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第四部 聖王編
幕間⑳・山猫の嘆き
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首根っこを掴まれ、鋭利な匕首を喉仏にあてられても尚、ギタナスは答えようとしない。
渋る相手にこの脅しは効かないか、と思ったマリベーラは、エフェソスをちらと見た。間が抜けていそうな顔だが善良な性格と聞いていた。正直、あんまり巻き込みたくない。しかし、ヌマタラシュクの御曹司だ。それで責任が生じる。
「だったらさ、そこの次男坊の首でもいいんだよ、アタイは?」
「わかった! ミヒャエルなら焼くなり煮るなり好きにしていい! しかしエフェソスだけはやめてくれ!」
「……あいつは厄介者扱いか。まあ、『七本槍』に守らせてイキってるバカ息子なんざ、アタイが親でも見放すけどさ」
マリベーラは匕首をしまった。つまりは冗談だったというわけだ。始終にこにこと見つめたままの大叔母の様子に気づき、ギタナスはおちょくられたと悟った。自分を恥じた。
「わ、悪い冗談はよせよ、マリベーラ。儂とお前は幼馴染みの間柄じゃないか?」
「幼馴染って、ギタナス。アタイのほうが3000歳年上だけど? せめて『ご近所のおばさん』ぐらいは敬意を持ってほしいもんだね?」
「またまたぁ……お前の歳じゃハーフリングだとまだ毛も生えねえションベン臭いガキぐらいじゃねえか……おっと」
匕首が再び首筋に当たった。
「それを言うなよ? ギタナス?」
「す、すまねえ。えへへ。えへへへ……」
アシリアからもお願いを言われ、目を怒らせたままのマリベーラは匕首を鞘に収めた。彼女は一万歳を超すが、ハーフリングという種族ではこどもの時分だ。
アシリアは見かけこそマリベーラとあまり変わらぬが、嫁入りする年頃の貴族の娘とだいたい同じ程度の年齢である。ニンゲンで言えば14歳から16歳の間だ。
「ところで、どうしてお前さんがここに?」
「オダクラスキに行くついでに寄ったのさ。あいつらをとっちめにね」
妹が既に陰謀の洗いざらいを調べ上げている、とマリベーラは言った。オダクラスキはダテーゾフがウツノミーアに持ち掛けて来た秘密同盟の仲介役となっていた。
「そもそも、オダクラスキはダテーゾフと婚姻関係を結んでいるんだからさ、合点がいくんだよ」
「ああ、そうだ。儂らもオダクラスキから使者が来た。ムーツのめずらしい鉱石をたくさん頂いたよ。ミスリルよりもい武器が作れそうなものをな」
ムーツは良質な玉鋼を産しているが、それだけではない。にはいろんな鉱物資源が眠っている。刃物にすればミスリルの装甲を切り裂く代物も。
もっとも、一番の埋蔵量を誇るのはヒラーイズミ周辺だ。クノーヘが領している。ダテーゾフとクボーニコフが、地下資源を狙ってクノーヘを追い落とそうと画策していることは、海を隔てたカントニアにも伝わっていた。
「そんなもんでかい? サイゴークやシマナミスタンのドワーフならまだしも、アンタらみたいなヘボエルフの一族が?」
「……それを言うなよ。しかしオダクラスキに行って、どうするんだよ?」
「んなもんきまってるだろうが。二度と悪さしねえようにシメに行くのさ……けど、キファニアと違ってアタイは甘いからね。オダクラスキ家を全員皆殺し、って頼まれたけどそいつはちょっと可哀そうだから、アシリアねえちゃんにお願いしたのさ」
早馬を飛ばしてオダクラスキに襲撃の情報を伝え、どこか遠くへ逃げるように整えて欲しい。顔が広いアシリアはすぐに遣いを出してくれた。
