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第一章

1.邂逅

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とても幸せな夢を見るんだ。


夢の中で、目を覚ますと肩口に私の黒神が頭をこてりと乗せ、眠っているのだ。

白い肌は柔らかくて、まだ子供のそれだ。

すうすうと正しい寝息をして、あどけない顔をして無防備に眠っている。


その長い睫毛の下、真っ青で綺麗な瞳があって、私しか見ないんだ。

それを知っているから、優越感と共にゆっくりと頭を撫でる。

黒神は、白神女神から貰ったから、ずっと私のものだ。

まだ成長しきっていない体躯で、私を満足させようと拙い仕草で、私を悦ばそうとする。


黒神は私の奴隷だから、私以外、見向きもしない。

当たり前だ。

黒神は棄てられた神だから、誰もいらない。

黒神は穢れた神だから、誰も手を差しのべない。

けれど、とても綺麗な瞳と真っ白な心を持っている。

これは、私だけの秘密だ。

誰も知らなくていい。



私の事をいつも尊敬した目で見てくる。

私の瞳が、とても素敵だと言ってくれる。

撫でるくすんだ色の金色の髪は、艶々している。

もっと、私が精を注いだら、美しい金色に変わるかな?

毛先を弄り、頬を撫でる。

ずっと一緒だ。

穢れも何もかも失くなったら、髪も綺麗な金色になって、また神様になるのかな?

でも、黒神は奴隷だから、私だけの神様になるんだ。

私だけが、信仰してやってもいい。

私の奴隷のままなら、信者だって作ってもいい。

私がどんな酷く扱っても、黒神は全部受け入れくれる。

無理やり抱いても、受け入れてくれる。

酷い言葉をはいても、許してくれる。

身体を傷付けても、責めたりしない。

私の事が大好きなんだ。


私だけの黒神は、私の懺悔も後悔も屈辱も全部癒してくれる。

嫌いになるわけがない。

私だけの黒神なんだ。

私の黒神だ。

だから、誰にも触らせない。


この瞳が開いたら、なんでも叶えてあげよう。

この瞳が開いたら、愛を囁こう。

この瞳が開いたら、優しく撫でであげよう。



この空間がずっと続けばいい。

ぎゅっと抱き締めると、温かな子供の体温を感じる。

寝ぼけ眼の黒神は、とても可愛い。



何度も夢の中で目を覚ます。



薄暗い神殿のなか、中央に黒神に良く似た光の束の中、少女神が浮かび上がっている。

黒神はどこにも居ない。

惚けたようにただ、それを自分は見つめている。

手に固く握りしめた奴隷用の銀の首輪が、鈍く光っている。

絶望。


お前は、黒神の穢れを落とすためだけの道具なのだと。

突然居なくなった私の奴隷は、勝手に人に成らされた。

こんなこと、黒神が望んでいるはずがない。

黒神は、ずっと私といると言ったのだ。

「黒神は、私の奴隷だと言ったではないですか!何をしてもいいとっ」

ずっと側にいると。

『〝黒神〟は、です。御祓が終わった力を失くした非力な子供は、〝黒神〟ではありません』

耳奥に響く声。

まるで、だだっ子の子供に言い聞かせるような声音だった。

そんなもの、ただの方便だ。


『黒神は、記憶を失い、成長し、老いて死ぬ、人として生きます。もう黒神はいないのですから、記憶があっても仕方がないでしょう?』

何を言ってるんだ?

私を忘れて人として生きる・・・・?

