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6章
野球場
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電車の中、家まで帰る途中、家に着いて湯船に浸かりながら、美里は相川の事を考えていた。真由と一緒にいた相川と真由は、もう恋人同士になったのだろうか。それとも、真由が相川を誘っているのは、やっぱり私が不幸になればいいと思っているからなのだろうか。
久しぶりに話した梶原とは、昔のようにいろんな話しができて嬉しかったけれど、好きとか嫌いとかそんな気持ちに振り回されず、ずっと友達のままでいたいと美里は思っていた。
勝手だよね。梶原はどんな気持ちで、自分を家に呼んだと思ってるんだろう。傷つけるくらいなら、梶原の気持ちに答えてしまえば良かっただろうか。
家にいると、急に外に出るのがめんどくさくなってきた。野球を観たい気持ちはあるけれど、やっぱり、梶原の誘いを断れば良かったな。
お風呂から上がると、美里は久しぶりにテレビををつけた。
ケラケラと笑う声が耳に刺さる。ため息をつくと、つけたばっかりのテレビを消して、ドライヤーで髪を乾かし始めた。
~ピンポン~
玄関のチャイムがなった。
のぞき窓の向こうに相川が立っている。美里は急いでドアをあける。
「相川さん。」
「おはよう。この前のてんとう虫の本、ありがとう。それと、これはお礼の本。」
相川は美里が貸したてんとう虫の本の上に、紺色の表紙にビルマの竪琴と書かれた本を置いた。
「読んでみて、兵隊さん達の会話が、けっこういいんだよ。もしかして、美里ちゃん、出掛けるんだった? 」
帰ろうとした相川を美里は呼び止めた。梶原と約束した時間にはまだ十分余裕がある。
「相川さん。お茶飲みませんか。」
相川は微笑んで、じゃあと部屋に入ってくる。
美里は慌てて、出していた鏡をテーブルから避けた。
「ごめんね、こんな時に。」
美里は昨日、相川と真由と一緒だった事が気になっていた。自分に悪気なく手を振ったのは、どういう意味だったんだろう。聞こうとしているのに、聞きたくない自分がいる。
美里は相川に紅茶を出した。
「昨夜、梶原さんと一緒だったんだね。」
最初に話し始めたのは相川だった。
「梶原くんと野球を観に行こうとしてたけど、雨だったから、中止になって。」
「そうだったのか。 俺、城田さんから4人でご飯に行こうと連絡があって、せっかく楽しみにしてたのに、美里ちゃんと梶原くんが歩いてて、なんか変だなって思ったよ。腑に落ちないけど、城田さんの誘いを断り切れなくて、二人で前の居酒屋に行ったんだ。城田さんが言ってたけど、梶原くんと美里ちゃんは付き合ってるって……。」
「付き合ってませんよ。」
「そっか。」
梶原はホッとして美里の入れた紅茶を飲むと、紅茶なんか久しぶりだ、と美里に言った。
「ごめんなさい。コーヒーにすれば良かった?」
「ううん。いつもめんどくさいって言うのに、ちゃんとお湯沸かして、葉っぱから入れる子なんだなって思って。」
「葉っぱ?」
「そう、葉っぱだよ。この前のお茶も、葉っぱから入れてくれたでしょ?」
美里はそう、葉っぱから入れたと笑った。
「美里ちゃん、これからどこに行くの?」
答えられず、相川が返したてんとう虫の本をパラパラとめくった。何も言わない美里を見て、
「この本は、やっぱり俺がもらってもいい?」
相川は美里が手にしていた本を指差した。美里はどうぞ、とその本を相川に渡した。
「最初から相川さんの所に行くようになってかも。ほら、あの雨の日の本だから。」
なんとなく疲れているように見えた美里に、
「ごめん、俺も行くわ。昼から部活の指導もあるし。」
相川はそう言って立ち上がった。一緒に立ち上がった美里は
