さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと

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第18話 分岐した運命

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セリーヌは、王立図書館の重たい扉を押し開けた。
差し込む午後の光は、すでに傾き始めている。時計の針を見て、そっと息を吐いた。
――騎士団仕事の終わり時間には、まだ間に合うはず。

馬車の御者に軽く頷き、彼女は騎士団のある詰所の前まで向かった。
街の空気は夕刻の熱を帯びながらも、少しずつ夜の冷たさを孕んでいく。
石畳に靴音が響く中、彼女は胸の内で小さく呟いた。

(待っていれば、きっと来てくださるわよね……ライナルト様)

その瞬間、駆け寄ってくる足音がした。振り向くと、若い騎士が息を切らして立っていた。
「す、すみません! ライナルト副団長は急な予定が入りまして、今日はご一緒できないとのことで……。必ず埋め合わせをする、と申しておりました!」

少年の慌てる姿に、セリーヌは少しだけ微笑んで首を横に振った。
「そうでしたの……。では、ライナルト様に“お気になさらずに、お仕事を頑張ってください”とお伝えくださいませ。」

言葉を残し、彼女は踵を返して馬車の方へと歩き出す。
けれど、その途中で――視界の端に何かが映った。

石畳の脇に、ぐったりと倒れている男性。

「え……!?」
セリーヌはドレスの裾を掴んで駆け寄った。膝をつき、そっと肩を揺さぶる。
「大丈夫ですか? 聞こえますか?」
返事はない。唇は乾き、顔は青白い。呼吸は浅く、額に触れると熱がこもっていた。

(このままにしておけるはずがない……)

彼女は迷いもなく、倒れた男の頭を膝に抱き上げた。
その時、御者のランが駆け寄ってくる。

「お嬢様!? どうなさいました!」
「ラン、この方が倒れていたの。お怪我はないけれど、熱があるみたい。とりあえず屋敷にお連れしたいの。手を貸してくれる?」
「いけません、お嬢様まで倒れます! 私が助けを呼んできます、どうかここでお待ちください!」

ランは言うが早いか、駆け去っていった。
残されたセリーヌは、男の額の汗をハンカチで拭いながら、小さく囁いた。
「もう少しの辛抱ですわ……きっと助けが来ますからね。」

風が通り抜け、木々の葉がさわめいた。
その音が、まるで誰かの返事のように感じられた。

――

やがて、リサエル公爵家に運び込まれた男は医師の診察を受け、「過労からくる発熱」と診断された。
セリーヌは医師の言葉を静かに聞きながら、彼の顔を見つめた。
(どこかで見たことがある気がする……)

父マクセルが部屋に入ってきて、低い声で言った。
「セリーヌ、この方は外務大臣のシモン殿だ。アークエル侯爵家に連絡を入れておいた。すぐに家族が来るだろう。」

「まあ……シモン様が……」
驚きの声を漏らしながらも、セリーヌは冷たい水で濡らしたタオルを替え、丁寧に額に乗せた。
男の寝息が少しだけ穏やかになる。

ほどなくしてノックの音が響く。
「お通しして差し上げて、ミレイユ。」

扉が開き、勢いよく部屋に飛び込んできたのは――かつての学友、アレクサだった。
「お前っ! 父上に何をした!!」

「静かになさい!」
セリーヌの声が、凛として響いた。
普段は穏やかな彼女の瞳が、怒りを湛えてまっすぐにアレクサを射抜く。

「あなたのお父様が目を覚ますでしょう? 騒いではいけません。」

アレクサはその迫力に圧され、はっと息を呑んだ。
「……す、すまない。父上が倒れたと聞いて、つい……」
「よろしいですわ。けれど、もう少しお静かにね。」

穏やかに微笑むと、アレクサは少し俯きながら父の寝顔を見た。
「お父様は、過労からくる発熱ですわ。医師の話では、しばらく安静が必要とのこと。本来ならご自宅の方が落ち着くでしょうけれど、今は無理に動かすより、しばらくこのままお休みいただいた方がいいでしょう。」

「……迷惑をかける。すまないが、よろしく頼む。」

「アレクサ様、ご心配でしょう? もしよろしければ、お部屋を用意いたしますわ。お側にいらしても構いません。」

アレクサは一瞬言葉を詰まらせた。
「いや、俺まで世話になるわけには……。弟に伝えに戻る。」

そう言いながらも、どこか泣き出しそうな表情を浮かべる彼に、セリーヌはふっと優しく笑った。
「アレクサ様、そんな顔をなさらないで。弟さんもご一緒にいらして、お二人でお父様の側にいてあげて。明日はお休みの日でしょう? その方がお父様も安心なさるわ。」

首をかしげながら言うと、アレクサは耳まで真っ赤にしてうつむいた。
「……仕方ないな。セリーヌが言うなら、そうする。」
そう呟いて、くるりと踵を返し、弟を迎えに出て行った。

――

やがて、静けさの戻った部屋で、シモンがかすかに声を漏らした。
「こ、ここは……」

「シモン様、リサエル公爵家ですわ。」
セリーヌは椅子から立ち上がり、微笑みを浮かべて答えた。
「わたくしはアレクサ様の同級生、セリーヌと申します。馬車留めの近くで倒れておられたので、お連れいたしましたの。医師の話では過労からの発熱とのこと。どうか今はお休みください。」

「ご迷惑を……すぐに失礼しよう。」
シモンは身体を起こそうとしたが、セリーヌがそっと肩を押さえた。

「安静になさってくださいませ。ご家族にも連絡済みです。アレクサ様が弟君を連れて、もうすぐこちらに。」

シモンは目を伏せ、苦笑した。
「私だけでなく、子供たちまで迷惑をかけてしまうとは……」

「ふふ、そんなこと。普段は強気なアレクサ様が、お父様のことで泣き出しそうな顔をしていたんですもの。放っておけるわけがありませんわ。」

そう言って、水差しからコップに水を注ぎ、シモンの背をそっと支えて手渡す。
彼は一息に飲み干し、ゆっくりと横になった。

セリーヌは新しい冷たいタオルを額に置き、静かに髪を撫でた。
「国のために尽くしてこられたのですもの。今くらい、ゆっくりお休みになってください。」

その声は、春の風のようにやわらかく、
シモンはそのまま穏やかな眠りへと落ちていった。

――その横顔を見つめながら、セリーヌの胸の奥にもまた、知らず静かな温かさが灯っていた。

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