ジャンヌ・ダルク伝説~彼の地にて英雄と呼ばれた元青年~

白湯シトロ

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森の民・ガティネ(15)

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「――♪」
 楽器の伴奏無しに、ジャンヌ・ダルクの歌声だけが湯煙と共に夜空へ消えていく。
 ガティネの首都から北上する事五日。
 更に雪降る山へ入って一日半程。
 それだけの時間と労力を経て、一行はガティネが誇る温泉地へとやってきていた。
 最も、あまり飾り気の無いガティネの意匠そのままな全体像は、最早寂れているどころの話ではなく、廃村、或いは廃業していると表現して良い水準である。
 自然を活かした堅実な作り、と言えばそれまでだが。
 とはいえ、いや、それ故の露天であるのだろうが、星空とを一望出来る、まさに絶景と言えた。
「手に手を取って、貴方と私、この星最後の戦いを」
 歌い切った所で、隣から拍手が返って来る。
「ジャンヌ姉。何か日に日に歌上手くなってない?」
「そっかなー。慣れてきたのかも……。でも、歌ならミラだって上手いでしょ」
「そっかなー?」
 満更でもない緩んだ表情は、褒め言葉に対してか、或いは浸かっている温泉によるものかは微妙な所である。
「ちなみに、何曲あるの持ち歌」
「んー。そんな多くないよ。提供元が偏りまくってるから同じ人の曲だしねぇ」
 一條自身は、その辺りに大変疎い。
 そらで歌える曲となると、指の一本が立つかどうか。
 それが今や、こうして幾度か他人に披露出来る位に増えたのは、悪い事ではない。彼としてもお気に入りの楽曲が聴けていない事へのちょっとした手慰みの様なものだろうが、感謝はしているのだ。
「何かのゲームだったと思うけど覚えてないや。まぁでも、この人の歌詞は全部日本語だから、覚えやすくはあるかなぁ」
 呟いた。
 事情通曰く、
「英語読めないし意味とか考えてたら歌えないから、歌詞にはカタカナ字すら極力入れない派」
 であるらしい。
 成程、分かる気はする。
「へぇ。ま、私も似た様なもんだしねぇ」
――致命的に違う気もするけど。
「……地名だけに。ふふっ。致命的」
「あん?」
「いや別に」
 咳払いにも紀宝は気にもせず、伸びをしてから頭の後ろに手を回して、胸を反る格好。
 丁度、空を見る形になる。
「私も此処に移住しようかしら。ま、宿はアレだけど、こんな露天風呂まであるんじゃ、最高でしょ」
「首都から結構掛かるけどね。後、ガティネの人達には概観の大切さを説いた方が良い。幽霊が出ても不思議じゃ……何だその握り拳は」
 得意気な表情には、苦笑する他ない。
――ミステリみたいなのは駄目で幽霊は良いのか。
「全く頼もしい事で……そういえば、流石に効能とかは気にしてない感じかな。色合いからは、肌には良さそうだけど」
 乳白色の湯を両手で掬い、空へと投げる。
「それ以上肌艶のレベルアップしてどうすんのよ。泡立てた石けんにでもなる気?」
「最近、ミラの私に対する敬称バリエーションが増えていって嬉し悲しだよ……」
「進化してかないとね」
「そういうのはシャラが喜ぶからあいつに言ってやんな」
 どちらからともなく、笑う。
 当人も無論、一緒には来ているが、果たして現在は何処で何をしているかだ。
 一応、入念に見て回った所、おいそれと覗かれる心配は無さそうではあるが。
――いや、流石にミラも居るし。無いかなぁ。
 等と思案していた所へ、
「脱衣所での続きだけど」
 と、声が上から降ってきた。
 視線を向ければ、縁に腰を掛け、真剣な面持ちの紀宝。
 場所が場所であり、当然ながら一糸纏わぬ姿だが、既に一條に対して殊更に隠そうと言う行動も見られない。
 お互いに見慣れてきた、と言えばその通りではある。
 こうして、一緒に風呂に入る行為は初めてではあったが、
――、か。
 改めて、生まれたままの姿である彼女を見ても、妙な感情は欠片程も出てこない。
 その上で思うのは。
――良い身体してんのよな。
 流石は昔から戦闘経験豊富な人物なだけある。
 薄らと割れた腹筋。腕や脚、背中や腰周り、単純に厚みがある。筋肉の厚みだ。
 それ以上の無駄な肉と言うものが一切排除されていながら、実に女性的な肢体。
 だが、運動系のそれとは違って、実戦的な肉の付き方。
