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優しければいいというものでは
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はぁ。イリアはため息をついた。
最近リノが必要以上に優しい。もちろん優しくされて嬉しくないわけではない。
だが、この時期は。ちょっと。
エラブの艦は、自給できるものが多い。
自分たちの基地の島にはしょっちゅう降りるが、大陸の賑わった港に着けて何週間も上陸するのは、一年に一度だ。その上陸が近い。
海民の決まりでは、海の上で決まった伴侶以外と浮気すると海に叩き込まれても文句が言えないが、上陸期間には浮気したり、逃げ出したりしても良いことになっている。
逆に墨が三本になった男たちは、自分と船に乗ると誓ってくれる女性ができれば船に連れてきても良い。まぁ、乗ってしまうと一年近く帰れないのでそうそう簡単ではないが。
それでも、伴侶を船に載せていない船員たちが多いので、上陸前はお祭り騒ぎだ。
結果的に、上陸の度に、数人は艦のメンバー構成が変わる。降りたり、乗ったり。
今回は、とくに長いあいだ港にいるそうだ。
このあと、踏み入ったことのない海域を目指してみることになっており、必要な物資が例年よりも多いから。
そして、リノは、それらの「例年とは違うもの」の調達の責任者になっていて大忙しだ。
これについては、イリアも文句は言えない。踏み入ったことのない海域のいくつかは、イリアの強い希望でリノがねじ込んだものだった。
イリアが母親と逃げた坑道の先で見た広い水。
地図や航海図を読んだり、つくりたしたりすることを覚えたイリアは、それを海だと確信していた。
8年前に山民の国へ行く道は途絶えた。今は砂民としか取引ができず、歪は大きくなってきている。
だが、山民側にも海が広がっているとすれば、そしてその海にたどり着ければ、砂民を介さず、山民と貿易ができるかもしれない。
それから、航海の途中で、何度か黒い砂浜の島が連なっているのを見つけた。
その中のほんの一部だけだが、近づくとコンパスがおかしくなる場所があり船員からは、忌み嫌われていた。
コンパスがおかしくならないところもたくさんあるのに、砂浜が黒いだけで「絶対近寄るな」が合言葉になってしまうほど。
イリアにはこれがもったいない。
次に近くを通ったら、こっそり調べに行こうと目論んでいた。なぜって、多分あれは鉄の元だから。劣化してない鉄は価値が高い。
それらはまだ、リノにしか話していないけれども、リノは適当な理由をつけて予定に入れてくれた。
そんなわけで、リノは大忙しなのだ。イリアとのんびり上陸するなど、どう考えても無理だった。
リノの忙しさはわかっているし不満などないのに、それでも。
そりゃぁもう、イリアが恥ずかしいからやめてくださいと言いたくなるほど、リノはイリアに気を使ってくれてしまうのだ。
なんで、そんなに心配するかなぁ。
イリアはリノから逃げたいと思ったことなど一度もない。むしろ自他ともに認めるベタ惚れだ。
でも、上陸のお祭りシーズンになると、リノはイリアをものすごく心配そうな顔で見て、気を使って、それは異常でしょう、というほど優しくなる。
直接的に優しい言葉をかけるだけじゃすまない。
例えば鮫よけの薬。
原料は、海の底の方で砂に潜っているウロコのない魚の皮膚から取る。どうやって取るかを簡単にいうと、魚を小さい器に入れて、揺らしたりつついたりしてイジめるわけだ。で、いっぱいヌメヌメを吐き出させると、その魚はお役御免で海に離してもらえる。
リノは、最近一匹の魚から取るヌメヌメをすごく少なくした。魚をイジメてるのを見たらイリアが嫌がるかとおもって、と言う。
なんだそれは。
「だって、イリアはすっごく優しい」
思い込みです!私は、お刺身だって好きだ!
