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10話「屈辱の舞踏会-3」
しおりを挟む「えっ!?」
わたくしの体がどんどん地面から離れて浮いていく。てっきり抱え上げられたのかと思ったけれど、誰にも触れられている感覚はない。
不思議な浮遊感にわたくしはただ戸惑うことしかできなかった。
「お前の服、やたら重いな。……いや、お前自身の重さか?」
「なっ、失礼ね!わたくしは食生活や運動には気を遣って――って、ちょっと!どこまで浮くのよこれ!」
憎き悪魔……グースを見下ろしながら、宙に浮いたわたくしはスカートがめくれないように辛うじて手で押さえる。グースは口元だけで笑いながら、彼の身長よりも高い位置まで浮いているわたくしを眺めて「お前が重すぎて力加減間違えた」なんて、無礼にも程がある発言をした。
「ちょっと!変な魔術使わないでよ!!」
「あー、ハイハイ。じゃあ仰せのままに解除してやるよ」
「……え?ちょっと、あなたちゃんとわたくしのこと支えてくれるんでしょうね!?」
このまま落とされたら大怪我だわ……!わたくしはそう思い、ずいぶん離れたところにいるグースに必死に訴えかけるけれど、悪魔はにやにやとわたくしを眺めるだけで全く当てにならないことがわかった。
いいえ、最初から悪魔なんて当てにしていませんけれど!!
パチン――。
グースが指を鳴らす音を聞いて、わたくしは衝撃に備えて体を丸め、ギュッと目を瞑る――。
――ぽふん。バチッ!
「いたっ!?」
想像していた場所から程遠いおでこに痛みを感じて、わたくしは思わず情けない声をあげてしまった。硬い地面の感覚もなく、何か柔らかいものに包まれている気がする。
ま、まさか……グースが本当にわたくしを支えて……?あの性格の悪い悪魔が?
「目を閉じていても、お前の考えていることは全部顔に出るな」
「!」
グースの声がわたくしの頭上から聞こえる。こ、これ……!もしかしてわたくしは、グースに抱きしめられているってことなの!?
確認するためにわたくしは、ギュッと閉じていた目を恐る恐る開く。
「……?天井?ん……ここ、わたくしの部屋!?」
「何を勘違いしていたんだかおぞましくて考えたくもないが、俺が気を利かせて部屋に転送しておいてやったぞ」
グースの言葉に、わたくしは体を起こして周りを慌てて確認する。柔らかい温かなものに包まれていると思ったら、グースじゃなくてベッドの感触だったのね……。ドキドキと速い鼓動を刻んでいた心臓が次第に落ち着いていく。
グースはベッドの横で椅子に腰掛けてわたくしを覗き込んでいたらしい。
「迷惑かけて、その……わ、悪かったわね……。それにしても部屋まで瞬間移動だなんて……、魔術ってなんでもできるのね。いつもわたくしの居場所が分かるのも、魔術を使っているの?」
「お前でも何かに謝罪することがあるんだな。魔術か……まあいい。俺がお前の居場所を知ることができるのは、魔術ではなく“契約”の副産物だ。お前はちゃんと本を読んでいないから知らないだろうが、悪魔と契約した時点……つまり俺を呼び出した時点でお前……“リリアン・ノーブルの感覚”は全て悪魔である俺に伝わることになっている」
契約の副産物?わたくしの感覚がグースに全て伝わる?