『カントニア最強の女』が落とし前をつてもらいに来ると聞いて、今頃てんやわんやの大騒ぎとなっているだろう。
「あとは籠城して迎え撃つ、というアホがいないことを祈るばかりだね」
「大丈夫よ。オダクラスキの人達は臆病だから」
「けど、ツックバーに送った娘さんたちを陰謀に巻き込むなんて、ひどいよ……」
マリベーラは急に涙目になった。キファニアに処刑された前皇帝の3人の妾のことを思ってだ。彼女は同性に対してはとても甘いところがあった。
「陰謀を手掛けたのは親元に言われたから、だよね? どうせ露見することはない。こうなるとは思わなかったのに、ばれちゃったんだよ?」
「確かに、処刑はどうかと。キファニアさんは厳し過ぎますよ。おねえちゃんからも、こら、と叱ってあげてくださいね?」
「うん。そうする。あいつ、もうちょっと人情を持った方がいいよ。だからイズヴァルトの奴に抱いてもらえなかったんだと思う。あの『孕ませ魔』、ろくでもない女に対して勘が働くみたいだから」
その妹と同じくマリベーラもエチウでは『同僚』みたいなもので近くにはいたが、イズヴァルトと寝たことは一度も無かった。下腹部をメロメロにするちんぽの持ち主だと聞いてはいたが。
とはいえ彼に敬遠されていたわけではなかった。よく一緒に、カナザワース島の海岸でよくみかけるペンギンを見に行ったり、コーザが飼っている小型の動物たちの世話をすることがあった。かわいい生き物が好き、ということで気が合った。
それと、彼が秘蔵している映像水晶の中身を観せてもらっていた。彼の侍女のあれこれを記録したものだ。ホーデンエーネンやカントニアのエルフ達の間で「かわいい♡」と評判のそれである。
映し出されるその姿に、「はわわわわ♡」と興奮したり、鼻血を垂らしたことがよくあった。複製もさせてもらった。ついでだが彼女はその頃の『元侍女』に会ったことがある。
何もかもがあまりにも愛くるしかった。声が裏返るなど挙動がおかしくなってしまった。雑に表すと、恋をしてしまったのだ。
□ □ □ □ □
10日後。マリベーラはオダクラスキ城下の港町に着いた。ウツノミーアの首都・ネゴヤフスカの東に流れるキーヌ河をくだる河川客船に乗って、おおよそ4日かけた。
今回のおつかいは単独行動である。キファニアは手練れの戦士を8人ぐらいつけると言ったが、そうするとごまかしが利かなくなる。できれば皆殺しにしろ、と言われたのだ。逆らう者は皆殺せ、と。
(そんなことできるわけがないだろ? まったく、もってばかばかしいよ。)
マリベーラはため息をつき、桟橋を渡る。しかし元をただせば先代のクボーニコフ王の暗殺に加担した自分が悪いのではないだろうか、とも思った。
ダテーゾフと盟約を結び、カントニアの各国に調略の手を伸ばしたのは、先代の遺志を必ず成し遂げる為にしたことだ。親父が成しえなかったエチウ制圧ができれば、求心力が高まるだろう。そう思って野望を止めない訳である。
(ま、やっちまったことのケツを拭く様なもんかね。元はと言えば先代のクボーニコフ王が欲をかいたのがいけないんだけどさ。)
そう思うと段々と腹が立って来た。今の王も殺してやろうか。しかし次はそう簡単にはいかないだろう。クボーニコフとの戦争がなかなか先が見えなくなると思うと気が滅入ってしまった。
こういう時は心を和ませるものを楽しみたくなる。マリベーラは背負っている袋から何かを取り出した。ニンゲンの娘を模したぬいぐるみだった。蒼にも見える黒い髪の女の子だ。
とても愛らしいそのぬいぐるみは、キファニアから貰ったものである。イーガの『マイア=テクニカ』の製品だという。孤独な旅を始めてから、彼女はよくこれに話かけることをしていた。
