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56、 コタロー舞い上がる
しおりを挟む俺の1日は、 朝5時半にスマホのアラームを止めることから始まる。
今日もいつもの時間にスマホを手に取ると、 メールをチェックしてからジャージに着替える。
冷水で顔を洗ってうがいをすると、 家の近所の5キロコースを30分くらいかけてゆっくり走る。
帰ってシャワーを浴びてから家族と一緒に朝食をとり、 それから登校までは自由時間だ。
今週に入ってから、 この朝の日課の後に、 部活の朝練が加わった。
部から強制されたものではなく、 これはあくまでも『自主練』。
ハナと登校時間をズラすために考えた苦肉の策だ。
ハナと一緒に登下校しなくなって4日目。
寂しくないといえば嘘になるけれど、 月曜日の絶望的な気持ちに比べたら、 多少は心が凪いできたような気がする。
振り返ることのないハナの背中を見つめながら、 無言で自転車を漕ぎ続けたあの時間を思うと、 今でも胸がギュッと締めつけられて苦しくなる。
あんな思いをするくらいなら、 1人で登校する方が幾分かマシだ。
あくまでも『マシ』なだけだけど。
そりゃあ、 ハナとまた並んで学校に行けたらいいに決まってるけど、 向こうが嫌がっている以上、 仕方がない。
焦ったってこの前の二の舞だ。
だから今はただ、 少し距離を置いて、 ハナが俺の話を聞いてくれる心境になるのを待つのみ……だ。
午前7時20分にスマホのアラームが鳴った。
俺が設定しておいた登校時間だ。
「それじゃ、 行ってきます」
「はい、 行ってらっしゃい、 気をつけて」
両親と祖父に見送られてダイニングルームを出ると、 ジャージのままで玄関へ向かう。
朝練の間はジャージだから、 制服は畳んでスポーツバッグの中。
ガレージから自転車を引いて表に出たところで、 隣の家の玄関が開いた。
ーー えっ?
白とピンクのボーダーのふわもこパジャマにグレーのパーカーを羽織ったハナが、玄関のドアからひょっこり顔だけ出している。
「ハナ…… そんなとこで何してんの? 」
月曜日の朝以来の会話。
自分でもビックリするくらい小さい掠れ声しか出なかった。
ハナはモジモジしながら全身をドアの陰から出して、 後ろ手にドアを閉めると、 こちらに向き直った。
しばらくの間、 後ろで両手を組んで地面を見つめていたけれど、 意を決したように視線を上げ、 ようやく口を開く。
「コタロー、 この間はごめんね。 禁止令が解除になったことを黙っててごめんね。 謝らずに逃げてごめんね! 」
「そんな…… 俺の方こそ…… 」
俺が自転車を停めて一歩踏み出すと、 ハナは止まれと言うようにバッと両手を突き出して、 言葉を続ける。
「コタローは何も悪くないの! コタローが謝ることなんて1つもない。 全部私のせいなの。 これは私の問題なの! 」
「ハナ…… 」
「だから…… まだ普通には出来ないけど…… 本当にごめん! 本当は昨日の朝に言うつもりだったけど、 寝過ごして今日になった。 ごめん! 」
それだけを言い捨てて、 玄関の中に慌ただしく消えて行った。
「ごめん……って…… おい…… 」
俺は自転車のスタンドを上げてサドルに跨ったものの、 そのままハンドルにコツンとオデコをつけて、 「はぁ~っ」と大きく息を吐く。
「くっそ~、 こんな事くらいで…… 」
自分でもビックリだよ。
ハナが喋ってくれた。
ただそれだけで、 俺はこんなにも舞い上がっちゃうんだな。
『ごめん』って、 俺は悪くないって言った。
自分の問題だって言っていた。
『まだ』普通には出来ないってことは、 そのうちまた元どおりに喋ってくれるってことなんだよな。
「…… っしゃあ~! 」
両手でガッツポーズをすると、 俺は勢いよくペダルを漕ぎ出した。
ーーそれにしても……。
あいつのパジャマ姿、 モコモコしてて可愛かったな。
「ハハッ、 寝過ごした…… って…… 」
アイツはいつもギリギリまで寝てるから、 今日は目覚ましをかけて頑張ったんだろうな。
だけど、 あんな格好で外に出てくるんじゃないよ!
他の男に見られたらどうすんだよ!
「……ったく、 無防備過ぎなんだよ、 お前はさ」
そう言いながらも、 自分の口元がだらしなくニヤケているのは分かっている。
ホントに、 全くさ…… 俺を喜ばせるのも舞い上がらせるのも、 悲しませるのも困らせるのも、 いつだってお前なんだよな、 ハナ。
「よしっ、 今日も頑張ろっ! 」
俺は自転車の運転を立ち漕ぎに切り替えて、 勢いよく風をきって進んだ。
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