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第一章
2.牧歌的な世界の中で
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トウカが住んでいる街は、グリンデラルと呼ばれるている。
この地域の中では、一番大きな街だ。
水が自噴しており、元はオアシスとして流通の要と成っていった。
国境というわけではないが、周りに草原と森しかなく、小さな村が点在している中、必然的にグリンデラルに人が集まっていった。
魔物も盗賊も少ないせいか、街を護る囲い塀は高いが、人の出入りに関しては緩めだった。
門番としている近衛兵たちは、あくびをしている。
ポクポクと進む教会の印章が付いた馬車を見て、慌てて門番達が背筋を伸ばす。
小窓からそれを見ながら、神父であるアスランはゆったりと笑った。
「穏やか街だね」
膝の上に座るトウカは、神父を見上げた。
さらさらとアスランの長い髪が肩から落ちた。
「はい。とてもいい町なんですよ。皆優しくていい人ばかりです」
トウカは嬉しそうに言う。
アスランは、目を細めた。
「街の中心に噴水があるんですよ。綺麗な女神様がいらっしゃいます」
噴水の中央に立つ女神像は、トウカのお気に入りの1つだ。
「そう。じゃあ、教会の案内の後で、街の散策もお願いしようかな」
「はい。任せてくださいっ」
アスランの膝の上で、役にたとうとトウカがふすぅと鼻息荒く、答えた。
アスランが微笑む。
神父の肩書きは絶大だと、アスランは思う。
聖戦士でもあるので、少し他の男より肩幅や体が大きいが、自分の姿が人畜無害そうな優男であることを、アスランは分かっている。
人は何を言っても信じてくれるだろう。
腕の中のトウカは、自分を善人だと信じて疑わない。
どうやって、閉じ込めよう。
腕の中のトウカはとても大人しい。
この子は黒神だ。
ずっと探していた。
国中の孤児院や教会に、該当の容姿の子供を探すように依頼をかけていたのに、〝黒神〟は引っ掛からなかった。
苦々しい。
〝妹〟の白神女神が、目眩ましでもしていたのだろう。
あの女神は、人を道具としか思っていない。
黒神は、本当に人間になってしまったみたいだ。
人には綺麗な金髪に見えるけれど、私にはくすんだ金髪にしか見えない。
なんて可愛らしい。
ああ、どれだけ私に依存させてやろうか。
依存させて、逃げられなくして、両手両足を切って閉じ込めてしまおう。
私以外、聞かないように、声も潰してしまおうか。
どろりとした醜い想いに気付かないトウカは、本当に可愛い。
くすんだ金髪に、真っ青な瞳は変わらない。
この瞳が、涙に濡れて、大きく見開いて、私を見ている姿がとても可愛いんだ。
教会前で馬車は止まった。
「では、神父様、後で教会に参りますね」
「ええ、待ってますよ」
オリオンは、するりと降りたトウカに、にっこりと微笑み、手を振りかえした。
トウカが足早に、家に向かっていると、自分を呼ぶ声がした。
「トウカ」
背の高い、剣を背負った少年が近づいてきた。
「アーク、どうしたの?」
トウカより頭二つ分高い。
「トウカ、探したんだぞ。また森に行っていたのか?危ないだろう」
そう言って、アークと呼ばれた少年は、トウカが持っていた山菜が入った袋を取った。
「こんなに採ったのか?門から離れてるだろ。危ないから、もう行くなよ」
少し困ったような目で、アークがトウカを見つめている。
アークは、街の組合長の三男だ。
上の兄達と年が離れているせいか、自由に振る舞っている。
親譲りの体格の良さと、強気であるが面倒見のよさで、周辺の子供達をまとめていた。
薄い茶髪に緑色の瞳。同じ年齢の少年達よりも背が高く、大人たちとほぼ変わらない。
肩までの髪を無造作に結んでいる。
まだ、身体は完成されていないが、盛り上がり出した筋肉と精悍な顔つきになりつつある顔は、もうすぐ大人へと変わる少年の姿だった。
街の近衛兵の見習いになり、教会所属の聖騎士を目指していた。
聖騎士から、最上位の聖戦士になるのが夢だった。
「大丈夫だよ、虫除けも獣避けも魔物避けもぜんぶしてるし」
