さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと

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第20話 再び巡り合う温もり

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朝の光が、ほんのりとカーテンの隙間から差し込んでいた。

シモンは、ゆっくりと瞼を開けた。
視界が少しずつ明瞭になっていく中で、一番に目に映ったのは、自分のすぐ傍で眠るセリーヌの姿だった。

椅子に腰掛けたまま、ベッドにうつ伏せになって寝ている。
右手は、彼の頭に優しく添えられ、左手は自らの胸元に。

(……まるで、夢の続きを見ているみたいだ)

だが、それは夢ではなかった。
昨日、セリーヌが言ったあの言葉――「お側におりますから」。

それを聞いた瞬間、ずっと閉ざされていた扉が軋んで開くように、かつての記憶が甦った。

――セリーヌに恋をして、婚約まで交わした日々。
――そして、突然の事故で彼女を失った時のこと。

あのとき、冷たくなった彼女の体を抱きしめ、何度も名前を呼んで泣き叫んだ。
何をどうしても、その事実だけは覆せなかった。

胸を裂くような悲しみ。
それでも、記憶の大半はぼやけてしまっていた。

けれど、今――彼女は目の前にいる。
生きて、温もりをもって、こうして自分の傍にいる。

(これは……奇跡なのか)

そっと手を伸ばし、セリーヌの頭を撫でた。
触れた髪は、記憶の中と同じように柔らかかった。

(でも……今の彼女は学生で、しかもライナルトの婚約者……)

自分にとっては“かつてのセリーヌ”だが、彼女にとって自分は“同級生の父親”。
その事実を考えた途端、胸の奥がぎゅう、と締めつけられた。

変わらない優しさと温かさを持った彼女が、そこにいるのに――もう、手の届く存在ではない。

そんなことを思っていたときだった。
セリーヌがふいに目を開けた。

「っ……!」

彼女は一瞬で目を見開き、はっとして身を起こす。
「わ、わたくし……シモン様の前で……みっともない姿を……っ」

赤面しながら頭を下げた彼女に、シモンは苦笑を浮かべた。
だが、セリーヌはすぐに気を取り直し、手の甲で彼の額に触れる。

「良かった……昨日より、熱は下がってますわ。でも、また上がってしまうかもしれませんので、朝食をお持ちしますね。召し上がったら、またゆっくりお休みくださいませ。」

てきぱきと、けれど柔らかく言って、彼女は部屋を出ていった。

――

扉が閉まると、間もなくアレクサとロイターが顔を出した。

「父上……すみません。昨日、寝てしまったようで……」
「気にするな。眠れたか?」

「はい! 夜中に目が覚めたら、サンドイッチがあって……兄上と食べて、また寝ました!」

その様子に、シモンは微笑んで頷いた。
息子たちの声が、心に染みた。

そこへ、再び扉が開く。
銀の盆を手に、セリーヌが朝食を持って現れた。

「おはようございます、アレクサ様、ロイター様。朝食の準備が整っておりますので、お二人はどうぞ食堂へ。わたくしは、お父様のお食事をお手伝いしてから、後ほど参りますわ」

にこやかにそう言ったセリーヌに、アレクサがぽつりと訊ねた。

「……食べさせる、って……?」

「ええ、そうですけれど……何か?」

まったく動じず、セリーヌはテーブルをベッドの側に寄せると、昨日と同じようにシモンの体を抱き起こし、背中にクッションを入れていく。

その所作に、アレクサとロイターは声も出せず見入っていた。

セリーヌは涼しい顔で、スプーンを手に取り――

「さあ、シモン様。お口を開けてくださいませ。あ~ん。」

柔らかく煮た野菜のペーストをすくい、口元へ差し出した。
シモンは、一切ためらわず口を開けて受け入れる。

その瞬間。

(……え?)
(あの父上が……!?)

アレクサとロイターの頭の中には、思考の渦がぐるぐると渦巻いていた。

――あのいつも厳しい父が……甘えてる?
――いや、セリーヌがおかしいのか?
――おじさんに“あ~ん”って……普通なのか?

あまりの情報量に、考えるのをやめた。

あっという間に朝食は終わり、水の入ったコップをセリーヌが手渡すと、シモンは黙って受け取って飲み干した。
そして、昨日と同じようにクッションを外され、再び横になる。

冷たいタオルを額に当て、セリーヌは頭を撫でながら囁く。

「ゆっくりお休みくださいませ。眠るまで、お側におりますから。」

「……セリーヌ、手を握ってくれ。」

その一言に、セリーヌは小さく笑って、空いた手でそっと彼の手を包む。
「ふふ、しょうがない方ですわね。」

指先が重なり合う温もりを確かめるように、そっと撫で続ける。

まだ熱の残るシモンは、そのまま静かに眠りについた。

セリーヌはそっと手を離し、立ち上がる。
扉の方を向くと、アレクサとロイターがまだ部屋の隅にいた。

「お二人とも、朝食を食べに行きますわよ?」

呼びかけられてようやくギギギと音を立てるように動き出し、三人で食堂へと向かった。

――

その朝の食事は、遅い時間となった。
けれど、テーブルに並ぶ料理は温かく、気配りの行き届いたものばかりだった。

セリーヌは、ごく自然な手つきで給仕に指示を出し、三人の皿に次々と食事を運ばせていく。

コップの水が減れば注がれ、食べ終わればタイミング良くお茶が用意された。

アレクサは思った。
――セリーヌって、やっぱりすごい。
無意識なんだろうけれど、どこまでも優しくて、行き届いていて。
……マメで、温かくて、ちゃんと見てくれていて……。

彼はふと、父がセリーヌに向けた眼差しを思い出す。
そこにあったのは、息子として見たことのないほど、柔らかな表情だった。

(……まさか、な)

湯気の立つお茶の向こうで、セリーヌは今日も変わらず笑っていた。
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