 更に言えば、最近は特にルツ・ナミルと言う好敵手兼競争相手が出来たからか、身体の至る所に傷が見受けられるものの、それが彼女の魅力を損なっていないのは、大いに褒めるべきである。
「……。いや、えっと。向こうに帰る話だっけ」
 一瞬口から出かかった言葉を呑み、頭を掻いた上で答えてから、一條も投げ出していた足を折り畳んで、背筋を伸ばす。
 それをどう捉えたかは不明だが、兎も角、彼女は身体を解す様な仕草と深い一息。
 年相応の胸が揺れた。
「ま、そうね。ちなみに性別については……今更言う事でもないか」
 ため息混じりの台詞に、一條も特段返す言葉はない。
「……なんか、最初からこんなんだっけ、とか、思えてくるんだよね。つっても、もう九ヶ月近く今の状態だからかも知れないけど」
 引っ詰められた薄紫色の長髪。
 自分ではあまり見る機会はないが、整った顔立ち。
 男性とは似ても似つかない手足。
 人目を引く高身長に、一際目立つ年不相応な胸周り。
「自画自賛したくなるプロポーション」
 友人が、他の人には見せられない様な顔を見せた。
 咳払い一つ。
「まぁ、少し思う所がありましてね……」
 言い淀みながら、垂れ下がっている髪を弄る。
「アシュールさんと戦った後、なんとなく、って気がしてる」
 今にして思えば、この世界に来た時からそんな予感は漠然とあった。
 センタラギスト、ジャーヌ。
 恐らくは最も深い関係を持っているであろう存在ではあるが、現状、手掛りは皆無だ。
 古い森人達とも話はしているものの、それ程新しい情報はなかった。
――大昔に、この地方に居た事だけは確認されてるけども。
 付け加えるならば、ディーガと戦ったのも事実ではあるらしい。
 結果、この一帯は酷い有様となり、森人達も進んで関わろうとはしなかった、と聞く。
 いくら信仰の対象に近いとは言っても、種族全体がそうなる訳でもないし、あくまで、一部にそんな存在が居ると言うだけの話だ。
 関わりがない以上、最早一條にはの事を知る術はなかった。
「……うん。だから、多分。もう女性のままかな。これは」
――良いか悪いか、は半々と言った所だけど。
 思案してる間も、隣からの反応はない。
 かと言って、掛ける言葉も見付からない為、沈黙。
 暫くお湯の流れてくる音を聞いていると、深く、長いため息が破った。
「……そ、っか」
 一言。
「……ま、私もこうしてる以上は、ね。改めて言われると、もうお姉ちゃんで良い気もしてくるわ。……ここで性別戻しますとか言ったら蹴り飛ばすけど」
「ちなみに。急に戻ったら?」
「あんたを殺して私も死ぬわ」
「オーケー。落ち着け。私は一生女性のままだ。良いね?」
 全裸の彼女に迷いは微塵も感じられない。
 これ見よがしに鼻を鳴らす義妹に苦笑。
「とは言っても、向こうに戻れる算段も、戻り方もまるで検討付かないけど」
 そちらは手詰まりと言う言葉すら生温いかも知れない。
「私としては、戻り方よりもどう生きるか、かな。幸い、生活基盤は整ってきてる感じするから、そこまで深刻じゃないとは思う」
「それは、まぁ、うん」
 一條としても、頷く他無かった。
 三人共に、今では立派な大貴族でもあらせられる。
 少なくとも、ロキケトーを討伐した後に路頭に迷うと言う事はないだろう。
 寧ろ、今以上の待遇は約束されているかも知れない。
「私もやりたい事は幾つか出来てるけど。ジャンヌ姉はどう?」
「えー……急に言われてもなぁ……」
 最近の波瀾万丈具合は別にして、一條はまだ十数年しか生きていないのもある。
 自分のやりたい事を即答出来る程の人生観はなかった。
「終わったらのんびりしたい」
「お婆ちゃんか」
「二人は本当に仲が良いんですね」
 二人笑い合ってた所へ、声が掛けられる。
「ルツさん、クタルナさんも。狩猟の方、終わりました?」
「えぇ。と言っても、私は見ているだけでしたが」
 クタルナは微妙な面持ちだが、手伝うと言った手前、成果を挙げられなかったのを気に病んでいるのだろう。
「ルツさんと比べたらアタシ達だって役には立ちませんよ。あの、ウガニー、でしたっけ。無理無理。あんなの見付けるだけで何日掛かる事やら」
 見た目は大型犬程はある兎で、食卓に上がる事は稀ながら、美味い。
 珍しいのは、別に狩猟が制限されている訳ではなく、単純に難易度が高いからだ。
 静止しているとほぼ透明となり、
 それ故、まずもって発見が困難。
 動きも見た目以上に素早いのだが、それが目の前に居るガティネ一番の狩人たる女性の命中率に、さしたる影響を与えないのだからぞっとする。