「戦争なんてこの世からなくなって欲しいわ。あなたもそう思うよね?」
このぬいぐるみは思考術式が組み込まれており、話しかけると返事をしてくれる。いわばおしゃべりロボットの様なものだ。
童女の様な可愛らしい声……イズヴァルトが持っていた映像水晶に出て来る女の子とそっくりの声が、抱きかかえていたぬいぐるみから響いて来た。
「だから、命を弄ぶ様な奴らを一人残らず消し去らなければならないんだ!」
切実で苦しそうな叫び声だった。このぬいぐるみの思考様式はいささか過激につくられているようだとマリベーラは思った。昨夜も寝る前にその手のことを話しかけて、これに似た感じの返事を聞いたのだが。
「でも、できれば命を奪いたくないんだけど、どんな方法が考えられる?」
「甘ったれたことを言うな! 人を殺して偉そうにする奴らはみんな、してきたことの報いを受けなければいけないんだ! 悪いことをする奴らはみんな、もがき苦しみながら野垂れ死ねばいいんだ!」
「……」
誰が作り出した思考術式なのだろう。もうちょっと優しい話をしたい。
「ここの港町はどんな面白いことが待っているかな。観光名所をまわったら、いいことあるかな?」
「知らないよ。人のいるところなんかはどうせろくなことが起きないんだ。だったらずっと、何もしないで海を眺めていたいよ。こんな嫌なことばかり続く毎日なんだから、少しぐらい現実逃避をしたっていいじゃないか?」
暗いことばかり言う。思わず海に投げ捨てたくなった。しかしイーガ本国ではかなり売れているらしい。
それとムーツ大陸でも評判が出始めている。かわいいものが大好きな女オーガは、「とってもめんこいべー♡」と喜んでいるそうだ。こんなひねくれた返事をするぬいぐるみなのに。
(あー、余計に気が滅入って来た。)
しかし妹の頼み事は果たさねばならない。彼女は武器屋に立ち寄った。店のカウンターの後ろの壁に飾られていた、斬馬刀に目を付けた。
「おやじ、そいつはちゃんとお馬を切れるんだろうね?」
「一応は切れると鍛冶師からは仕入れた時に聞いているよ。が、手入れを怠っているから今はどうかねえ。まあ、エルフの嬢ちゃんなら使いこなせるじゃろう」
買った。3メートルほどの長さで重さは30キロ。刃はよく見ると錆び始めているのが見えた。しかし門や石垣をたたき壊して脅すのに使う為に買ったのだ。なまくらでも良いのだ。
果たしてオダクラスキの城の前に来た。マリベーラは門番にアシリアの手紙を手渡した。この城のあるじかその代理に読ませてくれ。
城門近くの待機所で30分ほど待つと、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて来たので斬馬刀を背負って外へ出た。
すると、城壁から複数の発砲音が鳴り、足元で土煙が舞った。見上げると鉄砲を構えた兵士達がずらりと並んでいた。
「おい! なにやってるのさ! アタイは穏便に済ませたいんだよ! 城主様はどこぞのド田舎の山城に逃げたんだよねぇ?」
「バカを言うな! オダクラスキ様は名誉を重んじるお方! 逃げも隠れも致されぬ!」
銃口はマリベーラを狙ったまま。城門が開いた。重厚な板金鎧に身をまとった数名の騎士達がぞろぞろと出て来た。その先頭にいた武者が、突撃槍を空に掲げてマリベーラに呼びかけた。
「私はオダクラスキ当代、ヨーゼフ=オダクラスキ! ツックバー皇帝に嫁いだ我が娘の恨み、今こそ晴らしてくれよう!」
重装騎兵は展開し、横一列に並んで突撃槍を構えた。話が違う。マリベーラは考え直してくれと頼んだ。
「アシリアおねえちゃんからの手紙にも書いてあったろ! 適当なところで手打ちにしようって! アタイは城門をぶっ壊すぐらいしか考えてないよ!」