「この本、読みますね。」
そう言った。
「すぐに読めると思うよ。そんなに長くないから。良かったら、今度はもっと長い話しの本、持ってくるよ。また来てもいいかな?」
「今度、ゆっくり来てください。」
相川は美里の頭を撫でて笑った。梶原と待ち合わせをしている事を言い出せなくて、美里は相川を裏切っているような気持ちになった。
玄関を出ていく相川を見送ったあと、美里は冷たい水を顔に掛けた。
梶原からラインがくる。
「神宮で待ってるから。」
先についていた梶原は、メガネを掛けてきた美里に気がついていない。
「梶原くん。」
美里が声を掛け、やっと気がついた。
「本当は眠いんでしょ?」
「さっき、少しの寝たから大丈夫。真中、なんで今日はメガネなの?」
「昨日、コンタクトのまま寝たから、目が少し痛くって。」
「それなら言ってくれれば良かったのに。」
「私、たまにやるの。ほら、なんでもめんどくさい人だから。朝起きて、目が痛くなるのはしょっちゅう。」
梶原は笑った。
「早く行こうよ。」
そう言って美里は歩き始める。
「楽しそうだな。」
「久しぶりだもん。」
「席、横浜側だよ。」
「うそ!」
「ヤクルト側だと、美里は夢中になって俺の事忘れるだろ。だから横浜側にした。」
「梶原くん、いじわるだね。」
「昨日の仕返しだよ。」
「仕返しって、私何かした?」
「一晩中、隣りにいて何もできないってどんな気持ちかわかるか?」
「ごめん。」
「謝るなよ。それにさ、今日は澤崎さんの誕生日だ。一緒に横浜、応援しようよ。」
「澤崎さん、横浜好きだったからね。」
「澤崎さんが企画にきてから、少しの間だったけど、よく話してたんだ。真中の事も。」
梶原は、席はここだと美里に教えると、飲み物を買ってくるから、といなくなった。
青いユニフォームが並ぶ席の中で、美里は梶原の事を待っていた。なかなかこない梶原の姿を探そうと、通路を見上げた時、
上の席に座っている亜沙美の姿があった。
美里は席を立ち、亜沙美の近くまで階段を登っていった。
「亜沙美さん!」
美里が声を掛けると、亜沙美は席を立ちゆっくり美里に近づいてきた。美里の立っている階段までやってきた亜沙美は、メガネをはずした美里を見て、名前を呼んだのは、ようやく美里だと気がついた。
「美里ちゃん?」
「亜沙美さん、元気でしたか?」
美里も亜沙美も涙が溢れてくる。
「会いたかったです。亜沙美さんに。」
美里は亜沙美に抱きついた。
「美里ちゃんは、今日はどうしてここにいるの? 美里ちゃんは確かヤクルトファンだったと思ったけど。」
「梶原くんが、今日は澤崎さんの誕生日だから、横浜側で見ようって。」
「企画の梶原くん?」
「そうです。澤崎さんが横浜ファンだって覚えてたみたいです
「渉、喜ぶね。」
「亜沙美さんは、今どこにいるんですか?」
亜沙美と美里が話していると、梶原がビールを両手に持ってやってくる。
亜沙美に再会した梶原は驚いて固まっていた。そんな梶原を見た美里は、
「梶原くん、私、もう一つビール買ってくるから、亜沙美さんにこれをあげて。」
そう言って階段を駆け上がると、スタンドから離れ、飲食店が並ぶ通りや、グッズショップをウロウロしていた。
梶原は亜沙美を美里の席に案内し、一緒にビールを飲んでいた。
「梶原くん、澤崎さんの誕生日、覚えてたんだね。」
「覚えてましたよ。昭和天皇の誕生日だって、よく話してくれたんで。亜沙美さんはそれでここに来たんですか?」
「そう。去年のこの日も、なんとなく野球を観てたの。」
「今、どこにいるんですか?」
「北海道の小さな町で、保育園の先生をしてる。」
「なんで、そんな遠くに行ったんですか?」
「私、昔、北海道に住んでてね。今いる保育園は、その時私が通ってた保育園なの。」