トウカは、自分の体にじゃらじゃらと下がる御守りに苦笑いする。
皆、心配して付けてくれたのだ。外すことは考えなかった。
「滑って怪我したらどうするんだ?どんくさいのに。この前だって、泥付けて帰って来ただろ」
「どんくさくないよ。たまたま、前は雨が降った後だったから、滑っただけだ」
ぐいとトウカの頬を乱暴に触る。
「お前の綺麗な顔に、傷付いたらどうするんだ。シスター達に怒られるだろうが」
トウカの白い肌は、近所のお姉様方にとっては誰よりも守られるべきもので、擦りむいたりしたらアーク達が怒られるのだ。
トウカが困った顔で、されるままになっている。
アークのスキンシップは、少し乱暴だが優しい。
「僕は男だから、別に・・・・。アーク達だって、剣術で怪我をしてるじゃないか」
アークが、同じ訓練生の中で飛び抜けているのは知っている。人より多く、訓練を怠らず真面目に続けている結果だと思う。
「俺たちはいいんだっ。次に行く時は、俺もついていってやるからな、言うんだぞ」
「そんな、悪いよ」
「いいから。荷物持ち必要だろう?言ってたじゃん。前に、罠に掛かった獲物が大きくて持ち上げれないって」
「う、うん、そうなんだけど」
「じゃ、約束な?外に草を取りに行く時は、俺を呼ぶ事。前の日に言ってくれたら、必ず来れるから」
「・・・・・わかった。アーク、ありがとう」
はにかむようにトウカが顔を臥せた。
「何言ってんだ。トウカの世話は、俺がするんだから」
「はは、まるでお母さんみたい」
その言葉に一瞬、アークが止まる。
「お母さんじゃないだろ。お前、へなちょこなんだから、俺がずっと世話してやる」
冗談と思ったか、トウカが笑った。
「そんなにへなちょこじゃないよ」
ふん、とアークが鼻息を荒くした。
自分がいつか、トウカを都会に連れていってやろうとアークは決めていた。
「あと、聖騎士の勇者様と一緒に来たんだろう?やっぱり格好良かったか?」
トウカは言われて、きょとんと見上げた。
一緒にいたのは、格好いい若い神父様だ。
「聖騎士?神父様と一緒に帰ってきたよ。優しい神父様だった。初めて高い馬車に乗ったんだ。ふかふかして、凄く立派だった」
そう言えば、神父様だけど、とても力強い感じがしたなとトウカはアスランを思った。
アークと同じ緑の瞳をしていたが、アークはきらきらした瞳だが、神父様は強い目をしていた。
「その神父様だよ。町で噂になってただろ。聖騎士と神父の両方になった勇者様が、来るって。アスラン・シュナーダ様。一人で来たのかな」
アークの目がずっときらきらのしている。
勇者の称号は、子供達の憧れだ。
「お名前が一緒だから、本人かな。とても優しい人だったよ。供は後からくるんだって。教会の中を案内するって約束したんだ」
いいなぁ、とアークが羨ましそうに言った。
「仲良くなったら、シュナーダ様に剣の稽古を頼んでくれよ。聖騎士なんて、中央にしかいないんだぞ」
「そうなんだ。凄く強い方なんだね」
トウカはアークの知識に感心しながら、教会に入っていったアスランの姿を思い出した。
「じゃあ、もう行くね」
「今度、森に行く時は俺に言えよ」
「わかった」
トウカの後ろ姿を見ながら、アークは触った頬の感触を思い出し、にやにやしていた。
トウカはとても可愛い。
アークはトウカに好意を抱いていた。
自分より少し年上みたいだけれど、体格もたっぱも自分の方が高い。
ちょっと抜けているところも可愛いし、姿も街の女の子達よりも凄く綺麗だ。
他の子たちと違う白く透き通った肌で、整った目鼻立ちはまだ幼いが、大きな目は雛鳥みたいでとても可愛い。
きらきらの金髪で、長い髪を無造作に束ねているのも可愛い。特に青い瞳が綺麗。
教会の白神女神様の像みたいな、青い瞳と金髪だ。
トウカがこの街にやって来たのは5年前だ。
記憶をなくして、教会の前に倒れていた。
いつも街の子供たちに、気をかけている老シスターが、拾い子を育てていると皆囃していた。
珍しい容姿をしていると聞いて、皆、見たくて仕方がなかったが、子供の身体が落ち着くまでお披露目はないと言われ、がっかりしたのを覚えている。
暫くして、教会のミサの日に、シスターの後ろで、トウカが恥ずかしそうに、にこりと笑ってくれた。
