4 / 23
第1章
第3話:領主夫妻と初対面
しおりを挟む
「——ほんとうに、森の中で目を覚ましたらこの世界だったんです。」
私は、出されたハーブティーの湯気を眺めながら、正面の夫妻にそう告げた。
実際は、自宅までの道を歩いていたらきりが出て…などの説明は面倒だったので簡潔にまとめて答えた。
あまりにも自然に会話できるから不自然にも思わなかったが、これは異世界あるあるの言語翻訳か言語チートか何かだろうか?さりげなく町の文字も読めたし…。
豪奢すぎない落ち着いた応接間の中、私の目前には年配の男女。
柔らかな目元の女性と、厳格そうでいてどこか優しい印象を残す男性。
この二人が、この地の領主夫妻だった。
「……不思議なこともあるものですね」
先に口を開いたのは、奥様だった。年齢は五十を過ぎているだろうが、気品ある笑みと声には温かみがあった。
「私はエレーナ。こちらが夫のクラウス・エルマー。私たちはこの町を任されております」
「男爵ですので、立派なもんではありませんがね。クラウスとお呼びくださって構いません」
領主という言葉に身構えていた私は、その“人の良さそうな”声色に逆に困惑していた。
もっとこう、鼻持ちならない貴族様が出てくると思ってたのに。
貴族って、こう……やたらマントを翻したり、女中を足蹴にしたりするんじゃなかったっけ?(偏見)
——それにしても、部屋があったかい。
座らされたソファもふかふかで、乾いた毛布が肩にかけられている。
いつの間にか履かされた靴下は、ふわふわの毛糸のもの。
着替えまで用意してくれていたけれど、さすがにドレスは丁重にお断りした。
「……あの、できれば……シャツと、パンツみたいな動きやすいのが……」
「まぁ、シャツに……ズボンというのかしら? それで良いのね。分かったわ、仕立て屋に頼んでおきましょうね」
エレーナ夫人は、まるで娘の要望を聞くように頷いた。
……正直に言えば、ちょっと涙腺にきた。
私、今までこうやって“ただ自分の好きなものを伝えて、それが否定されずに通る”こと、どれだけあった?
職場では、何を言っても「空気読め」とか「若いから」だの「古株なんだから」だの……。
一度たりとも、“まどか”として扱われたことなんてなかった気がする。
「……ありがとうございます」
声が震えたのは、気温のせいじゃない。
クラウス男爵が椅子から立ち上がると、低い声で言った。
「君が“転移者”であるかどうか……正直、我々には判断できん。だが、森に倒れていた者をそのまま見捨てるような町ではないと自負している」
「すぐに宿を、というのも不安でしょうし、しばらくはこの屋敷にいてくださって構いませんよ。必要なものはできるだけ用意します」
「え……いいんですか? 私、ほんとに身一つで来ちゃってて、何の見返りも……」
「何を言ってるの。困った人を助けるのに、理由が必要だなんて思いませんよ」
——そう言われて、私はなんだか、泣きたくなった。
けれど、それを出すことはできなかった。
私は泣けない人間だ。昔から、感情を押し込めて、冷静に振る舞って、なんでも一人でこなしてきた。
泣いたら、きっと崩れてしまう。
だから私は、代わりに笑った。
そして、いつもどおりに、皮肉交じりのひと言をつぶやく。
「はぁ……まいったな。あったけぇ異世界とか、聞いてないんだけど……」
エレーナ夫人が、小さく微笑んだ。
「ようこそ、芹澤まどかさん。あなたの新しい世界へ」
その言葉は、たぶん私の人生でいちばん優しい歓迎の言葉だった。
* * *
その日の夜、私に用意された客室は広すぎて、逆に落ち着かなかった。
けれど、熱い湯で身体を洗って、温かい湯気に包まれて、ふかふかのベッドに寝転んだとき。
私は、やっと安心したように深く深く、眠りに落ちていった。
スマホはまだ圏外だったけれど。
通知もアラームもない世界に、私は少しずつ馴染み始めていた。
——今はまだ、知らなかった。
この世界が、そんなに“甘い”だけじゃないことを。
平穏の裏には、必ず“厄介ごと”が転がっていることを。
でも、このときの私はただひたすらに——
「もう働きたくない」と、心からそう願いながら、異世界の夜に包まれていた。
私は、出されたハーブティーの湯気を眺めながら、正面の夫妻にそう告げた。
実際は、自宅までの道を歩いていたらきりが出て…などの説明は面倒だったので簡潔にまとめて答えた。
あまりにも自然に会話できるから不自然にも思わなかったが、これは異世界あるあるの言語翻訳か言語チートか何かだろうか?さりげなく町の文字も読めたし…。
豪奢すぎない落ち着いた応接間の中、私の目前には年配の男女。
柔らかな目元の女性と、厳格そうでいてどこか優しい印象を残す男性。
この二人が、この地の領主夫妻だった。
「……不思議なこともあるものですね」
先に口を開いたのは、奥様だった。年齢は五十を過ぎているだろうが、気品ある笑みと声には温かみがあった。
「私はエレーナ。こちらが夫のクラウス・エルマー。私たちはこの町を任されております」
「男爵ですので、立派なもんではありませんがね。クラウスとお呼びくださって構いません」
領主という言葉に身構えていた私は、その“人の良さそうな”声色に逆に困惑していた。
もっとこう、鼻持ちならない貴族様が出てくると思ってたのに。
貴族って、こう……やたらマントを翻したり、女中を足蹴にしたりするんじゃなかったっけ?(偏見)
——それにしても、部屋があったかい。
座らされたソファもふかふかで、乾いた毛布が肩にかけられている。
いつの間にか履かされた靴下は、ふわふわの毛糸のもの。
着替えまで用意してくれていたけれど、さすがにドレスは丁重にお断りした。
「……あの、できれば……シャツと、パンツみたいな動きやすいのが……」
「まぁ、シャツに……ズボンというのかしら? それで良いのね。分かったわ、仕立て屋に頼んでおきましょうね」
エレーナ夫人は、まるで娘の要望を聞くように頷いた。
……正直に言えば、ちょっと涙腺にきた。
私、今までこうやって“ただ自分の好きなものを伝えて、それが否定されずに通る”こと、どれだけあった?
