深恋

小谷野 天

文字の大きさ
5 / 14
5章

雪の足音

しおりを挟む
 明け方から降り始めた雪は、出勤する時間にはアスファルトを白く染めていた。
 この町へきてから2ヶ月が経った12月。
 少し早めに玄関を出た結衣の後ろから、城田が追いかけてきた。
「おはよう。今日は早いな。」
「おはようございます。雪で足元が滑るから、家を早く出てきました。」
 結衣は手袋を擦り合わせた。
「それなら車で来れば良かったのに。」
 城田は白い息を吐きながら言った。
「少し歩かないと。仕事中は座ってばっかりだし。」
「渋谷、少し痩せたか?」
「いえ、ぜんぜん。」
「そうか。なんとなくそう見えるけど。」
「コンビニまでは遠いですからね。お菓子を食べるのは減りました。」
 結衣はそう言って自分の足元を見た。雪の下にあった氷に気が付かず、少し滑りかけてしまった。城田は結衣の腕を掴むと、しっかりと背中を支えた。
「クリスマス、どうするんだ?」
「家にいますよ。」
「一緒にケーキでも食べるか?」
「先輩は1人なんですか?」
「ああ、そうだよ。」
「クリスマスって家族のためにあるんですよ。」
「知ってるよ、そんな事。」
「じゃあ独り身の私達は、特別な事をしなくてもいいと思いますけど。」
「渋谷はずいぶん淋しい事言うんだな。」
「幸せの人への僻みですよ。大雪でも降って、道が塞がればいいのに。」
「最悪だろ、それ。」
「通行止めでサンタクロースなんかきませんから。」
 2人でケラケラと笑いながら玄関に着くと、先に来ていた橋川は、
「あなた達はいつも仲良しね。」
 そう言ってからかった。

 お昼休み。
「渋谷さん、せっかく仕事を覚えたのに、あと3ヶ月で本庁に戻るんだね。あらっ、卵焼き、ずいぶん上手になったわね。」
 橋川は結衣のお弁当を見て言った。
「ここへきてから、自炊するようになって、だいぶ料理ができる様になりました。」
「あら、そう。城田くんもお弁当作ってくるわよね。近くにお店がないせいもあるかな。」
「城田先輩は男なのに、なんでもできますよね。器用だっていうか、だいたい平均の上をいく人です。」
 結衣がそう言うと、
「そうね、そういう人ね。彼はね、ここへきた時は少し病んでいて、ご飯なんて食べれる状態じゃなかったの。それを今の支所長が少しずつ声を掛けて、家に呼んだり、外食したり、そうしてここまで回復させたのよ。どっちの城田くんも彼自身なんだと思うけど、そういう一面もあったのよ。」
「そうだったんですか。学生の時の先輩からは想像ができません。」
「本庁で一体何があったのかしらね。あっ、渋谷さん、電話なってる。」
 結衣はカバンからスマホを出すと、山岡からの着信だった。
「出なくてもいいの?」
 橋川が言った。
「知らない番号ですから。」
 結衣はそう言ってスマホをカバンにしまった。
「ねえ、もう少しここにいたいって本庁に伝えたら?」
 結衣は橋川の言葉を笑って誤魔化した。
 
 クリスマスの日は大雪が降り、結衣と城田は町の除雪に追われた。
 4人一組で回る高齢者宅の除雪は、思っていたよりも重い雪に体力を取られ、お昼を過ぎたあたりからは誰も言葉を発しなくなっていた。
「渋谷のせいだからな。お前がクリスマスなんて大雪になればいいっていうから。」  
 城田がそう言うと、車の中の3人は一斉に後部座席の結衣を見た。
「渋谷さんがマリア様を怒らせちゃったか。」
 車に乗っていた1人がそう言った。
「違います。私は予定がないからそう言っただけで、みんなが困ればいいなんて思ってません。」
 結衣は申し訳なく思いながらも、あの時の言葉が本当になってしまった事は、どうか自分だけのせいではありませんようにと、言い逃れをした。
 
 ボールペンも握れないほど疲れた結衣は、また降り始めた雪を窓から見ていた。
「渋谷さん、歩いてきたの?」
 支所長が言った。
「はい。」
「こういう日は外に出るのは危ないからね。女子職員と、遠くから来てる職員はもう帰りなさい。城田くんも上がっていいぞ。渋谷くんについていってやりなさい。」
 支所長の言葉に、皆パソコンを閉じて帰り支度を始めた。
「支所長はどうされるんですか?」
 結衣がそう言うと、
「僕はここに泊まります。今日は守衛さんも来れないようだし。」
 支所長は席についた。
「支所長、クリスマスに支所に泊まりかい。夜はもっと大雪が降るらしいから、暖かくして寝るんだよ。」
 結衣は職員からお菓子やカップラーメンの食料をもらっている支所長を見ていた。

