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1章
5月の桜
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桜が咲き始めると、たいていは雨が降る。
4月を過ぎても雪が残るこの町は、まだ誰も春の訪れを知らない。
一人暮らしを始めから、もう3年になる。希望した会社をことごとく落ちた私は、家から6時間も離れている田舎の市役所に就職した。市役所と言っても、人口2万人に満たないこの町は、なんでも揃う町で暮していた自分にとって、クッキーがスカスカに並んだ、残念な箱の様だ。
ほしいものを求めるなら、少し時間をかけてでも、隣町に行くしかない。
町に揃う数少ないものでは、選ぶ事ができない。妥協して暮らす事が当たり前になってきたこの頃は、体にいいものだとか、人よりもキレイに見られたいという事なんて、正直どうでも良くなってきた。
もともと、意識の高い人間ではなかった自分にとっては、こんな退屈な町で、職場の愚痴を言って生きている方が、結局は都合がいいのかもしれないけれど。
「早瀬、書類は出来上がったか?」
課長の中山は、美咲を呼び出した。
「もう少しで出来上がります。」
「まったく、これから財務に説明に行くっていうのに早くしてくれよ。だいたいこの件は昨日のうちに決裁を回しておけって言っただろう?」
「すみません。少し直しが入ったので。」
「直しって、俺はそんな指示なんてしてないぞ。」
中山は眉間にシワを寄せた。
「今朝、総務から指摘が入ったんです。」
「ちっ、上の奴らは勝手だな。いいから早くやってしまえ。次からは総務なんかに相手にしなくてもいいから。」
中山はズボンのポケットに手を入れ、どこかへ行ってしまった。
大きな声で話していたせいか、隣りの課の人までもがこっちを見ている。これじゃあ、まるで私が悪いみたいじゃないか!美咲は席に戻り、仕事を再開した。親の仇を討つようにパソコンを叩いていると、だんだんと中山課長の理不尽な言い分に、ひどく腹が立っていた。
総務にも話しを通す様に指示してきたのは、堺部長なのに。また私が怒られるのは筋違いだよ!だいたい、昨日の夕方、急に国からの調査が入ったから、そっちの仕事を優先しろっていったのは、中山課長でしょう。原田さんの所には、かなり前から調査のメールが届いていたはずなのに、ずっと回答するのを忘れていたんだから、原田さんが責任をもってやればよかったのに。全部私に押し付けて、おかげでこっちは夜中の3時まで残業して、帰って寝たのは4時。
たった2時間半の睡眠で、朝から何も口にしないで動いてるんだから、どう考えても、冷静に仕事なんてできないよ。本当に最悪。
早瀬美咲《はやせみさき》は、机の中の飴をひとつ噛んで、パソコンに顔を近づけた。
お昼休み。
誰もいなくなった中山の席に、電話がなる。
「もしもし、中山?」
まただ、課長の私用の電話。
「恐れ入ります。中山課長は席を外しております。」
「ちっ、またかよ。」
この声は、いつも掛かってくる同級生だ。携帯番号を知ってんだろうから、はじめからそっちへ、掛けてくれればいいのに。
「戻りましたら、こちらからかけ直しいたしますので、お名前教えて頂けますか?」
美咲は名前は知っていたが、あえてそう言った。
「はあ?あんた新人?今年入った人?」
「いえ、」
「クソ、俺が誰か知ってるだろう!市役所は性もない奴を雇ったもんだな。」
電話を切ると、また電話がなる。
4月になってから、ゆっくりお昼ご飯を食べたのって、一体、いつだったのだろう。
美咲は机の中から、またひとつ飴を出して口に入れた。
言われた通り、昼イチで提出した決裁は、なんとか上まで通った様だ。
ホッとしてお茶を飲むと、
「早瀬!」
中山課長が呼ぶ声が聞こえる。
「予算書、今週中に頼んだよ。」
勘弁してよ。
今週って、明日はもう金曜日。美咲は、喉まで出掛かった言葉を、ゴクンと飲み込んだ。
「わかりました。」
そういうと、席に戻り、眠い目をこすった。
午前2時を過ぎた頃。
市民から苦情が入り、美咲はその家へ向かうよう、先輩の原田からいわれた。
送られてきた手紙が、別の人への内容だったらしい。ひたすら謝って、その人宛の書類を渡すと、回収した文書も持って、本来届くはずだった相手の所へ、謝罪に向かった。
全くついてない。
身に覚えのない手紙の事も、みんな私が処理するのか。
あの課長になってから、サービス残業は月に100時間超えている。時間だけの問題じゃなくて、心も体も本当にもボロボロ。
去年までの課長はすごく頼りになる人だったのに、今年は上司ガチャ、大ハズレ。
町から少し離れた場所から、トロトロと車を走らせ、職場へ戻っていると、昼下がりの車内は程よく暖かくて、美咲を眠りに誘った。
少しだけ、休もうかな。
美咲は海の見える駐車場に車を停め、運転席を倒し、眠った。
コンコン、コンコンコン!
