さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと

文字の大きさ
16 / 29

第15話 後悔が募る日

しおりを挟む
セリーヌとシモンが正式に婚約を交わしたという知らせは、驚くほど静かに、それでいて確かに、王城の内外へと広がっていった。

「結婚は、すぐにしてもよいのでは?」
そんな言葉を最初に口にしたのは、ハロルド王太子だった。

だが、シモンは首を横に振い、少しだけ恥ずかしそうに、けれどはっきりとこう言った。

「……彼女の花嫁姿を、この目で見たいのです。
だからこそ、婚約という“待つ時間”も、きちんと過ごしたい。」

その言葉に、セリーヌは静かに笑った。
まるで、かつての婚約期間――ライナルトと過ごしたあの時間を塗り替えるように。
傷を傷のまま放置せず、上から覆い尽くすのではなく、時間をかけて丁寧に“上書き”していくように。

彼女は今、毎日のように手料理のお弁当を作っては、シモンの元へ届けていた。
それは誰に命じられたわけでもない、彼女自身の意思だった。
会える時間には必ず会い、隣に座って、食事を共にし、時に微笑み、時に小さな言葉を交わす。

――婚約者、というよりも、まるで“長年連れ添った夫婦”のように。


-----

そんな二人の婚約を、遠くから聞いた男がいた。

ライナルトは、その報せに愕然とした。
“あのセリーヌが、また結婚を――?”

かつて、彼女は言ったのだ。
「もう、結婚は懲り懲り」だと。
あの言葉は、嘘だったのか?
……いや、きっとシモンが強引に迫ったのだ。

そう自分に言い聞かせながら、ライナルトは城内の中庭を歩いていた。
そこで偶然、見かけてしまった。

芝の上に、敷かれた小さなピクニッククロス。
その上で、肩を寄せ合って弁当を広げる、セリーヌとシモンの姿。

まるで恋人というより、夫婦のような空気。
言葉よりも沈黙の間が、二人の深い絆を物語っていた。

「……本当は、あの場所にいるはずだったのは俺なのに。」

口の中に残る苦味は、未練とも、後悔とも言い切れなかった。
それでも確かに、胸の奥をじくじくと刺してくる。

そのとき、近くにいた部下たちの会話が耳に入った。

「外務大臣って、婚約期間を大切にしたいらしいな。
“セリーヌ嬢の花嫁姿が見たいから”って、結婚式を希望したらしい。」

「18歳の誕生日に式を挙げるって噂だぜ。今から準備してるらしい。」

「すでに夫婦だろってくらい仲がいいよな。羨ましいもんだ。」

「だよな……団長も、もっと大事にしてたらな……。」

「ていうか、あんな人気令嬢に“白い結婚”とか宣言した団長、マジ勇者。」

ライナルトは、その場を立ち去ることもできず、ただ苦笑いを浮かべた。

――そうだ。
“もっと大事にしていれば”。

わかっていた。
だけど、手遅れだった。

-----

屋敷に戻ると、アイザックが慌てた様子で飛び込んできた。

「ライナルト様! お戻りでしたか。ちょうど先ほどまで、鍛冶屋が来ておりまして……
どうか、応接間へ!」

腕を引かれるまま、ライナルトは応接間へと向かう。
そこには、重厚な木箱が静かに置かれていた。
どこか懐かしさすら感じる、落ち着いた意匠の箱。蓋を開けると――中には一振りの剣。

「……これは……」

美しく鍛え上げられた刃に、特別な職人の技が宿っているのがわかる。
それだけで、この剣が“ただの贈り物”でないことが伝わってくる。

アイザックがそっと言葉を添えた。

「……鍛冶屋の話では、レーモンド様の剣を作った職人に、
セリーヌ様が直々に依頼されたそうです。
工房まで足を運ばれて、デザインや材質も細かく指定なさったとか。
レーモンド様から、ライナルト様の剣の話をよく聞いておられたらしく、
“私はもう傍にはいられませんが、剣なら、ずっと傍にいられるでしょ?”
――そう、おっしゃっていたそうです。」

「…………。」

ライナルトの膝が崩れ落ちる音が、重く床に響いた。

言葉にならなかった。
感情が、言葉の形を成す前に、涙が先に頬を伝った。

彼女の想いは、
まだこの屋敷のどこかに、確かに残っていた。

今さら気づいたところで、もう――遅い。

それでも彼は、剣の箱をそっと抱きしめた。
まるで、もう触れることのできない彼女の体温を、
そこに閉じ込めるように。

「……セリーヌ……。」

泣きじゃくるその姿を、アイザックは何も言わず見守っていた。
誰もが知っていた。
本当に、彼が誰を愛していたのか――
そして、どうして手放したのかを。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

その結婚は、白紙にしましょう

香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。 彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。 念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。 浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」 身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。 けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。 「分かりました。その提案を、受け入れ──」 全然受け入れられませんけど!? 形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。 武骨で不器用な王国騎士団長。 二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。