皆、目を奪われていた。
青い瞳が宝石みたい。
髪が蜂蜜みたいにキラキラして綺麗。
アークはその時の衝撃を今でも覚えている。
動悸がして、目の前のトウカだけが世界になった。
綺麗、可愛いっ。凄く可愛い。
甘い感情が、早熟なアークの心を支配する。
トウカはまるで、店のガラスケースに飾られている高いお人形みたいだった。
こんな田舎街では、見たことがない容姿だ。
きっとトウカは、どこか貴族と愛娼の間に産まれて、田舎の教会に捨てられたのだと思う。
綺麗な容姿なのに、とても人懐っこくて危なっかしいから、自分がいつも守ってた。
トウカはこんな田舎には、似合わない。
いつか、自分が一緒に都会に連れて行ってやるんだ。
そうアークは幼心に決心していた。
この地域で一番大きいと言われる街の教会は、白煉瓦と木造で作られている。
神父やシスター、見習いを合わせて三十人ほど居る中規模な協会だ。
小さな教会は、本部の中央教会から神父は来ず、地元の神父たちだけで運営されていた。
地方では、何十年も同じ神父達が、牧歌的な風景と共に過ごしている。
この教会もそうであった。
アスランは、中央教会から派遣され、布教の強化や不正の摘発で全国を廻る一団の一人だ。
地方のみで行われる運営は、汚職の温床になる。
数年に一度の周期で、監査が行われるのだ。
特にアスラン・シュナーダが廻る地域は、彼が不正を許さず、神父が一掃された教会も少なくないと担当地域の教会の神父たちは警戒していた。
品行方正で、元勇者の中央教会所属の聖戦士でもある神父。
その生きざまや行動に、心酔する関係者も多く、アスランは数人の部下を連れて行動していたが、教会内でも一大派閥の様相を現しだしていた。
ただ、アスランは目立つ事を嫌い、それを表立たせることはなかった。
トウカは家に帰り、急いで教会に向かう。
途中で山菜は店に置いてきた。
夕方に仕込みのお手伝いをすれば間に合うだろう。
「今度、神父様に、お店のご飯を持っていこう」
きっと美味しいと言ってくださる。
トウカは垢抜けた都会の神父を思いだし、羨望の心を向けた。
トウカは、教会の聖堂から出てきたアスランに開口一番に尋ねた。
「神父様は勇者様なのですか?」
アスランの横に立つ自分を育ててくれた老シスターは、微笑ましくトウカを見つめる。
アスランは苦笑した。
「昔、そんな風に言われていた事もあったよ」
「とてもお強いのだと、アークが言っていました。剣士の憧れだって」
嬉しそうに、トウカが見上げている。
その瞳には、むず痒いような純粋な憧れと憧憬しかない。
アスランが微笑んだ。
「たまたま、剣の腕と説教が上手だっただけですよ。トウカは、剣士になりたいのかい?」
「・・・・・ぼ、私には、剣は重くて振り回せません。シスターからも、まず、読み書きと本を読むように言われています」
「トウカは、とても本が好きなのよ」
シスターが母親の眼差しをしている。
「物語や植物の本ばかりですけと・・・・」
恥ずかしそうにトウカが言う。
「勉強は嫌い?」
トウカは、恥ずかしそうに首を横に振った。
「いいえ。本を読むのはなんでも好きです。神父様達から、簡単な計算も教えてもらっています」
「・・・・そうだね。本を読むのは大事だ。勉強は私が手伝ってあげよう。他の人間は、信者がついているし、まだ、正式な役割を頂いていない私が適任でしょう。代わりに、私の身の回りの世話をお願いします」
「本当ですか?嬉しいです。シュナーダ神父様に教えて頂けるなんて」
「神父たちには、こちらから言っておきましょう。よろしくお願いしますね、トウカ」
「はい。シュナーダ神父様」
トウカは嬉しそうに頷いた。
トウカの案内が終わり、アスランは、応接室に向かった。
トウカは、店の手伝いがあると行ってしまった。
「こちらをどうぞ」
老シスターは、優しい眼差しをしていた。
薄い水色の瞳は柔らかに丸みを帯び、深い皺さえも対応した人間に安心を与える。
小さな身体だが、確固たる自信を持つ強く柔らかい眼差しだ。
昔、聖女の称号をもらった過去は、伊達ではないなと、アスランは穏やかに微笑みながら思った。
