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3章
夏の風邪
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玄関でビショビショに濡れた靴下を脱ぐと、ふやけた足の指が、あっという間に冷たさを訴える。足跡をつけてながら、優里はベタベタと浴室へ向かう。
服を脱いで、その重たさから解放はされた両肩は、氷を背負っていたかの様に硬く冷え、熱いシャワーを浴びても、体の芯まで温まりきらなかった。
部屋着に着替え、その上からフリースまで着ているのに、ずっと体の震えが止まらない。
優里はストーブをつけた。雨に濡れたせいだろうか。シャワーだけで済ませたせいだろうか。髪の毛につきまとっていた水分は、ドライヤーで全部飛ばしてやったはずなのに、なぜだろう、寒くて寒くてたまらない。口の中は砂漠の様に、カラカラに乾いてきた。
いけない、コンタクト外さなきゃ。
優里は冷蔵庫から水を出してひとくち飲むと、洗面所へ向かった。震える手でなんとかコンタクトを取り出すと、歪んだ景色の中に、チカチカと光りが飛んでいる。
バイト先のコンビニには、今日は休むと連絡を入れ、優里は布団に包まった。
どれくらい眠ったのか、あたりは真っ暗で、少しお腹が空いたけれど、ベッドから起き上がる事ができないでいた。喉がとてつもなく乾いて、なんだか息がしづらい。ぬるくてもいから、この口の中に、できるだけ多くの水を入れてほしい。
私、このまま死ぬのかなぁ。
何年か前に見た映画に出てきた兵隊さん達は、こんなふうに暗がりの中で、水が飲みたいと切に願いながら、何日も何日も恐怖と戦って過ごしていた。せめて最後に、澄んだ水を口にしたかったと、神様を恨んだ事だろう。
優里はなんとかベッドから起き上がった。
急に目眩がしてその場にうずくまると、這うように冷蔵庫の前まで行った。そして、水のペットボトルを抱えて、また這うようにベッドへ戻った。
なんとかペットボトルの硬い蓋を開け、ひとくちふたくち水を口に入れると、また布団に包まった。
最後の水なのに、喉が痛くて、思ったよりたくさん飲む事ができなかった。そんな事を考えながら、また目を閉じた。
体のあちこちが痛くて何度も寝返りを打っているうちに、空が明るくなってきた。神様はこの辛さから、自分を解放してくれないのか。
やっと、ウトウト眠りについた頃、今度は携帯の目覚まし時計がなった。早く止めないと、そう思って布団の中から手を伸ばす。優里はまた布団に肩に掛けた。
止めたはずの携帯が、ごちゃごちゃと何かを話している。何?優里はその声を聞こうと携帯を耳にあてる。
「優里ちゃん?」
「何?」
「ずっと電話に出ないから心配したよ。やっぱり風邪、引いたんだろう?薬持って行くから、部屋は何号室?」
「313。」
「3階?」
「そう。」
「すぐに行くから、待ってて。」
電話はそう言って切れた。意識が朦朧として、夢の中なのか、現実なのかよくわからない。もしかしたら、これはあの世からの電話だったのかも?
優里はペットボトルに手を伸ばしたが、ベッドの下に転がって、どこにいったか見えなくなった。
私はどこまでもついてない女だ。
優里は水を飲むのを諦めて再び目を閉じた。
少しして、心地よい氷が転がる音で目が覚める。
「飲まないと、ダメだよ。」
優里は体を支えられ起き上がると、冷たいイオン飲料のペットボトルが、目の前に出てきた。力の入らない両手で、ペットボトルを落とさない様に掴むと、ヒンヤリした大きな手が、優里の両手を支える。
口元に飲み口が近づくと、飛びつく様に一気に半分近くまで、それを飲んだ。
「ずいぶん熱い手だね。」
口を服の袖で拭った優里は、その言葉に頷くと、起き上がっているのが耐えきれず、またすぐに横になった。
さっきの大きな手が優里のおでこを触っている。今度は冷たいシートが、ゆっくり優里のおでこにくっついた。ビニール袋に詰められた氷が、優里の頭の上に乗ると、ホッとして目を閉じた。
神様は最後の最後に、自分に優しくしてくれたんだ。
「もう一回起きるよ。薬飲まなきゃ。」
優里は支えられ、なんとか起き上がると、手のひらにポトリと3粒の薬が転がった。
「はい、水。」
言われるままにそれを飲む。
これで永遠に眠りにつくことができる。
優里はそのまま深い眠りに落ちた。
何度も嫌な夢を繰り返し見ると、不意に目が覚め、自分の汗が首にまとわりついている事に気がついた。起き上がって顔を触ってみると、さっきより体が少し軽くなった気がした。
「目が覚めたかい?」
優里は顔にあてた両手の隙間から、声の方を覗いた。
誰だろう?
「優里ちゃん、俺、中嶋。」
コンタクトの入っていない目は、ぼんやりとその輪郭しかわからない。優里は眼鏡をかけると、男性の顔をマジマジと眺めた。
「あの金髪さん…?」
「そう。」
優里は男性の髪を見て、不思議な顔をした。
「金髪はもう終わりにしたよ。」
「何をしてる人?」
「中学の教師。数学のね。」
「ふ~ん。」
「だいぶ、熱が下がったみたいだね。」
黒髪は優里のおでこに手をあてている。
「ねぇ、なんで金髪さんがここにいるの?」
優里は黒髪に聞いた。
「優里ちゃん、雨に濡れて震えてただろう。風邪引いたと思って電話を掛けたら、すんなり部屋の番号を教えてくれたから、勝手に入って来ちゃったよ。」
「鍵、空いてた?」
「空いてたよ。不用心だね。」
優里はベッドから出ると、フラフラと冷蔵庫へ向かった。さっきの残りのイオン水を手に取ると、それを一気に飲み干した。
「もしかして、これも金髪さんが持ってきたの?」
「そうだよ。」
汗に濡れた前髪が、優里のおでこに張り付いている。吹き出すように出てくる汗のせいで、背中が少し痒かった。
「優里ちゃん、着替えなよ。たくさん汗かいただろう。」
「うん。金髪さんは、もう帰るの?」
「まだいるよ。ご飯、作ってあげるから。」
優里は少し微笑むと、シャワーを浴びに浴室へ行った。熱は一時的に下がっているだけなのか、頭の中はスッキリしない。なんとなく、金髪が自分のそばにいてくれたのは理解できたが、詳しく話しを聞きたくても、今は長い会話をする自信がなかった。
シャワーから上がると、立っているのが辛く、ドライヤーもそこそこに、また布団に潜り込んだ。
「金髪さん、ごめんなさい。」
優里はそう言って目を閉じた。少しウトウトし始めた頃、黒髪は優里を起こした。
「ほら、食べな。」
大きなおにぎりを優里に渡すと、
「食べたら、薬を飲んでね。」
そう言った。
優里はおにぎりを半分食べると、残りはラップで丁寧に包んだ。
「やっぱり、少し大きかったか。」
黒髪はそう言った。
「美味しかった。残りは後から食べる。」
「これ、薬。」
黒髪は優里に薬を渡した。優里は手のひらに転がった3粒の薬を口に入れると、黒髪が用意した冷たい水で喉に流し込む。
「飲んだ?」
「うん。」
黒髪は優里のベッドの横に座った。
「金髪さん、もう帰りますか?」
優里は聞いた。黒髪は優里のおでこに手をあてると、
「きっと夜中に、また熱が出ると思うから、もう少しついててあげるから。」
そう言った。
「昨日はどこで寝たの?」
「ここ。」
黒髪はベッドの下の床を指さした。
「ごめんなさい。体、痛かったでしょう?」
「そりゃ痛いよ。寒かったしね。」
黒髪がそう言ったので、優里は立ち上がり、押し入れの前にきた。
「布団はもう一組あるの。出すの手伝ってくれない?」
優里は押し入れにある布団袋を引っ張り出そうとした。
「あとは俺がやるから。」
黒髪は布団袋から、敷布団や毛布を取り出している。優里は少しフラフラしたが、黒髪が手にしているシーツの端を持つと、一緒に広げ、布団の上に掛けた。
「なんかあったら、すぐに起こすんだよ。」
黒髪はそう言うと、優里をベッドへ寝かせた。
「電気消すよ。」
「うん。」
眠いはずなのに、頭の中でグルグルと何かが回っている。
「金髪さん?」
「何?」
「金髪さんも、風邪、引いたんじゃない?」
「アハハ、そうかもしれないね。」
「私が治ったら、ちゃんとお返しするからね。」
「楽しみにしてるよ。」
「おやすみなさい。」
「おやすみ。」
次の日の朝。
体が少し軽くなった。優里は黒髪を探したが、どこにもいなかった。テーブルの上には朝ごはんが用意されていて、ちゃんと食べなよ、そう書いたメモが置いたあった。
やっぱり、夢だったのか。
このメモは現実なのか?だとしたら、あの人、お節介にも程がある。ギターケースをぶつけた謝罪にしては、ずいぶんと重すぎやしないか。
