誘拐記念日

木継 槐

文字の大きさ
7 / 99
1、

もう一人の女③

しおりを挟む
次の日、目覚ましより早く起きてしまった。
というより眠れた気がしなかったといった方が合ってると思う。
いや、昨日の出来事の衝撃で眠れるわけがない。
部屋の扉から外の様子を見ると、すでにキッチンに立った女性がトントンと包丁を動かしている。

そっと扉を開けるとみそと油のいい香りが鼻をくすぐった。
耳からは油のはじける音とフライパンとコンロがすれる音が入ってくる。
部屋を出ると僕の足音に気が付いたのか、女性はくるっと振り返った。
「おはよう!って、なにそれあっははは!!!!」
「おはようございます。」
「あんた見事にたれパンダだよ!!」
このしゃべり方と豪華な笑い方は……。
「……影子さん……。」
「ん?」
「顔洗ってきます。」
昨日のリサと名乗った状態とは打って変わった態度に、混乱しつつも演技とも思えない。
僕は顔を何度も洗って鏡を見つめた。
目元にはがっつりとくまが浮き出ていて眠れなかったのは一目瞭然だった。

「“自分が自分でない感覚”……か。」
鏡の前で人相が悪い状態になっても僕にとってはこの鏡の中の僕は僕にしか見えないわけだし。
やっぱりその感覚が分かるわけもない。

「な~に変顔してんの?」
「うわぁ?!」
い、いつの間に僕の背後に立っていたんだろう。
それより視界に入るはずの距離に気が付かなかった自分ににらみを利かせた。

「そんなことしても人格なんて増えないよ。」
「ッ……。」
思わず目を見開いて鏡越しに影子さんを見ると影子さんは壁に背中を預けて少し悲しそうに下唇を噛む仕草をしていた。
「逆に破綻する。資料にも書いてあったでしょ?」

「すみません影子さん……約束守れなくて。」
僕が謝ると、影子さんは『いいよ、仕方ないし。』と単調に答えた。

「昨日、リサに会ったんでしょ?」
「……はい。」
「印象は?」
「え……、違う人みたいでした。」
「……ご飯、温かいうちに食べるよ。」
僕が正直に答えると、鏡に映る影子さんはすくっと壁から背中を離してリビングに戻っていった。
そのわずかな瞬間、少しほっとしたように笑ったのが見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...