車の窓を叩く音で目が覚める。
美咲は慌てて起き上がると、車を出て、窓を叩いた男性に謝った。
「ごめんなさい。少し、休憩を取ろうと思って。すぐに仕事には戻りますから。」
職員がサボっていると、市役所に報告されては困ると思い、美咲は男性に、お願いするように深く頭を下げた。
「疲れてるんだね。少し休んで行こうよ。」
男性はそう言って、海の方を指さした。
「仕事に戻らないと、ごめんなさい。」
美咲は車に乗り込もうとした。
「ねぇ、昼寝するなら、ネーム外したら?」
男性は美咲のネームホルダーを指さした。
「あっ、」
美咲は名前を裏返すと、急いで車に乗り込んだ。
市役所に戻ると、中山が美咲を呼んだ。
「こんな事、言いたくないけど、姫川さんは妊婦なんだ。早瀬が率先して仕事をやってくれないと、彼女の負担が増えるんだよ。今、姫川さんが持っている仕事、全部早瀬に回すから。」
はあ?とは、言えないか…。
「わかりました。」
私は今、どんな顔をしているのだろう。とても平常心でなんかいられないよ。もしもこの難題をやって退けたら、神様、どうか私に最強の味方をつけてくれ!美咲はそんな事を思いながら席に着くと、姫川がやってきた。
「早瀬さん、ごめんね~。つわりで体調がひどくて、なかなか仕事が満足にできないのよ。引き継ぎたいんですけど、いつがいいかな?」
美咲は自分の顔が引き攣るのがわかった。
なんでよ!
私だって、鎮痛剤を最大限に飲んで、生理痛を我慢して仕事をしてるっていうのに。
美咲は時計をチラッ見た。
16時か。
「私はいつでもいいですよ。」
美咲がそう答えると、
「じゃあ、今から引き継ぎするけど、いい?」
姫川はそう言って、美咲に一緒に食べようとお菓子を持ってきた。
お菓子を食べ終えた姫川は、そそくさと家に帰って行った。
私は妊婦になった事がないからわからないけど、姫川さんはそんなに体調が悪かったんだ。
疲れたと言って、すぐに休憩室に行くし、席にいても、いつも何か食べていて、口をモグモグさせて電話には出ない。
同じ女性職員なのに、仕事を他に回してもらえる姫川さんの違いは、空っぽの子宮なのかな。
結局、今日も残業か。
美咲が自動販売機でコーラを買おうとしていたら、
「奢ってやるよ。」
同期の安達丈《あだちたけし》がやってきた。
「いいよ。自分で買うから。」
「女なのに、毎回コーラ。もっと可愛らしいもの飲めよ。」
安達はそう言ってコーラを美咲に渡した。
「ありがとう、安達くん。」
別にコーラなんて飲みたくはないけど、小さな缶コーヒーが並ぶ中、真っ赤なコーラの缶を見ていると、なぜかそこにいつも手が伸びるんだよね。
美咲は冷たいコーラをおでこに当てると、急いで席に戻った。
女って勝手だね。守ってくれないと怒るのに、男から女のくせにとか言われると、平等に見てよ!なんて思ってしまう。安達くんに、私がどっちに見えたんだろう。
22時。
周りに誰もいなくなり、ポツンと美咲の上にだけ、明かりがついている。
さっきから、パソコンの中にあるはずの去年の資料を探してるのに、なかなかそれが見つからない。
原田さん、一体どこに保存したのだろう。
美咲は書庫から分厚いファイルを取り出した。
「早瀬。」
安達がやってきた。
「今日も残業か?」
「そうだけど。」
書類をめくっている美咲の隣りに、安達は座った。
「ほら、やるよ。」
安達は美咲の机にチョコレートを置いた。
「ありがとう。さっきもコーラ奢ってくれて、今日は優しいね。」
「なぁ、なんで早瀬だけが残ってんの?」
「さあ。皆は仕事が早いんじゃない。」
美咲は書類を見つけると、安達に目もくれずパソコンに向う。