嫌だ嫌だ。

黒神は、私の奴隷なんだ。

私の奴隷だから、ずっと私のものなんだ。



もうこんなに囚われてしまっているのに、黒神は、私の事を忘れて、何処かに行ってしまったのだ。

私は、私の奴隷に棄てられたのだ。




とても幸せとても苦しい、起きると絶望してしまう夢だ。



ああ、世界なんて滅びてしまえばいいのに。





◇◇◇◇


・・・・・数年後、グランデラルの郊外にて



この日、トウカは、一人郊外に出て、山菜採りをしていた。

門限はあったが、夕方までに帰ってくるなら、誰も文句は言わない。


魔物や害獣避けの高い塀に囲まれた街から出て山菜取りは、育ての親のシスターにとっては心配以外、なにものでもなかった。

ただ、先の勇者たちの討伐で、驚く程魔物や障気が少なくなくなったので、子供一人でもそこまで心配することはなかった。

丸腰の子供が外に遊びに行っても、近郊であれば大丈夫な世の中になったのだ。


沢山のお守りや魔除けを渡され、トウカは苦笑したが、ありがたくうけとっていた。

道路が見える範囲で取るようにしているから、本当に大丈夫なのだけど。

群生している山菜に目を輝かせ、トウカはせっせと手を動かしていた。




トウカは拾い子だ。

記憶を失い、雨の中、教会の前で倒れていた。

当時、まだ、十才にも満たないと思われる子供だった。

栄養状態は良かったが、記憶だけが無かった。

金色の髪と青い瞳の人間は、この地域には居らず。遠くから捨てていかれたと思われた。


本人は容姿に頓着していないようだったが、綺麗な金髪に、真っ青な瞳。かわいらしい丸みのある頬、長い睫毛のした大きな瞳が煌めいている。

数年たった今でも、髪は本当は短くしたいが、周りが勿体ないと言って切らせてくれない。

胸まである髪を、無造作にひとつ結びにしている。

服は麻のシャツと厚手のズボンを履いていたが、まだ成長期前の身長とひょろりとした体つきのせいで、性別が一見してわからない。


女の子と最初は間違えられたぐらいだ。

トウカは少し気にしていた。


拾われた当時、まだ幼いが、整った顔立ちに、着ていた服は既製品ではなく、仕立てられていた為に、名のある家の忌み子であろうと推測された。

所持品は、宝石の原石を数個持たされていたことも、その推測が肯定された。

原石は、教会の資金として後日活用された。

ただ、当時のトウカが宝石を持っていたことで、面倒な問題が出る事を恐れた神父たちは、中央教会に、トウカの容姿等の報告を違えて報告したことは、小さな忖度であった。

こんな片田舎に子供を棄てるとは、よほどの事だろうと思われたのだ。



トウカという名前は、教会の老シスターが名付けた。

崇拝する白神女神のような明るく美しい髪を見て付けたそうだ。

トウカは、自分の記憶が無いことを暫く落ち込んでいたようだったが、真っ直ぐで素直な少年であったため、周りからも受け入れられた。

それから数年が経ち、トウカは教会の小間使いとして、老シスターの元、すくすく育っていた。


トウカは夢中で、山菜の新芽を捕っていた。

「もし?何か気分が悪いのかい?」

低い大人の声が背後から聞こえた。

知らない声だった。

びくっとトウカは震えたが、慌てて立ち上がった。

夢中になりすぎて、這いつくばったみたいな格好になっていた。

恥ずかしい。絶対、行き倒れと思われた。


「違いますっ!すいません、山菜を採ってましたっ」

あわてて、トウカが振り返り頭を下げた。


心配気に、青年が見下ろしている。

知的な秀麗な顔立ちですらりとした体躯、金色の髪をさらりと束ね、緑色の瞳の優しげな眼差し。

強い吸い込まれそうな、綺麗な瞳。

心配してくれた長身の青年は、街の神父様が着ている立襟の祭服によく似ていたが、紺色ではなく、白と青でとてもきらびやかだ。

「間違わせてしまって、ごめんなさい」

真っ赤になりながら頭を下げる純朴な様子に、青年は微笑んだ。

「そう、良かった。街は、こちらの方向でいいかい?」

「はい。・・・・新しい神父様ですか?」

新しい神父が都会から巡回でやってくると、シスターから聞いたなと、トウカは思いだした。



彫りの深い顔立ちに、肩幅のある立ち姿は、凄く格好いい。

優しそうな柔らかな眼差しなのに、腰が据わってるのか、まるで近衛兵みたいに、がっちりしている。

トウカは、今まで、年寄りの神父様しか見たことがなかった。こんな若い神父様、初めて見た。

都会の神父様だろうか?