職場では、何を言っても「空気読め」とか「若いから」だの「古株なんだから」だの……。
一度たりとも、“まどか”として扱われたことなんてなかった気がする。
「……ありがとうございます」
声が震えたのは、気温のせいじゃない。
クラウス男爵が椅子から立ち上がると、低い声で言った。
「君が“転移者”であるかどうか……正直、我々には判断できん。だが、森に倒れていた者をそのまま見捨てるような町ではないと自負している」
「すぐに宿を、というのも不安でしょうし、しばらくはこの屋敷にいてくださって構いませんよ。必要なものはできるだけ用意します」
「え……いいんですか? 私、ほんとに身一つで来ちゃってて、何の見返りも……」
「何を言ってるの。困った人を助けるのに、理由が必要だなんて思いませんよ」
——そう言われて、私はなんだか、泣きたくなった。
けれど、それを出すことはできなかった。
私は泣けない人間だ。昔から、感情を押し込めて、冷静に振る舞って、なんでも一人でこなしてきた。
泣いたら、きっと崩れてしまう。
だから私は、代わりに笑った。
そして、いつもどおりに、皮肉交じりのひと言をつぶやく。
「はぁ……まいったな。あったけぇ異世界とか、聞いてないんだけど……」
エレーナ夫人が、小さく微笑んだ。
「ようこそ、芹澤まどかさん。あなたの新しい世界へ」
その言葉は、たぶん私の人生でいちばん優しい歓迎の言葉だった。
* * *
その日の夜、私に用意された客室は広すぎて、逆に落ち着かなかった。
けれど、熱い湯で身体を洗って、温かい湯気に包まれて、ふかふかのベッドに寝転んだとき。
私は、やっと安心したように深く深く、眠りに落ちていった。
スマホはまだ圏外だったけれど。
通知もアラームもない世界に、私は少しずつ馴染み始めていた。
——今はまだ、知らなかった。
この世界が、そんなに“甘い”だけじゃないことを。
平穏の裏には、必ず“厄介ごと”が転がっていることを。
でも、このときの私はただひたすらに——
「もう働きたくない」と、心からそう願いながら、異世界の夜に包まれていた。
146
あなたにおすすめの小説
面倒くさがりやの異世界人〜微妙な美醜逆転世界で〜
蝋梅
恋愛
仕事帰り電車で寝ていた雅は、目が覚めたら満天の夜空が広がる場所にいた。目の前には、やたら美形な青年が騒いでいる。どうしたもんか。面倒くさいが口癖の主人公の異世界生活。
短編ではありませんが短めです。
別視点あり
過労死して転生したので絶対に働かないと決めたのに、何をしても才能がバレる件
やんやんつけバー
ファンタジー
過労死して異世界転生。今度こそ絶対に働かないと決めたのに、何をやっても才能がバレてしまう——。農村で静かに暮らすはずが、魔力、農業、医療……気づけば誰も放っておかない。チートで穏やか系の異世界スローライフ。
没落した建築系お嬢様の優雅なスローライフ~地方でモフモフと楽しい仲間とのんびり楽しく生きます~
土偶の友
ファンタジー
優雅な貴族令嬢を目指していたクレア・フィレイア。
しかし、15歳の誕生日を前に両親から没落を宣言されてしまう。
そのショックで日本の知識を思いだし、ブラック企業で働いていた記憶からスローライフをしたいと気付いた。
両親に勧められた場所に逃げ、そこで楽しいモフモフの仲間と家を建てる。
女の子たちと出会い仲良くなって一緒に住む、のんびり緩い異世界生活。
記憶喪失となった転生少女は神から貰った『料理道』で異世界ライフを満喫したい
犬社護
ファンタジー
11歳・小学5年生の唯は交通事故に遭い、気がついたら何処かの部屋にいて、目の前には黒留袖を着た女性-鈴がいた。ここが死後の世界と知りショックを受けるものの、現世に未練があることを訴えると、鈴から異世界へ転生することを薦められる。理由を知った唯は転生を承諾するも、手続き中に『記憶の覚醒が11歳の誕生日、その後すぐにとある事件に巻き込まれ、数日中に死亡する』という事実が発覚する。
