上 下
1 / 116

プロローグ まず兵士を辞める

しおりを挟む
 落ちた意識が目を開けると同時に浮き上がってくる。
 目の前には素朴な木材の天井。鼻に漂ってくる空気には薬草や洗濯した布の匂いが感じられた。
 目だけを左右に動かすと自分が寝かされたベットと同じような簡易的なタイプのベッドがいくつか並んでいる。

「あー、治療室かここ」

 自身の身体をセルフチェック。胴体から腕や足、指先と意識をして動かしてみれば問題はなく動く。
 何があったかと記憶を思い返すと、「ああ」と何でもないような言葉が漏れる。

「そういや落雷魔法サンダーを受けたんだっけ」

 ダン。家名はレオン。
 いや元家名と言うべきか。
 先日伝令がきて現当主の父が魔物行進モンスターパレードに突撃し戦死したという連絡を受け、なぜか責任を取れと言われた為にと家名を返還したので、現在はただのダンとなっているのだ。

 そして今いるこの場所は王国軍の軍団施設である。
 現在王国軍は2つの軍団がある。1つは外人部隊とも言われる亜人中心の部隊。もう1つが貴族に課せられる兵役義務によって集められた人の部隊だ。とはいえ双方には少なくとも人も亜人も居るからハッキリと亜人と人という区別は付けられないはずなのだが、何故だかそういうことを強調しているのだ。の方が。
 そんなプライドだかなんだか良く分からんものを育てるくらいなら鍛錬1つでもしていた方がマシな気がするのだけれど、とダン個人は思っている。

 ちなみに亜人部隊が第一軍団、人の部隊が第二軍団だ。
 これは年1回行われる双方の軍団によるトーナメントで優勝した方が第一を名乗れるという初代総軍団長の規範に示されている。
 さらに付け加えるなら、ここ10年以上は第一が動いたためしはない。
 ダン自身は別に優劣に興味がないので何も言わないが「口ばかり達者でもなぁ」とは思っている。
 今年のトーナメント、ダンは命令を受けて任務に出撃していたため戻ってきてから仲のいい猫獣人から端的に聞いた「年々無様な晒し物が去年より酷かったにゃ」との言葉にため息が出たほどだ。

 第二軍団長は大の亜人嫌いである。で、ダンは別に亜人だからというつまらない理由で亜人に忌避感を持ってはいない。そんなダンは第二軍団の中でも浮いた存在となっているので、トーナメントに出場したことは1度もない。
 いやトーナメントよりも任務優先でしょうとはツッコミを入れたいのだが。

 そして単独の任務だけではなく、軍団内の練兵場でもダンは第二軍のほかの団員に嫌がらせを受けていた。

「しかし雷属性か……、魔物以外に食らったのは初めてかな?」
 そう言うと記憶を辿り指折り数えていく。
「えっと火が100以上に……」

 異常な数はすでに嫌がらせのレベルを超えている。

「ん~、あ! そういや稲妻魔法ライトニングがあったなぁ」と記憶が思い出せたことに嬉しそうに手を叩く。
 嬉しそうに言うことではない。

「今回はさすがにあの音と光は誤魔化せないだろうし、都合よいからこのまま大団長のとこに除隊願い持っていけそうかなぁ」
 大団長とは総軍団長という言葉を使いたくない第二軍団長に、第一軍団長が折れて(聞けば駄々っ子並みに泣き叫んだらしい。話だけで恥ずかしい)大団長という呼び名に落ち着いたらしい。ちなみに第一軍団長が総軍団長を名乗るのも初代からの通例だ。

 ダンは身を起こしてベットの下に置いてあった自分のブーツを履き、その隣に置いてあったポーチ付きのベルトを腰に巻き付けるとポーチの中身をゴソゴソと探した。そして目当てのモノを確認すると治療室から抜け出した。
 治療室は隊舎に設けられているので建物内の廊下を歩いていくと目的の部屋が見えた。
 ノックして名乗ると中から「入れ」の声が聞こえる。
「ダン入ります」
 部屋に入ると机に向かって書類整理をしている男が一人。
 筋骨隆々の男がペンを走らせている姿にダンはいつも通りの表情で視線を向けた。
『相変わらず達筆だなぁ』
「仕方なかろう、アレもたまにしか手伝わんのだからな」と視線に気づいたのか男が口を開いた。
「何も言ってませんよ僕」
「あんだけガッツリ見たら何を言いたいか分かる。ちょっと待っててくれ、あと2枚だからな」
 そのまま書類の中身を確認してペンを動かすだけの音がする。ダンも特に考えず、口もはさむことはしないでしばらくするとペンを置く音がした。
「よし、で? 何の用だダン」
「除隊願いです」

 沈黙が部屋を支配した。

 しばらくあっけにとられた大団長が眉間に指を当てて、もう一方の腕をダンに突き出して待ったをかける。
「すまん、もう一度いいか?」
「ああ、いきなりすぎましたね。経緯と事情から話します」
 ダンは貴族位の返還とそれによって兵役義務からの解放されたことと、ついでに先ほどあった嫌がらせのことも併せて大団長へと伝える。
「……魔法で? てかそんだけの回数食らってて今このタイミングかよ!」
「まあ、そういわれると」と頭を掻くダン。
「照れるとこじゃねえよ……。あ~、第一軍でなら続けられそうか?」
「いえ、そもそも除隊してやりたいことがあるものですから」
 ダンの言葉に大隊長は腕を組んで試案顔になった。
『鍛えてるだけあって筋肉玉みたいだよなぁこの姿勢の大隊長』ダンはそんな感想を持った。ちなみに大隊長の種族はドワーフである。
 数分は思考に耽っていた大隊長であるが腕を解いて顔を上げた。
「在籍していた年数も義務期間を超えてるしな……、ダン。お前の除隊届、ぞ」
「ありがとうございます大隊長。あとすみません2つお願いがありまして」
「ん? なにかあるのか?」
「この部屋の隠し酒蔵と武器庫を2つとも開けさせていただきたいのですが」