「ごめん、安達くん。今日中にやらないもダメな仕事があるの。チョコレートありがとう。」
安達はキーボードを叩く美咲に近づいた。
「せっかく買ったのに、ぬるくなってるぞ。」
そう言って、机にあるコーラの缶を触った。
「仕方ないよ。」
美咲は相変わらず、パソコンから目をそらさない。
「早瀬、総務課長が気にしてたぞ。いつも残ってるのに、残業がぜんぜんついてないって。」
「私ね、広田課長ってちょっと苦手。」
「話しのわかる人だぞ。」
「そう?」
美咲は安達の顔をチラッと見た。
「安達くん、お疲れ様。」
安達に早く帰れと言わんばかりに、美咲は頭を下げた。
「大丈夫か、お前。」
「何が?」
「あんまり、遅くなるなよ。」
安達は美咲の肩を優しく叩いた。
「大丈夫だよ。」
美咲はまた、パソコンに向った。
午前2時。
真っ暗になった市役所の職員玄関を後にする。
強い風の中を歩いていると、庁舎の前に咲いている桜の花びらが、ハラハラと道に散らばり始めた。
咲いた花なら、散るのが定、か。
この曲、すごく好きだなあ。
昔の男の人は、仕事に命を捧げる事を、桜に例えていたんだよね。
何も言わずに散っていく生き方が、潔くて素敵な男性だと思われていなら、あの課長は本当に女々しくて、情けないやつって言うんだろうな。
美咲は少し笑えてくると、唇についた桜をそのまま飲み込んだ。
4月を過ぎても雪が残るこの町は、まだ誰も春の訪れを知らない。
一人暮らしを始めから、もう3年になる。希望した会社をことごとく落ちた私は、家から6時間も離れている田舎の市役所に就職した。市役所と言っても、人口2万人に満たないこの町は、なんでも揃う町で暮していた自分にとって、クッキーがスカスカに並んだ、残念な箱の様だ。
ほしいものを求めるなら、少し時間をかけてでも、隣町に行くしかない。
町に揃う数少ないものでは、選ぶ事ができない。妥協して暮らす事が当たり前になってきたこの頃は、体にいいものだとか、人よりもキレイに見られたいという事なんて、正直どうでも良くなってきた。
もともと、意識の高い人間ではなかった自分にとっては、こんな退屈な町で、職場の愚痴を言って生きている方が、結局は都合がいいのかもしれないけれど。
「早瀬、書類は出来上がったか?」
課長の中山は、美咲を呼び出した。
「もう少しで出来上がります。」
「まったく、これから財務に説明に行くっていうのに早くしてくれよ。だいたいこの件は昨日のうちに決裁を回しておけって言っただろう?」
「すみません。少し直しが入ったので。」
「直しって、俺はそんな指示なんてしてないぞ。」
中山は眉間にシワを寄せた。
「今朝、総務から指摘が入ったんです。」
「ちっ、上の奴らは勝手だな。いいから早くやってしまえ。次からは総務なんかに相手にしなくてもいいから。」
中山はズボンのポケットに手を入れ、どこかへ行ってしまった。
大きな声で話していたせいか、隣りの課の人までもがこっちを見ている。これじゃあ、まるで私が悪いみたいじゃないか!美咲は席に戻り、仕事を再開した。親の仇を討つようにパソコンを叩いていると、だんだんと中山課長の理不尽な言い分に、ひどく腹が立っていた。
総務にも話しを通す様に指示してきたのは、堺部長なのに。また私が怒られるのは筋違いだよ!だいたい、昨日の夕方、急に国からの調査が入ったから、そっちの仕事を優先しろっていったのは、中山課長でしょう。原田さんの所には、かなり前から調査のメールが届いていたはずなのに、ずっと回答するのを忘れていたんだから、原田さんが責任をもってやればよかったのに。全部私に押し付けて、おかげでこっちは夜中の3時まで残業して、帰って寝たのは4時。
