帝国秘話―落ちた花ー

文月 沙織

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出会い

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「白旗が出たぞ」
 アルゲリアス帝国一の名将と名高いタキトゥス=ディルニアは満足そうに、後ろにつづく十数隻の二段かいせんの船に笑顔をむけた。
 前方には緑豊かなイカラス島があり、三日にわたる帝国の攻撃に根をあげ、今朝がた浜辺の岩頭に白旗が立てられた。すでに島におくりこんだ精鋭部隊からはイカラス国王の敗北宣言を受けとっているが、この旗によって敵味方全軍にしっかりと戦の勝敗が知れわたったろう。
「よし、船を沖につけろ。乗りこむぞ」
 白銀の冑からこぼれるタキトゥスの黄金の髪に蒼玉の月(五月)の太陽が祝福の光を落とす。海よりあおい瞳が、若さと時流に乗った者特有の傲慢なほどの自信と誇りできらめいている。
 それも無理はない。彼、タキトゥスは少年歩兵として初陣ういじんをかざった十五の夏から十三年間、帝国に歯むかう近隣諸国や辺境の部族を相手に数々の戦で武勲ぶくんをたて一度も負けたことはなく、貴族でなければ得ることのできないと言われていた将軍職を実力で勝ちとった男である。いかに幼いころに両親を亡くした彼の後見人となってくれた有力貴族の後押しがあったとはいえ、これは並大抵のことではない。
「すでに降伏しているのだ。乱暴なことはすまいぞ」
 ならんで甲板に立っていた副将軍のディトス=メルキアが冑のなかの濃い眉をしかめた。
  アルゲリアス一の勇者と名高いタキトゥスは、ときに戦のさなかに我を忘れ、必要以上に峻烈になる。今日よりイカラスは帝国領土となるのだ。あまり禍根をのこしたくない。タキトゥスより十歳年上のディトスは彼の良き相談相手でもあり、ときに過激になり周囲が見えなくなるタキトゥスを唯一ひきとめることのできる親友でもある。
「タキトゥス、おまえは三万の軍隊で五万の敵を破ったのだ。さぞ陛下も喜ばれることだろう」
「皇帝の機嫌なぞ知ったことか!」
「また、そういうことを大声で」
「しかし今回はつまらなかったな。もっと粘るかと思ったが、さっさと降伏して終わらせおって」
「長年平和だった小国だ。あまり戦に慣れておらんのだ」
 浜にたどりついたタキトゥスたちは騎馬と歩兵の列をしたがえ島の王宮にむかった。最初のうちこそ規律ただしく進んでいた軍隊は勝利におごってはめをはずしはじめた。
 島の豊かさをしめすようにならぶ石造りの立派な家屋が下級兵士たちの欲望をあおったようだ。木戸を蹴破る音や女の悲鳴が起こりはじめたが馬上のタキトゥスは目もくれない。
 彼につづくディトスはまた眉をしかめたが、こういうとき下手に意見をすればますますタキトゥスを依怙地にさせるだけだと長年のつきあいで知っているので、あえて口出しせず無言で馬をすすめた。
 それでも島民の大半はあらかじめ避難していたらしく逃げまどう者もそう見えず、やがて軍隊は丘の上にある宮殿へたどりついた。
 鉄の門がひらき、帝国軍は石の宮殿内へ悠々とすすむ。イカラス兵たちが降伏をしめすために丸腰でうずくまっている庭園のなかを、タキトゥスは勝者の余裕でもって石道をすすんだ。
 もちろん重々しく美しい白銀の防具をつけた足で、しきつめられている真紅の花びらを踏みにじることをわすれない。花びらが、イカラス臣民の心を代弁するように声なき悲鳴をあげてちぎられていく。
 白いものが混じっている黒髪を後ろでたばねた初老の男が臣下の礼をとってタキトゥスの前に膝をつき、ふかく頭をたれる。
 彼の背後でおなじように百人ほどのイカラスの文官武官たちが膝をついた。さらに背後にはさいの衣に身をつつんだ女たちがひざまずきひかえている。