優里は携帯から、男性の連絡先を探した。
<帰ったんですね。>
優里はその連絡先に恐る恐る送信してみると、すぐに既読がついた。
<ずいぶん、お世話になりました。>
<お礼はちゃんとしますから。>
優里は冷蔵庫から水を出して飲んだ。
<少しよくなったかい?>
黒髪からラインがきた。
<風邪、伝染ってませんか?>
<大丈夫。>
<本当?>
<本当だよ。せっかくだから、お礼はこっちで決めさせてもらうよ。>
<わかりました。>
<ちゃんと、ご飯食べるんだよ。>
<わかりました。>
<じゃあ、また連絡する。>
優里は昨日残したおにぎりを頬張った。
熱が下がった3日後。
優里はバイト先のコンビニに向かった。4月からバイトを始めて、もう3カ月近くになる。
「佐伯さん。今日から入った新しいバイト、指導、宜しく。」
店長はそう言ってバックヤードに消えた。
「佐伯?」
新しいバイトは、同級生の高田だった。
「高田くん。」
「佐伯、ここでバイトしてたんだ。」
高田は優里と距離を縮めてきたので、優里はこっちと店の中を案内した。優里がバイトの説明をしても、高田は聞いているのかよくわからない。数人の客を優里が対応すると、
「今度は高田くんがやってね。」
優里はそう言って、溢れそうになっていたゴミ箱を片付けに向かった。
「そういうのは、俺がやる。」
高田はゴミ箱を優里から奪うと、
「これどうするの?」
そう聞いた。
「ゴミ置き場わかる?店の裏にあるから。」
そう言って、客が向かっているレジへ、急いで戻った。
ゴミ捨てから戻った高田は、また優里の近くにきた。
「もうすぐ、荷物を載せたトラックがくるから、賞味期限切れ、チェックしないと。」
優里は商品の並ぶ棚に向かった。
「佐伯、すげーなお前。」
「高田くん、これ時間が切れてるから、端へ避けておいて。」
優里はそう言って、お弁当を棚の奥に隠した。
バイトが終わり、高田が一緒に帰ろうも優里の後をついてきた。
「お前んちもこの近くか?」
「そうだけど。」
優里は少し早足で歩いた。
「大学はどこだっけ?」
「駅の近く。」
「そっか、佐伯と俺は同じ大学か。キャンパスが違うから気が付かなった。」
優里は小走りになった。
「歩くの速いよ。」
高田が優里の肩を掴んだ。
「お腹が減ったから、早く帰りたいし。」
優里がそう言うと、
「じゃあ、一緒になんか食べてくか?」
高田は優里の隣りに並んだ。
「そんな事してたら、バイトしても意味ないよ。」
「俺が奢るからさ。」
「いい。」
優里は高田の誘いを断った。
「お前のテンション、いつ上がんの?」
高田はそう言って優里の顔を覗いた。
「ずっとこうだし。」
「なあ、八木と連絡取ってるのか?」
「ううん。」
「佐伯に聞けばわかると思ったんだけど。」
「気になるなら、あの大学に探しに行けばいいじゃない。人文学部らしいから。」
「一緒に行かないか?」
「行かないよ。」
「頼むって。ついてきてくれよ。」
「なんで私が、一緒に行くの?」
「佐伯しか頼めないんだ。」
「高田くん、」
優里は足を止めた。
「私、あっちだから。」
優里は走り出した。
悠への嫉妬と、望んでいない環境にいる自分への不甲斐なさに、後悔という名の導火線に火がつきそうだった。
家に着いて携帯を見ると、黒髪から連絡が来ていた
<こんばんは。>
<明日、空いてる?>
服を脱いで、その重たさから解放はされた両肩は、氷を背負っていたかの様に硬く冷え、熱いシャワーを浴びても、体の芯まで温まりきらなかった。
部屋着に着替え、その上からフリースまで着ているのに、ずっと体の震えが止まらない。
優里はストーブをつけた。雨に濡れたせいだろうか。シャワーだけで済ませたせいだろうか。髪の毛につきまとっていた水分は、ドライヤーで全部飛ばしてやったはずなのに、なぜだろう、寒くて寒くてたまらない。口の中は砂漠の様に、カラカラに乾いてきた。