お茶の湯気が二人の間に立ち上る。
今後の話が終わり、トウカと初めて出会った郊外の話を聞き、少し困った顔で彼女は言った。
「トウカはいい子ですね。裏庭にくる猫迄、紹介されましたよ」
その言葉に、シスターは微笑む。
「まあ、あの子ったら。まだ、全然子供でしょう?私が、甘やかし過ぎてしまって」
「真っ直ぐないい子供に育っているようですね」
「でしょう?とてもいい子なんですよ。いつも笑っていて。あの子が来てから、偶然だけれど信者もご寄付も増えて福の神みたいだわ」
「それは、貴方の善行に、女神から受けた祝福でしょう」
すらすらと言うアスランに、シスターが笑う。
「まあ。お口がうまいのね・・・・・あの子は、あんな容姿でしょう?それに、とても素直だから、良くない人にも好かれてしまって」
「ああ、分かります。とても素直な子供みたいですからね」
トウカが見上げて来た瞳は、裏切られることを知らない瞳だ。
手折って滅茶苦茶にしてやりたいと、暗い欲が出てくる。
シスターは嬉しそうに頷く。
「自慢の子供なのです。でも、近頃は、あの子目当てに、変な大人や乱暴な子達迄教会に寄ってきてしまって」
外見の容姿以上に、魂に寄るのだろう。
黒神は欲と富を司る。
本人は真っ白なのに、蟻のように欲という蜜に群がるのだ。
アスランはゆっくりとカップに口をつける
「だから、近くの信者の店に手伝いに行かせていた?」
教会前の食堂で、働いていると言っていたなと思い出す。
「トウカの社会勉強も兼ねてね。いろんな事を経験させたいの。読み書きは教えることはできるけど、私はずっと教会に居たから頭でっかちだわ」
「貴女は、柔軟ですよ」
自由奔放な白神女神と、雰囲気がよく似ている。
「・・・・特に、乱暴なことは起こって居ないのでしょう?」
「ええ、ええ。そんな悪い子達じゃないから。アークが皆をまとめて、子供たちは信者にも礼儀正しくしているわ。トウカにも積極的に話しかけて、トウカもアークをお兄さんと思って、慕っているみたいだし」
アーク。
先程の、トウカとの会話にも出てきた。
田舎の騎士見習いの子供か。
アスランは、シスターに分からないように鼻で笑う。
「・・・・・何か不安な事が?」
シスターは何か思う所があるのだろう。
「トウカはあの通り、綺麗な子でしょう?本人は良かれと思って話してるだけだけど、アークはそう思っていないみたいで。場所を変えたら、トウカに執着しなくなるかと思って、近所のお店にお手伝いに行かせたら、ずっと入り浸ってしまって。用心棒まがいなことまで」
困ったようにシスターが言う。
田舎の糞がきは、潰してしまおう。トウカに必要ない。
「そのアークが、トウカに懸想していると?」
カップのお茶を飲みながら、アスランは首を傾げた。
シスターは素直に頷いた。
「アークは優しい子供だけど、気が強いし、押しが強い子なんです。私は男同士だからとか女同士だからとか、関係ないと思っているけれど、トウカはよくわかっていないのに、流されるのはどうかと思っているわ」
「麻疹みたいなものです。すぐ熱は冷めますよ」
「そうなら、いいのだけど。あの子はもっと、世界を見るべき。こんな狭い田舎だけではなく」
そして、シスターはアスランににっこりと微笑んだ。
「・・・・トウカを私付けにして、神父見習いにしたいと」
願ったりかなったりだ。
「ええ。希代の勇者様なら、安心でしょう?あの子は、賢くて優しい子だから、神父の道もいいかも。勿論、本人の意思が重要だけど」
「・・・・・・」
「駄目かしら?」
まるで子供に言い聞かせるように、老シスターひ微笑みながらお願いする。
無邪気な白神女神と、笑みが被る。
「いいえ。私も、丁度教え子が欲しかった所です。トウカとも先程の話しで了解していましたね。とても素直で優しい子ですね」
「そうでしょう。とてもいい子なんですよ」
シスターはにこにことほほえんだ。
善人の笑みだ。
トウカがここに拾われてよかった。
選ばれたのは、白神女神の加護によるものだろう。
〝彼女〟は〝兄〟を愛している。
自分を毒出しの道具にして、自分の意思関係なく、勝手にヒトにしてしまうくらいに。
もしかしたら、〝彼女〟こそ黒神として生きる筈だったのかもしれない。
