8 / 13
第7章
退院とキャッチボール
しおりを挟む
4月。
大学のグランドの隅で、煌は京吾とキャッチボールをしていた。
「ぜんぜん、体がついてこないな。」
煌はそう言った。
「また、お前とやれて嬉しいよ。」
「他のやつとやればいいだろう。まだ、レギュラーなんだし。」
「そんなんじゃないんだよな。キッチャーは女房って言うじゃないか。練習終わったら、少し走ろうぜ。早く体力戻せよ。」
「今日は帰る。バイトあるから。」
「バイトなんか、やってたのか。」
「バイト先にも野球が好きな人がいて、好きなチームが負けたら、すっごくイライラするんだよ。」
「煌、こっちにまた戻ってこいよ。お前の球、まだちゃんと生きてるぞ。」
2人がキャッチボールをしていると、監督が煌に声を掛ける。
「少し、感覚が戻ってきたか?」
「まだ、ぜんぜんです。」
「うちは左が少ないから、おまえが戻ってくれたら助かるんだけどな。」
「きっと、ちゃんと投げれるようになった頃には、みんな卒業してますよ。」
「また、寮に戻らないか。もう、目眩はしないんだろう。」
「みんなと同じに動くなんて無理です。それに、電車で通うのもけっこう慣れました。」
「もったいないな。お前のピークはまだこれからだぞ。もう少し考えてみろよ。」
煌はバイト先に向かって走っていた。1本電車を遅らせたせいで、バイトの時間はとっくに過ぎていた。
金曜日の夜は、ただでさえ忙しいのに、イライラしている店長の顔が浮かぶ。
「すみません、遅れました。」
「さっさと着替えて、これ運べ。」
「はい。」
店長が大声で、煌に言う。
調理場の金橋は笑っていた。
「すみません、遅れて。」
「これ運んだら、洗い物。」
「はい。」
「今日はカープが勝ってるから、遅刻くらい許してやるよ。」
「すみません。」
客がいなくなった午前1時。煌は店を掃除していた。
「橋川くん。毎日、大学に電車で行って、野球して、ここにバイトに来るのは、大変だろう。」
店長はそう言った。
「手術が成功して、良かったな。」
「はい。」
「もう、ここは辞めて、野球に専念したらどうだ。」
「ここを辞めたら、他にバイトするって言ってもどこも思い当たらないし。」
「確か、多岐さんの紹介だったよな。」
「そうです。」
「あの時は、なんにもしてないからって聞いたけど、今はちゃんとやりたい事をやってるじゃないか。バイトなんかしてないで、思う存分に野球をやったらいいじゃないか。」
「店長、俺は少しでもお金を稼がないとダメなんです。親にもたくさん迷惑掛けてるし。」
「だったら、練習して、野球で稼げるようになれよ。」
「ほら、ここ。」
店長は煌にチラシを渡した。
「野球スクールですか?」
「投手専門のな。」
「ここなら大学から近いし、バイトするのにちょうどいいんじゃないか。ここの経営者とは、昔バッテリーを組んでてな。」
「店長はどっちですか?」
「俺は投げるほうだ。橋川くんの事は知ってたよ。肩の筋肉が落ちていくのを見るのが、なんだか昔の俺を見てるようで辛くってね。チャンスがあるなら、まだ諦めるなよ。」
次の日。
煌は姉と病院に来ていた。
手術をしてから3か月。
黒木医師が来る外来は、座る所がない程に人で溢れていた。
「姉ちゃん、これじゃ、いつ診てもらえるかわからないな。俺1人でも大丈夫だから、姉ちゃんは仕事に戻ってもいいよ。」
「今日は休みを取ったから大丈夫だよ。」
「あの先生、今日はいないのか。」
「病棟にいるんじゃないの。」
「姉ちゃん、たまに会うんだろう。」
「たまにね。」
「あの時、個室にしてくれてちゃんとお礼言わないと。」
「本当だね。」
「病室の窓から、雪ばっかり見てた。」
「あんなに雪って降るんだね。私もびっくりした。」
「橋川さん。1番にお入りください。」
「やあ、橋川くん。その後、変わった事はないかい?」
黒木は煌を見て言った。
「MRIでも、キレイになっているのがわかるよ。ほら。」
煌と姉は黒木が指を指した先を真剣に見ていた。
「頭痛はある?」
「いいえ。」
「目眩とか、目がかすむのはまだあるかい?」
「大丈夫です。」
「そっか。それなら、もう普通の生活に戻ってもいい。次に会うのは1年後にしよう。」
煌と優里は、病院の近くのラーメン屋にきていた。
「煌が食べたい物って、いつもラーメンだよね。」
「そうだね。」
「何が食べたいとか、お腹減ったとか、そういう気持ち、湧いてきた?」
「練習に行くようになってから、腹が減ってしょうがないんだ。」
「そう、良かった。」
「姉ちゃん、家を出て、大学の近くで暮らすってダメかな。あと、1年もないのに勝手だけど。」
「いいんじゃない?野球、本格的にやるんでしょ?」
「今までみたいにやるなんて無理だけど、もう少しやりたいんだ。」
「卒業したら、どうするの?」
「野球が続けられる所を探すよ。ちゃんと仕事もして、野球もできる場所。強くなくてもいいから。」
「母さん、少し淋しいかもね。」
「姉ちゃんも嫁に行くんだろう。」
「私の事は別にいいの。」