 イカラスでは高貴な身分の女性はまず人前に出ない習慣なので、おそらくは侍女たちなのだろうが、遠目にも真紅や薄紅、純白、薄青、おん色の衣に身をつつんだ肢体はほっそりと魅惑的で、背後のアルゲリアス兵たちが息を飲む音が聞こえてきそうだ。彼女たちはこの後、戦勝軍をもてなす役をつとめるのだ。
 だがタキトゥスには入城した瞬間から女たちよりも気をひかれるものがあった。
「イカラス国王、および全軍はタキトゥス=ディルニア将軍閣下の軍門に下りますることを」
 イカラス国の宰相がひざまずいて口上をのべている前をタキトゥスは素通りした。
「閣下、どちらへ?」
「タキトゥス?」
 タキトゥスは不思議な音色にをさされたのだ。
「おい、どうした?」
 背後には味方の兵がひかえ、前方には数刻前まで敵だった降伏者たちがならんでおり、どちらに対しても威を落とすような真似はできない。タキトゥスの気まぐれはいつものことだが、さすがにディトスはあわてた。
「音がしたのだ」
 涼やかで凛とした不思議な音色がタキトゥスを誘うように鳴った。
「神殿で儀式がとりおこなわれているのでございます」
 宰相の後ろにひかえていたイカラスの貴族が、庭園の南側へとつづく、イカラスでは聖花とされる蓮の花に両隣をまもられた石の廊下を指さした。
「あちらには神官長イリカ様が治められる神殿がございまして」
「神官長は儀式をしておるのか? こんなときに」
 国が敗北したときになにが儀式だとわらいタキトゥスは石道を蹴った。
「ど、どちらへ」
「そのイリカとやらの前に俺を案内しろ」
 音に誘われすすむ彼をディトスと宰相があわてて追いかけた。 
「お、お待ちを。そちらは神域にございます」
「今日からイカラスの主は俺だ」
「おい、待てタキトゥス」
 石の廊下が途切れると、無数の緑葉を天にむけた庭木がならび、池のまわりでは純白のサフランが妍を競い、その上を黒い蝶が侵入者たちをからかうように舞っていた。
 亡国の喪家の庭園であっても木々や花、蝶は人間世界のことわりなどには、まったく興味がないというふうにつね変わらず生を謳歌しているように見える。この自然の迷宮の果てになにがあるのか、タキトゥスはたしかめずにいられない。
 さらにすすむと花も木もない広々とした場所に出た。
「あちらが神殿となります。できましたら、これ以上は……」
「あれが神殿なのか?」
 アルゲリアス帝国の大理石の床に絹の帳の垂幕、壁には金銀珠玉きんぎんしゅぎょく真珠貝しんじゅがいをはめこんだ豪奢な神殿を見慣れているタキトゥスには、目のまえに広がる景色はひどく殺風景に思える。
 あちらこちらに石の塔が立ち、それぞれに技巧をこらした浮き彫りがほどこされてはいるが、灰色一色の地味な景色だ。だがタキトゥスの心をひいた音色はその広場の中央の石台からひびいてきた。
 乱立する灰色の石壁や塔のあいだに、銀の音色がひびきわたる。
(おおっ……)
 石台のうえに、ひとりの若者がいた。
 タキトゥスたちにはまったく気づかぬ様子で、まとっている薄紫の神衣を優雅に風にゆらせながら、音に合わせて静かに舞いをまっている。
「神官長のイリカ=イカラシア様にございます」
「イカラシア姓ということは、王族か?」
 タキトゥスは視線を若者にむけたまま宰相にたずねた。
「はい。陛下の第三王子殿下にございますが、幼少のころより神殿に入られただ今は第三十六代神官長様となられまして」
「美しいな……」
 ディトスが真剣そのもののタキトゥスのつぶやきに驚いて眉をあげ、あわてて唇を噛んだ。