「うるさい! そんな話が聞けるか! 私も倅達も貴様を討ち取り、キファニアに意趣返しをしてやりたいと望んでいるのだ! 神妙に首を引き渡せ!」
横一列に展開しているのは、オダクラスキの子息や親族衆である。彼等はキファニア憎しでこの一戦に臨んでいた。
ああくそ、とつぶやいたところで、マリベーラは戦列から、「ウラー!」という雄叫びを耳にした。ウツノミーアの騎士が口にする、突撃の合図だ。
こうなると説得は絶望的である。斬馬刀を構えた。オダクラスキが突撃槍をマリベーラに向け突きつけた。
「オダクラスキの勇者たち! 必ず『山猫』を討ち取って後世への誉れとせよ! ウラーッ!」
勇猛果敢な騎士達による、横一列一斉突撃が繰り出された。が、マリベーラ斬馬刀による迎撃で、一人残らず吹っ飛ばした。文字通り、重い甲冑を来た武者達を飛ばしたのだ。
騎馬武者達は全員が、ぐしゃっという生々しい音を立てて城壁に叩きつけられた。城壁では悲鳴があがった。
(あ~あ……はあ……。)
なんて悲しいことが起きてしまったのだろう。マリベーラは生き残りの馬たちにぼやき始めると、向こうでは次々と慟哭が始まった。オダクラスキの当主の討死が確認されたのだ。
(まあ、これだけやりゃ、わかるだろうさ。やりたくなかったんだけどさあ……。)
これも全部キファニアのせいだ。こんな結果に終わるんだったら、キファニアがいう通り、連れとともに訪れれば良かった。エルフが複数いれば、びびって交渉に応じてくれただろう。
(けど、ウツノミーアの連中は喧嘩っ早い単細胞ばかりだからなぁ。結局こうなっちまったんだろうね。)
その後、マリベーラはオダクラスキの騎士らの追撃をいなしながらカタシナシュフへ戻った。オダクラスキ家は後継者も戦死した為、お家断絶となった。
渋る相手にこの脅しは効かないか、と思ったマリベーラは、エフェソスをちらと見た。間が抜けていそうな顔だが善良な性格と聞いていた。正直、あんまり巻き込みたくない。しかし、ヌマタラシュクの御曹司だ。それで責任が生じる。
「だったらさ、そこの次男坊の首でもいいんだよ、アタイは?」
「わかった! ミヒャエルなら焼くなり煮るなり好きにしていい! しかしエフェソスだけはやめてくれ!」
「……あいつは厄介者扱いか。まあ、『七本槍』に守らせてイキってるバカ息子なんざ、アタイが親でも見放すけどさ」
マリベーラは匕首をしまった。つまりは冗談だったというわけだ。始終にこにこと見つめたままの大叔母の様子に気づき、ギタナスはおちょくられたと悟った。自分を恥じた。
「わ、悪い冗談はよせよ、マリベーラ。儂とお前は幼馴染みの間柄じゃないか?」
「幼馴染って、ギタナス。アタイのほうが3000歳年上だけど? せめて『ご近所のおばさん』ぐらいは敬意を持ってほしいもんだね?」
「またまたぁ……お前の歳じゃハーフリングだとまだ毛も生えねえションベン臭いガキぐらいじゃねえか……おっと」
匕首が再び首筋に当たった。
「それを言うなよ? ギタナス?」
「す、すまねえ。えへへ。えへへへ……」
アシリアからもお願いを言われ、目を怒らせたままのマリベーラは匕首を鞘に収めた。彼女は一万歳を超すが、ハーフリングという種族ではこどもの時分だ。
アシリアは見かけこそマリベーラとあまり変わらぬが、嫁入りする年頃の貴族の娘とだいたい同じ程度の年齢である。ニンゲンで言えば14歳から16歳の間だ。
「ところで、どうしてお前さんがここに?」
「オダクラスキに行くついでに寄ったのさ。あいつらをとっちめにね」