たった2時間半の睡眠で、朝から何も口にしないで動いてるんだから、どう考えても、冷静に仕事なんてできないよ。本当に最悪。
早瀬美咲《はやせみさき》は、机の中の飴をひとつ噛んで、パソコンに顔を近づけた。
お昼休み。
誰もいなくなった中山の席に、電話がなる。
「もしもし、中山?」
まただ、課長の私用の電話。
「恐れ入ります。中山課長は席を外しております。」
「ちっ、またかよ。」
この声は、いつも掛かってくる同級生だ。携帯番号を知ってんだろうから、はじめからそっちへ、掛けてくれればいいのに。
「戻りましたら、こちらからかけ直しいたしますので、お名前教えて頂けますか?」
美咲は名前は知っていたが、あえてそう言った。
「はあ?あんた新人?今年入った人?」
「いえ、」
「クソ、俺が誰か知ってるだろう!市役所は性もない奴を雇ったもんだな。」
電話を切ると、また電話がなる。
4月になってから、ゆっくりお昼ご飯を食べたのって、一体、いつだったのだろう。
美咲は机の中から、またひとつ飴を出して口に入れた。
言われた通り、昼イチで提出した決裁は、なんとか上まで通った様だ。
ホッとしてお茶を飲むと、
「早瀬!」
中山課長が呼ぶ声が聞こえる。
「予算書、今週中に頼んだよ。」
勘弁してよ。
今週って、明日はもう金曜日。美咲は、喉まで出掛かった言葉を、ゴクンと飲み込んだ。
「わかりました。」
そういうと、席に戻り、眠い目をこすった。
午前2時を過ぎた頃。
市民から苦情が入り、美咲はその家へ向かうよう、先輩の原田からいわれた。
送られてきた手紙が、別の人への内容だったらしい。ひたすら謝って、その人宛の書類を渡すと、回収した文書も持って、本来届くはずだった相手の所へ、謝罪に向かった。
全くついてない。
身に覚えのない手紙の事も、みんな私が処理するのか。
あの課長になってから、サービス残業は月に100時間超えている。時間だけの問題じゃなくて、心も体も本当にもボロボロ。
去年までの課長はすごく頼りになる人だったのに、今年は上司ガチャ、大ハズレ。
町から少し離れた場所から、トロトロと車を走らせ、職場へ戻っていると、昼下がりの車内は程よく暖かくて、美咲を眠りに誘った。
少しだけ、休もうかな。
美咲は海の見える駐車場に車を停め、運転席を倒し、眠った。
コンコン、コンコンコン!
車の窓を叩く音で目が覚める。
美咲は慌てて起き上がると、車を出て、窓を叩いた男性に謝った。
「ごめんなさい。少し、休憩を取ろうと思って。すぐに仕事には戻りますから。」
職員がサボっていると、市役所に報告されては困ると思い、美咲は男性に、お願いするように深く頭を下げた。
「疲れてるんだね。少し休んで行こうよ。」
男性はそう言って、海の方を指さした。
「仕事に戻らないと、ごめんなさい。」
美咲は車に乗り込もうとした。
「ねぇ、昼寝するなら、ネーム外したら?」
男性は美咲のネームホルダーを指さした。
「あっ、」
美咲は名前を裏返すと、急いで車に乗り込んだ。
市役所に戻ると、中山が美咲を呼んだ。
「こんな事、言いたくないけど、姫川さんは妊婦なんだ。早瀬が率先して仕事をやってくれないと、彼女の負担が増えるんだよ。今、姫川さんが持っている仕事、全部早瀬に回すから。」
はあ?とは、言えないか…。
「わかりました。」
私は今、どんな顔をしているのだろう。とても平常心でなんかいられないよ。もしもこの難題をやって退けたら、神様、どうか私に最強の味方をつけてくれ!美咲はそんな事を思いながら席に着くと、姫川がやってきた。
「早瀬さん、ごめんね~。つわりで体調がひどくて、なかなか仕事が満足にできないのよ。引き継ぎたいんですけど、いつがいいかな?」
美咲は自分の顔が引き攣るのがわかった。
なんでよ!