「じゃあ、亜沙美さんの実家は北海道なんですか?」
「両親は東京よ。私の両親って離婚したの。小さい頃は北海道に住んでいたんだけど、私が小学3年の時に、新しい父の住むこっちにやってきたの。」
「東京でも保育士できたでしょ? それに、亜沙美さんが会社を辞めることなんか、なかったんですよ。」
「梶原くん。私ね、渉が死んで少しホッとしたの。いろんな思い出を整理したくてね。あの会社は好きだったけど、渉の思い出が詰まったあの場所には、苦しくていられなくなったの。
渉が企画に異動してから、お互いに毎日すごくイライラしてね、会うとケンカばかりなのに、会わないと気持ちが離れていきそうで。別れようって言ったのは、私の方から。本当の事いうと、そんなケンカの繰り返しから解放されて、正直ホッとした。」
「ケンカって、城田さんの事が原因?」
「ううん。それだけじゃない。いろいろあるの。」
「澤崎さん、体調も悪かったって聞きました。」
「そう。別れた後に、風邪を引いて、助けてくれってラインがきてね。最初は無視してたんだけど、なんだか気になって家に行ってみたら、ずっと咳が止まらないし、体に力が入らなくなっててね。見兼ねて渉の実家に連れて行ったの。そんな渉を見たのは初めてだったし、元気になったら、またやり直したいなって勝手に思ってた。渉は毎日どんな気持ちだったんだろうな。」
「そんなに思っているのに、なんで別れてしまったんですか? 澤崎さんも、亜沙美さんの事が大好きだったのに。」
「なんでだろうね。本当に。」
亜沙美はそういうと遠くを見た。
梶原は、そんな亜沙美の横顔を見ながら、自分が閉じ込めていた亜沙美への想いが溢れてきそうになる。
「美里ちゃん、遅いね。」
スタンドを探す亜沙美に梶原は言った。
「あいつ、きっと、どこかで時間を潰してるんだと思います。」
「どういう事?」
「こっちもいろいろあるんですよ。」
「美里ちゃんとも話したいな。梶原くんは美里ちゃんと付き合ってるの?」
「付き合ってないですよ。真中は澤崎さんがいなくなってから、家に閉じこもる事が多くなって、この前、栄養失調で倒れました。本当、危なかっしくて心配なんです。」
「あの明るい美里ちゃんからは想像できない。渉はね、美里ちゃんと話すのが楽しかったみたいね。企画に異動になった時、ずいぶん淋しいそうだった。」
亜沙美は笑いながら、
「美里ちゃんって、いつも変なところで気を使うの子なのよね。渉の事、本当は好きだったと思うよ。渉も美里ちゃんにはガツガツ言ってたじゃない? ずっと一緒いたいと思ってたのって、私じゃなくて美里ちゃんの方だったんじゃないかな。」
そう言った。
「亜沙美さんは、真中の事が邪魔じゃなかったんですか?」
「どうして?」
「いつも彼氏の近くにいる女って、気になるじゃないですか?」
「美里ちゃんなら、仕方ないなって思ってた。」
「今は付き合ってる人とかいるんですか?」
「いないよ。渉との思い出、少しずつ整理してる。」
亜沙美の言葉を聞いて、梶原は少しホッとした。
「どうして北海道で保育士になったんですか?」
「元々、大学では幼児教育の勉強をしてたから、ずっとやりたいなって思っていたの。保育士になるなら、大好きな北海道の保育園に行こうと思ってね。」
「亜沙美さんなら、子供達からも人気でしょうね。」
「子供達といると、毎日あっという間よ。」
「こっちには、いつまでいるんですか?」
「明日には帰る。梶原くん、美里ちゃん呼んできてよ。いい加減、帰ってきてもいいと思うけど。」
梶原は美里の事を思い出した。そうだ、真中とここに来たんだった。
「もしもし、真中。早くこいよ。試合始まってるぞ。」
「梶原くん。やっぱり私、ヤクルト側で見るから。ウロウロしてたら、おじさんにナンパされちゃった。」