妹が既に陰謀の洗いざらいを調べ上げている、とマリベーラは言った。オダクラスキはダテーゾフがウツノミーアに持ち掛けて来た秘密同盟の仲介役となっていた。
「そもそも、オダクラスキはダテーゾフと婚姻関係を結んでいるんだからさ、合点がいくんだよ」
「ああ、そうだ。儂らもオダクラスキから使者が来た。ムーツのめずらしい鉱石をたくさん頂いたよ。ミスリルよりもい武器が作れそうなものをな」
ムーツは良質な玉鋼を産しているが、それだけではない。にはいろんな鉱物資源が眠っている。刃物にすればミスリルの装甲を切り裂く代物も。
もっとも、一番の埋蔵量を誇るのはヒラーイズミ周辺だ。クノーヘが領している。ダテーゾフとクボーニコフが、地下資源を狙ってクノーヘを追い落とそうと画策していることは、海を隔てたカントニアにも伝わっていた。
「そんなもんでかい? サイゴークやシマナミスタンのドワーフならまだしも、アンタらみたいなヘボエルフの一族が?」
「……それを言うなよ。しかしオダクラスキに行って、どうするんだよ?」
「んなもんきまってるだろうが。二度と悪さしねえようにシメに行くのさ……けど、キファニアと違ってアタイは甘いからね。オダクラスキ家を全員皆殺し、って頼まれたけどそいつはちょっと可哀そうだから、アシリアねえちゃんにお願いしたのさ」
早馬を飛ばしてオダクラスキに襲撃の情報を伝え、どこか遠くへ逃げるように整えて欲しい。顔が広いアシリアはすぐに遣いを出してくれた。
『カントニア最強の女』が落とし前をつてもらいに来ると聞いて、今頃てんやわんやの大騒ぎとなっているだろう。
「あとは籠城して迎え撃つ、というアホがいないことを祈るばかりだね」
「大丈夫よ。オダクラスキの人達は臆病だから」
「けど、ツックバーに送った娘さんたちを陰謀に巻き込むなんて、ひどいよ……」
マリベーラは急に涙目になった。キファニアに処刑された前皇帝の3人の妾のことを思ってだ。彼女は同性に対してはとても甘いところがあった。
「陰謀を手掛けたのは親元に言われたから、だよね? どうせ露見することはない。こうなるとは思わなかったのに、ばれちゃったんだよ?」
「確かに、処刑はどうかと。キファニアさんは厳し過ぎますよ。おねえちゃんからも、こら、と叱ってあげてくださいね?」
「うん。そうする。あいつ、もうちょっと人情を持った方がいいよ。だからイズヴァルトの奴に抱いてもらえなかったんだと思う。あの『孕ませ魔』、ろくでもない女に対して勘が働くみたいだから」
その妹と同じくマリベーラもエチウでは『同僚』みたいなもので近くにはいたが、イズヴァルトと寝たことは一度も無かった。下腹部をメロメロにするちんぽの持ち主だと聞いてはいたが。
とはいえ彼に敬遠されていたわけではなかった。よく一緒に、カナザワース島の海岸でよくみかけるペンギンを見に行ったり、コーザが飼っている小型の動物たちの世話をすることがあった。かわいい生き物が好き、ということで気が合った。
それと、彼が秘蔵している映像水晶の中身を観せてもらっていた。彼の侍女のあれこれを記録したものだ。ホーデンエーネンやカントニアのエルフ達の間で「かわいい♡」と評判のそれである。
映し出されるその姿に、「はわわわわ♡」と興奮したり、鼻血を垂らしたことがよくあった。複製もさせてもらった。ついでだが彼女はその頃の『元侍女』に会ったことがある。
何もかもがあまりにも愛くるしかった。声が裏返るなど挙動がおかしくなってしまった。雑に表すと、恋をしてしまったのだ。
□ □ □ □ □
10日後。マリベーラはオダクラスキ城下の港町に着いた。ウツノミーアの首都・ネゴヤフスカの東に流れるキーヌ河をくだる河川客船に乗って、おおよそ4日かけた。