「渋谷帰るぞ。」
 城田が結衣を呼んだ。
「先輩、支所長ってすごい人なんですね。」
 城田は結衣を見て微笑んだ。
「俺が前を歩くから、絶対に離れるなよ。」
「わかりました。」
 雪に風が伴って、目の前は真っ白になった。結衣は城田のつけた足跡をたどりながら、なんとか後をついていった。
「大丈夫か?」
 城田が何度か後ろを振り向くと、その度に結衣の手を掴んだ。
「大丈夫。」
 結衣は大声でそう言った。
 いつもなら歩いて15分くらいで家に着くが、今日は40分近く掛けてやっと家までたどり着いた。
 カバンから玄関の鍵がなかなか見つからない結衣を見兼ねた城田は、結衣を肩を掴み、城田の家まで連れて行った。
 結衣の体についている雪を手で払うと、
「入れよ。」
 そう言って結衣を部屋に案内した。
「鍵、どこだろう。」
 結衣はカバンの中を探した。
「先輩、鍵、ありました。」
 鍵を手にした結衣に近づいた城田は、
「温まっていけよ。今日はクリスマスなんだし。」
 結衣に言った。
「帰りますよ。玄関開かなくなったら困るから。」
 結衣がそう言うと、
「明日の朝、渋谷の家の前も雪かきしてやるから、今日はここにいろよ。」
 城田の真剣な顔に結衣はうつむいた。
「腹減ったなぁ。昨日のシチュー温めるから待ってろ。」  
 城田がそう言って立ち上がると、電気が急に消えた。
「停電か。きっと電線に雪がついて切れたんだろうな。しばらくは電気つかないぞ、これ。」
 城田はスマホの光りを頼りに、携帯用のランプを探した。
「あったぞ。」
 結衣の前に灯りを持ってきて座ると、
「ストーブもダメか。渋谷、寒いだろう。」
 そう言って結衣の濡れた防寒着を脱がせて、自分の体を近づけた。
 張り詰めた冷たい空気は、蒸発できない水滴がぶつかりあう音が聞こえるくらい、静まり返っている。自分の心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思い、結衣は胸が苦しくなった。
「渋谷、こっちこいよ。」
 城田は結衣をベッドまで連れていくと、結衣の体を包むように抱きしめた。
 城田の息遣いが瞼の近くで聞こえる。
「してもいいか?」
 城田は結衣の顎に手を掛けて、少し上を向かせた。目が少し慣れてきたせいか、暗闇の中でも城田が自分を見ている様子が結衣にはわかった。
「ダメ。」
 結衣はそう言って城田を胸を手で押し返した。
「なんでだよ。」
 城田が言う。
「明日から顔合わせられなくなるよ。」
 結衣は近づこうとする城田の腕を、ずっと拒んでいた。
「それだけの理由か?」
 城田は結衣を力づくで自分の体に密着させると、
「好きだからいいだろう。」
 そう言って城田は結衣に唇を重ねた。言葉を返せないだけ強く自分を求めてくる城田に触れられた体は、さっきまで寒くて凍えていたはずなのに、ずっと奥の方から熱くなってきた。
「渋谷。」
「何?」
「妊娠したら、責任取るから。」
 城田はそう言って結衣にまた深くキスをした。
「ねぇ、困る。」
 結衣は城田の口を塞いだ。
「わかってるって。」
 城田は結衣の手を避けると、優しく頭を撫でた。体を正面にむけたあと、また結衣の体に触れてきた。

 明け方。突然電気がついて部屋の中が明るくなると、2人は目を覚ました。
「電気通ったんだな。」
 城田が言った。
 結衣が布団から手を伸ばして落ちていた下着を拾っていると、電気を消した城田は、
「そのままでいろよ。」
 そう言って結衣を抱きしめた。
「今日の事は忘れますよ。事故みたいなもんなんだし。」
 結衣は城田に言った。
「そんな事いうなよ。忘れるなんてできるわけないだろう。」
 城田はそう言うと、結衣を見つめた。
「神様っているんだな。」
「ん?」
「渋谷とまた会えたからさ。」
「大袈裟です。」
「渋谷、付き合おうか。」
 城田は結衣の頬を触ると、唇に近づいた。

 誰かを好きになったりしたら、また失敗するんだから、本気になったりしたらダメだよ。
 城田の優しさに甘えても、それは一時的な感情で、もう少ししたらまた別れがくる。
 それでもいいと城田の手を握り返そうとする自分と、冷静でいようと城田に背中を向けようとする自分は、こんな事になってもなお、言い争いを続けている。
「渋谷の気持ちは?」
 城田の潤んだ瞳を見て、自分は大きな罪を犯してしまった様な気持ちになった。
 それなのに…、
 結衣は城田に強く握られた手を、黙って握り返した。
 もう、どうでもいいや。
 
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

婚約破棄したら食べられました(物理)

かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。 婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。 そんな日々が日常と化していたある日 リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる グロは無し

竜帝に捨てられ病気で死んで転生したのに、生まれ変わっても竜帝に気に入られそうです

みゅー
恋愛
シーディは前世の記憶を持っていた。前世では奉公に出された家で竜帝に気に入られ寵姫となるが、竜帝は豪族と婚約すると噂され同時にシーディの部屋へ通うことが減っていった。そんな時に病気になり、シーディは後宮を出ると一人寂しく息を引き取った。 時は流れ、シーディはある村外れの貧しいながらも優しい両親の元に生まれ変わっていた。そんなある日村に竜帝が訪れ、竜帝に見つかるがシーディの生まれ変わりだと気づかれずにすむ。 数日後、運命の乙女を探すためにの同じ年、同じ日に生まれた数人の乙女たちが後宮に召集され、シーディも後宮に呼ばれてしまう。 自分が運命の乙女ではないとわかっているシーディは、とにかく何事もなく村へ帰ることだけを目標に過ごすが……。 はたして本当にシーディは運命の乙女ではないのか、今度の人生で幸せをつかむことができるのか。 短編:竜帝の花嫁 誰にも愛されずに死んだと思ってたのに、生まれ変わったら溺愛されてました を長編にしたものです。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛

三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。 ​「……ここは?」 ​か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。 ​顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。 ​私は一体、誰なのだろう?

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

処理中です...