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第5話
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年が明け昭和15年となった。
初代天皇である神武天皇が即位してから2600年を迎え、2月11日の紀元節には各地の神社で行事なども行われるらしい。
すなわち皇紀2600年という目出度い年であった。
そんな時、町中で正二と出会った。
正二とは時たま同じ仕事をすることもあり顔を合わせてもいたのだが、この日は何となく浮かない顔をしていた。
「正二、元気がないようだが何かあったのか。」
「実は…、去年の8月に兄ちゃんが死んだっていうんだ。満州の奥のノモンハンとか言うところらしい。何日か前に戦死公報が届いた。」
3年前に支那との戦争が起きてから、国の中は少しずつではあるが戦時色を強めつつあり、近隣の家からも戦死者が出たという話は聞こえていた。
「負傷して帰ってきた同じ部隊の人が教えてくれたんだけどな、和人の兵隊たちが兄ちゃんのことを ”アイヌの熊撃ち名人” だってさんざんおだてて、危ない役目を全部押し付けたそうだ。そいつらのせいで死んだらしい。ひでえことしやがって。」
「そうだったのか…。」
「兄ちゃんが帰ってくるまで頑張ればと思っていたけど、そういうわけにもいかなくなった。」
「そういうわけにもって、どこかに行くのか。」
「うちは、親父が工事現場で怪我をして無理できなくなっちまったんだ。それに弟や妹もいるし、俺がしっかり稼がないといけなくてな。だから、釧路へ行こうと思ってる。漁船に乗せてもらうつもりだ。賃金も高いって話だ。尊も元気でな。」
「漁船に乗るのか…。」
確かに賃金が高いらしいが、それは炭鉱と同じで危険を伴うからに決まっている。
「釧路はこことは違って都会らしいからな。映画館なんかもあるっていうから、ちょっと楽しみなんだ。」
無理にでも明るくしようとしているのか、寂しそうな笑顔で話す正二を見ていると、それまで身近に感じなかった戦争がいつかは自分と家族をも巻き込んでしまうかのような、そんな予感がしていた。
正二が釧路に向かった頃、尊の妹の恵子が尋常小学校に入学することとなった。
恵子は尊とは10歳違いであり、まだ幼いころに父が亡くなったこともあり、尊が父親代わりのようでもあった。
学校に通うようになったことが嬉しかったのか、はじめのころは楽しそうに登校していたのだが、入学してからしばらく経った頃から、恵子は学校を休みがちになった。
元来、おとなしい子ではあったが、どうも様子がおかしい。
心配になった尊は恵子に尋ねてみたのだが、言い知れぬ不安と嫌な予感がしていた。
「どうした、学校で先生に怒られたか。それとも、友達がなかなかできないとか。」
心配をかけたくないのか、はじめのうちは何も言わなかったのだが、目に涙を溜めながら少しずつ話し始めた。
「みんながアイヌだっていじめる。お前は半分はアイヌだって。”あいのこ”だって。」
「!」
やはりそうだったのか。
差別を受ける者にとっては、学校に通うこと自体が苦しみであり戦いでもあった。
尊も経験はあったが男だったこともあり、時には喧嘩をしたこともある。
どんなにバカにされても、喧嘩に負けても、絶対に学校を休まなかった。
一度でも休んでしまったら二度と登校できないような気がしたからだ。
登校し続けることが、尊の戦い方だった。
それに、正二や兵吉も一緒だったために耐えることができた。
しかし、女の子の恵子にとってはさぞや辛いことだろう。
「先生は味方になってくれないのか。」
「なってくれない。」
「そうなのか…」
「算数の問題を間違えたときに、お前はアイヌ勘定しかできないのかって先生に言われた。」
衝撃だった。
昔、和人がアイヌと交易を行うときに、アイヌを騙してごまかす際のいい加減な数え方を「アイヌ勘定」と呼んだりしていた。
教師といっても皆が人格者ではないのだから、口の悪い者もいるだろう。
しかし、小さな子に対してこれはあまりにも酷い。
そんなことを言う教師がいるとは…。
それから数日、妹のことが頭から離れなかった。
同じ日本人だと認められさえすれば、こんな目に遭うことはないだろうに。
そして、以前から考えていたのだが、尊はある結論に達した。
「軍隊へ志願する。」
戦時色が強まる昨今、徴兵前の未成年でありながらも、陸軍や海軍へ志願する者が少なからずいた。
中には、人気の高い少年戦車兵や少年航空兵を志願する者もいる。
国のために兵隊になった者が家族にいれば、周りの目もいくらかは変わるだろう。
それに、ただで飯を食わせてくれるうえに、着るものも寝床も与えられる。
給金を家族に送ることで、金銭的にも助けになるかもしれない。
尊は自分の考えを思い切って母に話してみた。
「軍隊へ志願しようと思う。」
「あんた、まだ17歳だよ。なにも、今から兵隊に行かなくても。どっちにしろあと3年もすれば嫌でも兵隊にとられるんだよ。」
当然ながら母は反対したのだが、尊の気持ちは変わらなかった。
「俺は子どもだから、ここで働いてもそんなに金にはならない。軍隊に行くことでこの家の食い扶持も減る。それに、軍隊では衣食住の心配がないから給金を母さんに送ってあげることだってできる。」
「あんたがそんなことしなくたって、今をなんとか乗り切れば…」
母は今にも泣きそうな顔をして必死に尊を説得しようとした。
「もう決めたんだ。正二だって命を張って漁船に乗っている。時化に吞み込まれてしまえば海の藻屑だ。そうやって家族を助けようとしているんだ。」