無邪気の邪気で、簡単に掌で動かすのだ。
微笑み返しながら、アスランは思った。
この地域の中では、一番大きな街だ。
水が自噴しており、元はオアシスとして流通の要と成っていった。
国境というわけではないが、周りに草原と森しかなく、小さな村が点在している中、必然的にグリンデラルに人が集まっていった。
魔物も盗賊も少ないせいか、街を護る囲い塀は高いが、人の出入りに関しては緩めだった。
門番としている近衛兵たちは、あくびをしている。
ポクポクと進む教会の印章が付いた馬車を見て、慌てて門番達が背筋を伸ばす。
小窓からそれを見ながら、神父であるアスランはゆったりと笑った。
「穏やか街だね」
膝の上に座るトウカは、神父を見上げた。
さらさらとアスランの長い髪が肩から落ちた。
「はい。とてもいい町なんですよ。皆優しくていい人ばかりです」
トウカは嬉しそうに言う。
アスランは、目を細めた。
「街の中心に噴水があるんですよ。綺麗な女神様がいらっしゃいます」
噴水の中央に立つ女神像は、トウカのお気に入りの1つだ。
「そう。じゃあ、教会の案内の後で、街の散策もお願いしようかな」
「はい。任せてくださいっ」
アスランの膝の上で、役にたとうとトウカがふすぅと鼻息荒く、答えた。
アスランが微笑む。
神父の肩書きは絶大だと、アスランは思う。
聖戦士でもあるので、少し他の男より肩幅や体が大きいが、自分の姿が人畜無害そうな優男であることを、アスランは分かっている。
人は何を言っても信じてくれるだろう。
腕の中のトウカは、自分を善人だと信じて疑わない。
どうやって、閉じ込めよう。
腕の中のトウカはとても大人しい。
この子は黒神だ。
ずっと探していた。
国中の孤児院や教会に、該当の容姿の子供を探すように依頼をかけていたのに、〝黒神〟は引っ掛からなかった。
苦々しい。
〝妹〟の白神女神が、目眩ましでもしていたのだろう。
あの女神は、人を道具としか思っていない。
黒神は、本当に人間になってしまったみたいだ。
人には綺麗な金髪に見えるけれど、私にはくすんだ金髪にしか見えない。
なんて可愛らしい。
ああ、どれだけ私に依存させてやろうか。
依存させて、逃げられなくして、両手両足を切って閉じ込めてしまおう。
私以外、聞かないように、声も潰してしまおうか。
どろりとした醜い想いに気付かないトウカは、本当に可愛い。
くすんだ金髪に、真っ青な瞳は変わらない。
この瞳が、涙に濡れて、大きく見開いて、私を見ている姿がとても可愛いんだ。
教会前で馬車は止まった。
「では、神父様、後で教会に参りますね」
「ええ、待ってますよ」
オリオンは、するりと降りたトウカに、にっこりと微笑み、手を振りかえした。
トウカが足早に、家に向かっていると、自分を呼ぶ声がした。
「トウカ」
背の高い、剣を背負った少年が近づいてきた。
「アーク、どうしたの?」
トウカより頭二つ分高い。
「トウカ、探したんだぞ。また森に行っていたのか?危ないだろう」
そう言って、アークと呼ばれた少年は、トウカが持っていた山菜が入った袋を取った。
「こんなに採ったのか?門から離れてるだろ。危ないから、もう行くなよ」
少し困ったような目で、アークがトウカを見つめている。
アークは、街の組合長の三男だ。
上の兄達と年が離れているせいか、自由に振る舞っている。
親譲りの体格の良さと、強気であるが面倒見のよさで、周辺の子供達をまとめていた。
薄い茶髪に緑色の瞳。同じ年齢の少年達よりも背が高く、大人たちとほぼ変わらない。
肩までの髪を無造作に結んでいる。
まだ、身体は完成されていないが、盛り上がり出した筋肉と精悍な顔つきになりつつある顔は、もうすぐ大人へと変わる少年の姿だった。
街の近衛兵の見習いになり、教会所属の聖騎士を目指していた。
聖騎士から、最上位の聖戦士になるのが夢だった。
「大丈夫だよ、虫除けも獣避けも魔物避けもぜんぶしてるし」
トウカは、自分の体にじゃらじゃらと下がる御守りに苦笑いする。
皆、心配して付けてくれたのだ。外すことは考えなかった。
「滑って怪我したらどうするんだ?どんくさいのに。この前だって、泥付けて帰って来ただろ」