反論してみると、リノは昔の話をした。
「なんで俺がイリアを欲しがるようになったか知ってる?」
「知らない」
「海岸の戦場でイリアのこと見てたんだ。囮やって、それでも隊の他のやつ生かそうとするところ。おまけに最後に追い詰められたとき、自分の馬まで放したろ。あの時、自分は砂漠の方に入って、馬の方をオアシスの方に追ったよな」
「?私は死ぬ予定だったから」
馬にはとりあえず死ぬ予定などなかっただろうし、生きるには水がいる。人間の都合で気の毒なことだ。
「うん。こいつ死ぬ気のくせに馬の心配してるよ、って。んで、船長が止めるのも聞かずに砂漠の中まで追って入って、イリアを持って帰った」
どうしてそう言う危ないことをするかな、リノは。子供のくせに。
「だから優しい?それは強引かも・・」
「んー。そう。それって、強奪だよなぁって俺も思うわけ」
強奪、というのは、強引にイリアをとってきた、という意味だろうか。
「・・・ご、強引のかかる場所が違う!なんでそうなるの?」
リノの、細くてちょっとだけ子供っぽさが残る指が、イリアの頬に触れる。
「なぁ、俺といるの、嫌じゃない?」
「嫌じゃないよ!嫌じゃないよ!嫌じゃないよ!」
イリアは泣きそうになった。
何度叫んでも、何年経っても、リノはイリアが逃げ出すんじゃないかと心配するのだ。
なんで安心してくれないんだろう。私何か足りない?
一応、イリアだって努力したのだ。艦に乗っている女性に海民仕様のおしゃれを聞いて努力してみたりとか。皆綺麗だと褒めてくれた。なのに、リノにかかると、大人の男の方がいいなとか思う?ってことになる。
間の悪いことに、最近よくからかわれる。そろそろままごとじゃない伴侶になったらどうだ、とか。リノはまだ一四なのに。
余計なお世話だと思うが、リノは気にしているみたいだった。
ついこのあいだまで、平気で抱き合って寝ていたのに、最近離れて眠るし、前よりスキンシップが減った。
そのくせパールと呼ばれる女の人にはよく会いに行く。
その女の人は、真珠を作り出すことができる女神だという噂がある。とてもきれいな人なのだと聞いた。
不安に思いはじめると、いろいろ湧いてくる。
ひょっとすると、リノはたくさん「好きだ」とか「愛してる」と言うのに、イリアが同じ言葉をかえせないのが悪いのかもしれない。
イリアにとっては、女が男に口にする「好き」や「愛している」は、陰惨なものだった。母親の声を今でも思い出すことができる。『許してください。愛しております。好いております。どうぞもう試さないでください』
どこにも行けないように追い詰められて、打たれて、踏みつけられて、イリアと妹を引き裂いてやると脅されて。
イリアの母は、死ぬまであの男に「愛してる」と言わされ続けた。それはどんな感情だったのだろう。
もう三年もここに居るから。「好き」や「愛してる」が悪い意味ではないことぐらいはイリアにもわかっている。
男性だけでなくて女性が幸せそうに恋愛話をするのも何度も聞いた。
それでも。イリアはリノに「好きだ」と言われると、自分が悪いことをしているような気分になるし、イリアからは言えない。
「大切」だとか「ずっと一緒にいたい」とか、一生懸命言葉を探して、イリアがどれだけリノを必要としているかとか、リノに必要とされてどんなに嬉しいかを伝えているけど、それじゃダメなんだろうか。
ちゃんと伝わっていない気がすることがたくさんある。
この前は、リノがイリアの髪の毛を長い時間撫でてくれた。また船員たちにからかわれたばっかりだったから、一応、イリアから言ってみた。
「あの、さ。皆が言うままごとじゃない伴侶って、その・・大人みたいに子供作る感じに『寝ろ』ってことよね?その、そういうの、もししたくなる日が来たら、言ってね」
「・・・言う、の?」
「あ、言わなくてもいいけど、でも、一応、私がどうしたらいいのかな、とか。いろいろ話聞ける姐さんたちもいるし。い、嫌がったりとか、絶対しないから。準備、するだけだから」
「んー。俺も、準備したほうがいいのかなぁ」
キスは、何度もしたことがある。ほっぺとか、額とか、ごくたまに唇とかも。
ほかに準備ってなんだろう。パールに聞くのかな、と一瞬思い浮かんで、イリアは慌てて否定した。
「し、しなくていい。準備」
リノが顔を覗き込んできたので、慌てて手で自分の目を覆う。嫉妬とか、出てたら恥ずかしい。
「な。顔見せて」
「なんで~?」
「不安だから。イリアに痛いこととか酷いこと絶対しない、って誓ったじゃん。なのに俺ってきっと下手なんだろーなーとか思うわけ。俺が上手になったら、『寝て』もイリアは痛くないのかなぁ」
上手になるって、練習するってことだろうか。・・・だれと?