異世界の神も気の毒に思い、死なないルートを探すも、事件後の覚醒となってしまい、その影響で記憶喪失、取得スキルと魔法の喪失、ステータス能力値がほぼゼロ、覚醒場所は樹海の中という最底辺からのスタート。これに同情した鈴と神は、唯に統括型スキル【料理道[極み]】と善行ポイントを与え、異世界へと送り出す。
持ち前の明るく前向きな性格の唯は、このスキルでフェンリルを救ったことをキッカケに、様々な人々と出会っていくが、皆は彼女の料理だけでなく、調理時のスキルの使い方に驚くばかり。この料理道で皆を振り回していくものの、次第に愛される存在になっていく。
これは、ちょっぴり恋に鈍感で天然な唯と、もふもふ従魔や仲間たちとの異世界のんびり物語。
聖女なんかじゃありません!~異世界で介護始めたらなぜか伯爵様に愛でられてます~
トモモト ヨシユキ
ファンタジー
川で溺れていた猫を助けようとして飛び込屋敷に連れていかれる。それから私は、魔物と戦い手足を失った寝たきりの伯爵様の世話人になることに。気難しい伯爵様に手を焼きつつもQOLを上げるために努力する私。
そんな私に伯爵様の主治医がプロポーズしてきたりと、突然のモテ期が到来?
エブリスタ、小説家になろうにも掲載しています。
【完結】そして異世界の迷い子は、浄化の聖女となりまして。
和島逆
ファンタジー
七年前、私は異世界に転移した。
黒髪黒眼が忌避されるという、日本人にはなんとも生きにくいこの世界。
私の願いはただひとつ。目立たず、騒がず、ひっそり平和に暮らすこと!
薬師助手として過ごした静かな日々は、ある日突然終わりを告げてしまう。
そうして私は自分の居場所を探すため、ちょっぴり残念なイケメンと旅に出る。
目指すは平和で平凡なハッピーライフ!
連れのイケメンをしばいたり、トラブルに巻き込まれたりと忙しい毎日だけれど。
この異世界で笑って生きるため、今日も私は奮闘します。
*他サイトでの初投稿作品を改稿したものです。
転生したおばあちゃんはチートが欲しい ~この世界が乙女ゲームなのは誰も知らない~
ピエール
ファンタジー
おばあちゃん。
異世界転生しちゃいました。
そういえば、孫が「転生するとチートが貰えるんだよ!」と言ってたけど
チート無いみたいだけど?
おばあちゃんよく分かんないわぁ。
頭は老人 体は子供
乙女ゲームの世界に紛れ込んだ おばあちゃん。
当然、おばあちゃんはここが乙女ゲームの世界だなんて知りません。
訳が分からないながら、一生懸命歩んで行きます。
おばあちゃん奮闘記です。
果たして、おばあちゃんは断罪イベントを回避できるか?
[第1章おばあちゃん編]は文章が拙い為読みづらいかもしれません。
第二章 学園編 始まりました。
いよいよゲームスタートです!
[1章]はおばあちゃんの語りと生い立ちが多く、あまり話に動きがありません。
話が動き出す[2章]から読んでも意味が分かると思います。
おばあちゃんの転生後の生活に興味が出てきたら一章を読んでみて下さい。(伏線がありますので)
初投稿です
不慣れですが宜しくお願いします。
最初の頃、不慣れで長文が書けませんでした。
申し訳ございません。
少しづつ修正して纏めていこうと思います。
異世界召喚されたアラサー聖女、王弟の愛人になるそうです
籠の中のうさぎ
恋愛
日々の生活に疲れたOL如月茉莉は、帰宅ラッシュの時間から大幅にずれた電車の中でつぶやいた。
「はー、何もかも投げだしたぁい……」
直後電車の座席部分が光輝き、気づけば見知らぬ異世界に聖女として召喚されていた。
十六歳の王子と結婚?未成年淫行罪というものがありまして。
王様の側妃?三十年間一夫一妻の国で生きてきたので、それもちょっと……。
聖女の後ろ盾となる大義名分が欲しい王家と、王家の一員になるのは荷が勝ちすぎるので遠慮したい茉莉。
そんな中、王弟陛下が名案と言わんばかりに声をあげた。
「では、私の愛人はいかがでしょう」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる