煉獄の歌 

文月 沙織

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 リリスほどの〝女〟なら、家のひとつぐらい買ってくれる男がいても不思議ではないだろうに、と思う一方で、目のまえの、このしたたるほどに妖しい美しさを持つ佳人かじんが、このつましい部屋で質素な私生活をおくっているのだと思うと、そこにまた奇妙な哀愁を感じて、木藤のなかの、あるかなしかの父性本能がくすぐられ、ますますリリスが蠱惑こわく的に思えてくる。
 金も力もある男が、時にどこか翳のある〝女〟に魅かれるのは、相手の持つ弱さと悲しさを見取って、自分が守ってやらねば、助けてやらねば、という英雄か騎士めいた心持ちにさせられてしまうからだろう。
「ねぇ? 何か飲みます?」
 低い声は、やはり男の声だ。だが、けっして聞きぐるしくはない。それどころか、リリスの発する一言一言ひとことひとことになんとも言えない色香が漂う、というより色香に凝り固まっているぐらいだ。 
「いや、それより、なぁ……」
 ことに及ぼうとして、藤木はリリスの顔が二重に見えてきた気がした。
 二人のリリス。
 いや、一人は違う女だ。
「おまえ……」
 誰だろう? 俺はたしかにこの女を知っている。ぼんやりそんなことを思っていた。
(まさか)
 目の前のリリスが微笑んだ。
 神々しいほどに美しく、妖しく、危険な笑み。
 そのとき、部屋の外で激しい物音が響いた。
 何事か、と思い、振り向こうとした刹那、木藤は腹に激痛を感じた。

「坊ちゃん!」
「馬鹿、来るな!」
 突然入ってきた男を、畳の上に這いつくばるような格好で木藤は見上げていた。先ほど店にいたボーイだ。その手には黒い武器がある。迂闊うかつだった。
「こ、この野郎! ……畜生!」
 木藤の手は血に濡れていた。痛みにうずくまる。
「お、おまえ、あの女の子か?」
 完全に思い出した。鬼乃だ。
 かつて木藤が憧れ、なんとかしてものにしたいと夢に見た稀代きだいの美人芸者。いにしえの吉原の花魁とはかくいうものか、と夜のちまた好事家こうずかたちに囁かれた女だ。
 どういうわけか、このとき木藤には目の前の女装の男が、鬼乃の子であることは痛いほどに理解できても、安賀猛の息子だということは完全に失念していた。
「ああ、そうだ! お前に殺された安賀組組長の息子だ。安賀勇の弟だ」
 低い美声は、地獄から響いてくる審判の声だった。
「けっ、それで仇討ちに来たわけか? その格好で。さすが男娼上がりだな」
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