上 下
9 / 16
第一章

9.女神は無表情に微笑む

しおりを挟む
怖い・・・・
ここは何処なんだろう。
眠ってる間に、どこかに移動してきた。
外に出ようとすると、怖い目をした神父たちが居て、止められてしまう。
夜中に、アスランに手を繋がれて、外に出して貰えるけれど、街や風景がまったく知らない場所だった。
昼間、お祈りや勉強をしていると、アスランは誉めてくれる。
アークがいつも入口でぼんやり立っている。
名前を呼ぶと反応してくれるけれど、アスランに見つかったら、アークが酷い目にあうから呼べない。
食事も今まで食べていたものより、豪華だと思う。
でも、全然美味しくないんだ。
アスランは、目の前でとても美味しそうに食べる。
美味しいけれど、美味しくないんだ。
ここから出たい。
アスランが怖い。


アークがトウカの顔をぐいぐいと、拭った。
「アーク・・・・?」
自分がぽろぽろと涙を流していることに、トウカは初めて気付いた。
「ありがとう、アーク」
アークの表情は失くなっている。
顔色もすごく悪く、真っ白だ。唇も紫色だ。
きっと、自分が倒れる前に、アークが倒れてしまうだろう。
もし、アークが死んでしまったら、舌を噛みきろう。
アークが、一緒にいたから、正気を保ってられる気がする。
アスランは怒るだろうか。
アスランに頭を優しく撫でてくれるのは、少しだけ気持ちが和らぐ。
けれど、怖い。


コツコツと扉が叩かれた。
びくりとトウカが身動ぐ。
アスランではない。彼は、この部屋でノックはしない。
扉には鍵は掛かっていない。
外にいる怖い顔をした神父たち?
何度か出て行こうとして、無理矢理元に戻された。
最初の頃、アスランに連絡がいったのか、その夜に、足の腱を切られそうになった。
泣いて命乞いをしたら、許してくれたけれど。
「・・・・・・」
怖い。
トウカは、逃げようとして窓に向かった。
扉が開かれた。
人影にトウカはガタガタと震えながら、窓を叩く。
「い、や・・・・・っ」


「大丈夫、助けにきたの。安心して」
大人の優しげな女の声だった。
ぐいっと引っ張られた。
そしてそのまま、ふらりとその言葉の主の胸に倒れ込んだ。

「まあ、可愛いらしい!」
場違いな言葉だった。
ふかふかの胸の中、トウカは抱き締められる。
女性と思ったけれど、腕や腹は硬かった。
言葉の主は、少し興奮したように、トウカを覗きこむ。
銀色の美しい髪に、水色の聡明な瞳。
白いシスター服はきらきらと輝いている。
「まあ、まあ!綺麗な瞳!白神女神様、そっくり。大丈夫よ、安心して。グラッシ聖女から頼まれたのよ。自分の養い子を助けて欲しいって」
「・・・・・シスターが」
自分を育ててくれた老シスターが、グラッシャルという名前だったことを、トウカは思い出した。
「大丈夫。もう心配はないわ。貴方を助けにきたの」
口早に彼女は笑う。
「アスランが、教会だけじゃなくて、聖女だけのネットワークがあることを知らないのはよかったわ」
安心させるように優しく笑う美しい女性。
「私の名前はラウラ。聖女の称号も持っているシスターよ。貴方を助けにきたの。トウカ?」
「はい・・・・・・・」
「早く行きましょう。今、アスランは足止めをしているから」
「・・・・お願いします。アークも。アークも一緒に」
目の端にぼんやり立っているアークがいる。
トウカがラウラに恐怖を感じるなら、アークは動いたのかもしれないが、それがなかったせいかだだ見ている。
その瞳には、何も写っていないように見えた。
「わかったわ」
ラウラが周りに合図すると、シスター服を来た数人がアークの周りに立つ。 

アークが武器を構えようとしたが、トウカが近付いた。
「アーク、行こう。大丈夫だよ」
「トウカ・・・・・・」
にこりとアークが笑った。
毛布をかけられ、ラウラは寄り添いながら外に出る。

トウカは、温かなラウラの体温を感じ、息を吐いた。
ここから出られる。
号泣したいくらい嬉しかった。
「安心して。アスランとは、ちゃんと話し合うし、貴方に悪いようにはならないから」
「はい・・・・・・」


腕の中のトウカは、安心感で涙ぐんでいる。
この後、怒り狂ったアスランが、神殿にやって来るのは判っている。
ラウラは女だが、お構いなしに殴り付けられるかもしれない。
いや、あの男は殴るだろう。

あれは自分以外に情は持っていない。
秀麗な虫も殺さないような柔和の顔の下に、歪んだ欲望を蓄えている男だ。

勿論、ただでも殴られる気もないが。
この尻拭いの怒りを私もぶつけるつもりだ。

トウカに言った手前、どうにかするが、まず彼らを安全な場所に連れていかなければいけないだろう。
トウカは、聖女が管理する神殿がいいだろう。
白神女神も喜ぶだろう。

まず、アークと呼ばれた子は、毒抜きが先決だ。
精神汚染が、大分、進んでいるようだった。
戻る迄に時間が掛かるだろう。
子供になんてことを。


アスランは暴走し過ぎだ。
腕の中のトウカは安心感で、泣いている。
このトウカの、魂の本質と言われる黒神のせいばかりではあるまい。
新しい宗派を作る勢いで、本部の派閥を分裂させようとしている。
あまりに急きすぎて、教会も危険視しだした。
白神女神の神託は、ただ面白げに、〝静観〟だけだった。
そして、私のみに、黒神の〝保護〟を求めた。
黒神にとち狂った人間を、観察しているのだろう。
女神にとっては、黒神さえ無事ならいいのだ。
もし黒神が死んでしまうなら、女神は最初からやりなおす筈だ。
全てを消して。
新しい、黒神を愛する人間を選ぶだろう。
私たちも消されるかもしれない。
彼女は気紛れだ。
暫く、この子たちには行方不明になってもらおう。
その間に、なんとかアスランを押さえないと。


ラウラは思案する。
腕の中の少年は、とても怯えている。

恐怖で繋ぎ止めていても、実りはないだろうに。
いや、アスランは、信じているのかもしれない。
黒神の魂を持った少年は、自分を愛してくれるのだと。
自分以外、他の人間を見るはずがないと。

「バカな男・・・・・・」
ラウラは短く呟くと、歩きだした。
しおりを挟む

処理中です...