私だって、鎮痛剤を最大限に飲んで、生理痛を我慢して仕事をしてるっていうのに。
美咲は時計をチラッ見た。
16時か。
「私はいつでもいいですよ。」
美咲がそう答えると、
「じゃあ、今から引き継ぎするけど、いい?」
姫川はそう言って、美咲に一緒に食べようとお菓子を持ってきた。
お菓子を食べ終えた姫川は、そそくさと家に帰って行った。
私は妊婦になった事がないからわからないけど、姫川さんはそんなに体調が悪かったんだ。
疲れたと言って、すぐに休憩室に行くし、席にいても、いつも何か食べていて、口をモグモグさせて電話には出ない。
同じ女性職員なのに、仕事を他に回してもらえる姫川さんの違いは、空っぽの子宮なのかな。
結局、今日も残業か。
美咲が自動販売機でコーラを買おうとしていたら、
「奢ってやるよ。」
同期の安達丈《あだちたけし》がやってきた。
「いいよ。自分で買うから。」
「女なのに、毎回コーラ。もっと可愛らしいもの飲めよ。」
安達はそう言ってコーラを美咲に渡した。
「ありがとう、安達くん。」
別にコーラなんて飲みたくはないけど、小さな缶コーヒーが並ぶ中、真っ赤なコーラの缶を見ていると、なぜかそこにいつも手が伸びるんだよね。
美咲は冷たいコーラをおでこに当てると、急いで席に戻った。
女って勝手だね。守ってくれないと怒るのに、男から女のくせにとか言われると、平等に見てよ!なんて思ってしまう。安達くんに、私がどっちに見えたんだろう。
22時。
周りに誰もいなくなり、ポツンと美咲の上にだけ、明かりがついている。
さっきから、パソコンの中にあるはずの去年の資料を探してるのに、なかなかそれが見つからない。
原田さん、一体どこに保存したのだろう。
美咲は書庫から分厚いファイルを取り出した。
「早瀬。」
安達がやってきた。
「今日も残業か?」
「そうだけど。」
書類をめくっている美咲の隣りに、安達は座った。
「ほら、やるよ。」
安達は美咲の机にチョコレートを置いた。
「ありがとう。さっきもコーラ奢ってくれて、今日は優しいね。」
「なぁ、なんで早瀬だけが残ってんの?」
「さあ。皆は仕事が早いんじゃない。」
美咲は書類を見つけると、安達に目もくれずパソコンに向う。
「ごめん、安達くん。今日中にやらないもダメな仕事があるの。チョコレートありがとう。」
安達はキーボードを叩く美咲に近づいた。
「せっかく買ったのに、ぬるくなってるぞ。」
そう言って、机にあるコーラの缶を触った。
「仕方ないよ。」
美咲は相変わらず、パソコンから目をそらさない。
「早瀬、総務課長が気にしてたぞ。いつも残ってるのに、残業がぜんぜんついてないって。」
「私ね、広田課長ってちょっと苦手。」
「話しのわかる人だぞ。」
「そう?」
美咲は安達の顔をチラッと見た。
「安達くん、お疲れ様。」
安達に早く帰れと言わんばかりに、美咲は頭を下げた。
「大丈夫か、お前。」
「何が?」
「あんまり、遅くなるなよ。」
安達は美咲の肩を優しく叩いた。
「大丈夫だよ。」
美咲はまた、パソコンに向った。
午前2時。
真っ暗になった市役所の職員玄関を後にする。
強い風の中を歩いていると、庁舎の前に咲いている桜の花びらが、ハラハラと道に散らばり始めた。
咲いた花なら、散るのが定、か。
この曲、すごく好きだなあ。
昔の男の人は、仕事に命を捧げる事を、桜に例えていたんだよね。
何も言わずに散っていく生き方が、潔くて素敵な男性だと思われていなら、あの課長は本当に女々しくて、情けないやつって言うんだろうな。
美咲は少し笑えてくると、唇についた桜をそのまま飲み込んだ。
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