「真中、何言ってんだよ。」
「じゃあ。」
美里はそう言うと電話を切った。
梶原の隣りで笑っている亜沙美に
「今の聞こえました? 本当に自由なやつですよ。」
そう言いながら、梶原は少しホッとしていた。
試合が終わり、待ち合わせの場所に来た美里は、すっかり酔っているようだった。
「真中、お前は誰と飲んでたんだ?」
「通りすがりのおじさんとだよ。隣りの席のお友達が仕事で来れなくなって、席が一つ空いたんだって。ビールを買ってモニターを見てたら、声掛けてくれたの。おじさんの席、けっこういい場所でね。バッチリ、選手もつば九郎も見れたよ。試合は勝ったし、おじさんはどんどんビールくれるし、楽しかったぁ。」
笑いが止まらない亜沙美を見ながら梶原は言った。
「真中、今日は澤崎さんの誕生日だぞ!」
「仕方ないじゃん、試合は試合なんだし。」
美里は小さな傘を持っていた。
「これは?」
「おじさんにもらった。」
美里は傘を広げて見せた。
「亜沙美さん、元気で良かった。今度、亜沙美さんの家に遊びに行きます。」
「適当な事言うなよ。亜沙美さんは北海道にいるんだぞ。」
「えーっ!」
「今から少し飲もうかって話してたところ。」
「私はもうたくさん飲んだから、梶原くんと二人で行って来たらいいよ。亜沙美さん、今度遊びに行きますから、梶原くんに住所教えておいて下さい。」
帰ろうとする美里を亜沙美は止めた。
「美里ちゃん。ずっと美里ちゃんの事、待ってたんだよ。渉の話し、3人でしようよ。」
美里は少し考えていると、亜沙美は、
「変な所で気を使わなくていいの。」
そう言って、美里と歩き始めた。
店に着くと、亜沙美を挟んで梶原と美里が座る。
「おかしくない? この席。」
亜沙美はそう言って笑った。
「美里ちゃん、梶原くんの隣りに行きなよ。」
美里はメガネを外し、おしぼりを顔に当てていた。
「梶原くん。美里ちゃんっていつもこうなの?」
亜沙美と梶原は笑っていた。
「澤崎さん、がっかりしてますかね?」
「渉はこんな美里ちゃんが好きだったのよ。」
亜沙美は眠り掛けた美里の頭を撫でた。
久しぶりに話した梶原とは、昔のようにいろんな話しができて嬉しかったけれど、好きとか嫌いとかそんな気持ちに振り回されず、ずっと友達のままでいたいと美里は思っていた。
勝手だよね。梶原はどんな気持ちで、自分を家に呼んだと思ってるんだろう。傷つけるくらいなら、梶原の気持ちに答えてしまえば良かっただろうか。
家にいると、急に外に出るのがめんどくさくなってきた。野球を観たい気持ちはあるけれど、やっぱり、梶原の誘いを断れば良かったな。
お風呂から上がると、美里は久しぶりにテレビををつけた。
ケラケラと笑う声が耳に刺さる。ため息をつくと、つけたばっかりのテレビを消して、ドライヤーで髪を乾かし始めた。
~ピンポン~
玄関のチャイムがなった。
のぞき窓の向こうに相川が立っている。美里は急いでドアをあける。
「相川さん。」
「おはよう。この前のてんとう虫の本、ありがとう。それと、これはお礼の本。」
相川は美里が貸したてんとう虫の本の上に、紺色の表紙にビルマの竪琴と書かれた本を置いた。
「読んでみて、兵隊さん達の会話が、けっこういいんだよ。もしかして、美里ちゃん、出掛けるんだった? 」
帰ろうとした相川を美里は呼び止めた。梶原と約束した時間にはまだ十分余裕がある。
「相川さん。お茶飲みませんか。」
相川は微笑んで、じゃあと部屋に入ってくる。
美里は慌てて、出していた鏡をテーブルから避けた。
「ごめんね、こんな時に。」
美里は昨日、相川と真由と一緒だった事が気になっていた。自分に悪気なく手を振ったのは、どういう意味だったんだろう。聞こうとしているのに、聞きたくない自分がいる。
美里は相川に紅茶を出した。
「昨夜、梶原さんと一緒だったんだね。」
