帝国秘話―落ちた花ー

文月 沙織

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白薔薇の庭

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「だ……れ、だ?」
 目のまえの相手は女のように腰をひねり、かけられていた布で胸をかくすようにしてパリアナを濡れた黒い瞳で見つめてくる。くせのある長い髪の毛は海蛇のように、彼が身を起こすにあわせてゆらめき、明かりのともされていない室内を一瞬、海底のように錯覚させた。
「この娘はイカラスからつれてきた捕虜だ。おまえに挨拶がしたいという」
 言うや、タキトゥスがイリカの身体をおおっていた布をいきなり剥ぎとった。
(あっ!)
 入り口付近に用意された燭台の灯が、薄闇にイリカの姿を浮かびあがらせた。パリアナは息をのんだ。
 あやしい蜜にぬれてトパーズ色にかがやく裸体を、それこそ噂に聞くバイランの娼婦のように婀娜っぽい仕草でくねらせ、豪華な宝石をつらねた胸かざりでふちどられたふくらみをかくそうとするイリカは、もはや男でもなければ、むろん神官でも王族でもなく、人ですらなかった。
 淫らだった。ひどく、淫らで、繁殖期の蛇のように身体全身から煮詰められたいやらしいしずくをたらしているようだ。
 信じられないほど淫蕩で、美しい、絵巻物などで描かれる性獣がそこにいた。
 パリアナを切なくさせたのは、すでに人の境をこえてしまったその美しい淫獣は、まだ羞恥という人間的な感情を持っているらしく、貴石きせきと白絹の胸かざりを当てられた上半身とは逆に、一糸もまとわされぬ下肢を必死にかくそうとしていることだ。
「どうした、イリカ? おまえの忠実な民がわざわざ会いに来てくれたのだぞ? なんとか言ってやればどうだ?」
 イリカはつらそうに無言で顔をふせた。
「どうだ? 見事な芸術品だろう?」
 自慢するようにタキトゥスが言うのは、胸かざりではなく、それがきわだたせるふくらみであることはパリアナにもわかった。
「見ていろ」
 タキトゥスは見せつけるように乱暴にイリカの右胸をつまむと、つぎには親指とひとさし指で乳首をつまみあげ、こねるようにする。 
「ああっ!」
 昼夜を問わずあらやる陵辱を受けて麻痺していたイリカの感覚が、イカラス人の純真そうな娘の目を意識して、再びもどってきたようだ。だが、それはさらに彼をさいなむことになった。
 今日まで彼を傷つけ侮辱してきたのは異国人の手や目、口であったが、そこに立っている娘は同国人であり彼の臣民であるのだ。敵ではなく味方の立場の人間のまえで演じさせられる醜態は、イリカの感じることをやめ、無感覚になることで必死にたもっていた魂の、最後の砦を粉砕しようとしている。 
 あっけにとられているディトスやパリアナのまえでタキトゥスは悪びれもせずイリカの乳首を責めあげる。ふたりにむかって悪戯そうに頬をゆがめて笑みをつくるや、音をたててイリカの胸の突起に接吻をくりかえす。
「ああっ……、は……、や、やめ」
「ほら」
 身体をかくせぬよう後ろからはがいじめにして、前をふたりの訪問者へ強調するように背後から自分の腰をあてがってつきださせた。
 イリカのひろげられた手が、翼をもがれた鳥のようにむなしげに薄闇にゆらめく。
 やがて――、
「くぅ……ん、んん」
 きざしはじめたイリカの弱さの証しを見たパリアナは絶望に顔を両手でおおってうずくまった。
「いやぁ!」
 愛のない祖国だったが、今その祖国の完全なる終焉を見た気がしたのだ。パリアナのなかに流れる父の血が、怒りと悲しみと恨みに音をたてて渦巻く。
「よせ! もういい」
 見るにたえずディトスが声をあらげた。
「ここでやめればイリカが哀れだ。おまえたちが部屋を出ればよいではないか?」
「パリアナ、行こう」
 泣きじゃくりながら主にしたがってパリアナは踵をかえした。

