白い結婚の行方

宵森みなと

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第5話 白い契約と、静かに芽吹く想い

サラスティナの、あの「取り巻き撃退法」が学園中で話題になったのは、つい先月のことだった。
アイザック殿下目当てのご令嬢方が、次々と静かに散っていったあの日以来、サラスティナの学園生活は驚くほど穏やかになった。

生徒会では、各部に予算計画書の提出を求めるだけでなく、実際の支出を追えるよう決算報告の書式を整備。
ただの命令ではなく、各部のもとへ足を運び、目的と理由を丁寧に説明し、時に反論を正論で押し返し、必要であることを淡々と説いた。
抵抗していた各部も、提出された書式の明快さと、添付された例文のわかりやすさに感心し、気がつけば全ての部が協力的になっていた。

彼女はそうした実務をこなしながらも、休日にはアリスやクラスの友人たちと街へ繰り出し、カフェでお茶を飲んだり、書店で本を漁ったりと、年相応の時間もきちんと楽しんでいた。


---

もうすぐ、夏季休暇。
例年はリュモン子爵家の領地で過ごしていたサラスティナだったが、今年は少し違っていた。
彼女は、マイラス侯爵家の領地に、長期で滞在するつもりでいた。

以前から時折訪れては、農地の水路の引き直しや、商業区の配置見直しなどを提案していたが、今回は休暇を使って、徹底的に領地を歩き、見て、改善点を洗い出したい――そんな想いがあった。

生徒会の仕事をすべて片付けた放課後、彼女は一人、生徒会室の机に大きな紙を広げていた。
それは彼女が手ずから描いた、マイラス侯爵領の地図だった。
境界線、村の位置、水の流れ、小さなマークがびっしりと書き込まれている。

そこへ、たまたま入室してきたハリスとアイザックが、ふとその様子に目を止めた。

「サラスティナ嬢、これは……? 手製の地図か? どこの領地なんだ?」

ハリスが興味深げに尋ねると、サラスティナは顔を上げて淡々と答えた。

「あぁ、これですか? マイラス侯爵家の領地です。夏季休暇にデューお父様と滞在するので、その準備ですの」

「……え?」
ハリスが思わず声を漏らし、アイザックもわずかに目を見開いた。

「サラスティナ嬢は、リュモン子爵家の令嬢だったのでは……? デュラン様が、お父様?」

「あっ、言ってませんでしたっけ?」
サラスティナは手帳を閉じながら、さらりと言った。
「わたくし、マイラス侯爵家のレーモンド様と書類上、婚姻関係にありますの。だから、今はサラスティナ=マイラス。形式だけですが、将来は養子縁組の予定ですので、領地のことを学ぶのも必要かと」

空気が一瞬、止まった。
特にアイザックは、まるで言葉を失ったように、口をパクパクと動かしていた。

代わりに、ハリスが声を絞り出した。
「書類上の……とは、つまり?」

「式も挙げておりませんし、同居もしておりません。一度も顔を合わせたこともないのですよ。ただの書類上の契約です。三年間は白い結婚として過ごし、その後は養女として正式に迎えられる予定ですので。気になさらないでくださいな」

彼女はどこまでも淡々としていたが、言葉の端々に「これ以上、詮索しないで」という無言の線引きを感じさせた。

ハリスは内心で――ああ、マイラス侯爵家はこの娘を、いずれ後継者として囲い込むつもりなのだな、と確信した。
これほどの逸材を、見逃す手はない。

ちらりと隣のアイザックを見ると、彼はいまだに呆然と立ち尽くしていた。
無理もない――サラスティナに好意を抱いていたと、ようやく認めざるを得なかったのだから。

サラスティナは、地図を手際よく巻き取り、にこやかに一礼して言った。

「では、皆様もどうぞ良い夏季休暇をお過ごしくださいませ。失礼いたします」

そのまま軽やかに退出していった。


---

王宮に戻ったアイザックは、気もそぞろだった。
食事の味も覚えておらず、文も読んだ端から頭に入らない。

ついに彼は、兄であるハロルド王太子の執務室を訪ねた。
部屋には文官たちがひしめき、兄は黙々と書類に目を通していたが、弟のただならぬ雰囲気にすぐ気づいた。

「どうした、急ぎか?」
顔を上げると、そこにはいつになく神妙な顔のアイザックがいた。
その表情を見た瞬間、ハロルドは無言で手を振り、室内の文官たちをすべて下がらせた。

「……話せ。何があった?」

アイザックは、唇を強く噛みしめたまま、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと漏らした。
「兄上は……レーモンドの結婚相手をご存知でしたか?」

「……ああ、書類上だけの婚姻だと聞いている。顔も合わせていないらしいな。マイラス家が特例を使って、将来養子として迎えるための措置だ。まあ、俺の推測だが、外れてはいまい」

「……その相手は、リュモン子爵家のサラスティナ嬢でした」

しんと静まり返った室内で、その名前が落とす波紋の大きさは、思ったより深かった。

ハロルドは一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに淡く笑った。
「そうか……それで、動揺しているのか」

アイザックは苦しげに目を伏せた。
「気づいたら、彼女のことばかり考えていて……気がつけば、気になって仕方がない。これが……恋なのかどうかも分からない」

ハロルドは、弟の肩をぽんと叩いた。
「俺に、お前の気持ちが分かるわけないだろ。ただ――泣きそうな顔をしてここへ来た弟を見れば、それはもう恋だと言ってやるしかないだろうな」

「……兄上……」

「長い夏季休暇だ。気になるなら、様子を見に行ってこい。会わずに悶々とするより、直接見た方が早い。……あとは、そうだな」

「?」

「俺もサラスティナ嬢という人物を調べておこう。弟が惚れる相手が、どれほどのものか、気になるからな」

弟ははにかんだように笑い、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます、兄上」

静かに、風が窓を揺らした。
そこに芽生えた想いが、やがてどんな運命を呼び寄せるのか――兄弟ともに、まだ知る由もなかった。

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