最初に話し始めたのは相川だった。
「梶原くんと野球を観に行こうとしてたけど、雨だったから、中止になって。」
「そうだったのか。 俺、城田さんから4人でご飯に行こうと連絡があって、せっかく楽しみにしてたのに、美里ちゃんと梶原くんが歩いてて、なんか変だなって思ったよ。腑に落ちないけど、城田さんの誘いを断り切れなくて、二人で前の居酒屋に行ったんだ。城田さんが言ってたけど、梶原くんと美里ちゃんは付き合ってるって……。」
「付き合ってませんよ。」
「そっか。」
梶原はホッとして美里の入れた紅茶を飲むと、紅茶なんか久しぶりだ、と美里に言った。
「ごめんなさい。コーヒーにすれば良かった?」
「ううん。いつもめんどくさいって言うのに、ちゃんとお湯沸かして、葉っぱから入れる子なんだなって思って。」
「葉っぱ?」
「そう、葉っぱだよ。この前のお茶も、葉っぱから入れてくれたでしょ?」
美里はそう、葉っぱから入れたと笑った。
「美里ちゃん、これからどこに行くの?」
答えられず、相川が返したてんとう虫の本をパラパラとめくった。何も言わない美里を見て、
「この本は、やっぱり俺がもらってもいい?」
相川は美里が手にしていた本を指差した。美里はどうぞ、とその本を相川に渡した。
「最初から相川さんの所に行くようになってかも。ほら、あの雨の日の本だから。」
なんとなく疲れているように見えた美里に、
「ごめん、俺も行くわ。昼から部活の指導もあるし。」
相川はそう言って立ち上がった。一緒に立ち上がった美里は
「この本、読みますね。」
そう言った。
「すぐに読めると思うよ。そんなに長くないから。良かったら、今度はもっと長い話しの本、持ってくるよ。また来てもいいかな?」
「今度、ゆっくり来てください。」
相川は美里の頭を撫でて笑った。梶原と待ち合わせをしている事を言い出せなくて、美里は相川を裏切っているような気持ちになった。
玄関を出ていく相川を見送ったあと、美里は冷たい水を顔に掛けた。
梶原からラインがくる。
「神宮で待ってるから。」
先についていた梶原は、メガネを掛けてきた美里に気がついていない。
「梶原くん。」
美里が声を掛け、やっと気がついた。
「本当は眠いんでしょ?」
「さっき、少しの寝たから大丈夫。真中、なんで今日はメガネなの?」
「昨日、コンタクトのまま寝たから、目が少し痛くって。」
「それなら言ってくれれば良かったのに。」
「私、たまにやるの。ほら、なんでもめんどくさい人だから。朝起きて、目が痛くなるのはしょっちゅう。」
梶原は笑った。
「早く行こうよ。」
そう言って美里は歩き始める。
「楽しそうだな。」
「久しぶりだもん。」
「席、横浜側だよ。」
「うそ!」
「ヤクルト側だと、美里は夢中になって俺の事忘れるだろ。だから横浜側にした。」
「梶原くん、いじわるだね。」
「昨日の仕返しだよ。」
「仕返しって、私何かした?」
「一晩中、隣りにいて何もできないってどんな気持ちかわかるか?」
「ごめん。」
「謝るなよ。それにさ、今日は澤崎さんの誕生日だ。一緒に横浜、応援しようよ。」
「澤崎さん、横浜好きだったからね。」
「澤崎さんが企画にきてから、少しの間だったけど、よく話してたんだ。真中の事も。」
梶原は、席はここだと美里に教えると、飲み物を買ってくるから、といなくなった。
青いユニフォームが並ぶ席の中で、美里は梶原の事を待っていた。なかなかこない梶原の姿を探そうと、通路を見上げた時、
上の席に座っている亜沙美の姿があった。
美里は席を立ち、亜沙美の近くまで階段を登っていった。
「亜沙美さん!」
美里が声を掛けると、亜沙美は席を立ちゆっくり美里に近づいてきた。美里の立っている階段までやってきた亜沙美は、メガネをはずした美里を見て、名前を呼んだのは、ようやく美里だと気がついた。