いけない、コンタクト外さなきゃ。
優里は冷蔵庫から水を出してひとくち飲むと、洗面所へ向かった。震える手でなんとかコンタクトを取り出すと、歪んだ景色の中に、チカチカと光りが飛んでいる。
バイト先のコンビニには、今日は休むと連絡を入れ、優里は布団に包まった。
どれくらい眠ったのか、あたりは真っ暗で、少しお腹が空いたけれど、ベッドから起き上がる事ができないでいた。喉がとてつもなく乾いて、なんだか息がしづらい。ぬるくてもいから、この口の中に、できるだけ多くの水を入れてほしい。
私、このまま死ぬのかなぁ。
何年か前に見た映画に出てきた兵隊さん達は、こんなふうに暗がりの中で、水が飲みたいと切に願いながら、何日も何日も恐怖と戦って過ごしていた。せめて最後に、澄んだ水を口にしたかったと、神様を恨んだ事だろう。
優里はなんとかベッドから起き上がった。
急に目眩がしてその場にうずくまると、這うように冷蔵庫の前まで行った。そして、水のペットボトルを抱えて、また這うようにベッドへ戻った。
なんとかペットボトルの硬い蓋を開け、ひとくちふたくち水を口に入れると、また布団に包まった。
最後の水なのに、喉が痛くて、思ったよりたくさん飲む事ができなかった。そんな事を考えながら、また目を閉じた。
体のあちこちが痛くて何度も寝返りを打っているうちに、空が明るくなってきた。神様はこの辛さから、自分を解放してくれないのか。
やっと、ウトウト眠りについた頃、今度は携帯の目覚まし時計がなった。早く止めないと、そう思って布団の中から手を伸ばす。優里はまた布団に肩に掛けた。
止めたはずの携帯が、ごちゃごちゃと何かを話している。何?優里はその声を聞こうと携帯を耳にあてる。
「優里ちゃん?」
「何?」
「ずっと電話に出ないから心配したよ。やっぱり風邪、引いたんだろう?薬持って行くから、部屋は何号室?」
「313。」
「3階?」
「そう。」
「すぐに行くから、待ってて。」
電話はそう言って切れた。意識が朦朧として、夢の中なのか、現実なのかよくわからない。もしかしたら、これはあの世からの電話だったのかも?
優里はペットボトルに手を伸ばしたが、ベッドの下に転がって、どこにいったか見えなくなった。
私はどこまでもついてない女だ。
優里は水を飲むのを諦めて再び目を閉じた。
少しして、心地よい氷が転がる音で目が覚める。
「飲まないと、ダメだよ。」
優里は体を支えられ起き上がると、冷たいイオン飲料のペットボトルが、目の前に出てきた。力の入らない両手で、ペットボトルを落とさない様に掴むと、ヒンヤリした大きな手が、優里の両手を支える。
口元に飲み口が近づくと、飛びつく様に一気に半分近くまで、それを飲んだ。
「ずいぶん熱い手だね。」
口を服の袖で拭った優里は、その言葉に頷くと、起き上がっているのが耐えきれず、またすぐに横になった。
さっきの大きな手が優里のおでこを触っている。今度は冷たいシートが、ゆっくり優里のおでこにくっついた。ビニール袋に詰められた氷が、優里の頭の上に乗ると、ホッとして目を閉じた。
神様は最後の最後に、自分に優しくしてくれたんだ。
「もう一回起きるよ。薬飲まなきゃ。」
優里は支えられ、なんとか起き上がると、手のひらにポトリと3粒の薬が転がった。
「はい、水。」
言われるままにそれを飲む。
これで永遠に眠りにつくことができる。
優里はそのまま深い眠りに落ちた。
何度も嫌な夢を繰り返し見ると、不意に目が覚め、自分の汗が首にまとわりついている事に気がついた。起き上がって顔を触ってみると、さっきより体が少し軽くなった気がした。
「目が覚めたかい?」
優里は顔にあてた両手の隙間から、声の方を覗いた。
誰だろう?