「どんくさくないよ。たまたま、前は雨が降った後だったから、滑っただけだ」
ぐいとトウカの頬を乱暴に触る。
「お前の綺麗な顔に、傷付いたらどうするんだ。シスター達に怒られるだろうが」
トウカの白い肌は、近所のお姉様方にとっては誰よりも守られるべきもので、擦りむいたりしたらアーク達が怒られるのだ。
トウカが困った顔で、されるままになっている。
アークのスキンシップは、少し乱暴だが優しい。
「僕は男だから、別に・・・・。アーク達だって、剣術で怪我をしてるじゃないか」
アークが、同じ訓練生の中で飛び抜けているのは知っている。人より多く、訓練を怠らず真面目に続けている結果だと思う。
「俺たちはいいんだっ。次に行く時は、俺もついていってやるからな、言うんだぞ」
「そんな、悪いよ」
「いいから。荷物持ち必要だろう?言ってたじゃん。前に、罠に掛かった獲物が大きくて持ち上げれないって」
「う、うん、そうなんだけど」
「じゃ、約束な?外に草を取りに行く時は、俺を呼ぶ事。前の日に言ってくれたら、必ず来れるから」
「・・・・・わかった。アーク、ありがとう」
はにかむようにトウカが顔を臥せた。
「何言ってんだ。トウカの世話は、俺がするんだから」
「はは、まるでお母さんみたい」
その言葉に一瞬、アークが止まる。
「お母さんじゃないだろ。お前、へなちょこなんだから、俺がずっと世話してやる」
冗談と思ったか、トウカが笑った。
「そんなにへなちょこじゃないよ」
ふん、とアークが鼻息を荒くした。
自分がいつか、トウカを都会に連れていってやろうとアークは決めていた。
「あと、聖騎士の勇者様と一緒に来たんだろう?やっぱり格好良かったか?」
トウカは言われて、きょとんと見上げた。
一緒にいたのは、格好いい若い神父様だ。
「聖騎士?神父様と一緒に帰ってきたよ。優しい神父様だった。初めて高い馬車に乗ったんだ。ふかふかして、凄く立派だった」
そう言えば、神父様だけど、とても力強い感じがしたなとトウカはアスランを思った。
アークと同じ緑の瞳をしていたが、アークはきらきらした瞳だが、神父様は強い目をしていた。
「その神父様だよ。町で噂になってただろ。聖騎士と神父の両方になった勇者様が、来るって。アスラン・シュナーダ様。一人で来たのかな」
アークの目がずっときらきらのしている。
勇者の称号は、子供達の憧れだ。
「お名前が一緒だから、本人かな。とても優しい人だったよ。供は後からくるんだって。教会の中を案内するって約束したんだ」
いいなぁ、とアークが羨ましそうに言った。
「仲良くなったら、シュナーダ様に剣の稽古を頼んでくれよ。聖騎士なんて、中央にしかいないんだぞ」
「そうなんだ。凄く強い方なんだね」
トウカはアークの知識に感心しながら、教会に入っていったアスランの姿を思い出した。
「じゃあ、もう行くね」
「今度、森に行く時は俺に言えよ」
「わかった」
トウカの後ろ姿を見ながら、アークは触った頬の感触を思い出し、にやにやしていた。
トウカはとても可愛い。
アークはトウカに好意を抱いていた。
自分より少し年上みたいだけれど、体格もたっぱも自分の方が高い。
ちょっと抜けているところも可愛いし、姿も街の女の子達よりも凄く綺麗だ。
他の子たちと違う白く透き通った肌で、整った目鼻立ちはまだ幼いが、大きな目は雛鳥みたいでとても可愛い。
きらきらの金髪で、長い髪を無造作に束ねているのも可愛い。特に青い瞳が綺麗。
教会の白神女神様の像みたいな、青い瞳と金髪だ。
トウカがこの街にやって来たのは5年前だ。
記憶をなくして、教会の前に倒れていた。
いつも街の子供たちに、気をかけている老シスターが、拾い子を育てていると皆囃していた。
珍しい容姿をしていると聞いて、皆、見たくて仕方がなかったが、子供の身体が落ち着くまでお披露目はないと言われ、がっかりしたのを覚えている。
暫くして、教会のミサの日に、シスターの後ろで、トウカが恥ずかしそうに、にこりと笑ってくれた。
皆、目を奪われていた。
青い瞳が宝石みたい。
髪が蜂蜜みたいにキラキラして綺麗。
アークはその時の衝撃を今でも覚えている。
動悸がして、目の前のトウカだけが世界になった。
