ほさちのBL小品詰め合わせ

穂祥 舞

文字の大きさ
32 / 93

ただ歌が聴こえている

しおりを挟む
 俺の会社は上野にある、しょぼくれた広告代理店だ。主に大会社の下請けをしていて、親会社の担当者にいつも居丈高な態度を取られ憤懣やるかたないことも多いが、こちらの中は社員が比較的仲が良いのが救いである。
 会社周辺には飲食店が多く飲み会の場所には困らない。またこの周辺での飲み会で特徴的なことは、駅の反対側にある芸大の音楽学部の学生が飲んでいることがあり、同じ店にいるとたまに酔っ払って演奏してくれる。特に声楽科の学生たちのノリが突き抜けていて、手拍子をするといくらでも歌ってくれるのだ。
 俺はこの会社に10年勤めているから、これまで歌ってくれた彼ら彼女らのうち何人かは、きっと歌手として活躍しているのだろうと思う。でもクラシックに興味が無いので、あの時の子だ、と会社で話題になったことはない。まあ、こちらも馬鹿ほど飲んでいるので、学生たちの顔を覚えていないのだが。
 その年の社の暑気払いでは、2次会でカラオケボックスに繰り出した。取引先への鬱憤を晴らすべく、ビールをがぶがぶ飲みながら大騒ぎしていると、歌の切れ目でいきなり部屋のドアが開いた。フライドポテトを持って来た店員だとばかり思っていた俺たちは、そこに見知らぬ若い男性が立っていたので、一斉に固まった。
 しんとする中、彼は明らかに躊躇ったが、後ろに立つ女性に背中を突かれて話し出す。

「お楽しみのところすみません、私そこの芸大の声楽専攻の学生なんですけど、1曲歌わせてもらえませんか?」

 俺たちは互いに顔を見合わせて、いいよ! おっけ! いらっしゃい! とすぐに彼を歓迎した。声楽専攻と言ったので、もしかすると院生かもしれない。上手いことはわかっているので、皆異存は無く、むしろ楽しみだった。
 中肉中背のやや可愛らしい顔立ちの男性は、ぺこりと頭を下げて部屋に入ってきた。連れの女性が、これは彼が前期試験での賭けに負けた罰ゲームで、これから証拠のために撮影するが、皆さんの顔は映らないようにすると律儀に説明した。

「え、別に映ってもいいし、俺たちも撮影していい?」

 俺の後輩が訊くと、2人はあっさりと承諾した。さすが肝が据わっている。

「私が知ってる曲でしたら、リクエストにお応えします」

 彼の言葉に、おおっ、と俺たちは感嘆の声を上げて曲を探す。彼がゆったりした曲のほうが得意かも、と言うので、バラードをリサーチする。1年先輩の女性が、こともあろうに女性ヴォーカルの名曲をリクエストしたが、彼は歌えると言った。

「ありがとうございます、ではお耳汚しではございますが」

 言い回しが可笑しい。彼も飲んでいるのだろう。くすくす笑いが起こる中、三線の前奏が始まり、彼はすっと立ち姿を整えて歌い始めた。

「『何故に陽炎かげろうはゆらめいて……黄泉よみへと誘う澪標みおつくしか」』

 彼はマイクをかなり離していたが、クラシックらしくない少し息混じりの声は、部屋の中を優しく満たした。え、めちゃいい声、とリクエストした先輩がスマホ片手に身を乗り出す。
 彼の顔に似合わない、しっとりした美声に俺も驚いた。間奏の後、彼は沖縄風のあのしゃくりまで巧みに入れ始める。
 実のところ、俺はこの曲をあまり聴きたくなかった。社会人になって知り合い交際していた、奄美出身の恋人を思い出すからだ。
 その人はたまに三線やギターで弾き語りをしてくれ、俺は彼の部屋でいつも歌をせがみ、この曲も何度か聴かせてくれたのだった。しかし、故郷で家業を継がなくてはならなくなった恋人に俺がついて行くことは叶わず、別れるしかなかった。

「『だけどずっと、ああずっと、此処にいてあげる……ただ風が吹いている』」

 俺の古傷を、若い歌手の声がそっと撫でていく。不思議だったが、不愉快ではなかった。声が似ているわけではないのに、優しく包み込まれる感じが懐かしかった。
 後奏の三線の音が消えると、部屋の中は拍手喝采になり、泣いている者もいた。俺も、涙を堪えるのが大変だった。
 平凡な容姿の美声の歌手は、何度も頭を下げて、ありがとうございます、と笑顔で言った。



 10年後。あの歌手は、300人が入るコンサートホールでソロコンサートをするまでになっていた。俺たちの酒の席で歌ってくれた若者たちの中で、俺が唯一、その後のことを調べた歌い手だ。
 俺はこれから彼の歌を、奄美から出てきてくれる恋人と聴きに行く。あの時このバリトン歌手が歌った歌が、俺の背中を押した。もう一度会いたいという俺の言葉に、恋人が応えてくれた。若い頃よりもお互いを思いやる気持ちが増したようで、そうしばしば会えないけれど、8年間遠距離恋愛中だ。
 だからこの歌手が、恋人と俺とを再び繋いでくれたと、俺は勝手に感謝している。


挿入歌「ただ風が吹いている」 元ちとせ(2004)/岡本定義(詞・曲)


*初出 2024.7.14 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「カラオケ」「イケボ」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

邪魔はさせない

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 病棟で知り合った2人。生まれ変わって異世界で冒険者になる夢を叶えたい!

視線の先

茉莉花 香乃
BL
放課後、僕はあいつに声をかけられた。 「セーラー服着た写真撮らせて?」 ……からかわれてるんだ…そう思ったけど…あいつは本気だった ハッピーエンド 他サイトにも公開しています

白花の檻(はっかのおり)

AzureHaru
BL
その世界には、生まれながらに祝福を受けた者がいる。その祝福は人ならざるほどの美貌を与えられる。 その祝福によって、交わるはずのなかった2人の運命が交わり狂っていく。 この出会いは祝福か、或いは呪いか。 受け――リュシアン。 祝福を授かりながらも、決して傲慢ではなく、いつも穏やかに笑っている青年。 柔らかな白銀の髪、淡い光を湛えた瞳。人々が息を呑むほどの美しさを持つ。 攻め――アーヴィス。 リュシアンと同じく祝福を授かる。リュシアン以上に人の域を逸脱した容姿。 黒曜石のような瞳、彫刻のように整った顔立ち。 王国に名を轟かせる貴族であり、数々の功績を誇る英雄。

彼はオタサーの姫

穂祥 舞
BL
東京の芸術大学の大学院声楽専攻科に合格した片山三喜雄は、初めて故郷の北海道から出て、東京に引っ越して来た。 高校生の頃からつき合いのある塚山天音を筆頭に、ちょっと癖のある音楽家の卵たちとの学生生活が始まる……。 魅力的な声を持つバリトン歌手と、彼の周りの音楽男子大学院生たちの、たまに距離感がおかしいあれこれを描いた連作短編(中編もあり)。音楽もてんこ盛りです。 ☆表紙はtwnkiさま https://coconala.com/users/4287942 にお願いしました! BLというよりは、ブロマンスに近いです(ラブシーン皆無です)。登場人物のほとんどが自覚としては異性愛者なので、女性との関係を匂わせる描写があります。 大学・大学院は実在します(舞台が2013年のため、一部過去の学部名を使っています)が、物語はフィクションであり、各学校と登場人物は何ら関係ございません。また、筆者は音楽系の大学・大学院卒ではありませんので、事実とかけ離れた表現もあると思います。 高校生の三喜雄の物語『あいみるのときはなかろう』もよろしければどうぞ。もちろん、お読みでなくても楽しんでいただけます。

泣き虫な俺と泣かせたいお前

ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。 アパートも隣同士で同じ大学に通っている。 直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。 そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

ある日、友達とキスをした

Kokonuca.
BL
ゲームで親友とキスをした…のはいいけれど、次の日から親友からの連絡は途切れ、会えた時にはいつも僕がいた場所には違う子がいた

敵国の将軍×見捨てられた王子

モカ
BL
敵国の将軍×見捨てられた王子

あなたの隣で初めての恋を知る

彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

処理中です...