意味がわからず困惑するわたくしに、グースはやれやれという様子で言葉を続けた。
「つまり、お前の五感を俺が把握できるということだ。お前が見たものを俺も同様に見ることができる。お前の食べた物の味を俺も同様に味わうことができる。お前の触れる物の感覚を、俺も知ることができる。お前の耳から入る音を俺も聞くことができる。お前が鼻から取り入れる匂いを俺も嗅げる。……お前の足りない頭でも、ここまで言えば流石にわかるだろ?」
「いちいち嫌味な悪魔ね……。それなら、わたくしの考えていることや記憶もグースは覗けるということ?」
「いいや、それはできない。俺たち悪魔が許されている干渉は、“契約者の五感“のみだ。それからお前はアホだからちゃんと言っておくが、“感覚が伝わるのは悪魔だけ”だ。お前に俺の感覚は伝わらない」
つまり、一方的にわたくしの感覚だけがグースに伝わるということね……。それって、なんだかちょっと……。
「“おぞましい”か?……人間が感覚を知られるのを嫌がるのはよくある事だ」
「いえ、ただ……は、恥ずかしいと思って」
「……」
グースの呆れた表情に、わたくしは自分の頬に熱が集まるのを感じる。
「いいえっ、別にわたくしにやましい事なんて一つもありませんけれど!でっでも……その、それじゃあ今まで、グースはわたくしの学園生活を見ていたって事ですの!?」
「そうだな。お前がノアに惨敗したところも、ウェルター・アンダースカーにみっともない弁明をしていたところも見たな」
「あああっ!?それじゃあわたくしの着替えや入浴も!?」
「そんな下らないものは見ないから安心しろ」
「それならよかった……ではなくて!!その言い方ってわたくしを馬鹿にしているわよね!?」
わたくしはベッドに腰掛けながらグースを睨むけれど、彼は我関せずといった様子で腰掛けていた椅子から立ち上がった。
「ちょっと、どこに行くの?……あ、思い出したけれど、あなた!わたくしをここに運んだついでにわたくしのおでこに何かしたでしょ!!」
運ばれたときの浮遊感と、額へ残る少しの違和感を思い出してわたくしはグースの背中へ言葉を投げかける。
「なんだ、気付いていたのか。叩いたら少しは頭が良くなるかと思ってな。指で少し弾いてやっただけだ」
「指で少し弾いてやった!?ずっと思っていたけれど、グース!あなたはレディに対しての礼儀が全然なっていないわ!」
「……そんなに言うなら教えてもらおうか?レディに対しての礼儀ってやつを」
グースは振り向くと、あっという間にわたくしへの距離を詰めた。流れるようにベッドへ手をつき、わたくしへ覆いかぶさるように近づいてくる。鼻と鼻がくっつきそうなほどの距離感に、わたくしは目を見開き美しい悪魔の顔をじっと見てしまう。
血の気のない白すぎる肌は陶器のように冷たく滑らかで、彼の髪と同じく漆黒の睫毛は血のように赤い瞳を覆うほど長い。惹きつけられる赤い瞳が、わたくしにどんどん近づいてくる。わたくしはついに耐えられなくなり、ギュッと目を瞑った。
――バチッ!
「んわっ!」
「間抜けな声だな」
おでこに感じる痛み――この悪魔、またわたくしに暴力を振るったのね!?
わたくしはグースに文句を言おうと目を開けたけれど、思ったよりも近くにあった美しい顔に、グッと言葉を飲み込んでしまう。
「キスでもされると思ったか?」
口の端を上げて可笑しそうに笑うグースに、わたくしはまた自分の頬に熱が集まるのを感じた。何か言い返してやりたいのに、口がパクパクと動くだけで言葉は形にならなかった。
「ああ、それがお前の願いだというのなら叶えてやってもいいが。叶えてやる願いは1つだけだから、ちゃんと考えて決めろよ」
「な……、は!?」
「願うならなんでも叶えてやる。そう言っただろ?願うなら俺の名前を呼べ……なるべく早めにな」
グースはそう言うと、わたくしの頬を長い指で優しく撫でた後、風のように消えてしまった。
「な、なんなの……」
1人取り残されたわたくしは、ベッドに倒れ込みながら唖然と呟く。
ハッと思い出して痛めたはずの足を確認すれば、そこには傷一つない素足があった。妙だと思って関節を動かしてみるけれど、少しも痛みを感じない。ヒールはどこにいったのかと少し見渡してみれば、ベッドの脇にそっと揃えておいてあるのが確認できた。
「……何よ」
わたくしは先ほどグールの指に撫でられた頬を手で覆って、再びベッドへ倒れ込む。グースの黒く長い爪が頬をなぞった感覚が、不思議と頭から離れない。
みっともなく転んだわたくしを勝手に部屋まで運んで、勝手に怪我を治して、無礼なことをずけずけ言って、言いたいことを言ったら勝手にいなくなって……。
とめどなく流れる涙が引っ込んでしまったのも、顔から熱が全然引いていかないのも、これからのことを考えていた頭の中が全部ぐちゃぐちゃになってしまったのも――。
「ぜんぶ、癪に障るのよ……」
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