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再会
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目尻を涙がつたっていることに気づいて、タキトゥスは自嘲の笑みをひとりこぼす。そして、かすかな声に気づいた。
タキトゥス……。
はじめは、まだ夢から醒めきっていないのだと思っていた。だが、それは空耳ではなかった。
彼は小屋の外から我が名を呼ぶなつかしい声を聞いた。最初は夢かと思ったが、その声にはたしかに聞きおぼえがある。
ふるびた木の扉は内側からは開けられないが、外の人物が鍵をあけた。
「タキトゥス」
「まさか、……ディトス?」
薄闇に浮きあがったのはまぎれもなく、一年ぶりに見た親友の顔だった。
「しーっ、こっちへ、来れるか? 奴隷監督には賄賂をわたして話をつけたのだ。そっと、そっとこっちへ来い」
半信半疑でタキトゥスは藁のうえを這うようにして友のもとへむかった。夜風が頬を撫でて夢でないことを知らせてくれる。
「おお、タキトゥスなんという目にあわされたのだ。うう、臭いな、ここは。すごい匂いだ」
いついかなるときも思慮深く智慧をひめた青い瞳が濡れている。
タキトゥスは一瞬、傷を受けた顔を見られる屈辱にふるえたが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。とにかく小屋の外へ出た。新鮮な空気に泣きたいほどの安堵がわく。
ディトスの後ろにはのっそりとした異国人らしき太った男がいた。
「この奴隷はすこし頭が弱くてな。気の毒だがおまえの身代わりになってもらうのだ。さ、中へ入ってくれ」
言われたとおりに男はのろのろと小屋のなかへ入っていった。頭数さえ合わせておけばタキトゥスが脱走したことを都に知られずにすむ。ディトスは鍵をかけなおすと、やっと安心してタキトゥスを抱きしめ、体臭にまた驚いて身をはなし、笑った。タキトゥスもひさしぶりに歯を見せて悲しく笑った。
「遅くなってすまん。辛かったろう?」
「どうしてここへ? おまえは無事だったのか?」
「歩きながら話そう。さ、このフードを」
急ぎ足で月夜の石切り場をふたりは逃げた。
「おまえが無実の罪で捕らわれるよりもまえに私はすでに都を出る決心をしていたのだ。財産を田舎にうつしたころにあの騒ぎが起こり、助けてやりたいのはやまやまだったがどうにもできなかった。というのも私もおまえの一味とされて屋敷に司直の手がのびてきてな。とにかくパリアナとパリアヌスをつれて都を出るのが精一杯だったのだ」
「よく無事だったな」
「ペルディアスという老臣がいたろう? アルゲリアス帝国では数少ない忠臣でな、彼がいろいろ便宜をはかってくれたのだ。おまえの流刑先をこの地になるようにとりはからってくれたのも彼だ」
そのペルディアスがタキトゥスを人獅子にするのを止めてくれたのだ。
それでも最初のころはタキトゥスを救おうとする者を警戒して警護の兵がかなりおおく、ディトスはなかなか行動できなかったという。
半年待ってみると、ゼノビアス皇帝も警戒をときはじめたのか、兵士の姿が減ってきたという。半年もすれば皇帝はタキトゥスに興味がなくなったのだろう。その間、ディモスは奴隷監督が出入りする賭場をうろつき、うまく彼に近づき、賭けごとをそそのかして借金を作らせ、奴隷監督が金にこまるようになったころに、たくみに話をもちかけ買収したらしい。
「どこへ逃げるのだ?」
「海だ。もうすこし歩けば船着場に出る」
「まさか?」
「そうだ、イカラスへ逃げるぞ」
タキトゥスは足を止めた。
「俺がイカラスへ行くのは無理だ。俺はイカラスを責め滅ぼした人間だぞ」
「だからこそ、誰もおまえがイカラスにいるとは思わんさ。それに……その顔ではイカラス人だとておまえがタキトゥス将軍だとはすぐ気づかないだろう」
刈りあげられた頭に赤黒い傷、光をうしなった片目。たしかにこの風貌に誰もかつての無敵の勇将タキトゥス=ディルニアをかさねはしないだろう。
月に照らされた船着場には一艘の小船が帆をひろげて彼らを待っていた。
「ディトス様、お待ちしていました」
声の主はパリアヌスだった。
「おお、パリアヌス。このとおりタキトゥスをつれてきたぞ」
「良かった、お二方ともご無事で。はやくこちらへ」
小船にうつると、長い女物の衣をまとったふたつの影がタキトゥスをみとめて立ちあがった。パリアナと……。
「タキトゥス……?」