穏やかな瞳はとても優しそう。

それに、花のとってもいい匂いがする。


神父は穏やかに微笑む。

「ええ、こちらの町に赴任してきました。供は後から来る予定ですが、先に来て迷ってしまって」

迷うも何も一本道だ。

倒れている自分を見て、様子を見にきて下さったのだろう。

後ろを見ると、馬車と御者が待っている。

中央教会の紋章が、馬車には飾ってあった。

また、トウカは真っ赤になって下を向いた。

「では、僕が神父様、町の教会にご案内します」

ありがとう、と神父は言った。

「君は、ここの子供?」

「はい。今は町の外れに住んでいるけど、前は教会に住んでいたんですよ」

「何故、こんなところに?」

馬車で行っても、結構な距離だろう。

街の片鱗は見えない。

「教会の近くの料理店のお手伝いをしてるんです。とても美味しい野草だから、採りに来ていました。神父様も食べに来て下さいね」

「ああ、必ず行くよ」


「前を走って行きますから、馬車で付いてきてくださいね」

膝の埃を払い、トウカは歩き出そうとしたが、神父は首を横に振った。

「・・・・・御者に話して、一緒に馬車に乗って行けばいい。私も1人で中にいるのは寂しかったんだ」

「え、でも」

神父は優しげに微笑んだ。

「子供が、こんなところに居ては、危ないですよ。窓から見て、道を間違っていたら教えて欲しい。それに、あまり、馬車なんて乗ったことないだろう?」

乗っていきなさいと、微笑まれた。

「・・・・・・は、はい」

少し恥ずかしそうに、好奇心の色も瞳に滲ませ、トウカは頷いた。



トウカは初めて個別の馬車に乗った。

乗り合いの馬車は乗ったことかあるが、全然違う。

乗り合いの場所より小さいけれど、二人だったら凄く広い。

「神父様、この馬車、とても上等ですね。すごく揺れが少なくて、ふかふかです」

トウカは、とてもはしゃいでいる。

神父は目を細めた。

「そうだろう。教会に住んでいたのなら、案内もして欲しい」

「はい、神父様」

「名前はなんと言う?」

「トウカです」

「トウカ、よい名前だ」

「はい。教会の聖女様がつけてくれたのですよ」

自分を育ててくれた老シスターは、昔聖女として都にいたが、地元に帰ってきたのだと聞いている。

「教会の養い子なのか?」

「はい。教会の前に倒れていたそうです。記憶を失くしていて。神父様たちには、とてもよくしてもらいました。早く独り立ちして、教会に恩返しがしたいです」

「そうか、私の名前はアスラン・シュナーダだ。これから、宜しく頼みます」

「はい。シュナーダ神父様」

その言葉に、アスランが微笑み返した。




アスランは、白昼夢のように黒神の声が聞こえた。

『はい、ご主人様』

くすんだ金髪がアスランの目に映る。

真っ青な瞳は変わらない。

私の黒神。

少し、大人になってるかな?

今度は、私の名前を呼んでくれるはず。

可愛い私の黒神。




アスランは、少し笑うとトウカを膝の上に乗せた。

「神父様?」

「馬車は揺れるから、私の膝の上に乗っていなさい」

ぎゅうと抱き締めた。

「?」

馬車はゆっくりと街に向かっている。

「神父様?ご気分が悪いのですか?」

微動だにせず、抱き締めるアスランに、トウカは不安そうな声を出す。

「・・・・そうかも知れない。旅疲れがあるかも」

「だ、大丈夫ですかっ?」

「ああ、こうしていたら、楽になる」

「教会に着いたら、お医者様をお呼びしますね」

心配そうに言うトウカに、アスランは微笑む。

「・・・・大丈夫。すぐ良くなります」

「神父様?暖かいですか?」

「ああ、大分、気分がいい」

アスランは幸せそうに、抱き締めている。



ヤット見ツケタ。

モウ離サナイ。


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