綺麗、可愛いっ。凄く可愛い。
甘い感情が、早熟なアークの心を支配する。
トウカはまるで、店のガラスケースに飾られている高いお人形みたいだった。
こんな田舎街では、見たことがない容姿だ。
きっとトウカは、どこか貴族と愛娼の間に産まれて、田舎の教会に捨てられたのだと思う。
綺麗な容姿なのに、とても人懐っこくて危なっかしいから、自分がいつも守ってた。
トウカはこんな田舎には、似合わない。
いつか、自分が一緒に都会に連れて行ってやるんだ。
そうアークは幼心に決心していた。
この地域で一番大きいと言われる街の教会は、白煉瓦と木造で作られている。
神父やシスター、見習いを合わせて三十人ほど居る中規模な協会だ。
小さな教会は、本部の中央教会から神父は来ず、地元の神父たちだけで運営されていた。
地方では、何十年も同じ神父達が、牧歌的な風景と共に過ごしている。
この教会もそうであった。
アスランは、中央教会から派遣され、布教の強化や不正の摘発で全国を廻る一団の一人だ。
地方のみで行われる運営は、汚職の温床になる。
数年に一度の周期で、監査が行われるのだ。
特にアスラン・シュナーダが廻る地域は、彼が不正を許さず、神父が一掃された教会も少なくないと担当地域の教会の神父たちは警戒していた。
品行方正で、元勇者の中央教会所属の聖戦士でもある神父。
その生きざまや行動に、心酔する関係者も多く、アスランは数人の部下を連れて行動していたが、教会内でも一大派閥の様相を現しだしていた。
ただ、アスランは目立つ事を嫌い、それを表立たせることはなかった。
トウカは家に帰り、急いで教会に向かう。
途中で山菜は店に置いてきた。
夕方に仕込みのお手伝いをすれば間に合うだろう。
「今度、神父様に、お店のご飯を持っていこう」
きっと美味しいと言ってくださる。
トウカは垢抜けた都会の神父を思いだし、羨望の心を向けた。
トウカは、教会の聖堂から出てきたアスランに開口一番に尋ねた。
「神父様は勇者様なのですか?」
アスランの横に立つ自分を育ててくれた老シスターは、微笑ましくトウカを見つめる。
アスランは苦笑した。
「昔、そんな風に言われていた事もあったよ」
「とてもお強いのだと、アークが言っていました。剣士の憧れだって」
嬉しそうに、トウカが見上げている。
その瞳には、むず痒いような純粋な憧れと憧憬しかない。
アスランが微笑んだ。
「たまたま、剣の腕と説教が上手だっただけですよ。トウカは、剣士になりたいのかい?」
「・・・・・ぼ、私には、剣は重くて振り回せません。シスターからも、まず、読み書きと本を読むように言われています」
「トウカは、とても本が好きなのよ」
シスターが母親の眼差しをしている。
「物語や植物の本ばかりですけと・・・・」
恥ずかしそうにトウカが言う。
「勉強は嫌い?」
トウカは、恥ずかしそうに首を横に振った。
「いいえ。本を読むのはなんでも好きです。神父様達から、簡単な計算も教えてもらっています」
「・・・・そうだね。本を読むのは大事だ。勉強は私が手伝ってあげよう。他の人間は、信者がついているし、まだ、正式な役割を頂いていない私が適任でしょう。代わりに、私の身の回りの世話をお願いします」
「本当ですか?嬉しいです。シュナーダ神父様に教えて頂けるなんて」
「神父たちには、こちらから言っておきましょう。よろしくお願いしますね、トウカ」
「はい。シュナーダ神父様」
トウカは嬉しそうに頷いた。
トウカの案内が終わり、アスランは、応接室に向かった。
トウカは、店の手伝いがあると行ってしまった。
「こちらをどうぞ」
老シスターは、優しい眼差しをしていた。
薄い水色の瞳は柔らかに丸みを帯び、深い皺さえも対応した人間に安心を与える。
小さな身体だが、確固たる自信を持つ強く柔らかい眼差しだ。
昔、聖女の称号をもらった過去は、伊達ではないなと、アスランは穏やかに微笑みながら思った。
お茶の湯気が二人の間に立ち上る。
今後の話が終わり、トウカと初めて出会った郊外の話を聞き、少し困った顔で彼女は言った。
「トウカはいい子ですね。裏庭にくる猫迄、紹介されましたよ」
その言葉に、シスターは微笑む。
