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伝えることが難しくても
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「これからあんなことはしちゃいけない」
拓海はぽかんとしている杏哉に向かって、真剣に訴える。しかし彼はだんだん困った表情になる。自分が巻き込まれた厄介ごとの重大さを理解していないのは明らかだった。
杏哉は最新鋭のAIを搭載したヒューマノイドだ。彼は拓海の事故死した婚約者の家族によって、婚約者に似せて作られ、心の傷が癒えない拓海の許に送りこまれた(男性になったのは、杏哉をつくった研究者が、死んだ娘そのもののようにするのは倫理に悖ると考えたからだった)。杏哉と同じタイプのヒューマノイドが、より人の生活に寄り添った業務に今後参画できるかどうか、研究者や企業が実験している側面もある。
拓海と生活し、拓海が仕事に行っている時間に家事をしたりアルバイトをしたりする日々の中で、杏哉の頭の中のAIが学び、成長する。杏哉は本当に優秀で、拓海もその変化にいつも驚かされる。しかしたまに、言葉で説明しづらい人間の感情を、杏哉に理解させるのが困難な時がある。
「そやけどあのお客さんは、拓海さんが言うみたいに、僕を傷つけよとしたんやない」
やはり、わかっていない。拓海は溜め息を我慢した。
杏哉はバイト先のカフェで、常連客の男からしばしば声をかけられていた。店長が、保護責任者である拓海に報告をくれて、一緒に働く人たちも、ストーカーじみてきた男と杏哉が顔を合わさないよう気を遣ってくれていた。しかし杏哉自身は、男に対して特に悪い感情を持っていなかったのだ。
男は仕事が終わった杏哉を待ち伏せし、自分の部屋に誘った。杏哉はほいほいついて行き、服を脱がされかけた。男が杏哉を部屋に連れ込むのを見て、不審に思った近所の住人が警察に連絡していたため、事なきを得たのだった。
杏哉の帰宅が自分より遅いので、心配になった拓海がカフェに連絡し、大騒ぎになったところに警察から連絡が来た。美しいヒューマノイドに性的興奮を覚えるその男は、既に何件かの「窃盗」と「器物損壊」、対人間でいうところの拐取と性的暴行を繰り返していた。
拓海は頭を捻りながら、杏哉に説明する。
「前に説明したよね? 家族以外のよく知らない人に、裸を見せるのはいけないことだって」
拓海の家に初めて来た日の夜、杏哉は浴室から素っ裸で出てきた。驚いた拓海は、局部は隠せとすぐに説諭したのだ。
「え? 下半身って拓海さん言うたよ、あの人が見ようとしたのは上半身で」
あっけらかんとした杏哉の言葉に、ぞっとした。拓海はめまいを堪えつつ、話す。
「たぶんあいつはそのままにしていたら、下半身も見たいと言ったはずだ」
「そやったらその時に、あかんて言うたらええことやろ?」
それで止めてくれると思っているのか。杏哉の中には、羞恥心や、自分に向けられる悪意への危機感が無い。
どうやったら、教えられるんだ。
苦悩する拓海は、試しに言い方を変えてみた。
「杏哉くんは俺の大切な人だ、大切な人がよく知らない相手からそういう……性的な欲望を一方的に向けられて無理強いされかけるのを見るのは、俺自身がそんな目に遭う以上に嫌だ」
杏哉は黙って拓海の顔を見ていたが、やがて目を伏せ、小さな声で謝った。
「ごめんなさい」
「何に対して謝ってる?」
「拓海さんが僕のせいで嫌な気持ちになったこと」
謝罪の方向性がやや違う気がするが、拓海が怒るだけでなく心配していることは、わかってくれたようだった。
「ああ……だからたとえば、もし小さな子どもが、家族以外の人に連れて行かれそうになるのを見たら、すぐに助けるか警察に連絡しなきゃいけない」
「それは誘拐やろ、犯罪や」
杏哉が真面目に応じるので、とんちんかんで笑いそうになってしまう。
「昨日杏哉くんは、同じ目に遭いかけた」
拓海の言葉に、杏哉は大きな美しい目をぱちぱちさせる。
「違うと思うけど」
「一緒だ、だって俺は杏哉くんが何処に連れて行かれたのか全くわからなかったんだから」
拓海は杏哉の目を見た。人間と同じようには理解できなくても、とりあえずよくないことが自分の身に起こりかけたという事実を、何処かに刻んでほしかった。
杏哉はしょんぼりとうなだれてしまった。
「ごめんなさい、何かこの辺が痛くなってきた」
杏哉は、白い右手をぱっと胸に当てる。人工の身体の彼が、そんなものを感じるはずはないのだが、拓海は黙って聞いてやる。
「これが罪悪感なんかな」
「……かもしれないね」
拓海は時々こんな風に、子どものようなことを言う杏哉を、可愛いと思う。だから、彼を守りたい。
杏哉に薄汚い欲望を向けるような奴は、男でも女でも容赦しない。拓海の中に潜む激情は、親が子に対して抱くものとはおそらく少し違うが、今はそれについてあまり考えないことにした。
*初出 2025.3.1 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「謝罪」「罪悪感」
以前一度書いた、ハイスペックなヒューマノイド(メイドイン関西)と美術品修復士。これは長編にして、いつか上げたいと思っています。首都直下型地震と南海トラフ地震が来た後、人口がさらに減った近未来の日本が舞台で、ヒューマノイドが社会で重要な位置を占め始めていて、彼らの「人権」をどうするかとかで揉めてるんですよ……(楽しい。でも絶対辛気臭い話になる)。
