燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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奈落の花 一

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 相手は女優だというから美しくはあるのだろが、それほど華やかでもなかったと、わざわざ芝居を見に行った学友の一人が言っていたことが思い出される。
『正直、がっかりしたな。トュラクスほどの戦士が恋したというのだから、もっと目立つ美女だと思っていたが。……まぁ、あれほど強い男は、かえって儚げな風情の女に魅かれるのかもしれないな』
 そんなことを彼は言っていたが、後に、その女優の名が別の話で話題になったこともリィウスの記憶によみがえる。
(そうだ……たしか……芝居に出るべく出かけたはずが……いきなり行方知れずとなったとか騒がれていたが……)
 次から次へと当時の噂が耳によみがえってくる。
(名は……そうだ、ミュラだ)
 本名かどうかはわからないが、ギリシャの伝説の悲劇の王女と同名なのだ。
 女優としては目立たなかったが、トュラクスの恋人ということで知られたミュラが、地方への興行の帰りに、数人の連れとともにいきなり消えたことが、しばしローマの物見高い人々のあいだで噂になったのだ。
 他の男に恋してその相手と駆け落ちしたのだとか、彼女に横恋慕した男にさらわれたのではないかと騒がれていた。
 人さらいや人買いも横行していた時代であり、若く見目よい女が消えたとなると、当然その線もありえるし、実際去年にも女優が街のはずれでならずものども襲われひどい目にあったという事件もあった。不幸中の幸いで、その女優は凌辱は受けたものの命は助かったが、女優という身分の女は、そういう被害にあいやすく、そういった事件が起こっても、役人たちもさして本気で取り締まろうともしないのが当時の世の風潮であった。
 ミュラも、もしかしたらそんな盗賊やならず者どもに襲われたのでは、と世間ではしばし囁かれ、その後はまったく噂も消息も聞こえなくなり、彼女に似た女が奴隷市場で競りにかけられたという話も聞こえなかった。
 そしてミュラの失踪から少ししてトュラクスが闘技場から消えてしまい、これも周囲は誰も行方を知らず、かなり騒がれた。
 二人が前後して姿を消したことから、二人しめしあわせて逃げたのではないかとも言われた。剣闘士も女優も心身を縛られた自由のない奴隷も同然の身の上である。恋に目がくらんだ二人は今の生活や自分たちの生殺与奪の権利をにぎる主たちから逃れのであろう、と人々は噂しあっていた。
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