「はい。陛下には八人の王女殿下とほかに五人の王子殿下がいらっしゃいますが、一番お美しいのはイリカ様ではないかと言われております。他の王族の姫君方とくらべてもこれほどお美しい方はいらっしゃりますまいと。この方が姫でないのが残念だなどと言う者もおりまして」
 宰相というけんかんの地位にある人物にしては口が軽いが、そうやって言葉を多くかわして敵将とよしみをつうじておこうとする彼なりの外交術なのかもしれない。
 だが王族で一番美しいというのは世辞ではなく真実だろう。タキトゥスはあらためて目を見張った。
 燦然と降りそそぐ陽光のなかで軽やかに舞うイリカという神官長は、タキトゥスがこれまでに見てきた祖国の姫君や令嬢、高級娼婦、いかなる佳人麗人たちよりも美しいのだ。
 実際にはタキトゥスの立っている場所からは相手の顔だちそのもはよく見えないのだが、すらりとした身体や細長い手足、優雅な動きなどが見る者の目と心をうばう。ひどく印象的な雰囲気を身にそなえているのだ。
 文化の爛熟したアルゲリアスでは女よりも美しい男や少年もおおいいが、それでもこれほどに見る者の胸につよく迫る印象的な美男は見たことがない。
「あれがイカラスの至宝か」
 ディトスがうなるようにつぶやいた。
 そういえば島へ来るまでの船旅でイカラスに《イカラスの至宝》と呼ばれるほどに麗しい神官がいると聞き、そのときタキトゥスは田舎らしい大げさな法螺話だと気にもとめなかったが、たしかにこれは一国の宝とよんでもいいほどの美貌である。
 しゃくじょうかねの音がやんだ。
 動きがとまり、一瞬あたりは静寂に支配された。
「そなたらは」
 声の主が蝶々の羽のような衣を優雅な手つきでふりはらうと、あたりに薄紫のりんぷんが散るかと思われた。
 衣が石のうえに落ちると、かすかに見えるなめらかなあわい飴色あめいろの頬に腰まで波打つ黒髪と、南洋の深海でとれたような黒真珠の瞳がタキトゥスの目をうばう。
 だが相手は美貌を惜しむようにすぐに薄いかぶりもので顔をかくした。刹那、太陽が半分になってしまったようにあたりが暗くなった気がして、タキトゥスは日が翳ったのかとつい天を見上げそうになったほどだ。
「そなたらは、何者だ? 誰のゆるしを得て神殿に参った?」
 声はそれこそ金銀の鈴をひそかに鳴らしたように凛として、それでいてうっとりとするほど耳に心地よい、聞く者の鼓膜に冷たい蜜をとろかしこむような不思議な美声である。
 都で一番と言われる歌姫であろうと、天才と呼ばれるほどの吟遊詩人であろうと、この若者のような声は出せないだろう。
 タキトゥスはわざと甲冑をゆらし無粋な音を神域にひびかせ、イリカの正面に立つと彼の顔半分をかくしているうすものをはぎとった。
「なにをする、無礼な!」
「こ、こちらはアルゲリアス帝国軍総大将、タキトゥス=ディルニア様にございます」
 敵兵にかしずく宰相に侮蔑の一瞥をむけてから、さらにイリカという神官長はタキトゥスに怒りの目をむけた。この状況でこういう目を自分にむけてくるイリカにタキトゥスは驚き、腹が立つより興味がわいた。
「いかに侵略軍とはいえ、ここは神域。早々にさがられよ」
「ほう。俺に命令するのか?」
 ディトスが友の純白のマントをひっぱる。
「将軍閣下、陛下がお待ちでございます」
 宰相にもせかされ、タキトゥスは踵をかえしたが、目をイリカからはなすのは難しかった。このままではすませられない。
「イリカとやら、後でまた会うことになるだろう。そのときは歓迎してもらうことになるぞ」
 相手は不快そうに眉をしかめた。宮殿の深宮しんきゅうで飼われる毛並みのいい雌猫のようだと内心タキトゥスはますますおもしろがりながら、宰相とディトスにはさまれイカラス国王の待つ主殿へむかった。
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