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65、お前のキスからはじまった (7)

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「……これが水瀬の言っていた『初めての女』の真相だ」

 天馬は一つ大きく息を吐いて、話を締め括った。
 楓花の反応を見守るかのように、それきり黙りこむ。


「そんな……酔った人に無理矢理そんな事をするなんて……椿さんは酷いよ!」

 いくら好きだからと言ったって、やっていい事の限界を超えている。そんな人を今も近くに置いている天馬のことも理解出来ない。

「いや、その事はもういいんだ。女が処女を奪われるのとは全然レベルが違うし、ただ射精しただけのことだから。ただ……水瀬にそんな事をさせるまで引っ張り続けた自分への反省と……アイツの口に出しながら他の女の名前を叫んだ罪悪感がずっとあって……」

「射精しただけ……って言ったって……。手首を縛られて無理矢理って……そんなの……」

ーーレイプって言うんじゃないの?

 天馬の気持ちを考えて最後の言葉を言い淀んでいると、天馬がそれを察したように口元を歪める。

「いや……本当に『口に出しただけ』だったんだ」
「えっ?」

「……勃たなかった。その後で水瀬がいくら扱いても、上に跨って来ても……幸いなことに、ピクリとも勃たなかったんだ」
「それじゃあ……」

「ああ、水瀬とは最後までシていない。『もう諦めて帰れ!』って怒鳴りつけたら、『ごめんなさい』ってネクタイを解いて先に出て行った」

 天馬は「だけど……」と言葉を続けて、

「ホテルを出てすぐに風俗店に飛び込んで、童貞を卒業した。あんな事のせいでインポになってたまるか……って負けたくない気持ちと、水瀬が言っていたように、『後生大事』に取っていたって意味が無いな……って思ったから。あんな簡単に奪われかけるし、楓花相手に出来る訳じゃないし……って」

 何て言葉を掛ければいいのか分からず、楓花は黙り込んだ。だって、『可哀想』も『大変だったね』も何だか違う気がするし、ましてや『童貞卒業おめでとう』では無いだろうし……。

 グルグル考えた挙句、結局出たのは『ごめんね』の一言だった。

「天にい……本当にごめん。私がキスして逃げたりしたから、その後で悩ませちゃったんだね。自分勝手で……ごめんなさい」

「本当だよ……全く…」

 天馬は楓花をチラリと横目で見ながら苦笑する。

「誰かさんのせいで初恋を拗らせた俺は、それから暫く自暴自棄になって、女遊びに走った」

 飲みに行った先で誘われたらホテルに行って一夜限りの相手をし、名前も聞かずに別れてを繰り返したのだ。

「たぶん水瀬への意趣返しもあったんだろうな。『俺は他の女とは寝るけど、お前とだけは絶対に寝ないからな』って言う……まあ、それもすぐに虚しくなって、半年くらいでやめた。意味のないセックスに時間を費やすくらいなら、手術の腕を磨く方が建設的だって気付いたから」

 そこまで聞いたところで楓花は首を傾げた。

「でも……そんな事があったのに、どうして椿さんは今も天にいの側で働いてるの? 椿さんだけ大学に残って、天にいは追い出されたんだよね?」

「それも水瀬が微妙に変えてお前に話してて……」

 天馬は苦笑しながらシートに深くもたれ掛かり、遠く前方を見ながら思い出すように話し出した。

「俺は元々、いずれ親父の病院を手伝うつもりでいたんだ。水瀬との件が決断するきっかけになったのは確かだけど、追い出された訳でも無いし、教授には引き止められたくらいだぜ。兄貴は内科、俺は外科で棲み分けが出来てるし、兄弟仲は至って良好。俺は経営に興味が無いから院長になる気もない」

「それじゃあ、椿さんのバイトの件は? 」
「それは……」

 天馬は少し言い淀んだけれど、
「ここまで来たら隠すこともないか」と、吹っ切れたように話を続けた。

「水瀬は研修医時代からうちの病院にバイトに来てくれていて……まあ、今思えば俺の近くにいるためだったんだろうけど……柊家から婚約の断りを入れた時、水瀬に言われたんだ」

「なんて?」

「自分たちの見合いの件は一部の人たちにしか知られていないけれど、結婚間近なんじゃないかって、職員の間では噂になっていた。ここで俺が大学を出て、水瀬がバイトまで辞めたら『やっぱり破局したんだ』となる。水瀬に傷がつかないためにもプライドのためにも、このままバイトを続けさせて欲しい……って」

 そんなのは天馬のそばにいるための口実だと薄々勘付いてはいながらも、

「こちらから婚約を断った負い目もあったから、彼女の将来に傷をつけないためと言われたら、頷くしか無かった。実際、それ以降俺とはただの同僚の付き合いになったし、お陰で変な噂になることもなく、水瀬は他の男と結婚した」

 彼女が離婚した経緯を天馬は知っているのかな……と楓花は思ったけれど、それは自分の口から伝える事では無いと考え、口を噤んだ。


「私がいなかった4年間の間に……本当にいろいろあったんだね」
「ああ……本当にいろいろあった。大変だった」

 天馬はフワリと柔らかく微笑み、楓花の頭に手を伸ばすと、くしゃりと撫でた。

「大変だったけど……お前のお陰で間違えずに済んだ」
「えっ、私のお陰?!」

「ああ、お前のキスのお陰だ」
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