タキトゥスはちいさく息をのんだ。
薄物をかぶって女人のようにふるまっていたのは、まぎれもないイリカだった。
タキトゥス……。
はじめは、まだ夢から醒めきっていないのだと思っていた。だが、それは空耳ではなかった。
彼は小屋の外から我が名を呼ぶなつかしい声を聞いた。最初は夢かと思ったが、その声にはたしかに聞きおぼえがある。
ふるびた木の扉は内側からは開けられないが、外の人物が鍵をあけた。
「タキトゥス」
「まさか、……ディトス?」
薄闇に浮きあがったのはまぎれもなく、一年ぶりに見た親友の顔だった。
「しーっ、こっちへ、来れるか? 奴隷監督には賄賂をわたして話をつけたのだ。そっと、そっとこっちへ来い」
半信半疑でタキトゥスは藁のうえを這うようにして友のもとへむかった。夜風が頬を撫でて夢でないことを知らせてくれる。
「おお、タキトゥスなんという目にあわされたのだ。うう、臭いな、ここは。すごい匂いだ」
いついかなるときも思慮深く智慧をひめた青い瞳が濡れている。
タキトゥスは一瞬、傷を受けた顔を見られる屈辱にふるえたが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。とにかく小屋の外へ出た。新鮮な空気に泣きたいほどの安堵がわく。
ディトスの後ろにはのっそりとした異国人らしき太った男がいた。
「この奴隷はすこし頭が弱くてな。気の毒だがおまえの身代わりになってもらうのだ。さ、中へ入ってくれ」
言われたとおりに男はのろのろと小屋のなかへ入っていった。頭数さえ合わせておけばタキトゥスが脱走したことを都に知られずにすむ。ディトスは鍵をかけなおすと、やっと安心してタキトゥスを抱きしめ、体臭にまた驚いて身をはなし、笑った。タキトゥスもひさしぶりに歯を見せて悲しく笑った。
「遅くなってすまん。辛かったろう?」
「どうしてここへ? おまえは無事だったのか?」
「歩きながら話そう。さ、このフードを」
急ぎ足で月夜の石切り場をふたりは逃げた。
「おまえが無実の罪で捕らわれるよりもまえに私はすでに都を出る決心をしていたのだ。財産を田舎にうつしたころにあの騒ぎが起こり、助けてやりたいのはやまやまだったがどうにもできなかった。というのも私もおまえの一味とされて屋敷に司直の手がのびてきてな。とにかくパリアナとパリアヌスをつれて都を出るのが精一杯だったのだ」
「よく無事だったな」
「ペルディアスという老臣がいたろう? アルゲリアス帝国では数少ない忠臣でな、彼がいろいろ便宜をはかってくれたのだ。おまえの流刑先をこの地になるようにとりはからってくれたのも彼だ」
そのペルディアスがタキトゥスを人獅子にするのを止めてくれたのだ。
それでも最初のころはタキトゥスを救おうとする者を警戒して警護の兵がかなりおおく、ディトスはなかなか行動できなかったという。
半年待ってみると、ゼノビアス皇帝も警戒をときはじめたのか、兵士の姿が減ってきたという。半年もすれば皇帝はタキトゥスに興味がなくなったのだろう。その間、ディモスは奴隷監督が出入りする賭場をうろつき、うまく彼に近づき、賭けごとをそそのかして借金を作らせ、奴隷監督が金にこまるようになったころに、たくみに話をもちかけ買収したらしい。
「どこへ逃げるのだ?」
「海だ。もうすこし歩けば船着場に出る」
「まさか?」
「そうだ、イカラスへ逃げるぞ」
タキトゥスは足を止めた。
「俺がイカラスへ行くのは無理だ。俺はイカラスを責め滅ぼした人間だぞ」
「だからこそ、誰もおまえがイカラスにいるとは思わんさ。それに……その顔ではイカラス人だとておまえがタキトゥス将軍だとはすぐ気づかないだろう」
刈りあげられた頭に赤黒い傷、光をうしなった片目。たしかにこの風貌に誰もかつての無敵の勇将タキトゥス=ディルニアをかさねはしないだろう。
月に照らされた船着場には一艘の小船が帆をひろげて彼らを待っていた。
「ディトス様、お待ちしていました」
声の主はパリアヌスだった。
「おお、パリアヌス。このとおりタキトゥスをつれてきたぞ」
「良かった、お二方ともご無事で。はやくこちらへ」
小船にうつると、長い女物の衣をまとったふたつの影がタキトゥスをみとめて立ちあがった。パリアナと……。
「タキトゥス……?」
タキトゥスはちいさく息をのんだ。
薄物をかぶって女人のようにふるまっていたのは、まぎれもないイリカだった。
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