「優里ちゃん、俺、中嶋。」
コンタクトの入っていない目は、ぼんやりとその輪郭しかわからない。優里は眼鏡をかけると、男性の顔をマジマジと眺めた。
「あの金髪さん…?」
「そう。」
優里は男性の髪を見て、不思議な顔をした。
「金髪はもう終わりにしたよ。」
「何をしてる人?」
「中学の教師。数学のね。」
「ふ~ん。」
「だいぶ、熱が下がったみたいだね。」
黒髪は優里のおでこに手をあてている。
「ねぇ、なんで金髪さんがここにいるの?」
優里は黒髪に聞いた。
「優里ちゃん、雨に濡れて震えてただろう。風邪引いたと思って電話を掛けたら、すんなり部屋の番号を教えてくれたから、勝手に入って来ちゃったよ。」
「鍵、空いてた?」
「空いてたよ。不用心だね。」
優里はベッドから出ると、フラフラと冷蔵庫へ向かった。さっきの残りのイオン水を手に取ると、それを一気に飲み干した。
「もしかして、これも金髪さんが持ってきたの?」
「そうだよ。」
汗に濡れた前髪が、優里のおでこに張り付いている。吹き出すように出てくる汗のせいで、背中が少し痒かった。
「優里ちゃん、着替えなよ。たくさん汗かいただろう。」
「うん。金髪さんは、もう帰るの?」
「まだいるよ。ご飯、作ってあげるから。」
優里は少し微笑むと、シャワーを浴びに浴室へ行った。熱は一時的に下がっているだけなのか、頭の中はスッキリしない。なんとなく、金髪が自分のそばにいてくれたのは理解できたが、詳しく話しを聞きたくても、今は長い会話をする自信がなかった。
シャワーから上がると、立っているのが辛く、ドライヤーもそこそこに、また布団に潜り込んだ。
「金髪さん、ごめんなさい。」
優里はそう言って目を閉じた。少しウトウトし始めた頃、黒髪は優里を起こした。
「ほら、食べな。」
大きなおにぎりを優里に渡すと、
「食べたら、薬を飲んでね。」
そう言った。
優里はおにぎりを半分食べると、残りはラップで丁寧に包んだ。
「やっぱり、少し大きかったか。」
黒髪はそう言った。
「美味しかった。残りは後から食べる。」
「これ、薬。」
黒髪は優里に薬を渡した。優里は手のひらに転がった3粒の薬を口に入れると、黒髪が用意した冷たい水で喉に流し込む。
「飲んだ?」
「うん。」
黒髪は優里のベッドの横に座った。
「金髪さん、もう帰りますか?」
優里は聞いた。黒髪は優里のおでこに手をあてると、
「きっと夜中に、また熱が出ると思うから、もう少しついててあげるから。」
そう言った。
「昨日はどこで寝たの?」
「ここ。」
黒髪はベッドの下の床を指さした。
「ごめんなさい。体、痛かったでしょう?」
「そりゃ痛いよ。寒かったしね。」
黒髪がそう言ったので、優里は立ち上がり、押し入れの前にきた。
「布団はもう一組あるの。出すの手伝ってくれない?」
優里は押し入れにある布団袋を引っ張り出そうとした。
「あとは俺がやるから。」
黒髪は布団袋から、敷布団や毛布を取り出している。優里は少しフラフラしたが、黒髪が手にしているシーツの端を持つと、一緒に広げ、布団の上に掛けた。
「なんかあったら、すぐに起こすんだよ。」
黒髪はそう言うと、優里をベッドへ寝かせた。
「電気消すよ。」
「うん。」
眠いはずなのに、頭の中でグルグルと何かが回っている。
「金髪さん?」
「何?」
「金髪さんも、風邪、引いたんじゃない?」
「アハハ、そうかもしれないね。」
「私が治ったら、ちゃんとお返しするからね。」
「楽しみにしてるよ。」
「おやすみなさい。」
「おやすみ。」
次の日の朝。
体が少し軽くなった。優里は黒髪を探したが、どこにもいなかった。テーブルの上には朝ごはんが用意されていて、ちゃんと食べなよ、そう書いたメモが置いたあった。