 先ほど以上の沈黙が部屋を支配した。

 目線で「なんの事だ」と問う大隊長。
 右手を動かして床の1か所と壁の1か所を行ったり来たりさせるダン。

 なぜか建物の中心に近いはずの部屋に隙間風が吹いた。

「あ、餞別が欲しい訳じゃなくてですね。仕舞わせてもらったモノを取り出したいだけなんですが」
「既に開けてるってわけじゃねぇか!!」

 怒れる大隊長立会いの下、酒蔵から硬貨や書類の入った袋と武器庫から一振りの剣を抜き出すダン。
「一体いつから仕舞ってたんだか」と大隊長。
「剣はだいぶ前ですよ。こっちの袋は2日ほど前ですけど」
 のほほんとした表情で真実を明らかにするダン。
「呆れるべきか、驚愕するべきかどっちだろうなぁ」と大隊長がふと気づいた。
「まさか酒はチョロまかしてないよな」
 殺気を垂れ流す大隊長。ドワーフから酒をチョロまかすなんてとんでもない。
「ドワーフから酒を盗むのはアホのすることですよ? ああそうそう大隊長、『姉御』にでも頼んで酒蔵は冷やしてもらった方が良さそうでしたよ。若干熱が溜まってましたから」
 剣をポーチにスルスルと入れて、袋を腰のベルトに留めながらダンが言う。殺気はスルーした。やってない事の冤罪は受ける必要がないとしたからだ。
 大隊長はダンの言葉に殺気を引っ込め、逆に顔を強張らせてダンに聞き返す。
「あいつに話したのか?」
「いいえ、タイミングなのか顔を合わせる機会が無かったもので、そもそも話はここ1・2週間はしてない気がしますね」と自分で話してダンが気づく。
「……ひょっとして隠してました? この酒蔵って」
 しかしその言葉に答えず、大隊長は懐から金貨を1枚取り出すと「餞別だ」と言った。
「やですよ、受け取りませんからね」とダンはそれを固辞する。
「黙って受け取れ。そして口を割るなよ、絶対に」
「いや、それはバレた場合2人して『姉御』に折檻されますよね? てか殺される可能性すらもあるんじゃないですか!? だったら自分は問われたら口を割りますからね!」
 しばらく「受け取れ」「いやだ」と男2人の不毛な言い合いがなされた。


 とりあえず今日の内に行動すると言ったダンに、なら遭遇することはないかと大隊長が折れて決着をつけた2人は居住まいを正して向かい合う。
「5年間お世話になりました」
「おう」
 軽い挨拶で別れを済ませ部屋を出るダン。
 その手が扉を開ける前に思い出したように大隊長が声をかけた。
「そういえばこの後はどこに行くんだ? 一回故郷に戻るのか?」
 その言葉にダンは振り返って答える。
「いえ、うちのオヤジ殿の最後の頼みがまだ残ってまして……、とりあえず東の方向に向かいます」
「東……、って大雑把だな。一応何かあったときは連絡を取りたいんだがな」
 ふむと、どうしたもんかといった顔の大隊長。
「ならに連絡したらどうですか? 登録するかどうかは決めてませんが、路銀稼ぎはする予定なので」とダンが答える。
 ギルド。この場合ダンが言うのは冒険者ギルドと呼ばれる組織である。
 何でも屋のような立ち位置の冒険者ギルドは、魔物の素材の買い取りや近隣の依頼の掲示。それから各ギルド間の情報のやり取りなどを行っているので、そこに伝言なども頼めるのである。当然有料だが。
「ま、そこが妥当な線か。てか結構な金額が掛かりそうだなオイ」
 当然伝言の内容にもよるが、相手が何処にいるか不明な場合かなり高額な費用がかかる。
「落ち着いたら場所を連絡しますよ。手紙で」
「いや、一回はギルド経由で知らせろ」
 手紙は安価だが、途中で紛失する可能性が高い。配達者が魔物に襲われる。チョロまかされる。どこか別の場所に届く等々。
 ギルド間は通信の手段を持っているらしく、その心配はない。が、そのギルドに赴かなければ連絡が受け取れないなどの点はあるが。ただ街中でギルドにたどり着けないなんて事態はそうそう起こらないが。
「それじゃで連絡します」
 ダンは片手で金貨をヒラヒラとさせながら扉から出て行った。
 大隊長は自分の懐を探ると、先ほどの金貨の感触がなかった。
「あいつ、いつの間に? しかし手痛い人材が抜けてしまったな」



 さて、とダンは自室に足を向けた。若干の荷物があるからだ。
「お? そこにいるのはダン君じゃあ~りませんか」
 ダンは視線を声のした方へ向けると、そこには簡易的な武器防具を身に着けた男たちがいた。

 ダンは『めんどくさ』と心の声でつぶやいた。
しおりを挟む

処理中です...