「美里ちゃん?」
「亜沙美さん、元気でしたか?」
美里も亜沙美も涙が溢れてくる。
「会いたかったです。亜沙美さんに。」
美里は亜沙美に抱きついた。
「美里ちゃんは、今日はどうしてここにいるの? 美里ちゃんは確かヤクルトファンだったと思ったけど。」
「梶原くんが、今日は澤崎さんの誕生日だから、横浜側で見ようって。」
「企画の梶原くん?」
「そうです。澤崎さんが横浜ファンだって覚えてたみたいです
「渉、喜ぶね。」
「亜沙美さんは、今どこにいるんですか?」
亜沙美と美里が話していると、梶原がビールを両手に持ってやってくる。
亜沙美に再会した梶原は驚いて固まっていた。そんな梶原を見た美里は、
「梶原くん、私、もう一つビール買ってくるから、亜沙美さんにこれをあげて。」
そう言って階段を駆け上がると、スタンドから離れ、飲食店が並ぶ通りや、グッズショップをウロウロしていた。
梶原は亜沙美を美里の席に案内し、一緒にビールを飲んでいた。
「梶原くん、澤崎さんの誕生日、覚えてたんだね。」
「覚えてましたよ。昭和天皇の誕生日だって、よく話してくれたんで。亜沙美さんはそれでここに来たんですか?」
「そう。去年のこの日も、なんとなく野球を観てたの。」
「今、どこにいるんですか?」
「北海道の小さな町で、保育園の先生をしてる。」
「なんで、そんな遠くに行ったんですか?」
「私、昔、北海道に住んでてね。今いる保育園は、その時私が通ってた保育園なの。」
「じゃあ、亜沙美さんの実家は北海道なんですか?」
「両親は東京よ。私の両親って離婚したの。小さい頃は北海道に住んでいたんだけど、私が小学3年の時に、新しい父の住むこっちにやってきたの。」
「東京でも保育士できたでしょ? それに、亜沙美さんが会社を辞めることなんか、なかったんですよ。」
「梶原くん。私ね、渉が死んで少しホッとしたの。いろんな思い出を整理したくてね。あの会社は好きだったけど、渉の思い出が詰まったあの場所には、苦しくていられなくなったの。
渉が企画に異動してから、お互いに毎日すごくイライラしてね、会うとケンカばかりなのに、会わないと気持ちが離れていきそうで。別れようって言ったのは、私の方から。本当の事いうと、そんなケンカの繰り返しから解放されて、正直ホッとした。」
「ケンカって、城田さんの事が原因?」
「ううん。それだけじゃない。いろいろあるの。」
「澤崎さん、体調も悪かったって聞きました。」
「そう。別れた後に、風邪を引いて、助けてくれってラインがきてね。最初は無視してたんだけど、なんだか気になって家に行ってみたら、ずっと咳が止まらないし、体に力が入らなくなっててね。見兼ねて渉の実家に連れて行ったの。そんな渉を見たのは初めてだったし、元気になったら、またやり直したいなって勝手に思ってた。渉は毎日どんな気持ちだったんだろうな。」
「そんなに思っているのに、なんで別れてしまったんですか? 澤崎さんも、亜沙美さんの事が大好きだったのに。」
「なんでだろうね。本当に。」
亜沙美はそういうと遠くを見た。
梶原は、そんな亜沙美の横顔を見ながら、自分が閉じ込めていた亜沙美への想いが溢れてきそうになる。
「美里ちゃん、遅いね。」
スタンドを探す亜沙美に梶原は言った。
「あいつ、きっと、どこかで時間を潰してるんだと思います。」
「どういう事?」
「こっちもいろいろあるんですよ。」
「美里ちゃんとも話したいな。梶原くんは美里ちゃんと付き合ってるの?」
「付き合ってないですよ。真中は澤崎さんがいなくなってから、家に閉じこもる事が多くなって、この前、栄養失調で倒れました。本当、危なかっしくて心配なんです。」
「あの明るい美里ちゃんからは想像できない。渉はね、美里ちゃんと話すのが楽しかったみたいね。企画に異動になった時、ずいぶん淋しいそうだった。」