やだやだやだ。勝手に上手になったらものすごく嫌な気がする。
何か泣きそうになって、でも泣いたらリノが誤解すると思って、何も言えなくなった。それでもやっぱりなんか誤解された気がする。
美味しいものとかたくさん作ってくれたり、やたらと高価なプレゼントをくれたりすることが増えた。
光る貝の櫛とか、真珠とか、もっと大きな真珠とか。
真珠は、砂漠ではものすごく貴重だ。大きい真珠を持っていると、海民との戦いに強いとか、海神の助力があるとかいわれて、出世がすごく楽になるぐらい。
高価なのに陸では皆競って真珠を欲しがった。奪い合いが簡単に殺し合いに発展する程で、思い返すとちょっと異常だ。
海神と真珠は多分関係ない。パールは神様ではないはずだ。そうでないとイリアが困る。
何度も、きれいな真珠をリノがくれる。
「どうしたの?」
「お土産」
「ありがとう」
そんなことが何度もあった。
・・・どこで手に入れたの?パールから?
毒虫がたくさんいて、普通の人間ははいれない島に、パールはいる。そして、リノだけはその島に入る術を持っているのだ。
イリアは、まだリノとであって間もない頃、好奇心からこっそり島についていこうとした。結局イリアの挙動不審に気づいていたリノが、ムンドにイリアを見張らせて事なきを得た。
だが、艦はイリアが毒虫に刺されて不帰だと大騒ぎになっていた。
もう少し帰りが遅かったら、葬式を出されていたかもしれない。それほど怯えられる島なのだ。
そこでパールとリノは会う。
リノはいつも艦長と打合せしてから行って、島からから甘い蜜や改良された苗や真珠を持って帰ってくる。
それから情報も。パールは、砂民だけでなく山民ともルートがあるのだそうだ。
見える範囲では、山民とのルートは断絶している。8年前の戦の時から、砂の国と山の国の間には、煉獄回廊と呼ばれる灼熱の、というか物理的に燃えている岩場が横切っていて、生き物は通り抜けることができない。
鍾乳洞でできた地下迷路を通れば山の国につくという噂はあるが、数万年単位の雨水と地下水で浸食されて入り組み、燃える岩盤が崩落しまくり、怪しげな生き物が住み着き、正気で入り込む場所ではない。
そんな中で、山民とのルートがあるなんて、どれほど貴重なのか想像がつこうというものだ。
だから。仕事なのだと納得はしている。蜜も苗も真珠も情報も、艦にとってとても貴重な品だ。
リノに島に行ってもらわなければみんなが困る。
ただ。やっぱり少しは怪しいのだ。
毒虫の島に行く時、リノはつんとする匂いの服を着ていく。
なのに帰ってくるときには、ちょっと甘いような匂いが混ざっている。
そして行く前と帰ってすぐに必ず水浴びをするし、ほっぺとか首とかに紅が付いている時もある。
練習とか、してないよね。私より、パールと一緒に居たくなったりしないよね。
聞けばよかったのかもしれない。
でも今は、ちょっとでもギクシャクするようなことは言いたくなかった。陸からはなれてから、聞けばいい。
そんな状態のまま、入港した。
リノは毎日優しい。
でも気を使われるほど、イリアがリノから逃げたいのではないかと疑われているような気がして、イリアの返事はぎこちなくなる。
早く、早く、海に帰りたい。
ふさぎこんでいるように見えたのだろう。船から出たがらないイリアを心配して、仲間が一緒に行こうと声をかけてくれる。
リノはエラブ艦隊にとても頼りにされている。親の話はほとんどしないし、そんな風にも見えないけれど、リノはエラブの息子だということだった。七光りとも思えないが、特にイレギュラーな采配がいるときにはリノは引っ張りだこだ。
リノは自分が帰ってきて、イリアがいるととてもホッとした顔をするくせに、イリアには外に出たほうがいいと言う。
まぁ、確かに艦橋の留守番役でもないのに、一人で船室にこもっているのは挙動不審かもしれない。
ノックの音がして、イリアはドアを開ける。
ドアの外にリボンがかかった袋があった。
