眼にならなければ、この物語は思いつかなかったかもしれません。目が悪いと、楽譜を見るのは結構辛いです。松岡くんは、自分の容姿よりきちんと楽譜を読むことを優先すべきですよね……ちなみに亮太は、面倒を見たくなる=恋心が芽生える男です。
3名のうちの1人は、ドイツ留学から帰って半年のオーボイストだ。前任者がヨーロッパに武者修行に出かけたので、言わば入れ替わりだった。
その新人・松岡は、素晴らしい音色の持ち主だが、オーボエ吹きらしい変人オーラをまとっていて、曲者揃いの横響木管楽器群をもざわつかせた。クラリネットの亮太に近い場所に座って、いつも神経質そうにリードを触っている。まあこれはオーボイストあるあるで、同じリード楽器を扱う亮太も共感できるのだが、やたらと楽譜に顔を近づけ、音もなく唇を動かしてから楽器を構えるので、周辺のプレイヤーがやや引いている。
「亮太、おまえが行け」
コンサートマスターから指名を受けた亮太は、松岡の挙動不審にひと言申す役目を押しつけられた。他のオーボエ奏者まで、小田っちしかあいつに勝てんなどと、無責任なことを言う。
「好きにさせときゃいいじゃん、何で俺が……」
その日亮太はぶつぶつ言いながら、少し早めに着いた練習場の休憩室に向かった。すると件のオーボイストが、テーブルで手弁当らしきものを広げて、昼食中だった。
亮太は話題作りのチャンスと見て、迷わず松岡に近づいた。彼は亮太の足音に驚いたように振り返ったが、眼鏡をかけていたので、亮太のほうが驚いた。
「おはよう、松岡くんは近眼なのか?」
眼鏡の松岡は、普段眉間に皺を寄せてリードを削る彼からは想像できない愛嬌があった。いわゆる瓶底眼鏡で、松岡の目がくりくりして見え、可愛らしい。
松岡はぱっと眼鏡を外した。おはようございます、とぼそっと言い、箸を動かす。
亮太はそっと松岡の弁当箱を覗きこみ、野菜が足りない、と思う。
「自分で作るんだ、偉いな」
言いながら亮太は楽器ケースを置き、手弁当を開けた。亮太の実家はベーカリーショップで両親が忙しく、年の離れた妹と弟の面倒を長らく亮太が見てきたので、弁当作りもお手のものだ。
色鮮やかな亮太の弁当に、松岡が目を見張った。
「お、小田さん、それ……誰が作るんですか?」
「俺だよ」
「そ、それ作り方教えてください」
松岡が指差したのは、インゲンとニンジンを豚肉で巻き、甘辛たれを絡めたものだった。あまりの好反応に亮太は驚いたが、簡単なのでさくっと教えてやった。
「合奏の時も眼鏡したほうがいいぞ、もしかして楽譜あんまり見えてないんだよな?」
亮太は松岡の挙動不審の理由にぴんと来て、突っ込むことにする。聞くと、吹いた後の休みの小節数を、口の中で確認しているらしい。
呆れてしまい、少し亮太の口調が尖った。
「おいおい、そのうち楽譜見間違えてしくじるぞ」
すると松岡は、予想外の反論をしてきた。
「め、眼鏡かけて周りに可愛いとか言われるの、嫌なんです」
「え? じゃあコンタクトにしろよ」
「こっ、コンタクトは目が痛くなって駄目で」
馬鹿かこいつ。亮太は開いた口が塞がらなかったが、ふと学生時代からの友人である、バリトン歌手のことを思い浮かべる。
その男も可愛らしいところがあり、亮太は彼が大好きなのだが、可愛いと言うとやや不機嫌になった。松岡はもしかすると留学中も、ただでさえ日本人は若く見えるところを、実年齢よりかなり下に見られて嫌な思いをしたのかもしれない。
それとおそらく、松岡はやや吃音の気がある。あれだけ吹けるのだから堂々としていればいいと思うが、やはり本人には引け目があるのだろう。
基本的に亮太は世話焼きである。父性だか母性だかわからないものが、この新人に対して動き出す。
「わかった、今日練習が終わってから眼鏡屋に行くぞ」
松岡は、ええっ! と声を裏返した。反論は許さない。亮太はたたみ掛ける。
「なるべく可愛く見えない眼鏡を探そう、今のおまえにはリードを作るより大事だ」
「え? いや、リード作るほうが大事ですけど」
「合奏で出るとこ間違えたら袋叩きにされるぞ……オケはソロとは違うんだ、ごまかせないことも多いんだから」
袋叩きは無いだろうが、あまり度々やらかすとクビ直結である。冗談ではないのだ。
嫌われたかな、と思いながら、亮太が松岡の顔を見ると、彼は亮太に今まで見せたことの無い、憧憬のようなものの混じった視線を送ってきていた。
「小田さんがそうおっしゃるなら、め、眼鏡屋行きます、手持ち少ないんですけど足りなかったら借りていいですか?」
「は? クレジットカード使えるだろ?」
亮太が返すと、あ、はい、そうですね、と松岡はおたおたと言った。それを見て、亮太は思った。
何だこいつ、可愛いじゃん。これから世話焼いてやろう。
*初出 2024.6.15 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「父性」「リード」
お題の「リード」はleadだと思うのですが、敢えてreed(葦、木管楽器がマウスピースにつける薄片)で取りました。多くの木管楽器は、リードを震わせることで音を出します。
『彼はオタサーの姫』の小田亮太が吹くクラリネットは1枚、松岡くんが吹くオーボエは2枚のリードを使います。ダブルリードの楽器の人たちは、フルート吹きの私には想像もつかないレベルで、リードの状態に日々神経を使っているのです。
自分が老眼にならなければ、この物語は思いつかなかったかもしれません。目が悪いと、楽譜を見るのは結構辛いです。松岡くんは、自分の容姿よりきちんと楽譜を読むことを優先すべきですよね……ちなみに亮太は、面倒を見たくなる=恋心が芽生える男です。
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