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第一部 幼年編
『結・吟遊詩人』※幼年編最終部分
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吟遊詩人は伝説の英雄、イズヴァルトのサーガの幼年時代の歌を終えてリュートを脇に置いた。
拍手は起こらなかった。客人らはただただぼんやりとした目つきでため息をついて、余韻に浸っているようだった。
吟遊詩人はカウンターに向かうとマスターとして客に酒を振る舞っていた女主人の目の前の席に座った。今夜の報酬を入れた袋とともに安物のブランデーが入った杯を差し出す。
「お客さんがた、すっかり心奪われているみたいね?」
けれども英雄の伝承歌にしてはいささか華やかになり過ぎている。自分が知るイズヴァルトの物語はもっと骨ばって堅苦しい話だったのに、とつぶやいた。ギルバートはにっ、と笑って黄色い歯を見せた。
「イズヴァルトの青春時代の物語は、碩学マイヤとの恋の歌そのものだったのさ」
「そうだったのね? あたしは『ひ孫姫の物語』から『吸血鬼退治の歌』あたりのものは、ラジオの講談で聴いたことがあるけれど、その前は知らなかったの」
「ははは。壮年時代の物語かね。そっちの方が世に出回っているからね」
ブランデーの杯を一気に飲み干す。きつい酒なのに豪胆ね、と女主人は呆れて笑った。肺に焼け付くものを感じつつ、空になった杯を差し出した。
「契約はおおざっぱに決めちゃったけれど、この酒場でまた英雄の歌を奏でてくださるの? 続きはどんなものかしら?」
「少年時代の途中までが良いかもしれない。青年時代以降はこの酒場ではふさわしくないかもしれないね」
女主人が瓶からもうひとなみを注ぐ。周りの男女が身体をまさぐりあう嬌態や、今夜行く売春宿について話し合う男達の話声。艶っぽい恋の歌や喜劇を歌うのは良いが、悲劇などそぐわない空気である。
「じゃあその続き、いつか聞かせてくださいな?」
女主人が問う。ギルバートは明日の予定を伝えた。
「明日の夜、トリーネ通りの小さな劇場で続きを歌うから、これをもって来なよ」
彼は上着のポケットから招待状を取り出して、女主人に渡した。「じゃあイズヴァルトのサーガの続き、劇場で聞かせて貰うかね」と笑う女主人。ギルバートは用意された宿の部屋へと入っていった。
夜が更けて酒場が閉まった後、女主人は外の空気を吸いに出た。街灯に照らされる店の建物を仰ぎ見て、「そう言えば」と思い出す。
亡くなった母から幼い頃に聞かされた、この店がある建物の言い伝え。
(あたしのご先祖がずっと、この土地で貸し部屋の商売をやっていたそうだけど、とんでもない話があったそうね。)
こんな話だった。元はこの酒場は労働者用のアパートだった。酒場は朝から晩までやっている食堂であったから、なかなかに住居者には困らなかったという。
中には兵士や貧乏騎士もいた。その中で特筆すべきなのは、少年騎士と可愛らしい侍女が一時期借りた事である。
その2人がまる半日も睦み合い、大きな享楽の声をあげ続けていたという。物語では美しく描かれていたが、実際には喧嘩をしてうめきあっているのかと思った隣人たちが扉をけ破り、可愛らしく交わっている2人を見て呆気に取られ、散々に叱りつけたのだという。
しかしこの住人達は、この数か月後にこの2人を深く知ることとなる。王国の様々な反乱で活躍した聖騎士見習いイズヴァルトと、可愛いのに随分とすけべえな事に熟達した『おしゃぶり姫』とも『碩学姫』ともあだ名を持つ、マイヤ=カモセンブルグ。
(そっか、そういうことだったのね……)
300年以上も昔の話で、建物はもう新しいものに建て替えられている。しかしこの土地に2人が愛を交わした汗というものは染み込んでいるだろう。