なんだろう。一歩出てかがむと、背後に人の気配。
まずいと思ったときには、おそかった。首筋にちくりと痛みが走る。
我ながらあり得ないミス。船の中だからって敵がいないとは言い切れないのに。
ひとりで剣も持たずにぼーっとドアを開けるなど、保けるにもほどがある。
暗転。
そう暗転。意識と運命の。
最近リノが必要以上に優しい。もちろん優しくされて嬉しくないわけではない。
だが、この時期は。ちょっと。
エラブの艦は、自給できるものが多い。
自分たちの基地の島にはしょっちゅう降りるが、大陸の賑わった港に着けて何週間も上陸するのは、一年に一度だ。その上陸が近い。
海民の決まりでは、海の上で決まった伴侶以外と浮気すると海に叩き込まれても文句が言えないが、上陸期間には浮気したり、逃げ出したりしても良いことになっている。
逆に墨が三本になった男たちは、自分と船に乗ると誓ってくれる女性ができれば船に連れてきても良い。まぁ、乗ってしまうと一年近く帰れないのでそうそう簡単ではないが。
それでも、伴侶を船に載せていない船員たちが多いので、上陸前はお祭り騒ぎだ。
結果的に、上陸の度に、数人は艦のメンバー構成が変わる。降りたり、乗ったり。
今回は、とくに長いあいだ港にいるそうだ。
このあと、踏み入ったことのない海域を目指してみることになっており、必要な物資が例年よりも多いから。
そして、リノは、それらの「例年とは違うもの」の調達の責任者になっていて大忙しだ。
これについては、イリアも文句は言えない。踏み入ったことのない海域のいくつかは、イリアの強い希望でリノがねじ込んだものだった。
イリアが母親と逃げた坑道の先で見た広い水。
地図や航海図を読んだり、つくりたしたりすることを覚えたイリアは、それを海だと確信していた。
8年前に山民の国へ行く道は途絶えた。今は砂民としか取引ができず、歪は大きくなってきている。
だが、山民側にも海が広がっているとすれば、そしてその海にたどり着ければ、砂民を介さず、山民と貿易ができるかもしれない。
それから、航海の途中で、何度か黒い砂浜の島が連なっているのを見つけた。
その中のほんの一部だけだが、近づくとコンパスがおかしくなる場所があり船員からは、忌み嫌われていた。
コンパスがおかしくならないところもたくさんあるのに、砂浜が黒いだけで「絶対近寄るな」が合言葉になってしまうほど。
イリアにはこれがもったいない。
次に近くを通ったら、こっそり調べに行こうと目論んでいた。なぜって、多分あれは鉄の元だから。劣化してない鉄は価値が高い。
それらはまだ、リノにしか話していないけれども、リノは適当な理由をつけて予定に入れてくれた。
そんなわけで、リノは大忙しなのだ。イリアとのんびり上陸するなど、どう考えても無理だった。
リノの忙しさはわかっているし不満などないのに、それでも。
そりゃぁもう、イリアが恥ずかしいからやめてくださいと言いたくなるほど、リノはイリアに気を使ってくれてしまうのだ。
なんで、そんなに心配するかなぁ。
イリアはリノから逃げたいと思ったことなど一度もない。むしろ自他ともに認めるベタ惚れだ。
でも、上陸のお祭りシーズンになると、リノはイリアをものすごく心配そうな顔で見て、気を使って、それは異常でしょう、というほど優しくなる。
直接的に優しい言葉をかけるだけじゃすまない。
例えば鮫よけの薬。
原料は、海の底の方で砂に潜っているウロコのない魚の皮膚から取る。どうやって取るかを簡単にいうと、魚を小さい器に入れて、揺らしたりつついたりしてイジめるわけだ。で、いっぱいヌメヌメを吐き出させると、その魚はお役御免で海に離してもらえる。
リノは、最近一匹の魚から取るヌメヌメをすごく少なくした。魚をイジメてるのを見たらイリアが嫌がるかとおもって、と言う。
なんだそれは。
「だって、イリアはすっごく優しい」
思い込みです!私は、お刺身だって好きだ!