 屋敷の召使がディトスの馬を引いてくるのを待つあいだも、パリアナは庭で泣きじゃくりつづけた。
 イカラスの島民にとっては他国者である帝国人の血をひいている彼女は、つねに屋敷のなかで迫害視され、弟を生んですぐ亡くなった母のかわりに弟にとっては親がわりとなって、肩身のせまい暮らしのなかで必死に背をのばして思春期を生きぬいた。
 父も亡くなり、冷たい義母の目に責められ、従者たちからもないがしろにされたイカラスに良い思い出はひとつもないが、それでも生まれた土地である。
 そのうぶすなの地もやがて帝国軍にふみにじられ、生贄のように捕虜として軍にささげられ、またも弱い者の立場というものを身に痛むほど味あわせられた彼女は、子どものようにしゃくりあげて泣きながらも、興奮がおさまると、イリカへの肉を切られるほどの同情に苦しんだ。
 戦も争いもない世のなかに住めたら……とパリアナは願わずにいられない。
 国と国とのいさかいだけではなく、義母や異母きょうだいたちとの確執のなかで育ってきた彼女は、つねに憎しみと恨みにはさまれて泣いてきた。だが今は、その自分の不運も忘れて、ひたすらイリカが気の毒でたまらなかった。
(なんて、なんてお可哀想なイリカ様。なんて、ひどい。なんて、お気の毒な)
 どうにかして力になってやりたいとは思うものの、彼女はこの国では虫けらほどに非力だ。やさしいディトスが引き取ってくれたから良かったものの、本当なら奴隷市で売られて男たちの慰み者にされていたかもしれない。
 今はまだ会えない弟のパリアヌスだとて、下手すればイリカのような見苦しい目にあわされ、人以下のあつかいを受けているかもしれない。勝者にとって亡国の捕虜など切り売り自由の雑肉も同然の存在なのだ。 
 ディトスのような情のある男の保護を得たことはパリアナにとっては僥倖であった。
(おやさしいディトス様にひろわれたわたしは、なんて幸せなのかしら)
 ありがたいことにディトスはパリアヌスも引き取ってくれるという。
 イリカや他の捕虜たちのことを思うと、もうしわけないほどの自分の幸運に、パリアナはひたすら神に感謝した。  
(そうだわ、もう一度神様を信じてみよう)
 半分は異国人の血をひくパリアナはイカラス人のいう神を実はそれほど信仰してはいなかった。 だが、イカラスの神は死んだ人間の魂を救済し、天にかえしてくれるという。
 天にかえった魂は、いつしかまた地上におりてきてあらたな生をえる。つまり輪廻転生をくりかえすのだ。天にかえれない魂は未来永劫、この濁世をさまよい、ますますけがれ、やがては地獄に落ちて永久に苦しむ。迷うこの世の魂を天にもどすのが神官長のつとめだと聞いた。     
(今生でどれほどつらい目にあうかわからないけれど、せめて次の生では、もっと自由に、もっと幸せになりたい)
 パリアナは、イリカともう一度会ってみたくなった。
 今はきっと薬がぬけきっていないのだ。落ち着けば正気をとりもどすかもしれない。まだ、神と通じる道はあるかもしれない。
「どうした、ここにいたのか、パリアナ」
 白薔薇の花壇のすみで、パリアナは自分がうずくまって泣いていたことすら忘れて物思いにふけっていた。
「はい。あ、あの、おゆるしください。つい取り乱してしまいました」
「あんなものを見せつけられたら無理はない。ほら、夜風は身体によくない、これをまとうといい」
 昼の熱気はすっかり黒い空に吸いとられ、袖なしの衣ではすこし肌寒い。恐縮しながらもパリアナはディトスが背にかけてくれた黒いマントに身をつつんだ。
「あの……」
「なんだ?」
 いななく馬をなだめながら訊くディトスにパリアナは思いきってうちあけた。
「わ、わたくし、イリカ様のお力になりとうございます」
「うむ」
 うすい唇をかんでディトスは考えこむような表情をしたが、それ以上はなにも言わない。
 パリアナは自分でもどう言ってよいかわからず焦れったく思いながら、とにかく言葉をつないだ。散々な目にあわされてきておびえてはいたが、彼女はやはり南の風土でそだった人間らしく率直で、情熱をかくしもっていた。
「あのままではイリカ様があまりにお気の毒でございます。わたくし、なんとかしてあのお方を助けてさしあげとうございます」
「それは、俺も思っているが、あれは現在はタキトゥスの捕虜で、やがて皇帝に献上される定めだ」
「できるかぎりのことをしてさしあげたいのです。あの、あの……もし、おゆるしいただければ、またお見舞いに行ってもよろしいでしょうか?」
「ふうむ」
 ふつう召使が、それも異国の捕虜が、主人にこういう願いをすることはありえないが、それが帝国人の枠にはまらないディトスには興味ぶかく新鮮に思えた。
「パリアナ、おまえはおもしろい娘だな」
「さ、さようでございますか?」
 あきれられたのかと恥ずかしがって頬をそめる様を月光が照らす。ディトスはますます興味ぶかそうにパリアナを見つめた。
「わかった。おまえがイリカに会えるようにとりはからってやろう。幸い、ここの侍従頭の老人とは顔みしりだ。タキトゥスもそれぐらいなら文句は言わないだろう。だがな、パリアナ」
「はい」
「俺にしてやれるのは、そこまでだ。イリカの命はタキトゥスと皇帝にゆだねられることになる。この先どうなるかわからんが、あまり想いを懸けるな」
「はい……」
 ディトスはときどき学問所の学者のような顔をする。タキトゥスより十年ほど長く今の世を見てきたディトスは、都政を生きる軍人として様々な人や世の転変を見てきた。人の生死も貴族や軍人の盛衰も。肉親の死も、上官や部下、家臣との別れも経験してきた。
 いつ、どうなるか、いつ、うばわれるか、いつ負けるかわからないのだ。
 その結果彼が手に入れた人生訓は、人を憎みすぎない、愛しすぎない。つまり良きにつけ悪しきにつけ執着しすぎないことだ。だからこそタキトゥスがどれほど非情なことをしても必要以上彼をたしなめようともせず、彼から離れようともせず、つい数日前の敵国の娘であるパリアナに温情をかけることもできるのだ。
「あまり、思いつめるな」
 もう一度ディトスは弟子をさとす学者のように、愛娘を思う慈父のように告げた。

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