白い結婚の行方

宵森みなと

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第23話 再び悪夢がよみがえり

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馬車の車輪が石畳を静かに叩いていた。
夜風がわずかにカーテンを揺らし、灯りがふたりの影をゆらめかせる。

サラスティナはレーモンドの膝の上に座らされ、身動きが取れないほど、ぎゅうぎゅうに抱きしめられていた。
息が苦しいというより、その腕に宿る焦りと不安が痛いほど伝わってくる。
彼はまるで、離した瞬間に彼女がどこかへ消えてしまうとでも思っているようだった。

サラスティナは静かにその背を撫でた。

「レイ、ちゃんと一緒に帰ってきたでしょう?」

レーモンドは小さく首を振った。

「……今、手を離したらダメな気がする。明日だろ? サラが決断する日は」

「そうね」

「お願いだ、サラ。俺を選んでくれ。頼む……」

その声は震えていて、騎士としての誇りよりも、ひとりの男の切実な叫びだった。
サラスティナは何も言わず、ただ背を撫で続けた。

「それは、明日には分かるわ」

その一言で、レーモンドは彼女の胸元に顔を埋め、深く息を吐いた。



マイラス侯爵家の門が静かに開いたとき、待っていた使用人たちは何も言わなかった。
表情にすべてを悟ったような影がよぎる。
――ああ、レーモンド様、我慢できなかったのですね、と。
彼らのまなざしに咎めはなく、むしろ、どこか温かい諦めのようなものがあった。

サラスティナは屋敷に入ると、ゆっくりとドレスを脱ぎ、湯を張らせた。
蒸気の中でひとりになり、今夜の出来事を思い返す。


髪を乾かし、部屋で寛いでいると、控えめなノックの音がした。
「サラ……入ってもいい?」
「どうぞ」

扉の隙間から顔を覗かせたレーモンドは、どこか不安気な顔をしていた。

「今日は……一緒にいたい。手を繋いでいたいんだ」

サラスティナはくすっと笑って首を傾げる。

「仕方ない人ね。もう寝るところだったのに。……レイはどうするの?」

「サラスティナのベッドのそばに椅子を置いて、手を繋ぐ。……離れたくない」

サラスティナはため息をついた。

「それじゃあ、風邪をひいてしまうわ。……いいわ、一緒に寝ましょう?」

レーモンドは耳まで真っ赤になり、慌てて首を振った。

「だ、ダメだ! 寝てしまったら……サラがいなくなるかもしれない。見張ってないと」

「ふふ。……もう好きにしなさい」

布団に潜り込むと、すぐに彼の手が指を絡め取った。
その手は温かく、けれどどこか必死だった。
やがてサラスティナの寝息が静かに響きはじめ、レーモンドはその寝顔を見つめながら呟いた。

「サラ……お願いだ、俺を選んで」

その声は夜に溶け、灯りが小さく揺れた。



翌朝。
身体の節々が痛む。固い椅子で眠ってしまったせいだと気づくまでに数秒かかった。
目を開けると、そこにサラスティナの姿はなかった。
嫌な予感が胸を刺す。
――まさか。

一瞬で、過去の記憶が蘇る。
前の生でも、彼女は同じように――
夜明け前、彼が眠る間に教会へ行き、白い婚姻証明と離縁の手続きを終えていた。

血の気が引いた。

「サラ……?」

息が荒くなる。焦燥のまま階段を駆け下り、食堂の扉を開いた。
けれど、そこにも彼女はいない。

「父上! サ、サラがいないんだ!」

デュランがちょうど入ってきたところだった。

「もしかして……教会に……?」

椅子に崩れ落ちる息子を見て、デュランの顔色も変わる。

「レーモンド! すぐ行け!」

「は、はい!」

動転した足がもつれながらも、どうにか馬車に飛び乗る。
御者に「教会まで全速だ!」と叫ぶ声が震えていた。

馬車が走る間、レーモンドは何度も祈った。

「頼む……間に合ってくれ。神よ、どうか……」



教会の扉を押し開けた瞬間、白い光が目に刺さった。
静かな朝の空気の中に、彼女の姿があった。
祭壇の前で、背筋を伸ばし、まるで誰かを待っているように立っている。

「サ……サラ?」

レーモンドの声が震えた。

サラスティナはゆっくりと振り返る。
光がその頬を照らし、金の髪が柔らかく揺れる。

「おはよう、レイ。思っていたより早かったのね」

その声音は穏やかで、どこか懐かしい。

レーモンドは一歩近づき、息を呑んだ。

「手続きは……終わったのか?」

サラスティナはほんの少しだけ微笑んだ。

「ねぇ、レイ。……少し答え合わせ、しましょうか?」

その瞬間、教会の鐘が鳴った。
朝の光がステンドグラスを通して二人を包み、色とりどりの影が床に落ちた。
それは、運命の糸が静かにほどけていく音のようだった。

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