拓海はぽかんとしている杏哉に向かって、真剣に訴える。しかし彼はだんだん困った表情になる。自分が巻き込まれた厄介ごとの重大さを理解していないのは明らかだった。
杏哉は最新鋭のAIを搭載したヒューマノイドだ。彼は拓海の事故死した婚約者の家族によって、婚約者に似せて作られ、心の傷が癒えない拓海の許に送りこまれた(男性になったのは、杏哉をつくった研究者が、死んだ娘そのもののようにするのは倫理に悖ると考えたからだった)。杏哉と同じタイプのヒューマノイドが、より人の生活に寄り添った業務に今後参画できるかどうか、研究者や企業が実験している側面もある。
拓海と生活し、拓海が仕事に行っている時間に家事をしたりアルバイトをしたりする日々の中で、杏哉の頭の中のAIが学び、成長する。杏哉は本当に優秀で、拓海もその変化にいつも驚かされる。しかしたまに、言葉で説明しづらい人間の感情を、杏哉に理解させるのが困難な時がある。
「そやけどあのお客さんは、拓海さんが言うみたいに、僕を傷つけよとしたんやない」
やはり、わかっていない。拓海は溜め息を我慢した。
杏哉はバイト先のカフェで、常連客の男からしばしば声をかけられていた。店長が、保護責任者である拓海に報告をくれて、一緒に働く人たちも、ストーカーじみてきた男と杏哉が顔を合わさないよう気を遣ってくれていた。しかし杏哉自身は、男に対して特に悪い感情を持っていなかったのだ。
男は仕事が終わった杏哉を待ち伏せし、自分の部屋に誘った。杏哉はほいほいついて行き、服を脱がされかけた。男が杏哉を部屋に連れ込むのを見て、不審に思った近所の住人が警察に連絡していたため、事なきを得たのだった。
杏哉の帰宅が自分より遅いので、心配になった拓海がカフェに連絡し、大騒ぎになったところに警察から連絡が来た。美しいヒューマノイドに性的興奮を覚えるその男は、既に何件かの「窃盗」と「器物損壊」、対人間でいうところの拐取と性的暴行を繰り返していた。
拓海は頭を捻りながら、杏哉に説明する。
「前に説明したよね? 家族以外のよく知らない人に、裸を見せるのはいけないことだって」
拓海の家に初めて来た日の夜、杏哉は浴室から素っ裸で出てきた。驚いた拓海は、局部は隠せとすぐに説諭したのだ。
「え? 下半身って拓海さん言うたよ、あの人が見ようとしたのは上半身で」
あっけらかんとした杏哉の言葉に、ぞっとした。拓海はめまいを堪えつつ、話す。
「たぶんあいつはそのままにしていたら、下半身も見たいと言ったはずだ」
「そやったらその時に、あかんて言うたらええことやろ?」
それで止めてくれると思っているのか。杏哉の中には、羞恥心や、自分に向けられる悪意への危機感が無い。
どうやったら、教えられるんだ。
苦悩する拓海は、試しに言い方を変えてみた。
「杏哉くんは俺の大切な人だ、大切な人がよく知らない相手からそういう……性的な欲望を一方的に向けられて無理強いされかけるのを見るのは、俺自身がそんな目に遭う以上に嫌だ」
杏哉は黙って拓海の顔を見ていたが、やがて目を伏せ、小さな声で謝った。
「ごめんなさい」
「何に対して謝ってる?」
「拓海さんが僕のせいで嫌な気持ちになったこと」
謝罪の方向性がやや違う気がするが、拓海が怒るだけでなく心配していることは、わかってくれたようだった。
「ああ……だからたとえば、もし小さな子どもが、家族以外の人に連れて行かれそうになるのを見たら、すぐに助けるか警察に連絡しなきゃいけない」
「それは誘拐やろ、犯罪や」
杏哉が真面目に応じるので、とんちんかんで笑いそうになってしまう。
「昨日杏哉くんは、同じ目に遭いかけた」
拓海の言葉に、杏哉は大きな美しい目をぱちぱちさせる。
「違うと思うけど」
「一緒だ、だって俺は杏哉くんが何処に連れて行かれたのか全くわからなかったんだから」
拓海は杏哉の目を見た。人間と同じようには理解できなくても、とりあえずよくないことが自分の身に起こりかけたという事実を、何処かに刻んでほしかった。
杏哉はしょんぼりとうなだれてしまった。
「ごめんなさい、何かこの辺が痛くなってきた」
杏哉は、白い右手をぱっと胸に当てる。人工の身体の彼が、そんなものを感じるはずはないのだが、拓海は黙って聞いてやる。
「これが罪悪感なんかな」
「……かもしれないね」
拓海は時々こんな風に、子どものようなことを言う杏哉を、可愛いと思う。だから、彼を守りたい。
杏哉に薄汚い欲望を向けるような奴は、男でも女でも容赦しない。拓海の中に潜む激情は、親が子に対して抱くものとはおそらく少し違うが、今はそれについてあまり考えないことにした。
*初出 2025.3.1 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「謝罪」「罪悪感」
以前一度書いた、ハイスペックなヒューマノイド(メイドイン関西)と美術品修復士。これは長編にして、いつか上げたいと思っています。首都直下型地震と南海トラフ地震が来た後、人口がさらに減った近未来の日本が舞台で、ヒューマノイドが社会で重要な位置を占め始めていて、彼らの「人権」をどうするかとかで揉めてるんですよ……(楽しい。でも絶対辛気臭い話になる)。
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