今回のおつかいは単独行動である。キファニアは手練れの戦士を8人ぐらいつけると言ったが、そうするとごまかしが利かなくなる。できれば皆殺しにしろ、と言われたのだ。逆らう者は皆殺せ、と。
(そんなことできるわけがないだろ? まったく、もってばかばかしいよ。)
マリベーラはため息をつき、桟橋を渡る。しかし元をただせば先代のクボーニコフ王の暗殺に加担した自分が悪いのではないだろうか、とも思った。
ダテーゾフと盟約を結び、カントニアの各国に調略の手を伸ばしたのは、先代の遺志を必ず成し遂げる為にしたことだ。親父が成しえなかったエチウ制圧ができれば、求心力が高まるだろう。そう思って野望を止めない訳である。
(ま、やっちまったことのケツを拭く様なもんかね。元はと言えば先代のクボーニコフ王が欲をかいたのがいけないんだけどさ。)
そう思うと段々と腹が立って来た。今の王も殺してやろうか。しかし次はそう簡単にはいかないだろう。クボーニコフとの戦争がなかなか先が見えなくなると思うと気が滅入ってしまった。
こういう時は心を和ませるものを楽しみたくなる。マリベーラは背負っている袋から何かを取り出した。ニンゲンの娘を模したぬいぐるみだった。蒼にも見える黒い髪の女の子だ。
とても愛らしいそのぬいぐるみは、キファニアから貰ったものである。イーガの『マイア=テクニカ』の製品だという。孤独な旅を始めてから、彼女はよくこれに話かけることをしていた。
「戦争なんてこの世からなくなって欲しいわ。あなたもそう思うよね?」
このぬいぐるみは思考術式が組み込まれており、話しかけると返事をしてくれる。いわばおしゃべりロボットの様なものだ。
童女の様な可愛らしい声……イズヴァルトが持っていた映像水晶に出て来る女の子とそっくりの声が、抱きかかえていたぬいぐるみから響いて来た。
「だから、命を弄ぶ様な奴らを一人残らず消し去らなければならないんだ!」
切実で苦しそうな叫び声だった。このぬいぐるみの思考様式はいささか過激につくられているようだとマリベーラは思った。昨夜も寝る前にその手のことを話しかけて、これに似た感じの返事を聞いたのだが。
「でも、できれば命を奪いたくないんだけど、どんな方法が考えられる?」
「甘ったれたことを言うな! 人を殺して偉そうにする奴らはみんな、してきたことの報いを受けなければいけないんだ! 悪いことをする奴らはみんな、もがき苦しみながら野垂れ死ねばいいんだ!」
「……」
誰が作り出した思考術式なのだろう。もうちょっと優しい話をしたい。
「ここの港町はどんな面白いことが待っているかな。観光名所をまわったら、いいことあるかな?」
「知らないよ。人のいるところなんかはどうせろくなことが起きないんだ。だったらずっと、何もしないで海を眺めていたいよ。こんな嫌なことばかり続く毎日なんだから、少しぐらい現実逃避をしたっていいじゃないか?」
暗いことばかり言う。思わず海に投げ捨てたくなった。しかしイーガ本国ではかなり売れているらしい。
それとムーツ大陸でも評判が出始めている。かわいいものが大好きな女オーガは、「とってもめんこいべー♡」と喜んでいるそうだ。こんなひねくれた返事をするぬいぐるみなのに。
(あー、余計に気が滅入って来た。)
しかし妹の頼み事は果たさねばならない。彼女は武器屋に立ち寄った。店のカウンターの後ろの壁に飾られていた、斬馬刀に目を付けた。
「おやじ、そいつはちゃんとお馬を切れるんだろうね?」
「一応は切れると鍛冶師からは仕入れた時に聞いているよ。が、手入れを怠っているから今はどうかねえ。まあ、エルフの嬢ちゃんなら使いこなせるじゃろう」