反論してみると、リノは昔の話をした。
「なんで俺がイリアを欲しがるようになったか知ってる?」
「知らない」
「海岸の戦場でイリアのこと見てたんだ。囮やって、それでも隊の他のやつ生かそうとするところ。おまけに最後に追い詰められたとき、自分の馬まで放したろ。あの時、自分は砂漠の方に入って、馬の方をオアシスの方に追ったよな」
「?私は死ぬ予定だったから」
馬にはとりあえず死ぬ予定などなかっただろうし、生きるには水がいる。人間の都合で気の毒なことだ。
「うん。こいつ死ぬ気のくせに馬の心配してるよ、って。んで、船長が止めるのも聞かずに砂漠の中まで追って入って、イリアを持って帰った」
どうしてそう言う危ないことをするかな、リノは。子供のくせに。
「だから優しい?それは強引かも・・」
「んー。そう。それって、強奪だよなぁって俺も思うわけ」
強奪、というのは、強引にイリアをとってきた、という意味だろうか。
「・・・ご、強引のかかる場所が違う!なんでそうなるの?」
リノの、細くてちょっとだけ子供っぽさが残る指が、イリアの頬に触れる。
「なぁ、俺といるの、嫌じゃない?」
「嫌じゃないよ!嫌じゃないよ!嫌じゃないよ!」
イリアは泣きそうになった。
何度叫んでも、何年経っても、リノはイリアが逃げ出すんじゃないかと心配するのだ。
なんで安心してくれないんだろう。私何か足りない?
一応、イリアだって努力したのだ。艦に乗っている女性に海民仕様のおしゃれを聞いて努力してみたりとか。皆綺麗だと褒めてくれた。なのに、リノにかかると、大人の男の方がいいなとか思う?ってことになる。
間の悪いことに、最近よくからかわれる。そろそろままごとじゃない伴侶になったらどうだ、とか。リノはまだ一四なのに。
余計なお世話だと思うが、リノは気にしているみたいだった。
ついこのあいだまで、平気で抱き合って寝ていたのに、最近離れて眠るし、前よりスキンシップが減った。
そのくせパールと呼ばれる女の人にはよく会いに行く。
その女の人は、真珠を作り出すことができる女神だという噂がある。とてもきれいな人なのだと聞いた。
不安に思いはじめると、いろいろ湧いてくる。
ひょっとすると、リノはたくさん「好きだ」とか「愛してる」と言うのに、イリアが同じ言葉をかえせないのが悪いのかもしれない。
イリアにとっては、女が男に口にする「好き」や「愛している」は、陰惨なものだった。母親の声を今でも思い出すことができる。『許してください。愛しております。好いております。どうぞもう試さないでください』
どこにも行けないように追い詰められて、打たれて、踏みつけられて、イリアと妹を引き裂いてやると脅されて。
イリアの母は、死ぬまであの男に「愛してる」と言わされ続けた。それはどんな感情だったのだろう。
もう三年もここに居るから。「好き」や「愛してる」が悪い意味ではないことぐらいはイリアにもわかっている。
男性だけでなくて女性が幸せそうに恋愛話をするのも何度も聞いた。
それでも。イリアはリノに「好きだ」と言われると、自分が悪いことをしているような気分になるし、イリアからは言えない。
「大切」だとか「ずっと一緒にいたい」とか、一生懸命言葉を探して、イリアがどれだけリノを必要としているかとか、リノに必要とされてどんなに嬉しいかを伝えているけど、それじゃダメなんだろうか。
ちゃんと伝わっていない気がすることがたくさんある。
この前は、リノがイリアの髪の毛を長い時間撫でてくれた。また船員たちにからかわれたばっかりだったから、一応、イリアから言ってみた。
「あの、さ。皆が言うままごとじゃない伴侶って、その・・大人みたいに子供作る感じに『寝ろ』ってことよね?その、そういうの、もししたくなる日が来たら、言ってね」
「・・・言う、の?」
「あ、言わなくてもいいけど、でも、一応、私がどうしたらいいのかな、とか。いろいろ話聞ける姐さんたちもいるし。い、嫌がったりとか、絶対しないから。準備、するだけだから」
「んー。俺も、準備したほうがいいのかなぁ」
キスは、何度もしたことがある。ほっぺとか、額とか、ごくたまに唇とかも。
ほかに準備ってなんだろう。パールに聞くのかな、と一瞬思い浮かんで、イリアは慌てて否定した。
「し、しなくていい。準備」
リノが顔を覗き込んできたので、慌てて手で自分の目を覆う。嫉妬とか、出てたら恥ずかしい。
「な。顔見せて」
「なんで~?」
「不安だから。イリアに痛いこととか酷いこと絶対しない、って誓ったじゃん。なのに俺ってきっと下手なんだろーなーとか思うわけ。俺が上手になったら、『寝て』もイリアは痛くないのかなぁ」
上手になるって、練習するってことだろうか。・・・だれと?