亜沙美は笑いながら、
「美里ちゃんって、いつも変なところで気を使うの子なのよね。渉の事、本当は好きだったと思うよ。渉も美里ちゃんにはガツガツ言ってたじゃない? ずっと一緒いたいと思ってたのって、私じゃなくて美里ちゃんの方だったんじゃないかな。」
そう言った。
「亜沙美さんは、真中の事が邪魔じゃなかったんですか?」
「どうして?」
「いつも彼氏の近くにいる女って、気になるじゃないですか?」
「美里ちゃんなら、仕方ないなって思ってた。」
「今は付き合ってる人とかいるんですか?」
「いないよ。渉との思い出、少しずつ整理してる。」
亜沙美の言葉を聞いて、梶原は少しホッとした。
「どうして北海道で保育士になったんですか?」
「元々、大学では幼児教育の勉強をしてたから、ずっとやりたいなって思っていたの。保育士になるなら、大好きな北海道の保育園に行こうと思ってね。」
「亜沙美さんなら、子供達からも人気でしょうね。」
「子供達といると、毎日あっという間よ。」
「こっちには、いつまでいるんですか?」
「明日には帰る。梶原くん、美里ちゃん呼んできてよ。いい加減、帰ってきてもいいと思うけど。」
梶原は美里の事を思い出した。そうだ、真中とここに来たんだった。
「もしもし、真中。早くこいよ。試合始まってるぞ。」
「梶原くん。やっぱり私、ヤクルト側で見るから。ウロウロしてたら、おじさんにナンパされちゃった。」
「真中、何言ってんだよ。」
「じゃあ。」
美里はそう言うと電話を切った。
梶原の隣りで笑っている亜沙美に
「今の聞こえました? 本当に自由なやつですよ。」
そう言いながら、梶原は少しホッとしていた。
試合が終わり、待ち合わせの場所に来た美里は、すっかり酔っているようだった。
「真中、お前は誰と飲んでたんだ?」
「通りすがりのおじさんとだよ。隣りの席のお友達が仕事で来れなくなって、席が一つ空いたんだって。ビールを買ってモニターを見てたら、声掛けてくれたの。おじさんの席、けっこういい場所でね。バッチリ、選手もつば九郎も見れたよ。試合は勝ったし、おじさんはどんどんビールくれるし、楽しかったぁ。」
笑いが止まらない亜沙美を見ながら梶原は言った。
「真中、今日は澤崎さんの誕生日だぞ!」
「仕方ないじゃん、試合は試合なんだし。」
美里は小さな傘を持っていた。
「これは?」
「おじさんにもらった。」
美里は傘を広げて見せた。
「亜沙美さん、元気で良かった。今度、亜沙美さんの家に遊びに行きます。」
「適当な事言うなよ。亜沙美さんは北海道にいるんだぞ。」
「えーっ!」
「今から少し飲もうかって話してたところ。」
「私はもうたくさん飲んだから、梶原くんと二人で行って来たらいいよ。亜沙美さん、今度遊びに行きますから、梶原くんに住所教えておいて下さい。」
帰ろうとする美里を亜沙美は止めた。
「美里ちゃん。ずっと美里ちゃんの事、待ってたんだよ。渉の話し、3人でしようよ。」
美里は少し考えていると、亜沙美は、
「変な所で気を使わなくていいの。」
そう言って、美里と歩き始めた。
店に着くと、亜沙美を挟んで梶原と美里が座る。
「おかしくない? この席。」
亜沙美はそう言って笑った。
「美里ちゃん、梶原くんの隣りに行きなよ。」
美里はメガネを外し、おしぼりを顔に当てていた。
「梶原くん。美里ちゃんっていつもこうなの?」
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「澤崎さん、がっかりしてますかね?」
「渉はこんな美里ちゃんが好きだったのよ。」
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