買った。3メートルほどの長さで重さは30キロ。刃はよく見ると錆び始めているのが見えた。しかし門や石垣をたたき壊して脅すのに使う為に買ったのだ。なまくらでも良いのだ。
果たしてオダクラスキの城の前に来た。マリベーラは門番にアシリアの手紙を手渡した。この城のあるじかその代理に読ませてくれ。
城門近くの待機所で30分ほど待つと、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて来たので斬馬刀を背負って外へ出た。
すると、城壁から複数の発砲音が鳴り、足元で土煙が舞った。見上げると鉄砲を構えた兵士達がずらりと並んでいた。
「おい! なにやってるのさ! アタイは穏便に済ませたいんだよ! 城主様はどこぞのド田舎の山城に逃げたんだよねぇ?」
「バカを言うな! オダクラスキ様は名誉を重んじるお方! 逃げも隠れも致されぬ!」
銃口はマリベーラを狙ったまま。城門が開いた。重厚な板金鎧に身をまとった数名の騎士達がぞろぞろと出て来た。その先頭にいた武者が、突撃槍を空に掲げてマリベーラに呼びかけた。
「私はオダクラスキ当代、ヨーゼフ=オダクラスキ! ツックバー皇帝に嫁いだ我が娘の恨み、今こそ晴らしてくれよう!」
重装騎兵は展開し、横一列に並んで突撃槍を構えた。話が違う。マリベーラは考え直してくれと頼んだ。
「アシリアおねえちゃんからの手紙にも書いてあったろ! 適当なところで手打ちにしようって! アタイは城門をぶっ壊すぐらいしか考えてないよ!」
「うるさい! そんな話が聞けるか! 私も倅達も貴様を討ち取り、キファニアに意趣返しをしてやりたいと望んでいるのだ! 神妙に首を引き渡せ!」
横一列に展開しているのは、オダクラスキの子息や親族衆である。彼等はキファニア憎しでこの一戦に臨んでいた。
ああくそ、とつぶやいたところで、マリベーラは戦列から、「ウラー!」という雄叫びを耳にした。ウツノミーアの騎士が口にする、突撃の合図だ。
こうなると説得は絶望的である。斬馬刀を構えた。オダクラスキが突撃槍をマリベーラに向け突きつけた。
「オダクラスキの勇者たち! 必ず『山猫』を討ち取って後世への誉れとせよ! ウラーッ!」
勇猛果敢な騎士達による、横一列一斉突撃が繰り出された。が、マリベーラ斬馬刀による迎撃で、一人残らず吹っ飛ばした。文字通り、重い甲冑を来た武者達を飛ばしたのだ。
騎馬武者達は全員が、ぐしゃっという生々しい音を立てて城壁に叩きつけられた。城壁では悲鳴があがった。
(あ~あ……はあ……。)
なんて悲しいことが起きてしまったのだろう。マリベーラは生き残りの馬たちにぼやき始めると、向こうでは次々と慟哭が始まった。オダクラスキの当主の討死が確認されたのだ。
(まあ、これだけやりゃ、わかるだろうさ。やりたくなかったんだけどさあ……。)
これも全部キファニアのせいだ。こんな結果に終わるんだったら、キファニアがいう通り、連れとともに訪れれば良かった。エルフが複数いれば、びびって交渉に応じてくれただろう。
(けど、ウツノミーアの連中は喧嘩っ早い単細胞ばかりだからなぁ。結局こうなっちまったんだろうね。)
その後、マリベーラはオダクラスキの騎士らの追撃をいなしながらカタシナシュフへ戻った。オダクラスキ家は後継者も戦死した為、お家断絶となった。
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しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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