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プロローグ
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午前の光が傾きはじめる頃、王都西部にある訓練場では、鋼と革の音が空気を裂いていた。
風の中、舞うのは訓練用のマントと、熱気の籠もった吐息。
その輪の外、ひときわ静かにベンチに佇むひとりの少女――セリーヌ=リサエル。
「今日も……話しかけてはくれないのね」
目で追っていたのは、整った顔立ちと、誰よりも研ぎ澄まされた剣さばきを誇る騎士団の団長、ライナルト=マデラン。
いずれ結婚の約束をした、婚約者のはずのひと。
けれど、その“約束”は、どこか遠い国の言葉のように、意味が薄れていた。
セリーヌは、騎士団の訓練風景を何度も訪れていた。
ときには紅茶を手に、
ときには無言で見守るだけの日もあった。
でも――彼は、一度たりとも目を合わせてはくれなかった。
たまに彼女の視線に気づいても、彼はただ剣の鍔に目を落とし、次の号令をかけるだけ。
その背を見送るたび、セリーヌの胸の奥に、鈍い小石のようなものが沈んでいくのだった。
「……お忙しいのは、分かってる。団長だから……」
そう何度も言い聞かせて、面会の申し出をする。
けれど返ってくるのは、事務的な返答ばかり。
『申し訳ありません、現在公務中です』
『団長は本日、予定が詰まっておりまして……』
“恋”とは、こんなにも報われぬままに育っていくものなのだろうか。
それでも――それでもセリーヌは、信じていた。
結婚式を迎えれば、何かが変わるはずだと。
彼の隣に並び、夫婦になるという事実が、距離を近づけてくれると、信じていた。
**
式の日。天蓋の下、誓いの言葉を交わしたとき、
ライナルトは一度もセリーヌの目を見なかった。
そして、誓いのキス――額に、軽く。
(唇じゃ、ないのね……)
誰にも気づかれぬように、セリーヌはそっとまつげを伏せた。
その瞬間、夢見がちな“婚約者”の自分が、小さく軋む音を立てて、心の奥でひとつ崩れ落ちた。
**
夜になり、式も終わり、
広すぎるほど立派な寝室で一人きりになったとき、
セリーヌは初めて、緊張というより“孤独”を感じていた。
鏡の前で、着替えかけたドレスが滑り落ち、
その白い布越しに映った自分の顔――その“目”に、違和感を覚えた。
(……こんな顔だったかしら)
じっと見つめていた、そのときだった。
記憶の底が、軋んだ。
ぼやけた映像。知らない景色。
そして――男の声。
後悔の声と、悲しみを含んだ声。
「くそ、間に合わなかったか…」
「なんで、なんで…あいつが、先に……」
そんな、誰かの人生が断ち切られた、瞬間の想いが脳裏に走る。
「あ……あれ、わたし……?」
セリーヌは、鏡台の椅子に手をつき、呼吸を整えようとした。
でも、心は――ぐらついていた。
(思い出した……わたし……前世、男だった)
唐突すぎて、あまりにも馬鹿げていて、
けれど鏡の中の自分の瞳は、確かに、かつての“彼”の面影を宿していた。
その瞬間、これまでの恋がすべて遠いものに思えた。意識が静かに前世の私と同化し、セリーヌは、ひとつの夢から醒めた。
だけど、これは終わりじゃない。
セリーヌの新たな人生の始まりの夜だった。
風の中、舞うのは訓練用のマントと、熱気の籠もった吐息。
その輪の外、ひときわ静かにベンチに佇むひとりの少女――セリーヌ=リサエル。
「今日も……話しかけてはくれないのね」
目で追っていたのは、整った顔立ちと、誰よりも研ぎ澄まされた剣さばきを誇る騎士団の団長、ライナルト=マデラン。
いずれ結婚の約束をした、婚約者のはずのひと。
けれど、その“約束”は、どこか遠い国の言葉のように、意味が薄れていた。
セリーヌは、騎士団の訓練風景を何度も訪れていた。
ときには紅茶を手に、
ときには無言で見守るだけの日もあった。
でも――彼は、一度たりとも目を合わせてはくれなかった。
たまに彼女の視線に気づいても、彼はただ剣の鍔に目を落とし、次の号令をかけるだけ。
その背を見送るたび、セリーヌの胸の奥に、鈍い小石のようなものが沈んでいくのだった。
「……お忙しいのは、分かってる。団長だから……」
そう何度も言い聞かせて、面会の申し出をする。
けれど返ってくるのは、事務的な返答ばかり。
『申し訳ありません、現在公務中です』
『団長は本日、予定が詰まっておりまして……』
“恋”とは、こんなにも報われぬままに育っていくものなのだろうか。
それでも――それでもセリーヌは、信じていた。
結婚式を迎えれば、何かが変わるはずだと。
彼の隣に並び、夫婦になるという事実が、距離を近づけてくれると、信じていた。
**
式の日。天蓋の下、誓いの言葉を交わしたとき、
ライナルトは一度もセリーヌの目を見なかった。
そして、誓いのキス――額に、軽く。
(唇じゃ、ないのね……)
誰にも気づかれぬように、セリーヌはそっとまつげを伏せた。
その瞬間、夢見がちな“婚約者”の自分が、小さく軋む音を立てて、心の奥でひとつ崩れ落ちた。
**
夜になり、式も終わり、
広すぎるほど立派な寝室で一人きりになったとき、
セリーヌは初めて、緊張というより“孤独”を感じていた。
鏡の前で、着替えかけたドレスが滑り落ち、
その白い布越しに映った自分の顔――その“目”に、違和感を覚えた。
(……こんな顔だったかしら)
じっと見つめていた、そのときだった。
記憶の底が、軋んだ。
ぼやけた映像。知らない景色。
そして――男の声。
後悔の声と、悲しみを含んだ声。
「くそ、間に合わなかったか…」
「なんで、なんで…あいつが、先に……」
そんな、誰かの人生が断ち切られた、瞬間の想いが脳裏に走る。
「あ……あれ、わたし……?」
セリーヌは、鏡台の椅子に手をつき、呼吸を整えようとした。
でも、心は――ぐらついていた。
(思い出した……わたし……前世、男だった)
唐突すぎて、あまりにも馬鹿げていて、
けれど鏡の中の自分の瞳は、確かに、かつての“彼”の面影を宿していた。
その瞬間、これまでの恋がすべて遠いものに思えた。意識が静かに前世の私と同化し、セリーヌは、ひとつの夢から醒めた。
だけど、これは終わりじゃない。
セリーヌの新たな人生の始まりの夜だった。
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