ルーベンスメモリー

小谷野 天

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第7章

退院とキャッチボール

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 4月。

 大学のグランドの隅で、煌は京吾とキャッチボールをしていた。 
「ぜんぜん、体がついてこないな。」
 煌はそう言った。
「また、お前とやれて嬉しいよ。」
「他のやつとやればいいだろう。まだ、レギュラーなんだし。」
「そんなんじゃないんだよな。キッチャーは女房って言うじゃないか。練習終わったら、少し走ろうぜ。早く体力戻せよ。」
「今日は帰る。バイトあるから。」
「バイトなんか、やってたのか。」
「バイト先にも野球が好きな人がいて、好きなチームが負けたら、すっごくイライラするんだよ。」
「煌、こっちにまた戻ってこいよ。お前の球、まだちゃんと生きてるぞ。」

 2人がキャッチボールをしていると、監督が煌に声を掛ける。
「少し、感覚が戻ってきたか?」
「まだ、ぜんぜんです。」
「うちは左が少ないから、おまえが戻ってくれたら助かるんだけどな。」
「きっと、ちゃんと投げれるようになった頃には、みんな卒業してますよ。」
「また、寮に戻らないか。もう、目眩はしないんだろう。」
「みんなと同じに動くなんて無理です。それに、電車で通うのもけっこう慣れました。」
「もったいないな。お前のピークはまだこれからだぞ。もう少し考えてみろよ。」

 煌はバイト先に向かって走っていた。1本電車を遅らせたせいで、バイトの時間はとっくに過ぎていた。
 金曜日の夜は、ただでさえ忙しいのに、イライラしている店長の顔が浮かぶ。

「すみません、遅れました。」
「さっさと着替えて、これ運べ。」
「はい。」
 店長が大声で、煌に言う。
 調理場の金橋は笑っていた。
「すみません、遅れて。」
「これ運んだら、洗い物。」
「はい。」
「今日はカープが勝ってるから、遅刻くらい許してやるよ。」
「すみません。」

 客がいなくなった午前1時。煌は店を掃除していた。
「橋川くん。毎日、大学に電車で行って、野球して、ここにバイトに来るのは、大変だろう。」
 店長はそう言った。
「手術が成功して、良かったな。」
「はい。」
「もう、ここは辞めて、野球に専念したらどうだ。」
「ここを辞めたら、他にバイトするって言ってもどこも思い当たらないし。」
「確か、多岐さんの紹介だったよな。」
「そうです。」
「あの時は、なんにもしてないからって聞いたけど、今はちゃんとやりたい事をやってるじゃないか。バイトなんかしてないで、思う存分に野球をやったらいいじゃないか。」
「店長、俺は少しでもお金を稼がないとダメなんです。親にもたくさん迷惑掛けてるし。」
「だったら、練習して、野球で稼げるようになれよ。」
「ほら、ここ。」
 店長は煌にチラシを渡した。
「野球スクールですか?」
「投手専門のな。」
「ここなら大学から近いし、バイトするのにちょうどいいんじゃないか。ここの経営者とは、昔バッテリーを組んでてな。」
「店長はどっちですか?」
「俺は投げるほうだ。橋川くんの事は知ってたよ。肩の筋肉が落ちていくのを見るのが、なんだか昔の俺を見てるようで辛くってね。チャンスがあるなら、まだ諦めるなよ。」

 次の日。
 煌は姉と病院に来ていた。
 手術をしてから3か月。
 黒木医師が来る外来は、座る所がない程に人で溢れていた。
「姉ちゃん、これじゃ、いつ診てもらえるかわからないな。俺1人でも大丈夫だから、姉ちゃんは仕事に戻ってもいいよ。」
「今日は休みを取ったから大丈夫だよ。」
「あの先生、今日はいないのか。」
「病棟にいるんじゃないの。」
「姉ちゃん、たまに会うんだろう。」
「たまにね。」
「あの時、個室にしてくれてちゃんとお礼言わないと。」
「本当だね。」
「病室の窓から、雪ばっかり見てた。」
「あんなに雪って降るんだね。私もびっくりした。」

「橋川さん。1番にお入りください。」

「やあ、橋川くん。その後、変わった事はないかい?」
 黒木は煌を見て言った。
「MRIでも、キレイになっているのがわかるよ。ほら。」
 煌と姉は黒木が指を指した先を真剣に見ていた。
「頭痛はある?」
「いいえ。」
「目眩とか、目がかすむのはまだあるかい?」
「大丈夫です。」
「そっか。それなら、もう普通の生活に戻ってもいい。次に会うのは1年後にしよう。」

 煌と優里は、病院の近くのラーメン屋にきていた。
「煌が食べたい物って、いつもラーメンだよね。」
「そうだね。」
「何が食べたいとか、お腹減ったとか、そういう気持ち、湧いてきた?」
「練習に行くようになってから、腹が減ってしょうがないんだ。」
「そう、良かった。」
「姉ちゃん、家を出て、大学の近くで暮らすってダメかな。あと、1年もないのに勝手だけど。」
「いいんじゃない?野球、本格的にやるんでしょ?」
「今までみたいにやるなんて無理だけど、もう少しやりたいんだ。」
「卒業したら、どうするの?」
「野球が続けられる所を探すよ。ちゃんと仕事もして、野球もできる場所。強くなくてもいいから。」
「母さん、少し淋しいかもね。」
「姉ちゃんも嫁に行くんだろう。」
「私の事は別にいいの。」

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