【完結】離縁王妃アデリアは故郷で聖姫と崇められています ~冤罪で捨てられた王妃、地元に戻ったら領民に愛され「聖姫」と呼ばれていました~

猫燕
恋愛
「――そなたとの婚姻を破棄する。即刻、王宮を去れ」 王妃としての5年間、私はただ国を支えていただけだった。 王妃アデリアは、側妃ラウラの嘘と王の独断により、「毒を盛った」という冤罪で突然の離縁を言い渡された。「ただちに城を去れ」と宣告されたアデリアは静かに王宮を去り、生まれ故郷・ターヴァへと向かう。 しかし、領地の国境を越えた彼女を待っていたのは、驚くべき光景だった。 迎えに来たのは何百もの領民、兄、彼女の帰還に歓喜する侍女たち。 かつて王宮で軽んじられ続けたアデリアの政策は、故郷では“奇跡”として受け継がれ、領地を繁栄へ導いていたのだ。実際は薬学・医療・農政・内政の天才で、治癒魔法まで操る超有能王妃だった。 故郷の温かさに癒やされ、彼女の有能さが改めて証明されると、その評判は瞬く間に近隣諸国へ広がり── “冷徹の皇帝”と恐れられる隣国の若き皇帝・カリオンが現れる。 皇帝は彼女の才覚と優しさに心を奪われ、「私はあなたを守りたい」と静かに誓う。 冷徹と恐れられる彼が、なぜかターヴァ領に何度も通うようになり――「君の価値を、誰よりも私が知っている」「アデリア・ターヴァ。君の全てを、私のものにしたい」 一方その頃――アデリアを失った王国は急速に荒れ、疫病、飢饉、魔物被害が連鎖し、内政は崩壊。国王はようやく“失ったものの価値”を理解し始めるが、もう遅い。 追放された王妃は、故郷で神と崇められ、最強の溺愛皇帝に娶られる!「あなたが望むなら、帝国も全部君のものだ」――これは、誰からも理解されなかった“本物の聖女”が、 ようやく正当に愛され、報われる物語。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

もう演じなくて結構です

梨丸
恋愛
侯爵令嬢セリーヌは最愛の婚約者が自分のことを愛していないことに気づく。 愛しの婚約者様、もう婚約者を演じなくて結構です。 11/5HOTランキング入りしました。ありがとうございます。   感想などいただけると、嬉しいです。 11/14 完結いたしました。 11/16 完結小説ランキング総合8位、恋愛部門4位ありがとうございます。

結婚式の晩、「すまないが君を愛することはできない」と旦那様は言った。

雨野六月(旧アカウント)
恋愛
「俺には愛する人がいるんだ。両親がどうしてもというので仕方なく君と結婚したが、君を愛することはできないし、床を交わす気にもなれない。どうか了承してほしい」 結婚式の晩、新妻クロエが夫ロバートから要求されたのは、お飾りの妻になることだった。 「君さえ黙っていれば、なにもかも丸くおさまる」と諭されて、クロエはそれを受け入れる。そして――

嘘つきな貴方を捨てさせていただきます

梨丸
恋愛
断頭台に上がった公爵令嬢フレイアが最期に聞いた言葉は最愛の婚約者の残忍な言葉だった。 「さっさと死んでくれ」 フレイアを断頭台へと導いたのは最愛の婚約者だった。 愛していると言ってくれたのは嘘だったのね。 嘘つきな貴方なんて、要らない。 ※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。) 11/27HOTランキング5位ありがとうございます。 ※短編と長編の狭間のような長さになりそうなので、短編にするかもしれません。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

婚約破棄されたけれど、どうぞ勝手に没落してくださいませ。私は辺境で第二の人生を満喫しますわ

鍛高譚
恋愛
「白い結婚でいい。 平凡で、静かな生活が送れれば――それだけで幸せでしたのに。」 婚約破棄され、行き場を失った伯爵令嬢アナスタシア。 彼女を救ったのは“冷徹”と噂される公爵・ルキウスだった。 二人の結婚は、互いに干渉しない 『白い結婚』――ただの契約のはずだった。 ……はずなのに。 邸内で起きる不可解な襲撃。 操られた侍女が放つ言葉。 浮かび上がる“白の一族”の血――そしてアナスタシアの身体に眠る 浄化の魔力。 「白の娘よ。いずれ迎えに行く」 影の王から届いた脅迫状が、運命の刻を告げる。 守るために剣を握る公爵。 守られるだけで終わらせないと誓う令嬢。 契約から始まったはずの二人の関係は、 いつしか互いに手放せない 真実の愛 へと変わってゆく。 「君を奪わせはしない」 「わたくしも……あなたを守りたいのです」 これは―― 白い結婚から始まり、影の王を巡る大いなる戦いへ踏み出す、 覚醒令嬢と冷徹公爵の“運命の恋と陰謀”の物語。 ---

処理中です...