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電車での十数分、美沙子は黙りこくっていた。だからしたがって、シュンも口を利かなかった。
こういうところが、熱量がないと言われる所以かもしれない、と、シュンは思った。
いつだって、話したい言葉なんてない。
空いた電車、隣同士に座った二人は、赤の他人みたいな顔をして過ごした。
このままならいいのに、とシュンは思った。
このまま黙って電車に乗り続けて、どこまでも遠くに行ければいいのに。
ずっと遠く。シュンを知る者も、美沙子を知る者も、いないくらいずっと遠くに。
それでもシュンには、美沙子の手を取って、一緒に逃げよう、なんていう度胸も熱量も甲斐性もない。だからそれは、ただの憧れに終わる。
ずっと遠く。誰も知らない場所へ。
電車が見覚えのあるプラットホームに滑り込み、美沙子がゆっくりと腰を上げる。
シュンは、彼女の大きなキャリーケースを持って、後に続いた。
ここから五分も歩けば、健少年が待つ家につく。
その五分間、やはり二人は無言だった。美沙子が一歩先を行き、シュンはその後ろをただ歩いた。
健少年が待つ部屋には戻りたくない。
そう思うのに、シュンの足は律儀に歩みを進める。こういうところが、美沙子に熱量がないと言われる所以かもしれない、とまた思った。
健少年が待つ部屋の前にたどり着き、美沙子がやはり黙ったまま鍵を開ける。
靴脱に、健少年の靴はなかった。
「……あれ?」
シュンが首を傾げると、美沙子はそれを無視してリビングへと上がっていく。シュンもそれに続いた。
リビングのガラステーブルには、健少年がいつも詩を描いているあの白いノートが開いておいてあって、そこには、飲み物を買ってきます、と、それだけが丁寧な字で書かれていた。
美沙子がキャリーケースを持って、奥の寝室へと引っ込んでいく。
シュンはリビングに立ったまま、なにげなく健少年のノートをとり、最初のページを開いてみた。すると、そこは真っ白だった。一行の詩も描かれてはいなかった。
あれ?と首を傾げたシュンは、ペラペラとノートのページをめくっていった。
めくってもめくっても、ページは白かった。どこまでいっても、ただ白かった。
シュンは、なぜかゾッとした。
詩を描いているんです、と教えてくれた健少年の、はにかんだ表情を思い出す。
すると恐怖が一気に押し寄せ、シュンはノートをばたんと取り落とした。
その物音に気がついたのだろう、美沙子がリビングへやってくる。そして、シュンとノートを見比べた彼女は、笑った。
「健はあんたの手には負えないのよ。」
その美沙子の声さえ、シュンにはぼんやりと響くだけで。
彼がその白いノートの空白に見ていたのは、死んだ妹たちの真っ黒い目だった。
怖い。あのこは、怖い。
そう思ったシュンの身体の硬直がまだ解けないままに、玄関のドアが開く音がした。
「姉ちゃん、おかえり。」
無邪気な少年の声が、リビングに滑りこんでくる。
美沙子はまだ笑っていた。シュンはただ呆然と立ち尽くしていた。
後数秒もすれば、健少年がリビングに入ってくる。
こういうところが、熱量がないと言われる所以かもしれない、と、シュンは思った。
いつだって、話したい言葉なんてない。
空いた電車、隣同士に座った二人は、赤の他人みたいな顔をして過ごした。
このままならいいのに、とシュンは思った。
このまま黙って電車に乗り続けて、どこまでも遠くに行ければいいのに。
ずっと遠く。シュンを知る者も、美沙子を知る者も、いないくらいずっと遠くに。
それでもシュンには、美沙子の手を取って、一緒に逃げよう、なんていう度胸も熱量も甲斐性もない。だからそれは、ただの憧れに終わる。
ずっと遠く。誰も知らない場所へ。
電車が見覚えのあるプラットホームに滑り込み、美沙子がゆっくりと腰を上げる。
シュンは、彼女の大きなキャリーケースを持って、後に続いた。
ここから五分も歩けば、健少年が待つ家につく。
その五分間、やはり二人は無言だった。美沙子が一歩先を行き、シュンはその後ろをただ歩いた。
健少年が待つ部屋には戻りたくない。
そう思うのに、シュンの足は律儀に歩みを進める。こういうところが、美沙子に熱量がないと言われる所以かもしれない、とまた思った。
健少年が待つ部屋の前にたどり着き、美沙子がやはり黙ったまま鍵を開ける。
靴脱に、健少年の靴はなかった。
「……あれ?」
シュンが首を傾げると、美沙子はそれを無視してリビングへと上がっていく。シュンもそれに続いた。
リビングのガラステーブルには、健少年がいつも詩を描いているあの白いノートが開いておいてあって、そこには、飲み物を買ってきます、と、それだけが丁寧な字で書かれていた。
美沙子がキャリーケースを持って、奥の寝室へと引っ込んでいく。
シュンはリビングに立ったまま、なにげなく健少年のノートをとり、最初のページを開いてみた。すると、そこは真っ白だった。一行の詩も描かれてはいなかった。
あれ?と首を傾げたシュンは、ペラペラとノートのページをめくっていった。
めくってもめくっても、ページは白かった。どこまでいっても、ただ白かった。
シュンは、なぜかゾッとした。
詩を描いているんです、と教えてくれた健少年の、はにかんだ表情を思い出す。
すると恐怖が一気に押し寄せ、シュンはノートをばたんと取り落とした。
その物音に気がついたのだろう、美沙子がリビングへやってくる。そして、シュンとノートを見比べた彼女は、笑った。
「健はあんたの手には負えないのよ。」
その美沙子の声さえ、シュンにはぼんやりと響くだけで。
彼がその白いノートの空白に見ていたのは、死んだ妹たちの真っ黒い目だった。
怖い。あのこは、怖い。
そう思ったシュンの身体の硬直がまだ解けないままに、玄関のドアが開く音がした。
「姉ちゃん、おかえり。」
無邪気な少年の声が、リビングに滑りこんでくる。
美沙子はまだ笑っていた。シュンはただ呆然と立ち尽くしていた。
後数秒もすれば、健少年がリビングに入ってくる。
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いつも毎日投稿ありがとうございます。
姉弟、読んでいて辛くて、三人を抱きしめてあげたい気持ちになりました。
無邪気に笑って過ごせるはずの子供時代が過酷すぎて、その後の人生にずっと影を落とす、、そうやって苦しんでいる人が実際いるのだろうなと悲しくなりました。
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