女あるじは奇縁を感じた。そして後々に深く関わるギルバート=カツランダルクという吟遊詩人こそ何者であるのか、いずれ知ることとなるのだ。
『結・吟遊詩人』 了
拍手は起こらなかった。客人らはただただぼんやりとした目つきでため息をついて、余韻に浸っているようだった。
吟遊詩人はカウンターに向かうとマスターとして客に酒を振る舞っていた女主人の目の前の席に座った。今夜の報酬を入れた袋とともに安物のブランデーが入った杯を差し出す。
「お客さんがた、すっかり心奪われているみたいね?」
けれども英雄の伝承歌にしてはいささか華やかになり過ぎている。自分が知るイズヴァルトの物語はもっと骨ばって堅苦しい話だったのに、とつぶやいた。ギルバートはにっ、と笑って黄色い歯を見せた。
「イズヴァルトの青春時代の物語は、碩学マイヤとの恋の歌そのものだったのさ」
「そうだったのね? あたしは『ひ孫姫の物語』から『吸血鬼退治の歌』あたりのものは、ラジオの講談で聴いたことがあるけれど、その前は知らなかったの」
「ははは。壮年時代の物語かね。そっちの方が世に出回っているからね」
ブランデーの杯を一気に飲み干す。きつい酒なのに豪胆ね、と女主人は呆れて笑った。肺に焼け付くものを感じつつ、空になった杯を差し出した。
「契約はおおざっぱに決めちゃったけれど、この酒場でまた英雄の歌を奏でてくださるの? 続きはどんなものかしら?」
「少年時代の途中までが良いかもしれない。青年時代以降はこの酒場ではふさわしくないかもしれないね」
女主人が瓶からもうひとなみを注ぐ。周りの男女が身体をまさぐりあう嬌態や、今夜行く売春宿について話し合う男達の話声。艶っぽい恋の歌や喜劇を歌うのは良いが、悲劇などそぐわない空気である。
「じゃあその続き、いつか聞かせてくださいな?」
女主人が問う。ギルバートは明日の予定を伝えた。
「明日の夜、トリーネ通りの小さな劇場で続きを歌うから、これをもって来なよ」
彼は上着のポケットから招待状を取り出して、女主人に渡した。「じゃあイズヴァルトのサーガの続き、劇場で聞かせて貰うかね」と笑う女主人。ギルバートは用意された宿の部屋へと入っていった。
夜が更けて酒場が閉まった後、女主人は外の空気を吸いに出た。街灯に照らされる店の建物を仰ぎ見て、「そう言えば」と思い出す。
亡くなった母から幼い頃に聞かされた、この店がある建物の言い伝え。
(あたしのご先祖がずっと、この土地で貸し部屋の商売をやっていたそうだけど、とんでもない話があったそうね。)
こんな話だった。元はこの酒場は労働者用のアパートだった。酒場は朝から晩までやっている食堂であったから、なかなかに住居者には困らなかったという。
中には兵士や貧乏騎士もいた。その中で特筆すべきなのは、少年騎士と可愛らしい侍女が一時期借りた事である。
その2人がまる半日も睦み合い、大きな享楽の声をあげ続けていたという。物語では美しく描かれていたが、実際には喧嘩をしてうめきあっているのかと思った隣人たちが扉をけ破り、可愛らしく交わっている2人を見て呆気に取られ、散々に叱りつけたのだという。
しかしこの住人達は、この数か月後にこの2人を深く知ることとなる。王国の様々な反乱で活躍した聖騎士見習いイズヴァルトと、可愛いのに随分とすけべえな事に熟達した『おしゃぶり姫』とも『碩学姫』ともあだ名を持つ、マイヤ=カモセンブルグ。
(そっか、そういうことだったのね……)
300年以上も昔の話で、建物はもう新しいものに建て替えられている。しかしこの土地に2人が愛を交わした汗というものは染み込んでいるだろう。
女あるじは奇縁を感じた。そして後々に深く関わるギルバート=カツランダルクという吟遊詩人こそ何者であるのか、いずれ知ることとなるのだ。
『結・吟遊詩人』 了
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