翠帳紅閨 ――闇から来る者――

文月 沙織

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罪の子 三

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 ちょうど新派の劇団で母が主役を演じた『チャタレイ夫人』が話題になっていたときである。
 当時の竹弥は知るよしもないが、『チャタレイ夫人』というのは、英国の作家、D・H・ローレンスの書いた『チャタレイ夫人の恋人』を演劇化したもので、上流階級の人妻が、戦争で性的不能になった夫を振り捨て、労働者階級のたくましい男に走る、という時代の観念に逆らうような衝撃的、かつ不道徳な内容で物議をかもした作品らしい。
 その芝居の主役を演じた有名役者の人妻で二児の母が家を捨て、男に走ったのだから、大変な醜聞となり、マスコミに散々さわがれ、世間からはかなり非難された。
 当時、マスコミは、貴蝶を〝昭和のチャタレイ夫人〟、役柄の名前そのままに、〝現代のレディ・チャタレイ〟と書きたて、さんざん揶揄した。
 非難轟轟ごうごうではあったが、一方で、ごくわずかながらも、物語のチャタレイ夫人がそうであったように、古い価値観を捨てて新たな時代を切りひらいた女性、新しい時代の女だ、と感嘆し、賞賛する声もあることはあり、識者たちは寄るとさわると、貴蝶は悪女か女傑かと議論しあい、それぞれの意見を新聞、雑誌に発表しあった。だが、竹弥たち残された家族にとってはたまったものではない。
 さらに、竹弥が長じてから聞き知った不愉快きわまりない事実は、一部の三流週刊誌が、夫の近江小三郎がチャタレイ夫人の夫クリフォードのように、性的不能で妻を満足させられず、それゆに貴蝶は自分を満足させてくれる逞しい男に走ったのでは、とまさしく下種の勘ぐりそのものの、汚らわしい憶測をならべたてていたことだ。この勘ぐりの裏には、小三郎がもともとは女形役者だったことが含まれている。
 どうあっても、そういう世間の声は、竹弥が成長するにつれて耳に入ってくるものであり、そんな黒い噂は、竹弥の幼少期から少年時代、大学生となった今でも、どうかすると不吉な潮騒のように押し寄せてくる。
 父が妻の裏切りから立ちなおり、後添のちぞいを得て心の平和をとりもどした今でも、どす黒い潮騒は竹弥を襲う。
 また複雑でややこしいのは、母貴蝶は、有名な歌舞伎役者が芸者に産ませた娘であり、その役者とは、近江小三郎とは、かつて歌舞伎界で競いあった藤宮宗衛門の叔父にあたる人物であった。つまり、かつては兄弟子であり、先輩でもあり、後の敵となった男のいとこと父は結婚したのである。
 義理やしがらみもあったろうが、どこかで、父も傍系とはいえ、名門の血を欲していたのかもしれない。さらに、母はたしかに男を惹きつける美貌と強烈な個性の持ち主だったようだ。
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