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馬鹿ね、と美沙子は第一声でそう言った。
何に対してでもそう言われる自覚があるシュンは、ごめん、とただ謝った。
新幹線のホームには、冷たい風が吹いていた。その風にさらされる美沙子の白いロングコートも、長い黒髪も、一週間前にここで別れたときと全く一緒なのに、なにかが違って見える。
それはきっと、彼女を健少年の姉だと思って見ているからだし、そんなのは美沙子という個人への裏切りにしかならない。
「謝るの、癖よね。」
大きなピンク色のキャリーカートを引いた美沙子は、改札へ向かう足を止めないまま、肩越しにシュンを振り返って片頬だけで笑った。
「なにに謝ってるのか、自分でもわかってないくせに。」
美沙子の言う事はその通りで、シュンはまた、ごめん、と詫びた。それ以外の言葉が見当たらなかった。
「馬鹿ねって、言ってるの。逃げればよかったのに。健を連れて。なに、律儀に迎えになんて来てるの?」
美沙子の声は、冷たかった。全身を包む真冬の風よりなお、冷たかった。
逃げればよかったのに。健を連れて。
そんな選択肢は、シュンの頭に上りさえしなかった。
だからといって、今ここでその選択肢を提示されても、膝を打つような気持ちになれるはずもない。
ただ、本当に、自分は馬鹿なのだな、と思うだけで。
「……健くんは、俺と逃げても幸せにはなれないよ。」
だって、シュンは女や男に身体を売ってしか暮らしていけない。それ以外の生活を送った試しはないし、できるとも思えない。
美沙子は、かつん、と白いパンプスのかかとを揃えて立ち止まった。
そして振り返る、うつくしいひと。
「幸せだなんて、随分上等なことを考えるようになったのね。」
シュンのせいで明らかに不幸せになった女が言うから、その言葉には迫力があった。美沙子が笑っているから、尚更。
「……ごめん。」
また、シュンは詫びた。今度は、なにに詫びているのかは明らかだった。
美沙子に。美沙子がシュンに費やした半年間と、その間に壊れていった彼女の幸せに対してだ。
半端な時間だからか、駅に人通りは少なかった。それでも、通路の真ん中で立ち止まっていては周囲の迷惑になる。
それでも美沙子はその場に立ち続けたし、シュンも彼女に向かい合って立っていた。
「もともと、幸せな子じゃなかったのよ。」
美沙子が、囁くように言った。その声は、一歩の距離に立つシュンに、かろうじて聞こえるくらいの大きさだった。
「あんたならって、ちょっとだけ、思ったのにね。」
私も馬鹿だったわ、と、美沙子は笑ったままの唇で吐き捨てた。
何に対してでもそう言われる自覚があるシュンは、ごめん、とただ謝った。
新幹線のホームには、冷たい風が吹いていた。その風にさらされる美沙子の白いロングコートも、長い黒髪も、一週間前にここで別れたときと全く一緒なのに、なにかが違って見える。
それはきっと、彼女を健少年の姉だと思って見ているからだし、そんなのは美沙子という個人への裏切りにしかならない。
「謝るの、癖よね。」
大きなピンク色のキャリーカートを引いた美沙子は、改札へ向かう足を止めないまま、肩越しにシュンを振り返って片頬だけで笑った。
「なにに謝ってるのか、自分でもわかってないくせに。」
美沙子の言う事はその通りで、シュンはまた、ごめん、と詫びた。それ以外の言葉が見当たらなかった。
「馬鹿ねって、言ってるの。逃げればよかったのに。健を連れて。なに、律儀に迎えになんて来てるの?」
美沙子の声は、冷たかった。全身を包む真冬の風よりなお、冷たかった。
逃げればよかったのに。健を連れて。
そんな選択肢は、シュンの頭に上りさえしなかった。
だからといって、今ここでその選択肢を提示されても、膝を打つような気持ちになれるはずもない。
ただ、本当に、自分は馬鹿なのだな、と思うだけで。
「……健くんは、俺と逃げても幸せにはなれないよ。」
だって、シュンは女や男に身体を売ってしか暮らしていけない。それ以外の生活を送った試しはないし、できるとも思えない。
美沙子は、かつん、と白いパンプスのかかとを揃えて立ち止まった。
そして振り返る、うつくしいひと。
「幸せだなんて、随分上等なことを考えるようになったのね。」
シュンのせいで明らかに不幸せになった女が言うから、その言葉には迫力があった。美沙子が笑っているから、尚更。
「……ごめん。」
また、シュンは詫びた。今度は、なにに詫びているのかは明らかだった。
美沙子に。美沙子がシュンに費やした半年間と、その間に壊れていった彼女の幸せに対してだ。
半端な時間だからか、駅に人通りは少なかった。それでも、通路の真ん中で立ち止まっていては周囲の迷惑になる。
それでも美沙子はその場に立ち続けたし、シュンも彼女に向かい合って立っていた。
「もともと、幸せな子じゃなかったのよ。」
美沙子が、囁くように言った。その声は、一歩の距離に立つシュンに、かろうじて聞こえるくらいの大きさだった。
「あんたならって、ちょっとだけ、思ったのにね。」
私も馬鹿だったわ、と、美沙子は笑ったままの唇で吐き捨てた。
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