 と言うより、遠目からでも問題無く仕留めていくのだから、最早、呆れるしかない。
「温泉あがったら調理しちゃいましょうか」
「今、シャラが進めてくれてますから。少しは余裕があるかと。彼も良い腕ですね。一度教えただけで、後は一人で上達してしまうのですから。……何故、あれ程の人物が強くないのか不思議で仕方無い」
「「あー……ね?」」
 ルツの言葉に、一條は紀宝と同時に頷いた。
 つくづく、戦闘方面以外には有能な男である。
「でも、そっか。シャラがやってるなら、尚のこと手伝ってやるかね。アタシとミラは長風呂しちゃってるし。ミラは?」
 湯から全身を出して行きながらの問いに、彼女は片手を此方へ振ってきた。
「任せるー。私はも少し浸かってく」
「はいはい……」
 苦笑しながら応え、
「んんー。温泉は良き良き」
 思い切り身体を反らす。
 紀宝程ではないが、この辺りは非常に慣れ親しんだものである。
 ガティネ人とは妙に波長も合う為、いっそ住むなら此処でも良さそうな気さえしてきた。
「……。なんですかね……?」
「いーえ、別に」
「はい特には……」
「……」
 三者三様。
 だが、視線は一條に集中している。
 その事を聞き返そうとした直後、場にそぐわない声に先手を取られた。
「悪くない悪くない。良い眺めだ。こんな事なら、もっと早くに来るべきだったな。此処には」
 陽気な、それでいて暢気な声。
 
「……アプラさん……?」
 絞り出した此方の声と、四人の視線を受けつつも、彼は飄々と言った感じである。
 そして、無論、全裸であった。
「っ」
 瞬間、一條は咄嗟に身構える。
 背に、これまでにない重圧を感じたからだ。
 怒気を優に超えた、殺気。
 さしものルツも、苦汁を飲んだ様な顔をしている。
 クタルナですら、固まってしまっていた。
「ルツさん……? 一応、確認するんですが。ガティネでは男女が一緒に湯に浸かる、なんて事は……」
「ありません……」 
 答えが得られるや否や、紀宝が目標へ突っ込んで行く。
「お姉様、アレを使うわっ!」
「良くってよっ!」
 一條も即座に反応。
「ミランヌ。ヘツーヴィを忘れてしまったのだが問題ないかな」
 状況を把握してないのか、アプラがそんな事を宣った。
 刹那、紀宝が速度を落とさぬまま彼の背後に回り込み、
「ふんっ」
 両腕を伸ばし、彼を腕の上から拘束。
 身体が密着するのも構わない手段だ。
 それを確認しつつ、一條は跳躍。
「稲妻蹴りーっ!!!」
 顔面へ飛び蹴りを叩き込んだ。
 本来ならば、かなたへ吹っ飛んで行っても不思議ではないだろうが、そこは紀宝である。
「スープレッークスッ!!」
 反動を殺さない様にしながらの、後方へ反り投げ。
「死ねぇ!! 乙女の敵っ!!」
 地面へと叩き付けた。
 派手な激突音。
 プロレスに明るい親友がこの場に居れば、或いは感動したかも知れない程度には、名の知れた連携技であった。
――思ってた以上の威力でぶち込んだけど、ホントに死んだかも知れん……。
 二人を飛び越えて行った先で着地と同時にゆっくりと振り返れば、そこは見事な殺人現場である。
「ちっ。生きてる」
 殺人未遂現場であった。
「ガティネ人、頑丈過ぎる……。死なないのでは?」
 思い返せばその通りでしかないのだが、だとすると、普通の戦闘ですら死ぬかどうかが怪しい所ではある。
 また一つガティネの神秘に触れた気がした。
「いえ。私達もそこまででは。死ぬ時は死にます」
「えぇ……」
 ルツの言葉に若干引きつつも、ため息一つ。
「とりあえず、簀巻きにして吊しとこうか……」
「賛成」
 了承が得られたとはいえ、今は雪もちらつく上に全裸である。
「まずは服着てから……」
 と、脱衣所に入ろうとした所で、ルツから声が掛けられた。
「それはそうと。ジャンヌとミラは、何故、裸なのです……?」
「「え?」」
 疑問に、はたと立ち止まって彼女達を見やる。
 全裸、ではない。
 服の様なものを一枚、身に付けていた。
――タオル地のワンピース、みたいな。
 今一度、視線を下へと向ける。
 丸々と実った肌色の丘が二つ、動きに釣られて揺れた。
「「……」」
 紀宝と目が合う。
 お互いに、無言で二度頷く。
「「服の類いは、お湯に入れない主義なのでっ」」
 胸を張って宣言した。
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