やっぱり、夢だったのか。
このメモは現実なのか?だとしたら、あの人、お節介にも程がある。ギターケースをぶつけた謝罪にしては、ずいぶんと重すぎやしないか。
優里は携帯から、男性の連絡先を探した。
<帰ったんですね。>
優里はその連絡先に恐る恐る送信してみると、すぐに既読がついた。
<ずいぶん、お世話になりました。>
<お礼はちゃんとしますから。>
優里は冷蔵庫から水を出して飲んだ。
<少しよくなったかい?>
黒髪からラインがきた。
<風邪、伝染ってませんか?>
<大丈夫。>
<本当?>
<本当だよ。せっかくだから、お礼はこっちで決めさせてもらうよ。>
<わかりました。>
<ちゃんと、ご飯食べるんだよ。>
<わかりました。>
<じゃあ、また連絡する。>
優里は昨日残したおにぎりを頬張った。
熱が下がった3日後。
優里はバイト先のコンビニに向かった。4月からバイトを始めて、もう3カ月近くになる。
「佐伯さん。今日から入った新しいバイト、指導、宜しく。」
店長はそう言ってバックヤードに消えた。
「佐伯?」
新しいバイトは、同級生の高田だった。
「高田くん。」
「佐伯、ここでバイトしてたんだ。」
高田は優里と距離を縮めてきたので、優里はこっちと店の中を案内した。優里がバイトの説明をしても、高田は聞いているのかよくわからない。数人の客を優里が対応すると、
「今度は高田くんがやってね。」
優里はそう言って、溢れそうになっていたゴミ箱を片付けに向かった。
「そういうのは、俺がやる。」
高田はゴミ箱を優里から奪うと、
「これどうするの?」
そう聞いた。
「ゴミ置き場わかる?店の裏にあるから。」
そう言って、客が向かっているレジへ、急いで戻った。
ゴミ捨てから戻った高田は、また優里の近くにきた。
「もうすぐ、荷物を載せたトラックがくるから、賞味期限切れ、チェックしないと。」
優里は商品の並ぶ棚に向かった。
「佐伯、すげーなお前。」
「高田くん、これ時間が切れてるから、端へ避けておいて。」
優里はそう言って、お弁当を棚の奥に隠した。
バイトが終わり、高田が一緒に帰ろうも優里の後をついてきた。
「お前んちもこの近くか?」
「そうだけど。」
優里は少し早足で歩いた。
「大学はどこだっけ?」
「駅の近く。」
「そっか、佐伯と俺は同じ大学か。キャンパスが違うから気が付かなった。」
優里は小走りになった。
「歩くの速いよ。」
高田が優里の肩を掴んだ。
「お腹が減ったから、早く帰りたいし。」
優里がそう言うと、
「じゃあ、一緒になんか食べてくか?」
高田は優里の隣りに並んだ。
「そんな事してたら、バイトしても意味ないよ。」
「俺が奢るからさ。」
「いい。」
優里は高田の誘いを断った。
「お前のテンション、いつ上がんの?」
高田はそう言って優里の顔を覗いた。
「ずっとこうだし。」
「なあ、八木と連絡取ってるのか?」
「ううん。」
「佐伯に聞けばわかると思ったんだけど。」
「気になるなら、あの大学に探しに行けばいいじゃない。人文学部らしいから。」
「一緒に行かないか?」
「行かないよ。」
「頼むって。ついてきてくれよ。」
「なんで私が、一緒に行くの?」
「佐伯しか頼めないんだ。」
「高田くん、」
優里は足を止めた。
「私、あっちだから。」
優里は走り出した。
悠への嫉妬と、望んでいない環境にいる自分への不甲斐なさに、後悔という名の導火線に火がつきそうだった。
家に着いて携帯を見ると、黒髪から連絡が来ていた
<こんばんは。>
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