「まあ、あの子ったら。まだ、全然子供でしょう?私が、甘やかし過ぎてしまって」
「真っ直ぐないい子供に育っているようですね」
「でしょう?とてもいい子なんですよ。いつも笑っていて。あの子が来てから、偶然だけれど信者もご寄付も増えて福の神みたいだわ」
「それは、貴方の善行に、女神から受けた祝福でしょう」
すらすらと言うアスランに、シスターが笑う。
「まあ。お口がうまいのね・・・・・あの子は、あんな容姿でしょう?それに、とても素直だから、良くない人にも好かれてしまって」
「ああ、分かります。とても素直な子供みたいですからね」
トウカが見上げて来た瞳は、裏切られることを知らない瞳だ。
手折って滅茶苦茶にしてやりたいと、暗い欲が出てくる。
シスターは嬉しそうに頷く。
「自慢の子供なのです。でも、近頃は、あの子目当てに、変な大人や乱暴な子達迄教会に寄ってきてしまって」
外見の容姿以上に、魂に寄るのだろう。
黒神は欲と富を司る。
本人は真っ白なのに、蟻のように欲という蜜に群がるのだ。
アスランはゆっくりとカップに口をつける
「だから、近くの信者の店に手伝いに行かせていた?」
教会前の食堂で、働いていると言っていたなと思い出す。
「トウカの社会勉強も兼ねてね。いろんな事を経験させたいの。読み書きは教えることはできるけど、私はずっと教会に居たから頭でっかちだわ」
「貴女は、柔軟ですよ」
自由奔放な白神女神と、雰囲気がよく似ている。
「・・・・特に、乱暴なことは起こって居ないのでしょう?」
「ええ、ええ。そんな悪い子達じゃないから。アークが皆をまとめて、子供たちは信者にも礼儀正しくしているわ。トウカにも積極的に話しかけて、トウカもアークをお兄さんと思って、慕っているみたいだし」
アーク。
先程の、トウカとの会話にも出てきた。
田舎の騎士見習いの子供か。
アスランは、シスターに分からないように鼻で笑う。
「・・・・・何か不安な事が?」
シスターは何か思う所があるのだろう。
「トウカはあの通り、綺麗な子でしょう?本人は良かれと思って話してるだけだけど、アークはそう思っていないみたいで。場所を変えたら、トウカに執着しなくなるかと思って、近所のお店にお手伝いに行かせたら、ずっと入り浸ってしまって。用心棒まがいなことまで」
困ったようにシスターが言う。
田舎の糞がきは、潰してしまおう。トウカに必要ない。
「そのアークが、トウカに懸想していると?」
カップのお茶を飲みながら、アスランは首を傾げた。
シスターは素直に頷いた。
「アークは優しい子供だけど、気が強いし、押しが強い子なんです。私は男同士だからとか女同士だからとか、関係ないと思っているけれど、トウカはよくわかっていないのに、流されるのはどうかと思っているわ」
「麻疹みたいなものです。すぐ熱は冷めますよ」
「そうなら、いいのだけど。あの子はもっと、世界を見るべき。こんな狭い田舎だけではなく」
そして、シスターはアスランににっこりと微笑んだ。
「・・・・トウカを私付けにして、神父見習いにしたいと」
願ったりかなったりだ。
「ええ。希代の勇者様なら、安心でしょう?あの子は、賢くて優しい子だから、神父の道もいいかも。勿論、本人の意思が重要だけど」
「・・・・・・」
「駄目かしら?」
まるで子供に言い聞かせるように、老シスターひ微笑みながらお願いする。
無邪気な白神女神と、笑みが被る。
「いいえ。私も、丁度教え子が欲しかった所です。トウカとも先程の話しで了解していましたね。とても素直で優しい子ですね」
「そうでしょう。とてもいい子なんですよ」
シスターはにこにことほほえんだ。
善人の笑みだ。
トウカがここに拾われてよかった。
選ばれたのは、白神女神の加護によるものだろう。
〝彼女〟は〝兄〟を愛している。
自分を毒出しの道具にして、自分の意思関係なく、勝手にヒトにしてしまうくらいに。
もしかしたら、〝彼女〟こそ黒神として生きる筈だったのかもしれない。
無邪気の邪気で、簡単に掌で動かすのだ。
微笑み返しながら、アスランは思った。
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