やだやだやだ。勝手に上手になったらものすごく嫌な気がする。
何か泣きそうになって、でも泣いたらリノが誤解すると思って、何も言えなくなった。それでもやっぱりなんか誤解された気がする。
美味しいものとかたくさん作ってくれたり、やたらと高価なプレゼントをくれたりすることが増えた。
光る貝の櫛とか、真珠とか、もっと大きな真珠とか。
真珠は、砂漠ではものすごく貴重だ。大きい真珠を持っていると、海民との戦いに強いとか、海神の助力があるとかいわれて、出世がすごく楽になるぐらい。
高価なのに陸では皆競って真珠を欲しがった。奪い合いが簡単に殺し合いに発展する程で、思い返すとちょっと異常だ。
海神と真珠は多分関係ない。パールは神様ではないはずだ。そうでないとイリアが困る。
何度も、きれいな真珠をリノがくれる。
「どうしたの?」
「お土産」
「ありがとう」
そんなことが何度もあった。
・・・どこで手に入れたの?パールから?
毒虫がたくさんいて、普通の人間ははいれない島に、パールはいる。そして、リノだけはその島に入る術を持っているのだ。
イリアは、まだリノとであって間もない頃、好奇心からこっそり島についていこうとした。結局イリアの挙動不審に気づいていたリノが、ムンドにイリアを見張らせて事なきを得た。
だが、艦はイリアが毒虫に刺されて不帰だと大騒ぎになっていた。
もう少し帰りが遅かったら、葬式を出されていたかもしれない。それほど怯えられる島なのだ。
そこでパールとリノは会う。
リノはいつも艦長と打合せしてから行って、島からから甘い蜜や改良された苗や真珠を持って帰ってくる。
それから情報も。パールは、砂民だけでなく山民ともルートがあるのだそうだ。
見える範囲では、山民とのルートは断絶している。8年前の戦の時から、砂の国と山の国の間には、煉獄回廊と呼ばれる灼熱の、というか物理的に燃えている岩場が横切っていて、生き物は通り抜けることができない。
鍾乳洞でできた地下迷路を通れば山の国につくという噂はあるが、数万年単位の雨水と地下水で浸食されて入り組み、燃える岩盤が崩落しまくり、怪しげな生き物が住み着き、正気で入り込む場所ではない。
そんな中で、山民とのルートがあるなんて、どれほど貴重なのか想像がつこうというものだ。
だから。仕事なのだと納得はしている。蜜も苗も真珠も情報も、艦にとってとても貴重な品だ。
リノに島に行ってもらわなければみんなが困る。
ただ。やっぱり少しは怪しいのだ。
毒虫の島に行く時、リノはつんとする匂いの服を着ていく。
なのに帰ってくるときには、ちょっと甘いような匂いが混ざっている。
そして行く前と帰ってすぐに必ず水浴びをするし、ほっぺとか首とかに紅が付いている時もある。
練習とか、してないよね。私より、パールと一緒に居たくなったりしないよね。
聞けばよかったのかもしれない。
でも今は、ちょっとでもギクシャクするようなことは言いたくなかった。陸からはなれてから、聞けばいい。
そんな状態のまま、入港した。
リノは毎日優しい。
でも気を使われるほど、イリアがリノから逃げたいのではないかと疑われているような気がして、イリアの返事はぎこちなくなる。
早く、早く、海に帰りたい。
ふさぎこんでいるように見えたのだろう。船から出たがらないイリアを心配して、仲間が一緒に行こうと声をかけてくれる。
リノはエラブ艦隊にとても頼りにされている。親の話はほとんどしないし、そんな風にも見えないけれど、リノはエラブの息子だということだった。七光りとも思えないが、特にイレギュラーな采配がいるときにはリノは引っ張りだこだ。
リノは自分が帰ってきて、イリアがいるととてもホッとした顔をするくせに、イリアには外に出たほうがいいと言う。
まぁ、確かに艦橋の留守番役でもないのに、一人で船室にこもっているのは挙動不審かもしれない。
ノックの音がして、イリアはドアを開ける。
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なんだろう。一歩出てかがむと、背後に人の気配。
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我ながらあり得ないミス。船の中だからって敵がいないとは言い切れないのに。
ひとりで剣も持たずにぼーっとドアを開けるなど、保けるにもほどがある。
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まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
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