そして、最後にこう言うのであった。
「母さん、このままだったら何も変わらないんだ…」
初代天皇である神武天皇が即位してから2600年を迎え、2月11日の紀元節には各地の神社で行事なども行われるらしい。
すなわち皇紀2600年という目出度い年であった。
そんな時、町中で正二と出会った。
正二とは時たま同じ仕事をすることもあり顔を合わせてもいたのだが、この日は何となく浮かない顔をしていた。
「正二、元気がないようだが何かあったのか。」
「実は…、去年の8月に兄ちゃんが死んだっていうんだ。満州の奥のノモンハンとか言うところらしい。何日か前に戦死公報が届いた。」
3年前に支那との戦争が起きてから、国の中は少しずつではあるが戦時色を強めつつあり、近隣の家からも戦死者が出たという話は聞こえていた。
「負傷して帰ってきた同じ部隊の人が教えてくれたんだけどな、和人の兵隊たちが兄ちゃんのことを ”アイヌの熊撃ち名人” だってさんざんおだてて、危ない役目を全部押し付けたそうだ。そいつらのせいで死んだらしい。ひでえことしやがって。」
「そうだったのか…。」
「兄ちゃんが帰ってくるまで頑張ればと思っていたけど、そういうわけにもいかなくなった。」
「そういうわけにもって、どこかに行くのか。」
「うちは、親父が工事現場で怪我をして無理できなくなっちまったんだ。それに弟や妹もいるし、俺がしっかり稼がないといけなくてな。だから、釧路へ行こうと思ってる。漁船に乗せてもらうつもりだ。賃金も高いって話だ。尊も元気でな。」
「漁船に乗るのか…。」
確かに賃金が高いらしいが、それは炭鉱と同じで危険を伴うからに決まっている。
「釧路はこことは違って都会らしいからな。映画館なんかもあるっていうから、ちょっと楽しみなんだ。」
無理にでも明るくしようとしているのか、寂しそうな笑顔で話す正二を見ていると、それまで身近に感じなかった戦争がいつかは自分と家族をも巻き込んでしまうかのような、そんな予感がしていた。
正二が釧路に向かった頃、尊の妹の恵子が尋常小学校に入学することとなった。
恵子は尊とは10歳違いであり、まだ幼いころに父が亡くなったこともあり、尊が父親代わりのようでもあった。
学校に通うようになったことが嬉しかったのか、はじめのころは楽しそうに登校していたのだが、入学してからしばらく経った頃から、恵子は学校を休みがちになった。
元来、おとなしい子ではあったが、どうも様子がおかしい。
心配になった尊は恵子に尋ねてみたのだが、言い知れぬ不安と嫌な予感がしていた。
「どうした、学校で先生に怒られたか。それとも、友達がなかなかできないとか。」
心配をかけたくないのか、はじめのうちは何も言わなかったのだが、目に涙を溜めながら少しずつ話し始めた。
「みんながアイヌだっていじめる。お前は半分はアイヌだって。”あいのこ”だって。」
「!」
やはりそうだったのか。
差別を受ける者にとっては、学校に通うこと自体が苦しみであり戦いでもあった。
尊も経験はあったが男だったこともあり、時には喧嘩をしたこともある。
どんなにバカにされても、喧嘩に負けても、絶対に学校を休まなかった。
一度でも休んでしまったら二度と登校できないような気がしたからだ。
登校し続けることが、尊の戦い方だった。
それに、正二や兵吉も一緒だったために耐えることができた。
しかし、女の子の恵子にとってはさぞや辛いことだろう。
「先生は味方になってくれないのか。」
「なってくれない。」
「そうなのか…」
「算数の問題を間違えたときに、お前はアイヌ勘定しかできないのかって先生に言われた。」
衝撃だった。
昔、和人がアイヌと交易を行うときに、アイヌを騙してごまかす際のいい加減な数え方を「アイヌ勘定」と呼んだりしていた。
教師といっても皆が人格者ではないのだから、口の悪い者もいるだろう。
しかし、小さな子に対してこれはあまりにも酷い。
そんなことを言う教師がいるとは…。
それから数日、妹のことが頭から離れなかった。
同じ日本人だと認められさえすれば、こんな目に遭うことはないだろうに。
そして、以前から考えていたのだが、尊はある結論に達した。
「軍隊へ志願する。」
戦時色が強まる昨今、徴兵前の未成年でありながらも、陸軍や海軍へ志願する者が少なからずいた。
中には、人気の高い少年戦車兵や少年航空兵を志願する者もいる。
国のために兵隊になった者が家族にいれば、周りの目もいくらかは変わるだろう。
それに、ただで飯を食わせてくれるうえに、着るものも寝床も与えられる。
給金を家族に送ることで、金銭的にも助けになるかもしれない。
尊は自分の考えを思い切って母に話してみた。
「軍隊へ志願しようと思う。」
「あんた、まだ17歳だよ。なにも、今から兵隊に行かなくても。どっちにしろあと3年もすれば嫌でも兵隊にとられるんだよ。」
当然ながら母は反対したのだが、尊の気持ちは変わらなかった。
「俺は子どもだから、ここで働いてもそんなに金にはならない。軍隊に行くことでこの家の食い扶持も減る。それに、軍隊では衣食住の心配がないから給金を母さんに送ってあげることだってできる。」
「あんたがそんなことしなくたって、今をなんとか乗り切れば…」
母は今にも泣きそうな顔をして必死に尊を説得しようとした。
「もう決めたんだ。正二だって命を張って漁船に乗っている。時化に吞み込まれてしまえば海の藻屑だ。そうやって家族を助けようとしているんだ。」
そして、最後にこう言うのであった。
「母さん、このままだったら何も変わらないんだ…」
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