大学のグランドの隅で、煌は京吾とキャッチボールをしていた。
「ぜんぜん、体がついてこないな。」
煌はそう言った。
「また、お前とやれて嬉しいよ。」
「他のやつとやればいいだろう。まだ、レギュラーなんだし。」
「そんなんじゃないんだよな。キッチャーは女房って言うじゃないか。練習終わったら、少し走ろうぜ。早く体力戻せよ。」
「今日は帰る。バイトあるから。」
「バイトなんか、やってたのか。」
「バイト先にも野球が好きな人がいて、好きなチームが負けたら、すっごくイライラするんだよ。」
「煌、こっちにまた戻ってこいよ。お前の球、まだちゃんと生きてるぞ。」
2人がキャッチボールをしていると、監督が煌に声を掛ける。
「少し、感覚が戻ってきたか?」
「まだ、ぜんぜんです。」
「うちは左が少ないから、おまえが戻ってくれたら助かるんだけどな。」
「きっと、ちゃんと投げれるようになった頃には、みんな卒業してますよ。」
「また、寮に戻らないか。もう、目眩はしないんだろう。」
「みんなと同じに動くなんて無理です。それに、電車で通うのもけっこう慣れました。」
「もったいないな。お前のピークはまだこれからだぞ。もう少し考えてみろよ。」
煌はバイト先に向かって走っていた。1本電車を遅らせたせいで、バイトの時間はとっくに過ぎていた。
金曜日の夜は、ただでさえ忙しいのに、イライラしている店長の顔が浮かぶ。
「すみません、遅れました。」
「さっさと着替えて、これ運べ。」
「はい。」
店長が大声で、煌に言う。
調理場の金橋は笑っていた。
「すみません、遅れて。」
「これ運んだら、洗い物。」
「はい。」
「今日はカープが勝ってるから、遅刻くらい許してやるよ。」
「すみません。」
客がいなくなった午前1時。煌は店を掃除していた。
「橋川くん。毎日、大学に電車で行って、野球して、ここにバイトに来るのは、大変だろう。」
店長はそう言った。
「手術が成功して、良かったな。」
「はい。」
「もう、ここは辞めて、野球に専念したらどうだ。」
「ここを辞めたら、他にバイトするって言ってもどこも思い当たらないし。」
「確か、多岐さんの紹介だったよな。」
「そうです。」
「あの時は、なんにもしてないからって聞いたけど、今はちゃんとやりたい事をやってるじゃないか。バイトなんかしてないで、思う存分に野球をやったらいいじゃないか。」
「店長、俺は少しでもお金を稼がないとダメなんです。親にもたくさん迷惑掛けてるし。」
「だったら、練習して、野球で稼げるようになれよ。」
「ほら、ここ。」
店長は煌にチラシを渡した。
「野球スクールですか?」
「投手専門のな。」
「ここなら大学から近いし、バイトするのにちょうどいいんじゃないか。ここの経営者とは、昔バッテリーを組んでてな。」
「店長はどっちですか?」
「俺は投げるほうだ。橋川くんの事は知ってたよ。肩の筋肉が落ちていくのを見るのが、なんだか昔の俺を見てるようで辛くってね。チャンスがあるなら、まだ諦めるなよ。」
次の日。
煌は姉と病院に来ていた。
手術をしてから3か月。
黒木医師が来る外来は、座る所がない程に人で溢れていた。
「姉ちゃん、これじゃ、いつ診てもらえるかわからないな。俺1人でも大丈夫だから、姉ちゃんは仕事に戻ってもいいよ。」
「今日は休みを取ったから大丈夫だよ。」
「あの先生、今日はいないのか。」
「病棟にいるんじゃないの。」
「姉ちゃん、たまに会うんだろう。」
「たまにね。」
「あの時、個室にしてくれてちゃんとお礼言わないと。」
「本当だね。」
「病室の窓から、雪ばっかり見てた。」
「あんなに雪って降るんだね。私もびっくりした。」
「橋川さん。1番にお入りください。」
「やあ、橋川くん。その後、変わった事はないかい?」
黒木は煌を見て言った。
「MRIでも、キレイになっているのがわかるよ。ほら。」
煌と姉は黒木が指を指した先を真剣に見ていた。
「頭痛はある?」
「いいえ。」
「目眩とか、目がかすむのはまだあるかい?」
「大丈夫です。」
「そっか。それなら、もう普通の生活に戻ってもいい。次に会うのは1年後にしよう。」
煌と優里は、病院の近くのラーメン屋にきていた。
「煌が食べたい物って、いつもラーメンだよね。」
「そうだね。」
「何が食べたいとか、お腹減ったとか、そういう気持ち、湧いてきた?」
「練習に行くようになってから、腹が減ってしょうがないんだ。」
「そう、良かった。」
「姉ちゃん、家を出て、大学の近くで暮らすってダメかな。あと、1年もないのに勝手だけど。」
「いいんじゃない?野球、本格的にやるんでしょ?」
「今までみたいにやるなんて無理だけど、もう少しやりたいんだ。」
「卒業したら、どうするの?」
「野球が続けられる所を探すよ。ちゃんと仕事もして、野球もできる場所。強くなくてもいいから。」
「母さん、少し淋しいかもね。」
「姉ちゃんも嫁に行くんだろう。」
「私の事は別にいいの。」
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる